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虚空の天使【完結】  作者: 木口なん
人魔大戦編
539/566

EP538 勝利の剣


 レインに埋め込まれた聖杯は、身代わりの象徴だ。

 実を言えばこの神器は神の概念が含まれた非常に高度なものである。キリストが自らの運命を杯と例え、その弟子たちに『私の杯を飲むことができるか?』と問うたという伝承がある。身代わりの子羊という運命を強いられたそのキリストの概念から生成されたのが、聖杯エカテリックだ。

 この聖杯と融合したレインは、自己犠牲という概念を獲得していた。

 レインの中で、薔薇に包まれた聖杯がある。

 聖杯はギリギリと締め付けられ……破壊された。



(ああ、永遠に神を愛そう)



 光神シンを見てそう思う。



(ああ、君は僕のものだ)



 そしてベリアルに別れの念を送った。

 次の瞬間、レインは死の瘴気で消滅した。光神シンのダメージを全て肩代わりして、魂もろともに。ベリアルへの妄執ともいうべき暗い執着心を放って。





 ◆ ◆ ◆





 クウは驚愕した。

 トドメとして発動した《素戔嗚スサノオ之太刀のたち》が回避されたからだ。



(これは、時間停止!)



 止まった世界の中、意識だけが動く。情報次元を止めることはできても、意思次元の停止は実質不可能だ。故に意識だけは存在する。

 そんな中、クウは回避した光神シンが杯を掲げている姿を確認した。



「レイン、お前は俺が作った眷属の中で一番優秀だ。こんな置き土産まで用意してくれるとはな!」



 レインが魂を砕く間際に放った妄執。独占欲とも呼べる歪んだ愛情は、負の意思力を効率よく輩出していた。超越者の強大な意思力が提供する負の意思は、光神シンの杯を満たすのに充分である。

 《天鎖黒棺》で強制的に消費した負の意思力を補って有り余る。

 杯からは黒くドロリとして液体が溢れていた。



「――お前!」



 時間停止が解けた瞬間、クウは即座に魔眼を発動させる。《幻葬眼》で杯を破壊しようとしたのだ。ただ見るだけで発動する魔眼の有用性は、その速度にある。

 杯は破壊され、負の意思力が空中に飛び散った。

 しかし回復した光神シンは悠然と天に昇っていく。



「何を……」


「兄様、負の意思力が」


「もう術式が始まっている! あれは拙いな」



 空中に散らばった負の意思力は、徐々に凝縮している。それはいずれ、次元に穴をあけるほどの力となって炸裂するだろう。負の意思力を誘導するための術式も、クウの眼には見えていた。

 またそこにアリアもやってくる。

 ゲートを抜けてきたアリアは、この状況を見て驚いた。



「どういうことだこれは!?」



 凝縮しつつある膨大な負の意思力。

 そして遥か上空には光神シンだ。

 良くないことが起こっているのは確実である。

 すぐにリアのもとに転移して、事情を問いただした。



「リア、何があった?」


「それが……光神シンをあと一歩のところまで追い詰めたのですが、ダメージをレインという方が肩代わりしてしまって」


「私のせいか……」



 つまりはレインを逃したアリアに責任があるということである。いや、リグレットの空間隔離すら貫通して召喚した光神シンが一枚上手だったと言わざるを得ない。



「それよりもリア、アレを何とかできないのか?」



 アリアが指差すのは勿論、負の意思力の凝縮体である。

 残念ながらアリアには干渉する手段もないし、仮に触れたら発狂する程の負の意思に侵されることは明白だ。意思次元に対して干渉権限を有するクウかリアでなければ対処不可能だ。

 しかしリアは首を横に振るだけだった。



「リアでもダメということか」


「申し訳ありません。クウ兄様のあちらで干渉しようと試みていらっしゃいますが、凝縮力が強過ぎてどうにもなりません」


「そもそも目に見えるほどの凝縮された意思力だ。あんなもの、権能でもどうにかできるのか……?」



 海の大水を手でかき回すことができないように、負の意思力が目に見えるほど凝縮した物体へと干渉することは不可能に近い。高次元である意思次元でのみ観測可能な意思が、この物理次元で目視できることがそもそもの異常事態なのだ。いつ次元が崩壊してもおかしくない。

 いや、この現象によって次元崩壊を引き起こすことこそが光神シンの目的ではある。こうなることは初めから分かっていた。



「おいクウ! 何か方法はないのか。お前だけが頼りだ!」


「分かっている」



 クウは霊力を解放し、意思力を侵食させた。

 途端に世界は夜となり、天上の中心に満月が浮かび上がる。そしてクウが右目を閉じると同時に、満月が朱く染まり、六芒星の紋章が浮かび上がった。



「《月界眼》……負の意思力を拡散しろ!」



 運命を生み出す究極幻術。それが《月界眼》。

 負の意思力の凝縮は運命的に定められていたが、上書きによって拡散という運命が生まれた。運命という絶対の強制力とも予定調和とも言うべき力により、凝縮は停止する。



「ぐっ……はああああああああああああ!」



 クウは珍しく叫んだ。

 全力で意思次元ベクトルを操っても、負の意思力に抗いきれない。世界侵食イクセーザという切り札を以てしても凝縮の運命を拡散の運命で相殺するのが精一杯だった。

 むしろ大海の如き意思の塊をクウ個人で止めてみせたのだから、称賛されるべき事態である。

 しかし《月界眼》は発動時間が短いという大きな弱点が存在する、



(どうすればいい。十秒で俺の《月界眼》は終わりだ……凝縮体による次元崩壊も近い。《月界眼》を一瞬でも止めたら終わりだ)



 そんな一瞬の思考の中、不意に風を切る音を捉える。

 視界の端で飛来する何かを見た。







 ◆ ◆ ◆







 クウが発動した結界の中で人族や魔族は守られていた。

 そしてセイジ、リコ、エリカの三人も。



「何よ……あの戦い」


「目で追えません」



 一般人であるリコとエリカからすれば、意味不明な挙動で動き回ったかと思えば、次々と衝撃波が生じる謎の戦いなのだ。それもたった数秒で戦況が変化する。

 超越者にとっては普通でも、一般人からすれば一瞬から数秒程度の時間でしかない。

 負の意思力の凝縮も、戦いが始まってから三十秒のことだった。

 一方で全ての戦いが見えているセイジは別の感情を抱く。



(僕は、ここでも役立たずなのか)



 セイジは今までになく無力感を感じていた。

 同じ時に転移してきたクウは、神と互角の戦いを繰り広げている。実際は薄氷の上を歩くような危険な戦いなのだが、そこまでは見抜けていなかった。



(僕にはあの戦いに参加するだけの実力がない。どうしたら……)



 セイジの役目はここで人族と魔族、特にリコとエリカを守ることだ。余計な手出しをしてこちらに攻撃が降ってきたら元も子もない。

 今、戦いは一時停止して負の意思力の凝縮をどうにかしようとしている。

 クウが発動した《月界眼》により世界は夜となり、その効果で凝縮は止まった。だが、セイジが見ても危険な状態である。止めることはできたが、決定的な一手がない。

 決着の一撃が存在しない。



「僕が……」



 右手に握るエクスカリバーを意識して、一歩踏み出す。

 伝説と意思の集合体であるこの聖剣なら、攻撃力としては充分だ。当てることさえできれば、負の意思力を砕くことも不可能ではない。

 負の意思力が戦争から生じた意思力の集合体であることと同様に、エクスカリバーも伝承や創作物を信じる者の意思から生まれた最強の剣を冠する概念の集合体。ポテンシャルは同等である。

 だが、セイジは背に感じた不安の視線で立ち止まった。

 振り返るとリコとエリカが見つめている。



「清二、行かないで」


「清二君……だめです。お願いします」



 それはセイジを心配する心。

 また彼女たちの不安の現れだ。

 セイジは二人の心を不安にしてまで戦場に赴くことを良しとしなかった。



「僕は……」



 右手の聖剣を握り締める。

 この力を、ただ持て余す自分が情けなく、そして勝利を確約することもできない。

 セイジは叫び、エクスカリバーを振り上げた。



「うおおおおおおおおおおお」


「清二!」


「清二君!」



 悲鳴のような声を背に、セイジはエクスカリバーを投げた。



「君に託す! この剣を!」



 回転する最強の概念兵装は、意思に誘導されるかのように弧を描いてクウの元に飛んでいった。








 ◆ ◆ ◆








 超高速で回転するエクスカリバーを、クウは見事にキャッチした。



「これは! 助かるぞ桐島!」



 黄金の刀身を見て全てを察したクウは、ただ胸の前で真っ直ぐ剣を持つ。

 狙うは凝縮が一時停止している負の意思力の塊だ。



「解放する。その内に秘めたる最強の概念。真名、エクスカリバー」



 静かな言霊による能力の解放、そして「意思干渉」による概念の集中。

 これによりエクスカリバーの刀身は眩いばかりの光に包まれた。最強の概念の下、あらゆる悪意に勝利する象徴として機能する。つまり、負の意思力など特攻で破壊するということだ。いや、勝利を収めるということだ。

 勝利という運命に支配されたこの剣に敗北はない。



「はっ!」



 《月界眼》の解除まで残り九秒。

 気合の掛け声と共に突進する。

 エクスカリバーを包む光も相まって、クウは黄金の流星の如く天を衝く。凝縮が一時停止した負の意思力を刺し貫くために。

 勿論、光神シンはそうさせないとばかりに立ち塞がった。



「神器・八咫鏡ヤタノカガミ!」



 光神シンは情報次元を跳ね返す神器を盾として置く。だが、エクスカリバーは意思力の塊であり、勝利や最強の運命に縛られている。反射など当然ながら通用しない。僅かな拮抗もなく八咫鏡ヤタノカガミは破壊された。



「ならば神器・八尺瓊勾玉ヤサカニノマガタマ



 次に発動したのは情報次元の封印。

 しかし情報次元レベルで意思次元レベルの兵器を破壊することは不可能。やはり瞬時に破壊され、意味を為さない。



天叢雲剣アマノムラクモノツルギ天霧鳴アメノキリナリ!」



 《月界眼》の解除まで残り八秒。

 最後の足掻きとして、光神シンは二本の神剣を召喚した。

 そして流星の如く突撃してくるクウを受け止める。



「はあああああああああああああああああ!」


「ぐ、おおおおおおおおおおおおおおおお!」



 二本の神剣をクロスすることで一瞬だけ受け止めるが、すぐに押され始める。勝利という確定運命に縛られた兵器の力は凄まじく、神となった光神シンの霊力を以てしても抗いきれない。

 天叢雲剣アマノムラクモノツルギで嵐を呼び、天霧鳴アメノキリナリで分解を仕掛ける。暴風の分解の猛威がクウを襲うが、それらは全てエクスカリバーの光が打ち消した。それどころか、逆侵食して神剣を打ち砕く。



「なにっ!?」


「そこだ!」



 神剣が砕け散り、防御が消えたことでエクスカリバーの切先は光神シンに吸い込まれた。そのまま胸を貫き、その根本まで突き刺さる。

 《月界眼》の解除まで残り七秒。



「ぐはああっ!」



 光神シンは反射的に聖杯エカテリックで脱出を試みるが、発動の兆候を見せた途端にエクスカリバーの光がそれを砕いた。

 神装すら容易く破壊する究極兵器。

 人々の想い、信仰、そして伝承の全てが凝縮された意思次元の集積体。

 光神シンの意思次元すら削り取り、そのまま負の意思力の凝縮体を貫くべく、更に前へ進む。



(このまま貫く!)



 クウは《神象眼》を発動し、自らの意思次元攻撃すら重ねた。この一撃は間違いなく神に届く。世界の悪意を引き裂く浄化の一撃だ。

 光神シンは自分の背後を守るため、魂の痛みに耐えて押し返そうとする。



(このまま貫かれると負の意思が消される……)



 《月界眼》の解除まで残り五秒。

 互いに考えることは一つ。

 もっと前に。負の意思力を消し去るために。

 もっと前に。負の意思力を消さないために。



「おおおおおおおおおおおおおおおお!」


「はあああああ! ああああああああああああああああ!」



 本気の意思。

 それが声となって現れる。己の目的のため、己の意思を遂行するために二人は叫んだ。



「貫けええええええええええええ!」


「止まれえええええええええええ!」



 潜在力の高さは超越者の強さだ。天使と神の間には絶対の格差がある。

 しかし意思の強さも超越者の強さだ。時に天使は神を上回る。

 クウの意思力は光神シンの潜在力すら上回り、光神シンは徐々に押され始めた。



「やれ」



 セイジは地上で呟く。

 解除まで残り二秒。



「いけ! クウ!」


「もう少しです!」



 アリアとリアも応援する。

 その声が聞こえないはずのクウは、急に力が増した気がした。

 残り一秒、クウは前に進む。



「これで、終わりだ!」



 《月界眼》の夜も解け、クウの力が更に増す。

 一気に押し込み、クウは光神シンごと負の意思力の凝縮体を貫いた。



「がっ……」



 光神シンはガックリと力を失い、凝縮体とその周囲空間に亀裂が走った。







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