EP453 総力戦⑭
オリヴィアの《屍骸大樹》で封じられていたミレイナは、骸の腕に縛られたまま沈黙していた。アジ・ダハーカの背中に生じた黒い骸の大樹は、強い瘴気を放ちながらそびえている。
しかし、深竜化したミレイナは死んだわけではなかった。
《屍骸大樹》はミレイナの体力と意志を奪い続けているものの、すぐに吸い尽くすほどのものではない。いや、正確には深竜化したミレイナの生命力が強過ぎるのだ。
(動けない……ウグ……ガアアアアアアア!)
竜の本能で肉体は骸の大樹を破壊しようとしている。だが、完全に拘束されているため、暴れようにも指先を動かすのが限界だ。
更には瘴気浸蝕によって意思力が鈍り、上手く【魂源能力】を使うことも出来ない。怨念の呻きによって集中力が乱されてしまうからだ。
(恨めしい)
(死ね)
(呪ってやる)
(苦しい)
(痛い)
(殺す殺す殺す)
(死ね死ね死ね死ね)
怨念の声は常にミレイナを蝕む。
(アアアアアアアアア! う・る・さ・い!)
しかし、気合を入れて叫んだところで怨念は飛び散ることがない。寧ろ、ますます恨みの意思を込めてミレイナを侵食しようとしていた。死霊の腕によって作られた大樹は、無機質にミレイナを堕とす。
大量の怨念を纏う腕がミレイナを掴み、体力を奪う。
(グ……アアアアアアアアア! ウワアアアアアア!)
更には深竜化による意思力暴走で理性も奪われる。深紅の雷へと具現化した気でさえ、怨念の腕を多少防ぐ程度でしかない。爆発的に高まっているミレイナの気であっても、超越者オリヴィアの意思力からすれば子供騙しに等しいのだ。
(私は……ここで終わるわけには……)
出会ったときから超越者となっていたアリアやリグレットはともかく、クウ、ユナ、リアの三人は短期間で超越化して見せた。特にリアは最も早く超越者へと至り、皆を驚かせた。
ミレイナはそのことに密かな劣等感を感じていた。
戦闘種族であり、誰よりも強さを求めたミレイナは、誰よりも超越化が遅れていた。
迷宮の地獄階層を攻略し、強力な六王を倒し、今はオリヴィアに挑んでいる。そういったギリギリの戦いの中でも超越化することはなかった。
(私はこの程度だと……グ、アアアア! グゥ! 言うのか!)
ミレイナは弱い自分が許せない。
だが、どれだけ渇望しても潜在力の封印が解放される様子はない。
強くなりたいという純粋な意思力を以てしても、潜在力封印は打ち破れない。魂に植え付けられた潜在力の封印を破るには強く純粋な意志力が必要だ。
しかし、ミレイナの強くなりたい渇望は曖昧なのだ。
どうして強くなりたいのか。何のために強くなりたいのか。強くなって何をするのか。ミレイナにはその意思が足りていない。
故に意思次元ベクトルが分散し、封印を破るに至らないのだ。
その点でミレイナはまだ子供だった。
超越者として、常人を超えた存在として、何を成すのか決意がなかった。
(弱い)
(お前は弱い)
(だから超越者になれないのだ)
(弱いぞ)
(弱い)
(お前は弱い)
(弱い)
(弱い)
(弱い)
そして怨念はミレイナの意思を折るようにして囁く。
超越化できないのは弱いからだと嘯き、ミレイナを惑わそうとした。
(お前などその程度)
(天使などと烏滸がましい)
(弱いお前に生きる資格などない)
(弱き竜人に生きる意味などない)
(弱い)
(弱いぞ)
(弱すぎる)
煩い! と叫ぼうとするが、ミレイナは声を出すことも出来ない。瘴気によって体力と意識が奪われており、怨念の言葉に耳を貸しそうになっていた。
(私が弱いから……超越者になれないのか……)
ミレイナにとって超越者は憧れだ。
圧倒的な霊力、全てを塗りつぶす意思力、そして天変地異すら引き起こす権能。
これらはミレイナが求める力そのものである。
(惨めだな)
(貴様は惨めなのだ)
(愚かなものよ)
(牙を失った)
(誇りすら失った)
(((竜人は弱いな)))
心が弱ったミレイナを責める怨念の言葉。
死霊の大樹が織りなす瘴気の侵食。
だが、最後の一言はミレイナに一つの意思を思い出させた。
「私の、誇りが失われただと……舐めるなああああああああああ!」
骸の大樹に包まれたミレイナは叫んだ。
強い意志力が発現し、封じられていた声すら響く。《源塞邪龍》に乗せて放たれた破壊の波動は、全てをひっくり返した。
◆ ◆ ◆
「なんですって!?」
一番初めに異変を感じたのはオリヴィアだった。
ミレイナを閉じ込めていた骸の大樹が一瞬光ったかと思うと、塵となって消し飛んだのである。まるで情報次元から破壊されたかのような現象だった。
そして内側から現れたのは深紅の雷を纏う深竜化ミレイナの姿。
「ガアアアアアアア!」
「くっ!」
不意打ちで放荒れた爪撃をオリヴィアは回避する。衝撃波が《源塞邪龍》を乗せて放たれ、アジ・ダハーカの背中が僅かに傷ついた。そこから邪龍が生まれるも、それはネメアの放つ誘惑の気に引き寄せられて、そちらへと去って行く。
ミレイナは止まることなく、回避したオリヴィアに迫った。
「ガアアアッ! ああああああっ!」
僅かに正気を取り戻しつつ、深紅の竜爪で攻撃する。その度に斬撃が飛び、《源塞邪龍》の追加効果によってアジ・ダハーカを傷つけた。
空中を高速移動できるミレイナに対し、オリヴィアは飛べない上に弱体化もしている。
今は回避を成功させているが、徐々に追い詰められていた。
(拙いわね!)
紙一重で竜爪を回避したオリヴィアは内心で苦々しい思いを何度も吐き出す。同時に、オリヴィアにとって非常によろしくないことが起こった。
アリア、ファルバッサ、ハルシオン、メロが転移でやって来たのである。
突然現れた巨大な気配に、思わずオリヴィアは動きを止めてしまった。まさかクウとユナだけでオメガたちを足止めするなどとは予想も出来ない。そのせいでオリヴィアは致命的な隙を見せてしまう。
「ああああああ! 捕ら……えた!」
ミレイナの手刀がオリヴィアを背中から貫く。《源塞邪龍》による破壊と無効化の力が侵食し、オリヴィアは激痛を感じた。すぐに痛覚を遮断するも、既にミレイナは次の動きへと移っている。
「潰れろ!」
六枚の天使翼を器用に操り、それを全てオリヴィアに叩きつけた。結果として、オリヴィアはアジ・ダハーカの背中に激突し、かなりの衝撃と損傷を受ける。
そして、そのアジ・ダハーカも、七体の超越者を相手に消滅の危機を迎えていた。
”これだけの援護があれば遠慮なく本気を出せます! 《無限時喰》!”
リア、アリア、ファルバッサ、ハルシオン、メロ、ネメアの援護を受けて、カルディアが世界侵食を発動させた。実質は七対一の戦いなのだ。様子見や遠慮は必要ない。力の限り、全力で叩き潰すのが最も効率的な戦闘になる。
《無限時喰》を発動した瞬間、カルディアの背で巨大は円環が輝いた。
同時に、アジ・ダハーカの身体が次々と円環で捕らわれた。直径数メートルほどの小さな円環が無数に出現し、時間の檻でアジ・ダハーカの情報次元を切り離す。
「グオオオオオオオオオオオオオオ!?」
アジ・ダハーカは驚いた。
時間ごと情報次元を喰らう《時間点消滅》が同時に無数に発動したようにも見えたからである。事実、世界侵食《無限時喰》は終わりのない《時間点消滅》と称しても過言ではないだろう。
時間ごと喰われたアジ・ダハーカの情報次元は、次々とカルディアの円環に吸収される。
円環という時間の檻に囚われたアジ・ダハーカの情報次元は、カルディアの一部となったのだ。
「私もやる! 鎖よ縛れ」
”ならば我は神聖結界を張ろう”
”じゃ、俺は湧いてくる邪龍の殲滅だな”
”儂は瘴気を吸収しておこうかの”
アリアは権能【神聖第五元素】によって超越者すら縛る鎖を出し、アジ・ダハーカの全身を縛り上げた。鎖は空間を裂いて出現しており、アジ・ダハーカを完全に固定している。
その間にファルバッサは権能【理想郷】で瘴気を聖気に転換する領域を構築し、周囲をの瘴気を浄化すると同時にアジ・ダハーカや邪龍の弱体化を図った。
ハルシオンは権能【雷神】で邪龍のみを撃ち抜く法則を得た雷撃を放ち、次々と邪龍を粉砕する。
メロも権能【百鬼夜行】で瘴気を吸収し、アジ・ダハーカや邪龍の弱体化を目指した。
「あら? みんな勢揃いやね!」
そしてずっと邪龍の相手をしていたネメアは援軍が来たことで余裕を得る。小回りの利く人型のまま戦っていたのだが、ここからは本気の姿を見せることにした。
特性「変身」によって姿を変え、ネメアは本来の九尾の姿に戻る。
魔素を足場にして宙に立ち、権能【殺生石】によって死の毒を凝縮させる。
”目障りな三つ首を吹き飛ばしたるわ。《九重・冥王の死宝》”
情報次元から崩壊させる死の毒を凝縮し、九つの尾でそれらを球形に整える。死の概念を纏った毒が同時に九つも放たれ、アジ・ダハーカの三つ首へと均等に向かった。
アリアの鎖で縛られている上、カルディアの世界侵食で千の属性を全て剥がされている。そのため回避できず、死毒がアジ・ダハーカの首を殺し尽くした。
再生には時間が掛かるが、まだ《無限時喰》で喰い尽くされているわけではないため時間をかければ三つ首も元に戻る。
しかし、リアがそれをさせない。
「……やっ!」
少しだけ集中したリアは、特性「聖炎」によって浄化の炎を出現させる。それはネメアの《九重・冥王の死宝》で殺し尽くされた三つ首の傷口に灯り、回復を阻害する。
元が死霊であるため、超越者の聖なる炎は弱点の一つだ。
死毒と聖なる白炎で回復が完全に阻害され、アジ・ダハーカは沈黙した。
当然、オリヴィアは焦る。
(拙い……拙いわ!)
七体の超越者は、それぞれの役目に従って意思力を注ぎ込んでいる。どう抵抗しても、弱体化したオリヴィアでは対処できない。頼みの綱であるアジ・ダハーカも、これでは身動き一つ取れないだろう。
何より、今はミレイナの攻撃を防ぐので精一杯だ。
そして最も警戒するべき世界侵食《無限時喰》に対して、オリヴィアは何の対策も出来ていない。
”刈り入れ時は終わりました。祭りを始めましょうか!”
《無限時喰》。
それは時間という檻で隔離した情報次元を喰らう力だ。本来は侵食した空間を問答無用で食い荒らす無差別な力なのだが、カルディアは特性「因果操作」により上手く調整している。
結果として、アジ・ダハーカは千の属性を全て喰われた。
”円環解放、フルバーストです”
カルディアの言葉と同時に、アジ・ダハーカを……正確にはオリヴィアを千の魔法陣が覆い尽くす。その魔法陣は、一つ一つが大規模破壊を可能とする術式であり、全てアジ・ダハーカから奪った属性によるものだった。
《無限時喰》とは情報次元の刈り取り。
これは喰らった情報次元を祝う収穫祭なのだ。
炎、水、風、土、雷、光、闇、付与、召喚、結界、回復、時空間、爆、氷、嵐、樹、聖、呪、虚、力、冥、天、紅蓮、紺碧、深緑、琥珀、極光、深淵、破壊、創造、星、反転、腐敗、蝕、霊、分解、廻輪、病、血、変異、塵、毒、鋼、水晶、水銀、陰、幻、夢……
あらゆる魔法属性の大規模術式がオリヴィアを襲う。
特性「因果操作」によって、ミレイナには決して魔法が当たらないという結果に導いている。故にミレイナを巻き込む心配はない。
アジ・ダハーカは全ての属性を奪われた上に、浄化領域、首の切断、聖なる白炎の浄化と、主人であるオリヴィアを守護するだけの力がない。オリヴィアは成す術もなく千の魔術によって蹂躙された。
「か……ぁ……」
千の魔術は概念化されているため、超越者にも通用する。オリヴィアは直接的なダメージだけでなく、呪いを始めとした継続ダメージ、幻惑系の精神ダメージを一気に負った。
再生も上手く機能せず、肉体の形は大まかに元通りなものの、かなりボロボロの状態だった。
オリヴィアは上下左右の感覚すら狂い、思考は霞がかったようにモヤモヤとする。意思力が相当消耗しているのは明白だった。
更にこれで終わりではない。
「そいつは私の獲物なのだ!」
カルディアの「因果操作」でダメージを完全回避したミレイナは、トドメとばかりにオリヴィアを切り裂いた。竜爪によって三条の傷がつけられる。
「……っ!」
「深竜化の影響で、今の私はお前を八つ裂きにしたいと思っている。殺せ甚振れ狩り尽くせと本能が訴えているのだ。だが、私はそれに屈しない。品位ある強さこそ竜人の誇りだからだ!」
バチバチと弾ける深紅の気が、その激情を表している。竜の本能を引きずり出す深竜化の影響は今も続いているのだ。
しかし、ミレイナは理性を保ったまま力を制御しようとしていた。
「私はただ勝ちたいんだ。国ごと滅ぼせる力を望んでいるわけじゃない。世界を破壊する程の力を望んでいるわけじゃない。クウやユナや、私が勝てない奴より強くなって勝ちたい。それが私の願いだ」
強さへの憧れ、強さへの渇望。
それは竜人として生まれた宿命でもある。まるで生命の三大欲求のように、ミレイナは第四の欲として強さを欲した。今までは、ただ無意味に、目標もなく漠然とした強さを求めていた。しかし今は違う。
求める強さは自分の誇りである。
そしてミレイナにとって強さとは品格そのものでもある。
つまり強さとはアイデンティティ……存在意義そのものなのだ。
ミレイナは竜爪でオリヴィアを切り裂きつつ、言葉を続ける。
「私は竜人として、我が同胞にして血族の強さを踏みにじったお前を赦すことはない」
オリヴィアの権能【英霊師団降臨】。
それは情報次元から死者のデータを引き出し、再構築して死霊として復活させる力だ。その際に加護を与えることで、元の十倍以上にもなる力を得る。
しかし、ミレイナからすれば、それは強さを愚弄したことに等しい。
たゆまぬ意志と努力を以て獲得した強さを勝手に作り替えているからだ。
「そして今、私はお前を超えてみせる! それが私の求める、強さの覇道の第一歩だ!」
深竜化で拡散するように解放された竜の意思力。それは力強いが、まとまりがない。
しかし、ミレイナはそれを理性と自身の意思によって一つに束ねた。
この意志力、強さへの渇望は魂の封印すら打ち破る。
ミレイナの周囲に情報次元が可視化され、球状に包み込むようにして文字列が浮かんだ。
ミレイナ遂に超越化。
長かったですね。
そして今回の戦いも長い。超越者・準超越者がニ十体以上も出てくる乱戦だから仕方ないですけど。





