EP539 次元の穴
クウが光神シン諸共、凝縮体を貫いた。
そして時が止まったかのように、一瞬の空白が生まれる。
「終わりか……?」
アリアが静寂を破ってリアに尋ねる。
意思次元を直接観測することができないアリアでは、状況の把握は難しい。
だがその問いに対して、リアは震えつつ答えた。
「ち、違います……あれは……」
リアが答えを告げる前に、凝縮体が崩壊した。次元と共に。
崩壊した次元は猛烈な勢いで空気を吸い込み、次の瞬間には次元の奥から爆風の如き凄まじい衝撃波が放たれた。衝撃波は空間を揺らし、大地すら揺らしてあらゆるものを吹き飛ばす。
雲すら晴れ渡り、美しい暁の空となる。
「あれは、次元の崩壊です!」
「くそ! 遅かったか!」
負の意思次元によって次元に穴が空く。
それはつまり、裏世界に存在する邪神カグラも向こう側から穴を空けてきたということである。穴の奥にいるのは当然ながら邪神カグラ。光神シンすら超える神だ。
衝撃波により地上へと吹き飛ばされたクウは、土煙の中から飛び上がり、リアの隣に並ぶ。
「……すまない。やられた」
最後の最後で《月界眼》を解除してしまったことが敗因だ。
一秒、いやコンマ一秒でも《月界眼》を維持できていれば勝利できていた可能性が高い。それだけに悔しさは一層だ。
「次元の穴の奥からヤバい気配がする。あんなのがこっちの世界に来たら、世界が壊れるぞ」
「分かっている。クウ! 絶対にこちらの世界に顕現させるな。力が漏れ出すだけでアレだからな!」
アリアが指差す通り、次元の穴の周辺は無数の亀裂が走っている。今頃は六神が慌てて修復作業を行っていることだろう。
邪神カグラは低位から中位の神だ。最下位神として比較しても小さな潜在力しか有していない光神シンでさえ世界が震えたのだ。邪神カグラが顕現するとなると、どうなるか分からない。
「俺が虚数次元に沈める!」
クウは神刀・虚月を取り出し、呼吸を整えた。
次元に空いた穴は風船に針を突き刺してできた穴にも似て不安定だ。六神が対処しなければ軽く崩壊している事案である。だからこそ次元に小さな穴を空けて発動する異世界召喚魔法は危険であり、滅多に使ってはいけないのである。
更に言えばこの次元の穴は神が降臨できるほどの巨大な穴。
下手に治そうとすれば、逆に世界の崩壊を進めてしまう。
だからこそ、虚数化による次元の穴の封印で『無かったこと』にするしかない。
「詠唱する時間は……なさそうだな」
虚数次元を操るには《神威》によって虚空神ゼノネイアの権能を借りなければならない。しかし《神威》は言霊による長い詠唱が必要だ。
この状況で長い詠唱をすれば良い的である。
音速戦闘が常の超越者にとって、何秒も集中が必要な詠唱は使えない術も同じだ。少なくとも足止めしてくれる仲間がいない限り、言霊禁呪は使いにくい。
「これでいけるかは分からないが……」
クウは次元の穴に向けて《虚無創世》を放つ。小さな異世界を創造し、内部に閉じ込めたあらゆる存在や現象を虚数次元へと廃棄する。
ただし、超越者に対しては効果がない程度のものだ。
次元の穴と亀裂が黒い小世界が包み込み、封じ込めようとする。しかし次元の向こう側から再び衝撃が放たれ、小さな黒い世界は捩じ切れた。
「ま、無理だろうな! 時間稼ぎを頼むぞアリア!」
「任せろ! やるぞリア」
「はい」
クウが詠唱に入る中、アリアはまず状況を確認した。
一番の問題は上空にある次元の穴と、その奥から感じ取れる邪神の気配である。そして次の問題はクウと同じく地面に叩き付けられた光神シンだった。ただ、光神シンは胸をエクスカリバーで貫かれたままであるため、あまり心配する必要もない。今もエクスカリバーが内包する概念に蝕まれ、魂の痛みに苛まれている。
時間稼ぎの対象は次元の穴。
穴が広がらないようにすることと、その奥に潜む強大な存在をこちらに来させないことである。
「……とはいえ、どうするリア?」
「……どうしましょうか?」
「こちらから攻撃を放り込む。とにかく、何とかするしかない」
対処方法のよく分からない次元の穴にこちらから攻撃を撃ち込み続ければ、クウの術が完成するまでの時間稼ぎはできるかもしれない。
アリアは自ら禁術指定した術式を解放した。
暁の空に小さなオレンジ色の光が現れる。
「星落とし! リア、私の術は時間がかかる。先にやってくれ」
「お任せください。《時間圧縮》」
リアは次元の穴の周辺に時間の歪みが生じる。この歪みへと《熾天白焔》を放つと、浄化の炎はその空間で停滞した。
しかしそれでもリアは炎を放ち続け、空間中に炎を蓄積していく。
《時間圧縮》を発動させた空間では、時の進みが非常に遅くなる。それこそ止まっているのと変わらない程度にまでだ。そうして炎を時間的に蓄積することで、リアは霊力以上の威力にまで引き上げた炎を放つことができる。
「ベクトル操作! 圧縮発動、《神白炎》!」
時間圧縮と空間的圧縮を同時に発動し、生じた小さな火球を次元の穴に放つ。時間圧縮はおよそ百倍だ。つまり天使の百倍の潜在力である下位神レベルの潜在力に相当する。
普通の戦闘で悠長な下準備をしていてはとても当たらないが、この状況なら余裕で発動できる。
浄化の炎が向こう側の世界で破壊的に炸裂し、その熱波が次元を超えてこちらの世界にも戻ってきた。
「いい時間稼ぎだ。丁度落ちてきたぞ」
そしてアリアが呼んだ隕石に対して質量分解を発動させる。そうして生成した純エネルギーを自らの手に集めた。
この隕石は実際に衛星軌道上を周回する大型小惑星の一つであり、落下に伴う運動エネルギーもついでに分解されている。この星を消し去るほどの大エネルギーを、アリアは手のひらに収まる程度まで圧縮した。
「私の霊力も追加だ。消し飛べ」
小さなエネルギー弾が次元の向こう側に消えて行く。
そうしてしばらくの後、大爆発が引き起こされる。光が次元を越えて漏れていた。
アリアが右手を天に掲げると、オレンジの点が幾つも浮かんでいた。次なる隕石である。そしてリアは《神白炎》を連発し、次元の穴へと放り込む。
十秒と経たない内に星が消滅するほどのエネルギーが放り込まれた。裏世界など知ったことかと言わんばかりの酷い攻撃である。
「リア、合体術だ」
「はい。《時間圧縮》」
「禁術、重力崩壊。固定した!」
「では放ちます」
アリアが自ら禁術指定した術式の一つ、重力崩壊はブラックホールを生み出すための術だ。神聖粒子によって空間を極限まで歪ませ、空間が崩壊する程の重力を出現させる。それはブラックホールという物理現象として固定されることになるのだ。
リアの《時間圧縮》によりブラックホールを固定し、固定した空間のまま向こうの次元へと送り込む。
これで裏世界はブラックホールによって飲み込まれることになるだろう。
「愚かなり」
だが、次元の穴から巨大な手が現れ、ブラックホールを掴み取る。そして重力が乱され、ブラックホールは瞬時に消滅してしまった。
その腕はさらにこちら側へと伸ばされ、肩、顔と順番に姿を見せる。
「我が名は邪神カグラ様の天使、メギドエルなり」
それはかつて世界の真実を知った時、映像で見た邪神カグラの堕天使だった。
メギドエルは十メートル程の巨体を全て表世界へと出し、告げる。
「偉大なる我が神の降臨である。平伏せ」
次元の穴から放たれる威圧が強まる。
これは人に耐えられるものではない。リアは慌てて結界を施し、地上の人々を守った。クウの張った結界はあくまでも防御用のものであり、威圧感までは遮断できない。そこでリアは空間結界に自らの気を混ぜ込むことで、気配を緩和した。
空間の亀裂が広がり、ある部分は崩れて次元の穴まで広がった。
「アリアさん……」
「迂闊に動くなよ、リア」
アリアは指を鳴らし、振らせるつもりだった隕石を消した。
一つ間違えれば世界が終わる。
だが、アリアには邪神カグラが簡単に世界を滅ぼすことはしないだろうと予想していた。邪神が今まで生きてこれたのは、裏世界という一つの世界に引き籠っていたからである。強大過ぎる六神では、世界の中に直接干渉することができない。しかし世界を滅ぼしてしまえば、六神の干渉制限も関係なくなる。既に滅びた世界に配慮する必要もなく、圧倒的な力で邪神を討伐してしまうことだろう。
(クウの一撃に賭けるしかない)
次元の穴さえ封じてしまえば、この戦いは勝利だ。
エクスカリバーの直撃を受けて死に体の光神シンもすぐに倒せるだろう。そうすれば、邪神カグラは永久に裏世界に封じ込める。
「ようやくか」
声だけで震える。
次元の向こう側からでも、その威圧感は伝わっているのだ。言霊による威圧は更にその上を行く。
「シン、君が表世界に来てからはすぐだったね」
金髪の優し気な青年。
それが邪神カグラの見た目に対する印象だ。巨人族という種を創造していながら、彼自身は普通の大きさである。
だが彼がこの世界に現れた途端、世界が軋んだ。
空はエラーサインを示す赤に染まり、危機的状況であることを示す。
邪神カグラが地上を見下ろした。その視線の先には、エクスカリバーが突き刺さったまま苦しむ光神シンの姿がある。
「……そうか。そこまで追い詰められたか」
そう呟いて邪神カグラは下降した。彼が移動するたびに空間の亀裂は広がっており、世界が悲鳴を上げている。
いつ世界が壊れるかもわからない、非常に危険な状態だ。
「随分とやられたみたいだね」
「カグラ、か……早く抜いてくれ。突き刺さったまま抜けない」
「ははは。断るよ」
「え……?」
光神シンは信じられないと言った様子で見上げる。
言葉を失い、手を伸ばした。
だが邪神カグラはその手を吹き飛ばす。いや、見た目には光神シンの手が勝手に弾け飛んだだけに見えたが、邪神カグラの仕業であることは明白だった。
そして驚く間もなく邪神カグラはエクスカリバーの柄を握り、力を発動させる。
「ぐ、が……ぐあああああああああっ!?」
魂を引き裂かれる痛みが襲いかかる。光神シンは絶叫した。
邪神カグラは自らが分け与えた力へと干渉し、光神シンの魂と融合した力を引き剥がしていた。エクスカリバーを通り道として光神シンの力を吸い尽くす。つまり、光神シンの魂を喰らい尽くそうとしていた。
「ああああああ! ぎゃあああああああああ!?」
「さぁ、返してもらうぞ。私の力を」
「ぐ、あ、があああっ! あああああああ!」
エクスカリバーを引き抜き、光神シンから全ての力を吸い取った。光神シンに分け与えていた潜在力を回収したことで、邪神カグラは更に力を付けた。潜在力どころか、それに付随する全ての魂の力を身に着けており、権能までも手に入れている。
本来は他の超越者が有する権能を手に入れることなど不可能だ。
だが、光神シンは邪神の潜在力を自らの魂に馴染ませていた。だからこそ、潜在力と共に光神シンの権能【伊弉諾】までも回収可能だったのである。
「君の魂を奪うことは八千年前から決まっていたことだよ」
「契約、だった、は……ず」
「私は君との魂の契約を施すことで魂の回廊を構築し、加護を通して虚空神ゼノネイアから名と権能を取り戻すつもりだった。でも予想通り、こちらから仕掛ける前に対策されてしまってね。だから本来の方法をとることにしたんだ。君から全ての力を奪い取れば、多少はやれることも増える」
「く、ぉ……」
「さよならだ。君に残った魂の残滓も引き裂いてあげよう」
邪神カグラはエクスカリバーを振り上げる。
「死にたく、な――」
無情に振り下ろされる。
神に至った人の魂は、残滓も残さず消滅した。
新しい、邪神という脅威に引き継がれて。
これにて『人魔大戦編』は終わりです。
次で最終章になります。最終章は今年中に終わる……と思います。予定では20話も使わないはずですが、所詮は予定なので長くなるかも。書いている内に色々書き足してしまうのは私の悪い癖ですね。
では来週より『裏世界編』を開始します。





