EP537 犠牲
アリアはレインを地面に縫い付けた後、封印術を構築していた。
その術はリグレットの魔法陣を組み合わせた非常に強力なものである。だが、念入りに準備をしていたせいで後手に回ってしまった。
「なっ! 消えただと!?」
レインは忽然と消失した。
光神シンの召喚により、別の場所へと引き寄せられたのだ。それを知らないアリアは混乱し、レインの術か何かだと疑って周囲を警戒した。
(どこだ。どこから来る?)
だが、来るはずもない。
レインは自らの意思に反して呼ばれたのだから。
そのことに気付いたのは、リグレットが先だった。
「アリア! 違う、光神シンが呼び出した!」
「何? どうしてだ」
「僕にも分からない。でもアリアはすぐに追いかけてくれ。向こうにはクウ君とリア君がいる。彼らだけでは……」
「分かった」
リグレットは右手を動かし、ゲートを作成する。勿論、その先は戦場だ。
「信じている。僕の愛する妻よ」
「ああ、最後の戦いにしてやる。国の守りは任せるぞ」
アリアはゲートを潜った。
◆ ◆ ◆
レインを手元に召喚した光神シンは、有無を言わさずその身体を貫いた。見惚れるほど美しい貫き手である。だが、された側は堪ったものではない。
「我が、神?」
「お前は、もう、不要だ……生贄になれ!」
光神シンは貫き手と同時にある神器を埋め込んだ。
聖杯エカテリックである。あらゆる攻撃の身代わりとなるこの聖杯をレインへと埋め込み、更には「理干渉」と「因子操作」でレインの霊力体へと因子を侵食させた。つまりレインそのものを聖杯エカテリックと同化させたのである。
当然、無理に情報次元を書き換えられたレインは魂の痛みに呻く。
「ぐっ……」
情報次元の書き換えとは、すなわち情報次元へのダメージを示す。つまり超越者に対するダメージのことだ。
「砕けろ」
聖杯エカテリックと同化したレインは、すなわち巨大な霊力と情報次元を有する身代わり装置だ。魂の底まで負の意思力によるダメージを受けた光神シンすら元に戻せる可能性を有している。
ただし、砕くことができれば、
「砕けろ」
光神シンは貫き手によりレインの体内へと右手を差し込んでいる。権能によりレインの情報次元へと干渉し、握り潰そうとしているのだ。超越者という世界にも匹敵する存在を。
「な、何故ですか、神……よ」
「お前……は俺の! 俺の、役に立てる。滅びる、ことでな」
レインの魂を握り潰す。
その直前に光神シンの腕へと三本の矢が刺さった。
ベリアルが放った死の矢である。
情報次元すら腐蝕させ、殺す死の矢が光神シンの右腕を千切った。
「ぐっ……」
光神シンは右腕を抑え、下がる。
魂が軋むほどの圧を受けたレインは、そのまま地上へと落下した。
「天使、いや剣の分際で……!」
忌々しそうに告げる光神シンの前に、純白の翼を携えたリアが立ち塞がった。
◆ ◆ ◆
落ちていくレインを見て、クウはベリアルに指示を出した。
「ベリアル。アレを始末してくれ。死の瘴気で跡形もなく。光神シンが面倒なものを仕込んでくれたみたいだからな」
「分かったわ。マスターはどうするの?」
「俺は術の用意をする……と言いたいところだが、リア一人で光神シンは荷が重い。かなりのダメージが入っているといっても、相手は神だ。俺も手伝う」
「そう。手早く済ませろ、ということね」
「そういうことだ」
クウは天使翼を広げて飛び立つ。
その間、ベリアルは宙を浮いて地面に落下したレインの元に向かった。光神シンの腕が突き刺さったままのレインは、ピクリとも動かない。
超越者がその程度のダメージで動けないとは思えない。
動けないのは精神的なショックだ。
「僕の命……我が神……ため、に」
虚空を見つめ、そう繰り返す。
レインにとっては心のよりどころだった。彼が努力したのは神のためだった。彼が力を得たのは神の御心だと考えていた。それが今、否定されたのだ。
ただの生命維持装置として扱われたことについては苦痛ではない。神の命を長らえさせるために自らの命を使うことも吝かではない。
しかし今、レインの心は揺れていた。
超越者としての確固とした一つの意思から外れ、大きく弱体化していた。
神の役に立てない苦痛と、命を支払って神の役に立てる喜びが揺れ動く。
「無様な姿になったわね。あの雄姿が台無しだわ」
ベリアルはゆっくりと寄りながら告げる。
かつてレインとは戦ったし、同じ冒険者として活動したこともある。一言では形容し難い仲だ。
「君、は……」
「あら、私のことを覚えていたのね」
レインもベリアルのことはハッキリと覚えていた。そして動かない腕を伸ばそうとして、ピクピクと震える。本当に力尽きる寸前といった様子である。
「でも、お終いよ」
クウから送られた霊力を死の瘴気に変換し、レインの情報次元を殺すべく圧縮する。小さな弾丸程度の大きさとなった死の瘴気は、瞬時にレインの情報次元を侵食して殺し尽くすことだろう。当然、融合した聖杯エカテリックも破壊し尽くす。
光神シンが明確にダメージを受けている内に攻め続けたい。
ここで回復されるのは困る。
「死んでね?」
絶望的なまでの状況。
神への忠誠。
神による裏切り。
そして密かな想いを抱いた女性による処刑宣告。
様々な感情が渦巻き、重なり、増幅され、レインの意思力をかき乱す。
「あ……」
レインの声から漏れた悲鳴も虚しく、ベリアルの手から死の瘴気が零れ落ちた。
◆ ◆ ◆
負の意思力による破滅ダメージ受けた光神シンは、普段の動きができずにいた。つまり、下位の存在である天使にすら劣っていた。
「ぐ、がっ!?」
クウに切り裂かれ、明確な痛みを感じる。それは魂が傷ついていることを意味していた。負の意思力を凝縮し、破壊的な死の力として誘導した《天鎖黒棺》が継続的にダメージを与える。神であっても、死の意思力には敵わない。
「もう少しだ! 畳みかけるぞ!」
「はい!」
リアは空間を引き裂き、未来を操る。
抵抗する光神シンの攻撃など、まるで当たらない。回避の未来が常にクウを守護している。意思次元を操るクウとリアを相手に、まともな戦いをすることなど不可能に近い。
破滅の意思力に侵食された光神シンは、まだ全身が黒ずんでいる。魂の根底である意思次元を直接侵食するのだから、クウの《素戔嗚之太刀》にも似ている。神を確実に殺すための術式だったのだ。このダメージも納得である。
「リア!」
「はい! 《時間停止》」
「ぐっ、おのれ!」
リアの時間停止は光神シンの情報次元を停止させようとした。勿論、光神シンも抵抗する。時間操作とは情報次元変化速度の操作だ。情報次元が止まれば、超越者は動くことは勿論、権能を使うこともできなくなる。
今の光神シンには致命的な隙となる。
「兄様、今です」
クウには数秒あれば充分だ。
リアの《時間停止》を解除しようとする試みだけで、隙となる。音速戦闘が常の超越者にとって、この数秒は致命的だった。
「死ね! 《素戔嗚之太刀》」
居合の構えを取ったクウの背後に、巨大な白銀の太刀が出現する。それはクウの抜刀と共に抜き放たれ、光神シンを一撃のもと切り裂いた。
切り裂くという意思を以て、意思次元を切り裂く致命の一撃。
超越者すらほぼ一撃で切り捨てる。
間違いなく、光神シンに直撃した。
「がああああああああああああああああああっ!?」
魂を引き裂かれる痛みを感じて、光神シンは絶叫する。
既に光神シンは死に体だ。
いや、死ぬ直前だ。
ボロボロと霊力体が崩れ、ノイズが混じったかのように絶叫すら音割れする。情報次元が失われ、声も稀に消失していたほどだ。
光神シンの背後に輝いていた六つの光輪も崩れ、人としての形状も揺らぐ。
消滅寸前だ。
しかし、クウは油断しない。
(トドメだ!)
ただの時間稼ぎのつもりだったが、このまま倒せるなら倒すつもりでいる。
二発目の《素戔嗚之太刀》を発動するべく、構えた。意思力を集中させることで、背後に白銀の太刀が浮かび上がる。切り裂く意思を具現化したこの一撃が、光神シンを仕留める最後の攻撃になると信じて。
「《素戔嗚之――」
そして揺らぐ光神シンは絶望する。
迫る確実な死を前にして、激しい意思力の動悸を見せる。光神シンの体が弾けるが如く揺らいだ。
(死にたくない)
そう願う。
(俺は死にたくない。物語の主人公のようになりたい)
光神シンは怖がりな男だ。
彼がシン・カグラだった時から、死を怖がっていた。平凡であった彼は、六神によって物語の主人公にも似た境遇となったのだ。それにもかかわらず、何も残せず、何も為すことなく死ぬのが怖かった。
だが、光神シンは弱かった。
六神の加護を手にして超越化したシンは、堕天使メギドエルに敗北し、邪神カグラの力を知ったことで自分が弱いことを知った。いや、上には上がいることを知った。まして六神は邪神カグラよりも遥かに上位の存在なのだ。逆立ちしてもシンには勝てない。超越天使から最下位神となった光神シンとして戦っても勝利を収めることは不可能である。
ただ、六神に利用されるだけ。
邪神カグラに与した時、そう悟った。
(お前は分かっていない。俺たちは利用され、捨てられる!)
ゆっくりと迫る死に対して、光神シンは訴えかけた。
(六神はお前を都合のいい道具としか思っていない。奴らにとって俺たちは塵芥のようなものだ!)
願いのように、懇願するように、意思力でクウに訴えかけた。
意思次元を理解するクウは、当然のように光神シンの心を読み取る。
その一瞬だけ、時が止まったかのように通じ合った。
(お前はそれでいいのか? 俺たちは使い捨ての道具じゃないと奴らに知らしめたくはないのか?)
(それがどうした?)
(それがどうしただと? お前はそれに耐え切れるというのか? それとも、お前は負け犬の道具に甘んじる程度だというのか?)
(違うな。それが契約だからだ)
クウが天使になったのは、ただユナのためだ。
神の便利屋になることを対価に、力を得た。覚悟を決めた。
(俺はお前とは違う)
神の便利屋として世界を調整する代わりに、ユナと再会するための力を得た。
契約には対価が必要だ。
今はただ、契約の対価として神を討伐するのみ。
白銀の剣が、光神シンの首に触れた。
◆ ◆ ◆
仰向けに転がっていたレインは、死に面した光神シンを見つけた。
しかし焦点を変えれば、自分に向かって死の瘴気の塊が落ちてくるのも見える。
(ああ……)
レインは思う。
なぜ、こうなったのだろうかと。
かつて落ちこぼれと呼ばれた彼は、ただ神を信じ、自分を信じた。最強の冒険者、そして『覇者』と呼ばれるようになるまで努力を続けた。
だが、こんな結末のためではなかった。
(そうか)
しかし悟る。
(僕は試されているんだ)
レインは選択を迫られていた。
光神シンを見捨てるか、助けるかの二択に。
そして彼の人生の意味を見出す選択肢でもある。二百年を超える彼の人生の全てを否定し、神を否定しするのか。あるいは自分の信じた神を信じ貫くのか。
(僕は)
ベリアルは光神シンの敵だ。
言い換えれば、恋した女に与するか、自分の神を信じるかの二択である。
(そうか、これは……試、練)
レインは自らの意思で聖杯を発動させた。





