EP543 最後の準備
「お主ならそう言うと思っておった」
ゼノネイアはクウの断固とした拒絶に怒ることも機嫌を悪くすることもなかった。寧ろ予想通りといった様子である。
「妾から言うことはもうない。ヒントは与えたからの」
「使い物にならないヒントだったけどな」
「それより先は妾の知るところではないの」
提示された方法はユナかリアを犠牲にするというものだ。
しかもそれでカグラ=アカシックを確実に倒せるわけではなく、可能性が生じるというだけ。最悪の場合、失うだけということも考えられる。
「クウよ。リスクなしに望むものが手に入ると思っておるのか?」
「そういうわけじゃない。俺は賭けるべきものに分別を付けているだけだ」
「ならば良いがの。裏世界に攻め込むならば、気にせず好きに暴れるが良い。妾たちが世界を維持しておくからの。そう、存分にな」
何か含みのある言葉を最後に、ゼノネイアは口を噤む。
クウは背を向けた。
もはやゼノネイアから得るものはない。仮にゼノネイアに他の方法があったとしても、それをクウたちに教えることはないだろう。
「帰るぞ。裏世界に行く準備をする」
「はいはーい。ゲートだね」
ユナは右手の魔法陣をクウのものと重ねる。それに続いてリアも魔法陣を重ねた。魔法陣の共鳴によって神界と地上が繋がれ、ゲートが開かれる。
そして三人の天使は神界から姿を消した。
残されたゼノネイアは呟く。
「まぁ、妾がお前たちを逃がし、世界ごとカグラ=アカシックを封印するという方法もあるのじゃがの。それは言わぬが花というものか」
◆ ◆ ◆
神界から戻ったクウたちは、【レム・クリフィト】でアリアたちと合流することになった。アリアも各国首脳との会談を終えたことで、そちらの情報も持ち帰っている。
それぞれの情報をすり合わせるため、最後の話し合いをするのだ。
「――というわけだ。全世界が見事に一致団結していたよ。まさかこんなことが原因で私の夢が叶うとは思わなかったがな」
「まだ君の夢が叶ったわけじゃないよ。これまでで最悪の敵がいるからね」
「本来なら私たちの手に負える相手ではないのだがな」
アリアの目的は平和な世界である。
そもそも魔人族は不安定で歪な種族だ。光神シンによって創られ、この世界に移住させられた本来は世界にいるはずのない種族である。
故に魂との適合率も悪く、生まれた魔人族の中には魂を持たない人形同然の場合がある。アリアや【レム・クリフィト】の住民のように、魂を有する魔人族はここ最近になって生まれた。
魔人族は世界の侵略のために生み出された種族。
戦いのための種族として育てられ、祖たる魔王オメガと魔王妃アルファからもそれを強要された。
この世ならざる種に安寧を。
それが彼女の願いである。
「それでクウの方はどうだった? 何か手が見つかったか?」
「俺たちの方は収穫なしだ。だがゼノネイアの言い方から察するに、俺の切り札なら何とかなるんじゃないかと思う。当てることさえできればな」
「不確定要素が多いな……どう思うリグレット?」
「元から勝ち目のない戦いだからね。僅かでも望みがあるだけで上出来だと思うよ」
人と超越者に超えることのできない壁があるように、天使と神の間にも大きな壁がある。普通の方法では全く勝ち目がない。仮に強力で理不尽な権能があったとしても、霊力の差で捻じ伏せられてしまう。
クウの《神威》はそれを成し遂げる可能性があるわけで、驚愕するべきことだ。
「……そう言えばその通りだな」
アリアもその事実を思い出したのか、どこか諦めた表情になる。
「ならば後は役割分担か」
超越天使の中で世界浸蝕まで扱えるのはクウ、アリア、リグレットのみだ。これから裏世界に侵入する以上、最低でも世界浸蝕を一つは扱えた方が良い。
戦力だけ考えるなら超越天使と神獣、そしてセイジを裏世界に全投入すれば済む。
しかし表世界と裏世界を接続している穴はまだ閉じておらず、世界の修正力が機能しない限り閉じられることはない。つまり裏世界に侵攻中、裏世界の超越者が表世界にやってこないとも限らないのだ。
「誰が残る?」
「僕は残るよ。能力も防衛向きだからね」
「リグレットはそれでいい。クウはカグラ=アカシックを倒すのに必須だから裏世界組だな。クウは誰と一緒の方がいい?」
「俺と能力相性のいいリアは来て欲しい。あとユナも一緒だと助かる。近接戦闘能力は一番だからな」
「私ですか……」
「くーちゃんが言うなら行くよ!」
「となると、こっちに残るのは私かミレイナということになるな。裏世界に三人で挑むのは苦しいだろう」
そう言ってアリアはミレイナに目を向ける。
だが、ミレイナが大人しく防衛に回るような性格だと思っていない。こうして目を向けた段階で彼女の答えは分かり切っていた。
「私も攻めるぞ!」
「だろうな。なら私がこちらに残るとしよう。それと人族の勇者だな。本人に聞いた方がいいか?」
「それなら俺が聞いておく。一応、同郷だからな」
やはり魔王のアリアより、元は同郷のクウが聞いた方がセイジも答えやすいだろう。今ここにセイジはいないので、また後でということになるが。
これでクウ、ユナ、リア、ミレイナが裏世界へ。アリアとリグレットが表世界に残ることになった。戦力分配としては妥当なところである。
「それと神獣だが、それぞれに付き従うってことでいいか?」
ついでとばかりにクウは提案した。
そして特に反対の意見もなく、全員が頷く。超越者としての連携を考えるなら、天使と神獣の相性に間違いない。
戦力分配は確定した。
「では明後日には準備を整えて裏世界に侵入する。裏世界からやってくる超越者はあの平原で私たちが留めるから存分に暴れてこい」
「ああ。こっちは何とかする」
「それと次元の穴だが、リグレットが今の監視してくれている。今のところはその兆候もないが……いつ超越者がやってくるかも分からん。魔王オメガの召喚で裏世界には複数の超越者が存在すると分かっているからな。裏世界を完全に封じるまでは油断できん」
多頭龍オロチ、炎帝鳥アスキオン、妖精シャヌ、海霊エーデ・スヴァル・ベラ、大蛞蝓パルカクルス。これまで表世界に召喚された裏世界の超越者だ。
光神シンが生み出した天の因子によって意思次元封印は簡単に解除されたと思われ、その中でも潜在力封印を解放するに至った強者たちが超越者に至っているはずだ。それが千五百年前から繰り返されてきたとすると、裏世界に存在する超越者の数は予想もつかない。
表世界と裏世界の次元の穴が安定状態で存在しているだけで、表世界は危険に晒されている。
そこでリアが手を上げた。
「どうしたリア?」
「はい。その、次元の穴ですが封印できないのでしょうか?」
「できるなら六神が既にやっている。それに次元の穴が閉じるまで放置するわけにもいかん。念のためリグレットに解析させたが、閉じるのは難しい。変異している裏世界の法則が混じっているせいでな。裏世界の法則がまるで毒のように次元の穴の修復を難しくしている。あっちの世界の支配権がカグラ=アカシックに移っているからだろうというのがこいつの見解だ」
「そういうことだよ。封印は難しいかな」
「そう、ですか」
リアは争いごとを好まない性格だ。
戦わずして解決するならば、その方が良いと考える。
またリアはゼノネイアの言葉を覚えてた。
(やはり私かユナ姉さまが神刀と融合しなければならないのでしょうか)
クウが《神威》を完全制御する方法。
それはクウにとって親しい存在であるユナかリアが神刀・虚月と融合することだ。それによって神刀を虚空神ゼノネイアの力を降ろすための器とするのである。クウの霊力体では耐え切れない神の力を制御することさえできれば、カグラ=アカシックにも勝ち目が見える。
たとえクウにそのつもりがなくとも、今はそれしか手がない。
「とにかく、裏世界に行って奴を討伐することは確定だ。こちらにやってくる超越者だけを迎え撃つことも考えたが、どれだけの被害が出るかも分からんからな。こっちの世界で超越者が大戦を始めれば、千五百年前の二の舞となる」
「僕も対策の魔道具を幾つか準備しているけど、表世界で迎撃は現実的じゃないよ。仮に勝利したとしても、世界が滅びたら意味がないからね」
「話しは終わりだ。各位、準備を進めてくれ」
忙しいアリアは一番に席を立ち、どこかへ行く。それに続いてリグレットも自分の研究室に戻っていった。戦いに最も準備が必要なのは彼なので、そういう意味で忙しさはアリア以上だろう。
ミレイナは会議の間も何かを考えていたようで、ふと顔を上げる。
「明日には戻るぞ!」
そう言って彼女は窓から飛び出していった。天使翼を展開し、深紅の軌跡となって南の空に消えていく。
残された三人の内、クウも立ち上がった。
「さて、俺も桐島の所に行くか」
「私も行っていい?」
「いいんじゃないか? リアはどうする?」
「では私も。転移で向かいますか?」
「そうだな。神都でいいか」
リアも権能の扱いが上手くなったもので、転移という高等な術すら容易く発動できるまでになった。瞬時に座標設定を完了し、転移を発動する。
三人の姿が一瞬で消えた。
◆◆◆
人間族の国【ルメリオス王国】の神都は復興中である。
その理由はクウが《神威》で街を切り裂いてしまったからだ。光神シンが用意した三種の天使を滅するためだったとはいえ、その被害は甚大である。
破壊されて虚数空間に飲み込まれた建造物、人の具体的な数は今も分かっていない。
クウたちはそんな神都の上空に転移で現れた。
「さて、桐島はどこにいるかな」
《真理の瞳》で情報次元を観測し、固有情報次元という巨大な一つの世界を有する存在を見つける。隠蔽もしていない情報次元はすぐに見つかった。
そして続いてリアに目を向ける。
「魔眼」による「意思干渉」でリアの記憶にセイジの位置情報を刷り込んだのだ。
情報を受け取ったリアは再び転移を発動させる。
三人はセイジの前に現れた。
「うわぁっ!?」
当然、いきなり目の前に人が現れたらセイジも驚く。そしてセイジと共にいたリコにエリカ、またレンとアヤトも反射的に武器を構えたほどである。
随分とこの世界に染まったものだと、クウは少しばかり呆れたが。
「朱月に朱月さん……それと……」
「こっちはリアだ。ちょっと桐島に聞きたいことがあってな」
「僕に?」
そう聞き返すセイジだが、すぐに何のことか理解した。
彼も馬鹿ではないのだ。
「もしかして、あの穴のこと?」
「ああ。この世界の事情はもう把握しているよな? これから俺たちは裏世界に行って、カグラ=アカシックと戦う。だがアリアとリグレットはこっちに残って世界の防衛をすることになっている。同じ超越者の領域に立った者として、桐島にどうするか聞いておきたい」
「僕は……」
「すぐに答える必要はない。だが、出発は明後日だ。どちらにせよ、お前はもう一般人ではいられない超越的存在だ。戦いに出るのは確実だと思った方がいい。明日にはまた返事を聞きにくる。それと……俺はお前も来るべきだと思っている。桐島の権能は神殺しに有効だ」
「……分かった」
「要件はそれだけだ」
クウはリアに視線を送る。
すると言いたいことを察して転移の術を発動させた。
セイジ、リコ、エリカ、レン、アヤトは魔王を倒すために呼ばれたはずだった。しかし魔王の討伐は意味のないことであり、倒せるはずもない相手だった。挙句の果てに神を殺さなければ元の世界にも戻れないという事態である。
「変なことになってもたな」
レンは皆の思いを代弁する。
もはや超越者以外の者にするべきことはない。世界の命運をただ待つだけだ。
リコとエリカも不安を露わにする。
「セイジ、どうするの?」
「行かないでください!」
「僕は、僕は……」
幼馴染である二人を守るために残るか、全てを終わらせるために自ら裏世界に行くか。
どちらも理に適った選択である。
そして超越者に大ダメージを与えることができるセイジの権能ならば、どちらでも活躍できるだろう。
「僕は……」
やはりその場で答えを出すことはできなかった。





