EP426 暴食の化身
フェンリルの体から出て来たのは黒い影のような物体だった。それはスライムのように蠢き、フェンリルの体と繋がっている。
その物体が地面に触れると、一瞬で大地を喰らった。
ブルブルと震えて咀嚼するような動きをした後、黒い物体は再び周囲を喰らうべく蠢く。
”我が暴食の化身よ。目の前にあるのは餌だ。全て喰らい尽くせ”
黒い物体……暴食の化身は《暴食大罪》によって生み出された本能の塊だ。触れた物質、魔法、夢すら喰らうことが出来る。
どんなものでも食べてフェンリルの栄養にしてしまう力だ。
故に、フェンリルにとって自分以外は全て餌である。狩るべき獲物でしかなく、敵という概念は存在しない。そして仲間という概念も存在しない。
創魔結晶で生まれたウルフ系魔物すら、フェンリルにとっては食料でしかなかったのだ。
(なんなのだあれは?)
ただ、そんなことを知らないミレイナは困惑する。フェンリルから影のように暗い暴食の化身が現れたかと思ったら、周囲を喰らい始めたのだ。
まるでフェンリルに制御されていないかのように、《暴食大罪》は自律して喰らっていく。事実、暴食の化身はフェンリルにすら制御できない。
制御しないのではなく、制御できないのだ。
呼び出したり消したりは自在だが、一度呼び出せば化身は好き勝手に周囲を喰らい始める。
毒を持つ植物や、無機物である岩ですら……
(いや、関係ない。《覇竜咆哮》で消し飛ばしてやるのだ)
既に息を吸いきって、いつでも発動できる状態になっている。後は《源塞邪龍》の力を込めて、破壊の波動を咆哮として放つだけで良い。
波動を操り、収束し、破壊と無効化の力を込めて、今放った。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
ミレイナの喉から美しい高音の咆哮が放たれる。
荒々しい力ある轟音ではなく、世界が割れるような高音だ。《覇竜咆哮》はフェンリルを破壊する音波となり、大ダメージを与える。更に破壊の力が周囲へと影響を及ぼし、大量の地割れが生じた。山脈表面に幾つも亀裂が走り、場所によっては岩雪崩が発生する。
大量の土煙が立ち昇り、フェンリルの姿を隠した。
”温い! 温いわ!”
しかし、フェンリルには通用しない。
何故なら、暴食の化身はあらゆるものを喰らうのだ。破壊の咆哮、そして余波すらも喰らい、無害化してしまう。化身を全身に纏えば、それは絶対防御と化する。
「無効化も通用しないのか!?」
ミレイナは無傷のフェンリルを見て驚く。
《源塞邪龍》は破壊と無効化の力であり、あらゆる防御を突破する性能を持っているのだ。だが、これは絶対の力ではない。結局は意思力が勝敗を決める。
破壊と無効の二つに意思力を注いだミレイナと異なり、フェンリルの暴食はただ喰らう意思だけを強く保持している。しかも本能レベルでの意思だ。どうしても競り負けてしまう。
確かに暴食の化身は幾らか削られているものの、削り切る前に喰らってしまうのだ。
”お前の前にあるのは至上の獲物だ! 喰らえ! 喰らえ!”
フェンリルの意思を感じ取ったのか、暴食の化身はミレイナを餌と定める。そして蠢きながら高速で空中へと伸びていき、ミレイナに襲いかかった。
「くっ……」
流石のミレイナも暴食の力は確認しているので、正面から撃ち合おうとは思わない。
回避を選択した。
周囲の空気すら喰らう暴食の化身は、存在するだけで気流を乱す。幸いにも天使翼は魔法的な力で飛翔しているため、気流を乱されても大きな影響を受けることはない。だが、空中にいる以上、多少なりとも気流の影響を受けるのは事実であり、ミレイナは動きにくさを感じていた。
それでも暴食の化身は手加減なくミレイナを襲う。
スライムのように蠢き、時に覆いかぶさり、時に触手のように伸びてミレイナを喰らおうとしていた。
「気持ち悪い奴だな!」
その動きに嫌悪感を覚えつつ、ミレイナは全力で回避する。暴食の化身は意外と素早く、常に音速の半分ほどで逃げ回るミレイナを正確に追いかけていた。しかも、先回りするような動きすらしている。
このまま逃げ続けてもジリ貧になるだろう。
「『見えぬ剣、集う刃
積層する大気は導く
天秤は傾き、偏位は崩れ
一人がために裁きは降る
手の中にあるのは偽りの柄
刃は我が敵の上にあり!
《気刃断空》』」
ミレイナは逃げながらも詠唱を完成させ、《気刃断空》を発動する。この魔法は極薄の領域に凄まじい気圧をかけて対象を切り裂く剣だ。
右腕を連続して三度振るうと、三つの斬撃が生まれ、暴食の化身を切り裂こうとする。
しかし、暴食は魔法すら飲み込んだ。
「ダメか」
《覇竜咆哮》を喰われた時点で予想していたので、それほど驚いたりはしない。とはいえ、このままでは拙いのも確かだ。
そこで、一か八か本体を狙うことにする。
「はあああああああああ!」
気合を入れるために叫びつつ、地上のフェンリルへと飛翔した。だが、暴食の化身は常にフェンリルと繋がって流動しているのだ。よってミレイナを追うように背後から、そしてフェンリルと繋がっている部分も流動して正面からも襲いかかり、挟み撃ちに遭う。
これでは回避できない。
だが、ミレイナに回避するつもりもない。
《魔力支配》《気力支配》を発動し、防御膜として魔素と気を纏って強行突破することに決めたのだ。
”わざわざ我の餌になろうとはな!”
嘲笑するフェンリルを無視してミレイナは《源塞邪龍》の用意をする。そしてフェンリルを包む暴食の化身が、一気に散開したかと思うとミレイナへと食いついた。
《暴食大罪》はどんなものでも一瞬で喰らってしまう化身を呼び出す。だが、濃密なエネルギーであればあるほど、喰らうのに時間がかかるのだ。
ミレイナは勘でそれを見抜き、強行突破を仕掛けたのである。
「これならどうだ!」
体を覆う魔素と気は暴食の化身に喰われるも、ミレイナ自身は無事だ。彼女を包む黒い化身を突き破り、竜爪に《源塞邪龍》の力を込めてフェンリルを引き裂く。
”ギャンッ!?”
一瞬とは言え暴食の化身に覆われ、視界を奪われたのだ。更にそれを突き破る際に攻撃がずれ、竜爪による斬撃はフェンリルの急所から外れる。だが、それでも背中と右前足を引き裂き。大きな傷を三つも残した。
白い毛も血で赤く染まり、フェンリルは悲鳴を上げる。
そこでミレイナは追撃を行おうとしたが、暴食の化身はそれを許さなかった。
化身はフェンリルとは無関係に意識を持ち、暴食の本能で周囲を喰らい尽くす。そのため、フェンリル自身がダメージを追って動けなくなっても、暴食の化身は動ける。
背後から狙われたミレイナは、一度離脱する。
何故なら、既に魔素と気は先の突破で喰らい尽くされていたからである。
「ちっ……あの傷で動くのか!」
まさか化身がフェンリルの意思と関係なく動くとは知らないミレイナ。
この事実に毒づく。
更に、暴食の化身はフェンリルと同化した存在でもあるのだ。喰らったモノを糧として取り込み、フェンリルの傷を治してしまう。血だらけで右前足が千切れていたにもかかわらず、数秒ほどでフェンリルは健康な状態へと戻ってしまった。
”餌の分際で我を害するとは不届きな奴め……”
「ふん。私はお前の餌ではない。私は獲物を狩る天竜人なのだ!」
”弱き餌が我を狩るだと? 失笑ものだな”
現にミレイナの魔素と気を喰らい、糧としたのだ。フェンリルは未だにミレイナを餌として見ている。自分を倒すことの出来る敵だとは想像すらしていない。
そんなフェンリルの言動に対し、ミレイナは歯ぎしりする。
これはミレイナにとって屈辱だった。
竜の因子を持ち、闘争を好む竜人の本能が苛立ちを沸き立たせる。どうすればフェンリルがこれを戦いと認めるのかと思考を巡らせた。だが、覇狼は決して考えを改めることはないだろう。その暴食ゆえに、《暴食大罪》を開花させたのだから。
「この……」
ミレイナは渾身の魔力を込めてマイナスエネルギーを生成する。《負蝕滅》ならば、暴食の化身が喰らったところで糧とすることは出来ない。寧ろ、不用意に喰らえば逆に喰らわれ、消滅してしまうだろう。
《風化魔法》で逆に喰らい尽くしてやる。
そんな意思と共に両腕をフェンリルへと向けた。
「これで消して―――」
「待てミレイナ」
集めたマイナスエネルギーを圧縮しようとした時、ミレイナは背後から肩を掴まれた。ハッとして振り返ると、そこにはクウの姿。
創魔結晶を破壊し、戻ってきたのである。
そして集中が切れたミレイナはマイナスエネルギーを暴発させそうになったが、クウがそれを《幻葬眼》でなかったことにした。ピシリと音を立てて空間に亀裂が入り、マイナスエネルギーは幻影だったと世界認識される。
「今回の目的はリアの能力実験だぞ。熱くなりすぎだ」
「……あ。忘れてたのだ」
「足止めはもう十分だ。リアの方も完成したようだからな」
クウが見上げると、かなり離れたところでリアとユナがいた。リアは右手で錫杖を振り下ろし、左手はユナと繋いでいる。錫杖が示す先はフェンリル。その地点へと向けて、隕石を落とすのである。
より正確には、隕石が落ちてくる並行世界を呼び込み、世界を引きずり込んだ。
「一度リアの側に戻る。それでいいな?」
「……分かったのだ」
フェンリルに自分を敵だと認めさせたかったが、それはミレイナの我儘なので諦める。その分別が出来るようになっただけ、ミレイナも精神的に成長しているのだろう。
尤も、これは上位者であるクウに言われたからこそ、なのだが。
二人は天使翼を羽ばたかせ、上空へと移動する。そしてリアとユナの側まで昇った。
”逃がさんぞ餌共!”
フェンリルは牙を剥いて叫ぶ。それに呼応するように、化身も四人の天使たちを追いかけようとした。
しかし、それよりも早く隕石が降ってくる。
空気摩擦で白く燃え上がりながら、巨大な隕石がフェンリルへと迫った。
勿論フェンリルは回避しようとするが、身体が動かない。
理性では動こうとしているのに、本能がその場に留まるべきだと訴えかけていた。そして、暴食すらも隕石を喰らうべきだと訴えてくる。
”アオオオォォォォオオンッ!”
遠吠えして気合を入れ、全てを《暴食大罪》に任せる。
フェンリルと繋がった暴食の化身は、迫る隕石を喰らうために変形した。まるでフェンリルの盾となるかのように集まり、それが巨大な狼の頭部となる。真っ黒な狼の頭部は口を開き、落ちてきた隕石を噛み砕こうとした。
落ちてきた隕石は巨大で、黒い狼の頭部となった化身ですら丸のみには出来ない。寧ろ、変形した化身の数倍はありそうな大隕石だ。そのため、噛み砕いて喰らおうとする。
「予想はしていましたが、隕石すら食べるのですね」
ずっとフェンリルの戦いを観察し、術の準備をしていたリアは呟く。アラクネ・クイーンは一撃で倒すことが出来たのだが、フェンリルは隕石すら喰らおうとしているのだ。
「大丈夫だよリアちゃん。予想はしていたもんね?」
「勿論です姉様。ミレイナさんのお蔭で、対策も出来ています」
「私のお蔭?」
「はい。ミレイナさんには感謝していますよ」
「……そ、そうか」
ミレイナとしてはそれが予想外だったのだろう。自分としては、ただフェンリルに自身を認めさせるべく暴れていただけのつもりだった。
しかし、リアからお礼を言われ、恥ずかしくて照れてしまう。
(やった……リアの役に立てたぞ!)
アラクネ・クイーンに操られ、リアを傷つけてしまった事実。それにもかかわらず、リアは自分を嫌ったりしなかった。操られていたとは言え、裏切りの行為だったというのに。
リアは赦してくれたのだ
その大きな恩を少しでも返せたと思った。
「……感謝しているのはこちらだぞ、リア」
「え? 何か言いましたかミレイナさん?」
「いや、何でもない。いくのだリア!」
「はい!」
拮抗する隕石と化身。
このままではいずれ暴食の化身が大隕石を喰らってしまうだろう。
その対策を施すために左手をユナと繋ぎ、魔素を供給して貰っていたのだ。今、《星脈命綴鎖》による時間転移が再び発動する。
「全てを喰らうと言ったフェンリルさん。確かに、隕石すら食べるのは驚きました―――」
リアは振り下ろしていた錫杖を再び掲げる。
「―――ですが、二個目はどうですか?」
無慈悲に振り下ろされた錫杖に呼応し、遥か空では二個目となる白い輝きが出現したのだった。
フェンリル(もう少し…もう少しで止められる)
リア「さて、二個目はどうするフェンリル?」
フェンリル「!?」
何のネタか分かりますかね?
珍しくリアさんが無慈悲です。





