EP532 わたしたちの勇者
黒い薔薇の結界に囚われたリアは、選択を迫られていた。
レインを倒すために【レム・クリフィト】の民を一部見捨てるか、【レム・クリフィト】の民を守るために身を削り続けるかだ。後者を選択したところで、全てを守るのは難しい。超越天使として正しいのはすぐにでもレインを倒すことだ。
しかしリアは躊躇っていた。
救えるだけの力があり、その命を効率のために見捨てることを躊躇った。
時空間系の能力が封じられている以上、リアにできることは限られている。運命を操る「意思誘導」と、浄化の炎たる「聖炎」だけが万全に扱える力だ。
(兄様の力を、思い出して……)
リアが思い浮かべるのは、クウの基本能力。
幻術を現実に変える《神象眼》である。
同じく意思次元を操る能力者ならば、不可能ではないはずだ。
更にリアは神魔杖・白魔鏡を掲げた。
(攻撃を全て、私に集中させる)
意思次元に対して強力な干渉はできない。リアに可能なのは、その方向性を誘導するだけである。たとえば、攻撃対象を自分自身に向けるといったような。
そして意思次元レベルでそれを実行すれば、情報次元はそれに従う。
たとえ距離という矛盾があったとしても、意思次元で起こった事象が正しいことになる。運命支配という予定調和を引き起こすリアの権能にかかれば、この程度は可能だ。
特性「意思誘導」でレインの薔薇園による攻撃ダメージをリアが肩代わりする。その補助として、ベクトル操作を可能とする神魔杖・白魔鏡を使用した。意思次元ベクトルを操るためである。
黒い薔薇の棘が、魔人の男の脇腹を貫いた。
しかし、痛みも出血もない。
代わりにリアの脇腹に穴が空く。
「……っ!」
痛みは遮断したので感じないが、霊力が削られるのは分かった。
そしてこれだけでは終わらない。
リアは全ての攻撃を肩代わりしている。【レム・クリフィト】の民が傷つくたびに、そのダメージを代わりに受ける。リアは全身が破壊され続けていた。
(くっ……う、ぅ……)
一気に霊力が削られ、段々と心細くなっていく。意思力のある限り回復し続けるが、このまま延々と削られ、生きる意志を失えば超越者は滅びてしまう。
超越者としての特性を理解しているリアは、意志を保ち続けた。
ここで諦めたら、また【レム・クリフィト】の民が傷つく。
生きる意思を失えば、消滅してしまう。
リアは超越者となっても優しい少女だった。他者が傷つくことを嫌う。それゆえ、開発した術式も回復や回避のためのものがほとんど。攻撃はおまけ程度しかない。
腕を引き裂かれ、足を貫かれ、首を絞められ、それでも耐え続ける。霊力の全てをダメージの肩代わりと回復に注ぎ、一切の攻撃を行わなかった。
(きっと……助けが来ます)
そこまでして消極的な手を打つのは、信じているからだ。
そして信頼されているからでもある。
アリアとリグレットは、リアを信頼して自分たちの国を任せた。だからこそ、その期待と信頼に応える必要がある。敵は倒したが、民を守れなかったでは話にならない。
全てを守護するという超越的なことを成し遂げてこそ、超越天使。
運命を司る天使だ。
「必ず、守りま、す!」
「よく言ったぞリア」
だからこそ運命はリアへと傾いた。
灼熱が黒い薔薇園を焼き尽くし、一瞬にして【レム・クリフィト】の民を助け出す。灼熱の炎は奇妙なうねりを見せており、民たちは火傷一つ負うことはなかった。
アリアの権能【神聖第五元素】の力である。
神聖粒子を黒薔薇にのみ付着させ、限定的に燃やし尽くしたのだ。
「アリア、さん?」
「よくやったよリア君。ありがとう」
「リグレットさんも?」
ゲートを潜って現れた二人によって薔薇園は消え去った。
元々、レインの権能で発現していた黒い薔薇園は、時空間系に特化した「無効化」が施されていた。ならば炎で燃やせばよい。アリアにはその力がある。
リアが身を削って時間を稼いだお蔭で、アリアとリグレットは間に合ったのだ。
「よくこんな無茶な術を維持していたね」
「申し訳ありません。犠牲者を出してしまいました……」
「気にしなくていいよ。あれは超越者だね。超越者を相手に、よく守り続けてくれた。リア君はよくやってくれたよ」
リグレットもアドラー要塞が潰されたことを知ったのは先程だ。そして急いでこちらに来た。リアを責める気はない。
一方でアリアは燃やし尽くした薔薇園をじっと見つめ、警戒していた。
「気を付けろ。霊力が強まっている」
先程まで薔薇園があった場所から巨大な荊が天に向かって伸びた。それは渦を巻き、より合わさって先端に巨大な蕾をつける。蕾が開くと、それは高層ビルほどもある薔薇となった。
薔薇の中心には、レインがいる。
「あれが襲ってきた超越者。しかも新しい奴のようだな。光神シンめ……」
「アリア、まずは避難を優先させよう」
「それはリグレットに任せる」
「あ、あの! 私もやれます!」
「いや、リアはゲートを潜って向こう側に行ってくれ。クウたちがいる。恐らく、リアの助けが必要なハズだ」
「私の、ですか?」
「ああ」
光神シンは狂化した人族の戦士を引き連れ、人族連合軍と魔族連合軍を異空間に閉じ込めた。超越天使では干渉困難な異空間に対し、空間操作に関連する権能を持ったリアならば解決の可能性がある。
そしてただ超越者を倒すだけなら、アリアとリグレットでも可能だ。
適材適所である。
「わかりました」
リアはゲートを潜り、山脈の側へと消えた。
◆◆◆
リアがゲートを抜けると、目の前にクウの姿があった。
「兄様」
「リア。そっちはどうだった?」
「申し訳ありません。犠牲者を出してしまいました」
「気にするな。仕方ないことだ。それよりも今から光神シンの生み出した異空間にアクセスする。そのためにはリアの力が必要だ」
「私の力、ですか?」
「ああ」
クウは何もないところで斬ったり殴ったりしているユナとミレイナを指差す。
「一応、ユナとミレイナがチャレンジしているが……まぁ、無理だな。どうやら光神シンが権能で生み出した異世界に近い異空間らしくて、難航している」
「兄様もですか?」
「正直、《真理の瞳》でも見通せない」
「それほどの……」
超越者とは、それ単体で世界に匹敵する存在だ。
世界を越えることさえできる。
ただし、普通の世界は管理している超越神がプロテクトをかけているので、超越天使が渡るには許可が必要だ。今回の場合も同様である。光神シンの許可がなければ、異空間に入り込むことができない。
「俺も手伝う。試してみてくれ」
「分かりました」
レインの攻撃を肩代わりしたダメージはもうない。
寧ろ役に立てると考え、奮い立っていた。アリアやリグレットは慰めてくれたが、やはりリアは後ろめたい思いがあった。ここで役に立ち、失敗を取り返そうとしていた。
◆◆◆
狂化した人族は、残虐に振る舞っていた。
武器を振るって甚振り、武器が無くなれば力で引き裂き、手足をもがれたら食い千切る。恐れず、痛みも知らぬ振る舞いに人族連合軍は恐怖した。そして絶望していた。更に光神シンを心の底から怨み、呪った。
力を与え、助けてくれた神の裏切り。
それは人族にとって耐えがたいものだったのだ。
特に心のよりどころを失ったエルフ族の意気消沈は激しい。神だけでなく、聖霊からも見放されたのだから当然だ。
「うあああああああああっ!」
「馬鹿! 自暴自棄になるな!」
何よりも彼らを苦しめたのは、全てのスキルが使えないという事実。スキルの性質上、ある程度の武術は会得している。しかし普段の力より一段落ちることに戸惑い、強者だった者ほど先に命を落とした。
ステータスの値はいくら上げても限度がある。上位種に進化しない限り、圧倒的な差はつきにくい。
強者は常に、強力なスキルを有しているのだ。そのスキルがすべて失われたのだから、混乱するのは当然であった。
「うおおおおおおっ!」
「ガアアアアアアアッ!」
その中でSランク冒険者『剣王』ユークリッドは狂化人族を幾人か打ち倒していた。だが、彼の本来の実力があれば、何十人と倒しているハズである。スキルは勿論、魔道具も使えないので、ユークリッドは自慢の魔剣を扱いきれず、苦戦していた。
無茶苦茶に戦う狂化人族は、予測が難しい不規則で非合理的な動きを続けている。また、その一撃は常に致命的だ。回復ができない今、一撃でも喰らうわけにはいかない。戦いにくさに加えて、ダメージを受けてはならないという制約が常に心を追い詰める。
諦めた者から順番に死ぬ戦場だ。
絶望感は膨れ上がっていく。
まともに戦えるのは『剣王』ユークリッドと、『鬼神』ベルザード、そして《植物魔法》が使えるユーリスぐらいなもの。他の者たちは一撃ダメージを負った後、動きを鈍らせてすぐに死んでいた。
一方でリコとエリカは、セイジを抱えながら逃げていた。
「絵梨香! こっちは拙いわ!」
「あっちがまだ空いています!」
二人はそれなりの高レベルなので、セイジを背負って走るだけの身体能力はある。狂化した人族を弱体化させないためにステータス値の概念は残っていたので、それだけは救いだった。そうでなければ、少女が男を背負って走ることなどできない。二人かがりでギリギリ引きずっていける程度だろう。
「目を覚ましなさいよ清二ーっ!」
「清二君、お願いします。清二君の力なら、まだ……」
超越化していないセイジでも、《聖魔乖星崩界剣》という力がある。ユーリスの《植物魔法》と同じく、【魂源能力】ならばこの異空間でも使用可能だ。
リコとエリカは魔法を失い、ここでは無力。
セイジの力に縋るしかない。
そして今は、セイジを守ることが生き残るために最も重要だった。
「清二!」
「清二君!」
二人は息を切らし、何度も転びそうになる。
それでもセイジを背負う係を交代しつつ、広い空間を逃げ続けていた。狂化した人族に蹴散らされ、他の人族連合軍も逃げ惑っている。逃げる方向を間違えれば、彼らに阻まれて狂化人族に追いつかれてしまうだろう。
逃げるだけでも頭を使い、予測と運で勝負かけなければならない。
セイジに呼びかけ続け、眠る彼を起こそうとする。
だが、リコとエリカの運も長くは続かなかった。
「ウオオオアアアアアッ!」
「ダメだ! あっちに逃げろ!」
狂化人族がある冒険者を惨殺した。
そして同じパーティだった仲間が混乱し、リコとエリカが向かおうとしている先を指して逃げろと叫んでしまったのだ。集団心理というのは恐ろしいもので、混乱状態で指図されると考える間もなく皆がそれに従ってしまう。
数十、数百人が一斉に動き出した。
そして向かってくる大量の人族と背後から迫る狂化人族を見たリコとエリカは、慌てて立ち止まる。しかし背後からも逃げてくる人々がいるのだ。
前後を挟まれ、動くに動けない。
「何でこっちにくるのよ!?」
「もう逃げ道がありませんよ! 理子ちゃん!」
前も後ろもダメ。
左右に逃げようとすれば、その間に挟まれて身動きが取れなくなってしまう。そして狂化人族が暴れている今、一塊に集まるのは危険だ。碌に反撃もできず、殺されてしまう。回復できない今は一撃でも致命傷となり得るのだ。
もうだめかと思い、リコは背負っていたセイジを降ろす。
そして強く抱きしめ、叫んだ。
「目を覚ましなさいよ! 私たちを守ってくれるんでしょ!」
それを見てエリカも背後からセイジを締め付ける勢いで抱き着いた。
「お願いです。清二君!」
二人にできるのは、願うことだけ。
セイジが目を覚ますのを待つだけだ。
足音と悲鳴と唸り声が迫り、それが命の終わるカウントダウンとなる。
諦めて命を落とす者が増える中、リコとエリカは諦めずに待っていた。最後の最後までセイジが目覚めることを信じた。
意思次元は運命を呼び起こす。
強い意思力は定められた運命すら覆すことがある。それは勿論、超越者でなくても起こりうる事実なのだ。
「……ごめん理子、絵梨香。ここからは僕がやる」
何度敗れても、心が折れても立ち上がってきた。
小さな勇者が目を覚ました。





