EP44 天使の史実
ルメリオス王国の南に広がる平原に整備された1本の街道。果てまで行けばエルフたちの国へと続くその道を一台の馬車が走っていた。商人や旅人たちが通るその道に馬車が走っているぐらいならば珍しくもなんともないのだが、それに乗っているのはセイジたち勇者一行だった。
「ねぇ、暇ー」
「さっきからそれしか言ってないですよ」
王都から出発して1週間。
野営を繰り返して迷宮都市【アルガッド】を目指す4人、正確には国王のルクセントが手配した御者を入れて5人で過ごす旅に、リコはすっかり根を上げていた。そもそも高校生でしかなかったセイジ、リコ、エリカの3人にとって馬車や野営など初めてのことであり、さらに変わり映えのない景色が淡々と流れるだけの風景を退屈にすら感じていた。
「仕方ないよ。ここには自動車や電車、飛行機なんてないんだからさ」
セイジはそんなリコに苦笑しているが、かく言うセイジもリコとは同じ思いだった。初めの数日こそはキャンプをしているようで楽しみながら過ごしたものだが、さすがに1週間ともなると飽き飽きしてくる。しかもこの旅があと3週間分待っていると分かっているだけに、余計うんざりしてしまうのも無理はない。
軍事行動として馬車を利用することもあるアルフレッドは慣れたものだったが、召喚されて以来ずっと王宮での生活を満喫していたセイジたちにとっては、まさに天国から地獄といった思いだった。
「せめてこの揺れだけでもどうにかなったらいいのに……」
「まぁ、そこは同感だよ」
おしりを痛そうに擦りながら何度も座り直すリコにセイジも同意する。エリカも口には出さないが、コクコクと頷いて同意を示していた。
街道と言っても舗装されているわけでもない道には、デコボコとした土が敷かれているだけだ。サスペンションもゴムタイヤもないこの世界の馬車の乗り心地は最悪と言ってもいい。もっともエヴァンの住民たちからすれば普通のことなので、気にする者はいないのだが……
「セイジ殿の世界はそれほどまでに快適なのか?」
自動車、電車……と聞きなれない言葉に興味を示すアルフレッド。セイジたちの言葉から察するに、エヴァンとは比べ物にならないほど生活基準が高いのだと理解できる。興味津々な様子のアルフレッドに、セイジたちも口々に地球、いや日本での生活について語ることにする。
電気やガス、家電にその他便利グッズ。機械式の車や電車の話はアルフレッドを大いに驚かせるものだった。特に飛行機の話には目を見開いて食らいついた。
「数百人を乗せた鉄の塊が空を飛ぶとは……なんという世界だ……」
「今では空を超えて月までたどり着いたしね」
「月だと!?」
エヴァンにも月はある。地球の月と同じく満ち欠けするのだが、エヴァンの月の方が一回り大きい。月面の模様も地球のとは異なるので、やはりここは異世界なのだとセイジたちは実感させられたこともあった。
そして夜を司る月は、光神シンを信仰する者たちにとっては闇を裂く光の象徴として扱われることもあるため、月に届いたという地球の話はある意味で、不敬にも神の領域に到達したとも捉えられることだった。そのことをアルフレッドが教えるとセイジたちは顔を引き攣らせる。
「ということはあまり公言はしない方がいいみたいですね」
「あまり異世界について……セイジ殿たちにとっては元の世界についてはあまり語らない方がいいでしょうな。それにセイジ殿が光の勇者と知られている場合はもっと厄介なことになりかねない」
「厄介なこと?」
「ああ、つまりは光の勇者とは光神シン様の使いだ。さらに神の領域といえる月にたどり着く存在――天使――が召喚されたと勘違いされて崇め奉られるかもしれんな」
「て、天使ですか……」
セイジは自分の周囲に人々が平伏して崇められている光景を想像する。出歩くたびに「天使様」と言われて貢がれたり、取り囲まれたりするのは耐えられそうになかった。
顔を青くして身震いするセイジをよそに、アルフレッドは話を続ける。
「それに有史では天使の存在は確かに確認されているのだ」
『えっ?』
「天使いますよ」の衝撃発言に3人は思わず固まる。
科学の代わりに魔法で発達したこの世界エヴァンに来てから驚きの連続ではあったが、それでもゲームや漫画の世界という予備知識があったために、まだ堪え切れた。だが地球でも神話クラスの存在である天使が確認されているという事実はセイジたちを驚かせるだけでは済まなかった。
先ほど地球の文明に驚かされたばかりのアルフレッドは3人の様子を見て、お返しとばかりに口を開く。
「まだ人と言う種族が一つに纏まっていなかった時代だ―――――」
人族―――人、エルフ、ドワーフ―――はバラバラに固まって争いながら過ごしていた。およそ1,000~10,000人程度の街や集落を作って、水や土地、その他資源をめぐって対立していたのだ。
精霊に好かれ、魔法を得意とするエルフたちや、鍛冶を得意として強力な鉄武器を創りだすドワーフたちが勢力を増す中、器用貧乏の人という種族は駆逐されようとしていた。
だが、あるとき人は協力するということを思いつく。
エルフやドワーフよりも数が優れていた人は戦術という概念を使ってエルフやドワーフたちと並ぶほどになっていった。エルフと人、人とドワーフ、エルフとドワーフ、時には同種族ですら争う三つ巴では済まない戦いは鎮火することなく、いずれ何のために争っていたのかすらも忘れていったのだ。
そして最後に残ったのが、今のルメリオス王国の前身となる人族の集団、今のエルフの国であるユグドラシルに住む者の先祖となるエルフの集団、そして各地に集落を構えるドワーフたちの集団だった。人口は今の10分の1だったとも100分の1だったとも言われ、人族は大きく疲弊していた。
そんなとき、遥か東の方から異形の獣たちが襲ってきた。
普通の動物よりも強靭な肉体や、青銅武器では歯が立たないほど堅い皮膚を持つその獣たちは魔獣、魔物と呼ばれて畏れられる。種族に関係なく人族に襲い掛かり、数を減らしていた人族はさらに急速に滅びへと向かっていったのだ。
滅びの淵に立たされた人族は異種族間で手を取り合うことにする。
数で優れる人族が魔物を抑え、魔力の優れたエルフたちが強力な魔法で一掃する。ドワーフたちは人のために強力な武具防具を生産していった。3種族は協力し合って迫りくる魔物を撃破し、徐々に勢いを取り返していった。
だが人族の快進撃も陰りを見せ始める。
その初めが魔人族の出現だった。魔力、身体能力を兼ね備えたその種族は魔物たちと同じく東の方角から攻めてきたのだ。魔物と違って知性を持っている彼らは、人族と同じように戦術を使って再び押し込んできた。時には数百人の魔人の軍に3,000人からなる人族の軍が壊走したという。
特に魔人四天王と呼ばれる4人の魔人族と、魔人族を統べていると思われる個体――魔王――の力は底知れないほどに強力で、手も足もでないほどだったという。どう頑張っても力では勝てない人族に残された手段は、もはや神に祈ること以外はなかった。
そして絶望に瀕した人族の必死の祈りは世界を見守る神々へと届く。
そして神が遣わした存在こそが「天使」だった。
史実によると、6対12枚の翼を持った神々しい姿だったという。見た目は人に似ていたが、内包する魔力や身体能力、身に着けた装備品は桁違いであり、右手に持つ剣の一振りで魔物と魔族の軍勢の一部を消し去ったのだ。その中には魔人四天王の一人もいたが、何も言わせず消し飛ばしたという。
天使は語る。
「私は天界7柱の神の一人、光神シンより遣わされた者だ。闇の眷属共は私が全て片付けよう。お前たちはただ信じ祈って待っているがよい」
人族の戦士たちは武器を手放して膝を着き、両手を組んでひたすらに祈った。
天使が残りの魔人や魔物を次々と屠っていく姿に、人々は涙して抱き合っていた。種族に関係なく喜びを分かち合う彼らを見て、かつて争っていたと考える者はいないだろう程に……
そして最後の魔人を天使が倒したとき、戦場の上空に4つの反応が現れた。
それは残り3人となった魔人四天王と……魔王。
魔王は嗤う。
「お主が倒した者は所詮は四天王最弱の存在。奴は魔人四天王の名折れよ」
人族の軍勢は一気に絶望へと叩き落される。
だが天使は微笑んでこう言った。
「安心して見ていなさい」
天使と魔王及び四天王の3人での戦い。
1対4という圧倒的不利な状況でさえも天使は表情を崩すことは無かった。
そして剣の一振りで四天王の一人を切り裂き、詠唱もなく放たれた強力な魔法が残り2人を消し飛ばし、最後の魔王だけが残った。
天使と魔王の一騎打ちは熾烈を極め、その戦いは一昼夜続いたとさえ言われている。
天使の放った魔法が魔王の障壁を破壊し、鋭い一太刀で魔王を上下に両断する。そして負けを悟った魔王は最期にこう言い残した。
「今は勝ち誇るがいい……我を倒したとしても第二、第三の魔王が貴様らを滅ぼしつくすだろう」
その言葉を最後に魔王の身体は塵となって消え失せた。
魔王を倒した天使は人族へと向きなおって口を開いた。
「奴の言う通り、魔王は再び現れるだろう。そしてそれを為そうとしているのは天界7柱の神の内の3柱である、虚神ゼノン、魔神ファウスト、壊神エクセス。彼ら悪神は、人族の神であり善神である運神アデル、武神テラ、造神クラリアを封印してしまった。お前たちが無意味に争っていたのはそれが原因なのだ。今、神々が封印された迷宮を地上に顕現させよう」
その言葉と共に大地が震え、各地に迷宮が出現した。
現れた3つの迷宮こそが虚空迷宮、武装迷宮、運命迷宮であり、今の迷宮都市はこの迷宮を中心にして作られることになる。
出現した迷宮に満足そうに頷いて天使は言葉を続ける。
「さぁ、迷宮を攻略するのだ。地下100階層までたどり着くことが出来れば失われた神々を開放することができよう。安心せよ、3柱の悪神は我が主たる光神シン様と私で抑えておく故に!」
そう言い残して天使は天へと昇っていった。
そして人族は悪神へと対抗するために協力し、迷宮攻略に乗り出すことになる……
「―――――というのがおよそ1000年前にあった史実だ」
アルフレッドが語った内容は、ルメリオス王国の学校では一般教養として教えられていることであり、絵本として小さい頃から繰り返し何度も聞いた話だった。頭に刻み込まれた神話とも言える歴史を自慢げに語るアルフレッドだが、セイジたちは微妙な顔で聞いていた。
「ネタ……なのかな」
「絶対ネタだよね」
「いえ……ここは地球ではありませんし、狙った訳ではないと思います」
「ネタ? どうかしたのか?」
さすがに『奴は四天王最弱』『第二、第三の魔王が……』といった魔王のセリフが元の世界でネタとして扱われているとは言えるはずもなく、3人は何でもないと首を振る。アルフレッドは不思議そうな顔をしていたが、特に追及することは無かった。
丁度そのとき、御者台と繋がる小窓から御者が顔を出して声を掛けてきた。
「みなさん、前方に街が見えます。おそらく【バッフェルダ】という街かと思われます。本日はあそこに入って宿に泊まりましょう」
「そうか! ようやく【バッフェルダ】か! 3人とも、あそこにはお勧めの宿がある。ご飯が非常においしい上に、風呂まで付いているぞ。今日はそこに1泊することにしよう」
『はいっ!』
お風呂と聞いて真っ先に喜んだのはもちろんリコとエリカだ。お年頃の女子である以上、何日もお湯に浸かれないというのはストレスが溜まるものなのだ。それに想い人であるセイジと同じ馬車で旅をしている以上は身体を綺麗にしたいとずっと思っていたのだから、その喜びも当然だろう。セイジ自身はそんなことは特に気にしておらず、たとえ気にしてたとしても口に出せる訳がないのだが、リコとエリカにとっては最大の気がかりだったのだ。
もちろんセイジも見張りを交代でしながらの野営は御免だと思っていたので、安心して休むことができる宿に泊まらない理由などない。4人は満場一致で街へと入ることに決めたのだった。





