EP544 最後の準備
セイジにとってこの世界は第二の故郷だ。
愛着で言えば生まれ育った土地が一番ではあるが、人生の濃さはこちらの世界の方が上である。召喚され、戦いを覚え、レベルを上げ、上位の力を得て、挫折し、今はさらに上に領域へと至った。
テラスで夜風に当たりながら、彼は思案する。
(僕は……)
これから始まる戦いは今までとは比べ物にならないものだ。
現れる敵は全てが超越者であり、一太刀で殺せるような相手ではない。苦しい戦いを何度も続け、それでも勝ち抜き、ようやく辿り着いた先で文明神を殺さなければ勝利とならない。
超越者としての時間が少ないセイジは、その戦いがどれほど厳しいものかあまり理解していない。
しかし勝利しなければ元の世界に帰れない。
「清二! こんなところにいたのね!」
「探しましたよ」
「二人とも……もう夜遅いよ?」
「いいじゃない別に。なんだかステータスが伸びてから少ない睡眠でも回復できるようになったしね!」
睡眠は体力の回復や破損した肉体の治癒など、生きるために必須の行動である。しかしステータスが伸びると代謝能力も向上し、少ない睡眠で回復できるようになる。
尤も、セイジは睡眠すら不要な肉体になってしまったが。
「それでどうしたんだい?」
「清二君が悩んでいる気がして……探していたんです。私も理子ちゃんも役には立てませんけど、やっぱり幼馴染ですから」
「悩んでいる……か。うん、そうだね」
「やっぱり戦いに行くの? 私は反対よ! セイジがそんな危険な所に行く必要なんてないわ!」
リコの言うことは正しい。
この世界に巻き込まれただけであるセイジに戦う義務はない。仮に部屋の隅で震えて戦いが終わるのを待っていたとしても文句を言われる筋合いなどないほどだ。
だが、セイジは勇者として適性のある者だ。
それは才能の面だけではなく、心の面でも勇者たりえる。
「僕はやっぱり戦うべきだと思っている。もう僕たちはこの世界とは無関係だなんて言えない。沢山の人と知り合って、一緒に戦ってきたんだ。もう他人じゃない」
勇者として、冒険者として活動していく中で、セイジたちは多くの人と知り合った。元の世界で学生をしていたら決して得られなかったであろう経験を共にした。命を預け合ったこともあった。
もはや見捨てることのできない愛着がある。
「僕はたとえ力がなかったとしても……うん、なくても戦いに行ったよ。あの時みたいに」
「清二、あの時のこと」
「あの時も大変だったなぁ。ほとんど全部のスキルが無くなってさ」
思い出すのは聖剣を破壊されたときのことだ。
スキルを変異させる《融合》スキルにより、世界中がスキル異変に見舞われた。それを収めるためだったとはいえ、原因である聖剣を破壊されたセイジはほぼ全てのスキルを失うことになった。
だが力を失ってもセイジは立ち向かうことを選択した。
スキルが消えたからといって、勇者としての役目を諦めることはなかった。
「だから僕は行くよ。朱月と一緒に、戦う。それに二人は僕が必ず元の世界に帰る。ようやく、帰る目途が立ったんだ。このチャンスは絶対に逃さないよ」
セイジは覚悟を決めた。
◆◆◆
「おー、おー……カッコつけてくれるやんか」
「彼、今時珍しいタイプだね」
「アヤトさんもそう思います? 桐島ってうちのクラスでも変わってる感じやったんですよね。あのイケメンで友達想いやからモテましたよ」
「彼はどちらを選ぶんだろうね。あの二人といいかんじだけど」
「この世界に留まったら重婚もありやと思いますけどね」
テラスの上の窓からセイジたちを見下ろすレンとアヤト。
二人は盗み聞きしながら飲み物を口にする。
「で、俺たちはどうします? 正直、役に立てるとは思えへんのですけど」
「そうだよね。あまり気にしてこなかったけど、やっぱり力は必要だね。今までは……何というか、個人で岩を破壊できるとか怖かったんだよね」
「あー、わかります。ゲームとか漫画なら『もっと力を!』って思いますけど、自分のことになったら怖すぎますって。桐島って凄いやつやと思いましたわ」
「ちょっと間違えたら世界が壊れる規模の力だからね」
レンもアヤトもこの世界に慣れてきたが、元は平和な国の学生だ。特に超越者の力は個人で核兵器を所有しているようなもの。そして制御を間違えれば大陸どころか世界すら滅ぼしかねない。
とてもではないがまともな神経では使えない。
またこれからの戦いは世界の命運すらかかっている。そんな重荷を背負って戦える者はどれだけいるか。
「俺には無理やと思いますね」
「同じく、だね」
「陳腐な言い方やけど……信じて待つとしますか」
「そうだね。僕たちにはあんな勇気はないよ」
勇者とは元々、この世界の裏世界の間に穴を開けるためのものだった。つまり召喚された勇者の役目は既に終わっている。
それを知ったレンとアヤトは、ある意味でモチベーションを失っていた。
真実を知っても努力を続けたセイジはある意味で称賛ものである。
やはり勇者は彼。
二人は改めてそう考えた。
◆◆◆
ミレイナは自分の故郷である砂漠へと訪れていた。
その目的は迷宮である。ピラミッドのような外観の破壊迷宮、地下九十階層の天九狐ネメアの住まいこそ目的地だった。
「あら? 来たんやね」
「教わりたいことがある」
「へぇ。殊勝やないの」
「私は力不足だからな。どうしても切り札になる何かが欲しい。お前なら何か知っていると思っただけだ。同じ神の加護を持っているからな」
生まれつき加護を得ていただけあって、ミレイナには才能があった。そして天才型であった。理論的な構築より、感覚的に最適を察する方が得意である。
しかし後者の方法は時間がかかる。つまりは何となくの繰り返しでしかなく、理論上の最適解であるという確証がない。通常は師匠などに教わってその辺りを修正するのだが、あいにくミレイナは超越者である。師という存在はあまりにも意味がない。
そこで頼ったのがネメアというわけである。
九十階層の花畑に佇む人型ネメアは、ただ構えた。
「ウチらの権能は技量やのうてパワーなんよ。難しいことを考えるより、力で押し込む。それが正しい使い方なんやけど……」
そう言いつつ、ネメアは両掌に霊力を集める。すると彼女の両手が指先から真っ黒に染まり始めた。
「こんな風に力を集中させるのが手っ取り早いんよ。ウチの毒は相手をじわじわ追い詰める。そやけどあんたの能力なら一発で破壊や」
「力の集中……うーむ」
「なんや? しっくりせんの?」
「何となく」
ミレイナの感覚は正しい。
彼女の権能は破壊の発散。無条件に、広範囲に破壊を放出する能力である。ゆえに力の集中とは真逆なのだ。その手の制御が単純に苦手というのもあるが、明らかにミレイナの権能とは合わない。
「私の能力は放出するものが多い。どうにかならないのか?」
「あんまり範囲を広げたら威力が下がるのは必然や。ウチらは神なんかと比べたら使える霊力も限られているんよ? それを補うんなら意思力で力を集中させるしかない」
「そんなにか?」
ミレイナはあまり実感がわかないのだろう。
そもそも彼女の権能は破壊である。霊力は超越者にとって重要な力だが、権能そのものも強力である。壊すことに特化したミレイナの能力なら、神にも通用するような気がしなくもない。
言わんとしていることを理解したネメアが、足元の細い草を摘む。そしてミレイナに差しだした。
「これは?」
「その草でそこにある岩を切れるか?」
「できるか!?」
「そういうことなんよ。こっちの攻撃は神からすればその細い草なんや。向こうはなんもせんでも傷なんか負わん」
権能の動力は霊力だが、発動のキーとなるのは意思力だ。そして意思力によって権能は導かれ、その力を集中させることができる。力の方向性は意思顕現として発現するのだ。さらに力の方向性を厳密に集中させれば、世界侵食への道も開ける。
意思力によって権能の全てを使い尽くさなければ世界侵食は難しい。
「分かった。時間はある。私を鍛えてくれ」
「へぇ……覚悟を決めたいい顔やないの。ええよ。ウチが徹底的に鍛えたる。まずは……」
ネメアは一瞬でミレイナの背後に回り込み、軽く背に触れた。
途端にミレイナは激しい眩暈を感じて倒れた。全身に悪寒もある。内側から黒い何かが沸き上がるような不快感が彼女を苦しめた。
「ウチの訓練は厳しいで? その状態で戦うんよ。文句は言わさへんで」
殺気を感じたミレイナはその場から飛び退こうとする。しかし既に遅く、ネメアは容赦なくミレイナを蹴り飛ばした。
花が散り、その跡が一直線に大地へと刻み付けられる。そのまま九十階層の果てにまで辿り着き、壁のような結界に激突した。ミレイナが超越者でなければ即死の威力である。
「うがっ!」
「ほら、反応が遅い」
「ぐっ! あ、が!?」
ネメアは休みなど与えないとばかりに次々と攻撃を繰り出していく。体力の消耗や負傷という概念のない超越者に対してならば正しい訓練方法だ。
そしてミレイナも超越者らしく、力を解放した。
破壊的な波動が周囲に拡散される。しかしネメアはその波動を貫いてミレイナに攻撃を仕掛けた。毒を纏って体内へと衝撃を叩き込む純粋な体術だが、ミレイナには効果的だ。
「うがああああ!?」
「そろそろ毒の効果が切れそうやからね。あんたって体内の方が破壊の効果が強いんやない? ウチの毒の効果が消えるの早いで」
「こ、この!」
「残念、外れや」
この夜、九十階層から戦闘音が途切れることはなかった。
次回から裏世界いきますよー





