EP516 竜の楔②
『竜の楔』作戦発動。
その号令に伴い、まずは【レム・クリフィト】の基地で動きがあった。
まずはユージーン・ベルクが魔法陣の中心に立ち、光魔銃ラグナロクを構える。
基地を丸ごと魔道具にするという大規模な仕掛けまで使った作戦の狼煙である。
「いくぜ」
魔王軍兵士の魔力を一つに集め、光魔銃の光線に変える。
まず初めに魔法陣が浮かび上がり、そこに映像が映された。遠く離れた人族連合軍の基地である。また映像に重なるようにして、照準補助の演算結果が表示されていた。ユージーンが光魔銃ラグナロクを動かすと映像内のカーソルが動き、着弾点の予測地点を表示するのだ。
狙うは人族連合軍基地で最も破壊されては拙い場所。
建設中の基地である。
「リリス、結界を消せ」
「分かりましたわ」
この基地を隠蔽するために張られた結界は、第六部隊長リリス・アリリアスの錫魔杖フレイヤによって展開されている。一応は魔法による探知を遮断するため、魔法防御結界も張られている。つまり内側からの魔法攻撃も遮断してしまうのだ。
ユージーンがトリガーを引く前に、結界を解除する必要がある。
杖を振ったと同時に結界は消えた。リリスは目で合図を送る。
「へっ! ぶち抜いてやらぁっ!」
光魔銃が閃く。
集まった魔力はMP換算して百万を超えている。高レベルの魔族兵士が二百人以上も魔力を注ぎ込んだ結果だ。放たれる光線の威力だけは超越者の一撃にも匹敵する。尤も、概念化している超越者の攻撃は一味違うのだが。
魔王軍の臨時基地から夜を裂く一条の光が伸びた。
◆◆◆
時を同じくして山脈の北部。
そこには魔王連合軍のもう一つの基地があった。こちらは【ナイトメア】のヴァンパイア族が小さな陣地を設営していた。【レム・クリフィト】の基地と異なり、かなり小規模である。
レミリア女王の命令によって派遣されたのは古くから生きる貴族の中でも特に力を持つヴァレアノ家を中心とした部隊である。その人数は僅かに三十人だ。
だが、この少人数でも充分すぎる。
「皆、合図だ」
夜空を裂く光の魔法。
それが【ナイトメア】のするべき仕事の始まりを示す符合である。
ヴァレアノ一族と、その他にも幾つかの高位貴族が既定の位置に並ぶ。地面に描かれた補助魔法陣の上に立つ彼らは、まるで怪しい儀式を行っているようである。
最も、恐ろしいものを呼び出す儀式という点では間違っていない。
「発動、『《深淵召喚》』」
号令と同時に魔力が込められる。
魔法陣が輝き、ヴァンパイア族の切り札とも言うべき術式が起動した。
リグレットが魔法陣を解析したこともあり、【ナイトメア】には儀式魔法という特別な技術がある。複数の魔法使いが魔法を重ね合わせ、強大な魔法を発動するというものである。個々の微妙な差を埋めるために魔法陣を地面に描き、補助としている。
《深淵召喚》という魔法は闇属性の切り札だった。
「さぁ出でよ!」
人族連合軍基地で闇色の魔法陣が広がった。
悍ましき深淵の怪物を生み出す魔法陣が。
◆ ◆ ◆
建設中の人族連合軍基地は不意打ちの狙撃に襲われた。
収束した光線が直撃した。
「なんだ!」
一瞬にして夜が昼へと塗り変えられ、誰かが驚きの声を上げる。
だが、攻撃そのものは光神シンが張っていた防壁によって阻まれた。遠距離からの超長距離魔法を防ぐためである。光神シンも魔族の技術力を侮ってはいなかった。
不意打ちによる攻撃に備えて警戒していた。
魔法による攻撃を防ぐため、結界を張っていたのである。
「安心せよ! 結界が攻撃を防いでくれる!」
砦における戦闘の最高指揮官として任命されているアルフレッド・テレリスが叫んだ。【ルメリオス王国】の騎士団長である彼は、持ち前のカリスマで騒ぐ者たちを鎮める。
「騎士団と聖霊部隊は戦闘配置。冒険者は警戒しつつ周囲を探れ。敵は近くにいるぞ」
人族の常識では、魔法の射程は目で見える範囲に限られる。惑星が球状になっているため、遠くの場所は地平線によって隠れてしまうのだ。具体的には五キロも先になると見えなくなる。
ここから更に地形による起伏を含めれば、目視できる範囲は非常に限られるのだ。
実質、魔法は一キロも届けば長距離魔法と言える。
周辺を探せば魔法を発動した魔族が見つかると判断したのだ。
そもそも前提が間違っている上に、それどころではなくなった。
「アレを見ろ!」
結界によって防がれた光線が途絶えた。
それによって真っ白になっていた夜空が元に戻る。そこには紫の光を発する巨大な魔法陣があった。
巨大魔法陣から黒い粘液が溢れ出る。重力に従ってドロリと落下し、蠢いた。
「な、なんだっ!?」
「不用意に触るな! ヤバいぞ」
「いや、待て!」
ドロドロとした粘液は結界に阻まれる。
この結界は魔法だけでなく、物理的なものまで防ぐ。【ナイトメア】の切り札たる闇魔法は結界によって阻まれてしまった。
だが、魔族としても結界のことは織り込み済みである。
ただの大規模破壊魔法なわけがなかった。
蠢く粘液は一塊となる。
半球状の結界の上でベチャベチャと音を立て、一つの怪物となった。
「オォ……」
怪物が呻く。
「オオオォォオオオオォオオオオ……」
それは誕生に伴う産声だ。
魔法が生み出した滅びの怪物である。
黒い粘液は闇属性の塊であり、その特性を有している。「汚染」という力を宿した怪物だ。上半身が起き上がり、怪物は夜空を見上げる。
そして深淵のような口の奥から叫びが響く。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
怪物は立ちあがり、闇に向かって吼えた。
ベチャリ……と結界に触れる怪物の右手。異形の漆黒であり、指は四本しかない。だが、その四本の指から闇が広がり、結界を侵食し始めた。
ボコボコと粘液が不気味な音を立て、結界を腐らせる。
本来は腐蝕しないはずの結界を「汚染」してしまう。概念にも近い魔法である。
当然だ。
【ナイトメア】が保有する魔法陣は、リグレットが開発したものだ。魔法神アルファウの法則である魔法システムを元に生み出した、概念付与の補助がかかっている。
初めからリグレットは超越者を意識して【ナイトメア】に国防の手段を残している。その一つが切り札たる闇属性魔法《深淵召喚》だった。
「ウゥゥ……オオオオオッ!」
深淵の怪物は更に下半身を形成する。
生まれた姿は人型だが、表面がドロドロと流動していた。
「なんだよあれ……」
「結界が壊されるぞ」
「……ってことは結界の中も安全じゃないのか?」
それはまるで引き金だった。
安全なハズの結界の中は、もう安全とは言えない。
怪物が結界を腐食させ、中へ侵入した。
「オォォ……」
「や、やべえええええぞおおおおおおおっ!」
「魔法だ。魔法で迎え撃て!」
「聖騎士を前衛に置き、聖霊部隊が戦線を維持するように魔法を……って聞け! 私の命令に耳を傾けよ!」
アルフレッドは声を張り上げて命令を下す。しかし、突如として現れた怪物を見て混乱してしまい、指揮系統が乱れてしまう。
そんな中でまともに動けるのは冒険者たちだった。
彼らはギルドという統括がいる一方で、戦場においては自分たちの判断で戦う。指揮官がいなくとも彼らは戦える。
「うおおおおおおおおおっ!」
飛び出したのは『鬼神』とも呼ばれる冒険者だった。
SSランク冒険者ベルザードは、寝起きにもかかわらず多数の武器を携えて飛びかかる。そしてドロリと蠢き結界を突き破った怪物の右手へと斬りかかった。超人的な跳躍力を以て結界付近まで辿り着き、怪物の指の一本を切り裂いた。
「やったぞ!」
「俺たちも続け! ベルザードさんは頑丈だから巻き込むつもりで攻撃だ!」
「おおっ!」
冒険者たちは次々と魔法詠唱を開始した。そしてベルザードが落下する前から魔法を放つ。
爆炎、雷撃、氷の槍、岩の砲弾、風の刃……それらが殺到する。僅かではあるが浄化の光属性魔法もその中にはあった。
魔法が続々と怪物の右手に当たる。
だが、魔法は怪物の手に触れた瞬間、黒く染まって崩れ落ちた。魔法の攻撃よりも「汚染」の速度が上回ったのである。
魔法すら腐蝕し、消してしまう。
「ぬぅぅ! 化け物め! 俺の武器を壊しおって!」
地面に落下したベルザードは悔しそうに手に持った武器を見つめていた。
そこには黒くなって朽ちた大剣がある。
剣先からボロボロと崩れていた。
ベルザードほどの速度があったからこそ、「汚染」が進む前に怪物の指を切り裂くことができた。だが、普通の者が斬りかかれば、それだけで「汚染」されて肉体すら朽ちてしまうだろう。
まさに化け物だった。
「魔法が効かない!」
「だめだ! 結界も破られる。どうする!」
「光神シン様も見当たらない!」
ここまで追い詰められても光神シンは姿を現さなかった。
そして人族連合軍は絶望的な戦いを始めることになる。
―――結界が破られ、深淵より現れた怪物が地上に降りた。
◆ ◆ ◆
(おかしい)
遠目から眺めていたアリアはジッと気配を隠していた。
彼女が姿を見せないのは光神シンを警戒しているからだ。作戦『竜の楔』は捕縛されたミレイナを助け出すために立てた作戦だ。助けている途中に光神シンの不意打ちがあってはまずい。それで、陽動として怪物を生み出したのである。
だが、幾ら探っても光神シンの気配はない。
そして人族を助ける様子もない。
「アレが結界を破ったか……人族共も終わったな」
超越者が手を加えた術式なのだ。
普通の人間が勝てるはずもない。光神シンのために囮として用意したのだが、あまり効果がなかった。
「となると光神シンはどこに行った……」
見渡しても、神聖粒子で探知しても見つからない。
そもそも超越者ほどの強大な存在を見逃すことは滅多にない。気配を消すような能力を有していない限りは見つかると考えていた。
「ならばミレイナを助けるのが先決か。今回は【砂漠の帝国】の奇襲は不要だったな」
怪物による蹂躙と、獣人竜人による奇襲攻撃。
これが陽動となるはずだった。
魔法で生み出した怪物は光神シンでも瞬殺されるような作りではない。
「仕方ないか」
アリアは通信魔道具を起動して告げた。
「【レム・クリフィト】と【ナイトメア】は撤退せよ。【砂漠の帝国】は現状維持だ。魔族領側に逃走する人族を始末しておけ」
『儂らに任せよ』
アシュロスから返答を受け取る。
それに続いて【レム・クリフィト】のリリスや【ナイトメア】からも了解の連絡が届いた。撤退の合図を受け取った後、アドラー要塞へと転移することが決まっている。証拠も残さず撤退成功しているハズだ。
ミレイナを助け出すため、アリアは神聖粒子を集めた。
だが、空に異変が生じる。
空間が歪んでいた。
「あれは……」
予定にはない現象だ。
そして人族に空間を歪めるほどの力はない。
つまり光神シンの力である。
同時に、アリアへと通信が繋がった。
『僕だよ』
「リグレットか」
『拙い事態だ。【レム・クリフィト】に光神シンが現れた』
「なに……?」
そしてアリアの目の前では空間が裂け、大量の天使が出現した。天使マーズ、天使ジュピター、そして天使サタナスの分裂体である。
数えきれない準超越者はあっという間に包囲を完成させた。
「どうやらこちらも不味い事態になったようだ。天使が出てきた」
『奇遇だね。こちらもだよ』
「しばらくは戻れそうにない。時空が歪んだ。転移も出来ないようだ」
『こっちには僕だけじゃなくユナ君やリア君もいる。そちらを始末する時間は稼ぐよ』
焦るアリアは天使サタナスによる時の結界に阻まれた。
そして三体の天使は存在を柱として空間に干渉し、その場所を神殿化させる。眷能により生み出された神殿の主が顕現した。
戦神アーレス、雷神ゼウス、時神クロノス。
それがアリアの戦うべき敵である。





