EP423 竜の暴走
糸でミレイナを捉えたアラクネ・クイーンは、そのまま引き寄せて首筋に咬みついた。《HP吸収》が発動し、ミレイナから力を奪い取っていく。だが、ミレイナも《超回復》によって即座に回復しており、アラクネ・クイーンは制限のない回復薬を得たような状態となっていた。
傷ついた体は修復され、アラクネ・クイーン元の美しい姿に戻る。
”私を傷つけた無礼者だが、良い素体になる。下僕になる栄誉を与えよう”
アラクネ・クイーンはそう言って《色欲大罪》を発動する。そしてミレイナの精神を操り、その最上位に自分を置いた。
つまり、ミレイナにとって最も大切で、尊敬している人物として自分の存在を植え付けたのである。
アラクネ・クイーンはミレイナにとって使えるべき王。
本能からそのように思わされた。
”もう恐怖はいらない。死の恐怖すら捨てて私に仕えなさい”
「ぐ……うわ……ぁ……」
精神を書き換える不快感がミレイナを襲うが、糸で縛られており抵抗できない。そして知らぬ間に、心の底からアラクネ・クイーンを崇拝する気持ちが湧き始めた。
(違……う。こんなものは……私の心じゃないのだ!)
理性でそう言い聞かせようとしても、本能が逆らえない。
《色欲大罪》は記憶を操作する能力ではないので、ミレイナはアラクネ・クイーンを倒すべき敵だと認識している。しかし、感情がそれを止めてくる。寧ろ、アラクネ・クイーンは守るべき主であると訴えてくるのだ。
揺れ動く感情の狭間に囚われ、ミレイナは苦しんだ。
”フフフフ。私は貴女の王。そして憎むべき敵は空にいる”
《色欲大罪》がミレイナを再び蝕み、リアへの憎しみが植え付けられる。理性ではそんなはずないと分かっていても、身を焦がすような憎しみがミレイナに沸き上がった。
”おや? 貴女はとても面白い本能を持っているな?”
アラクネ・クイーンはミレイナに眠る竜としての本能へと目を付けた。
元々、竜人は竜の因子を備えている。これは本能と直結しており、これが闘争へと竜人を導くのだ。この本能を理性で抑え込み、力のみを引き出すのが竜化になる。
仮にこの本能が暴走すれば……ミレイナは感情だけを頼りに力を発散することになるだろう。
理性で感情を抑えようとしているミレイナにトドメを刺すことが出来る。
”貴女の敵を思い出し……私を崇めなさい”
「く……やめ…るのだ」
”さぁ、憎しみを撒き散らし、本能のままに暴れよ! この私のために!”
ミレイナは《色欲大罪》の効果で竜の本能を極限まで増大させられた。結果として自動的に竜化が発動し、更に理性による制御が効かなくなる。本能から湧き出ある膨大な憎しみと崇拝の意思力が強固な気を放出させ、それが深紅の爆発となった。
莫大な気が大地を揺らし、ミレイナはその全てを纏う。
深紅を纏う暴虐の化身となったミレイナは、竜化が進み、竜鱗が体に浮かび上がる。そして額の角はより鋭く伸び、縦に割れた瞳孔には獰猛さが垣間見えた。
「があああああああ!」
本能に振り回されたミレイナは、心の奥底に刻まれた宿敵を見上げる。
仲間であるはずのリアを倒すべき敵と定め、大量の魔素と気を圧縮し始めた。
これに驚いたのはリアである。
(そんな! ミレイナさん!)
感情を操作されただけでなく、竜としての本能にまで手を出され、理性という最後の柵すら取り払われたのだ。もはやミレイナは自分で止まれない。
圧縮された深紅のエネルギー体は徐々に膨らんでいき、リアへと狙いを定める。
そしてリアは大規模演算を実行中であるため、動けない。
(あと……もう少し……)
術の発動自体は間もなく終わる。
だが、ミレイナの《爆竜息吹》とどちらが早いかは微妙な所だ。ここで術を中断したとしても、《星脈命綴鎖》を再発動してミレイナを元に戻すことが出来るかどうかは怪しい。《星脈命綴鎖》が発動する前に《爆竜息吹》の方が先に完成しそうだからだ。
だからこそ、リアは一つの選択をする。
(このまま続行し、耐えきってみせます……っ!)
アラクネ・クイーンを倒すための術を完成させ、ミレイナの攻撃は耐えきる。耐えきれるかどうかは運任せだが、リアはそれに賭けた。
「《星脈命綴鎖》……お願いします!」
「があああああああああああああああああああああ!」
アラクネ・クイーンを倒す力を《星脈命綴鎖》へと託した。そしてミレイナは渾身の《爆竜息吹》をリアに向かって放つ。
魔素と気の大爆発が引き起こされ、巻き込まれた全てを破壊する深紅の光。一瞬だけ世界から音が消失し、衝撃波と共に爆音が響いた。木々は薙ぎ倒され、岩は吹き飛び、泉は波打つ。
竜化の本能が暴走したミレイナの放つ《爆竜息吹》は、通常の《爆竜息吹》を遥かに凌ぐ威力となる。破壊の光線は天を衝き、雲を割った。破滅の波動を感じた魔物や動物たちは我先にと山脈から背を向けて逃げ出したのだが、それはまた別の話。
深紅の閃光は徐々に薄れていき、やがて消え去る。
制御のないまま全ての力を使い果たしたミレイナは、MPと気を使い切ってその場で倒れた。《超回復》ですぐに復活するだろうが、暫くは気絶したままだろう。
”ウフ……フフフフフ……凄い威力ね”
間近でミレイナのフルパワーを見たアラクネ・クイーンは、思わず茫然としてしまっていた。流石にこの威力は予想外であり、そして想定外の戦力を配下として手に入れたことを喜ぶ。
純粋な戦力としても良し、《HP吸収》で体力を奪い取っても良し。
アラクネ・クイーンにとって良いことづくめである。
”これで鬱陶しい小娘も排除できたかしら……?”
そうは言いつつも、確実にリアを始末できたと確信していた。
なにせ、あの威力なのだ。何か特別な力でもない限りは耐え切れないだろう。
だが、空を見上げたアラクネ・クイーンは驚いた。
何故なら、白い天使翼を広げるリアが遥か上空から自分を見下ろしていたのだから。
”馬鹿な! あれで……何故!?”
衣服はボロボロになり皮膚も裂けて全身から血が流れている。だが、それでもリアは生きていた。肩で息をするほどダメージを負っているものの、その瞳は死んでいない。
元々、リアは必ずミレイナの攻撃に耐え切れるだろうと予想していた。
本来であれば即死、運が良くても意識を失って瀕死の重傷、奇跡が起これば耐えきれるような攻撃だった。奇跡のような運がなければ生き残れないし、その奇跡を意図的に引き当てる《星脈命綴鎖》は別のことに使っている。絶体絶命のはずだった。
しかし、ここでリアは自身のステータス値を思い出した。
それは運の数値100である。
ステータスにおける運とは『世界の意思』に対する耐性を表している。100が最大として、どれだけの割合だけ運命に逆らったことが引き起こせるかが運の値だ。
つまり、リアは必ず運命を覆せる。意思力さえあれば、奇跡すら自然に引き起こせる。
必ず耐えきれると確信することで、それを引き当てた。
ただ、それだけのことなのだ。
「はぁ、けほ……何とかなりましたね」
かなり扇情的になっている自分の恰好に恥じらいを覚えつつも、リアは《回復魔法》を使う。すると、簡単な傷は全て修復された。
ただし、骨や内臓へのだイメージは応急処置程度でしかなく、まだまだ重症である。
アラクネ・クイーンを倒すために《星脈命綴鎖》を使用したので、MPはほとんど残っていない。そして、残る少ないMPは自分に使うのではなく、ミレイナのために残しておいた。
「ミレイナさん……すぐに治します!」
リアは転移でミレイナを引き寄せ、アラクネ・クイーンから引き離す。これによって《色欲大罪》の領域から外れた。後はミレイナを蝕む精神汚染を取り除くだけである。
これは最後の魔力で《星脈命綴鎖》を使い、ミレイナの精神状態を過去へと転移させることで修復する。
「う……」
「ミレイナさん。大丈夫ですか?」
「うぅ……む?」
肉体そのものはダメージがなかったので《超回復》もあり、ミレイナはすぐに目を覚ました。そしてキョロキョロと周囲を見回し、リアに抱えられている状況にあると気付く。
そしてボロボロで傷だらけになったリアの姿に驚いた。
「どどどどどうしたのだリア!?」
「少し……傷を負ってしまって……」
「どう見ても少しじゃないのだ!?」
どうやらミレイナは先のことを覚えていないらしい。竜の本能に飲み込まれていたからだろう。優しいリアは、これがミレイナによって付けられた傷であることを隠すことにした。もしも言えば、ミレイナが責任を感じてしまうと考えたからである。
それに、魔力さえ回復すれば《回復魔法》ですぐに癒せる。
だから、まずはアラクネ・クイーンを倒すのが先だとミレイナに諭した。
「ミレイナさん。アラクネ・クイーンを倒す術は発動しました。まもなく効果が現れます」
「効果?」
「はい」
リアはそう言って上を見上げた。
それに倣ってミレイナが視線を上げると、青空の向こう側に白く光る何かが見える。偶に赤や青の光も放っており、徐々に近づいているように見えた。
「何なのだ……あれは?」
「アラクネ・クイーンを倒す秘策。隕石です」
「……?」
ミレイナは隕石が何か分からず、首を傾げる。そんなミレイナに対し、リアは微笑みながら答えた。
「今は気にしなくても構いません。あれが落ちてくれば私たちの勝ちです。それまでアラクネ・クイーンか……ら……私を……守ってくだ……さい」
そこでリアにも限界が訪れたのだろう。
耐えきったとは言え、重傷なのだ。回復したのも止血のためであり、根本的な治療はまだである。天使翼が消失したリアを慌ててミレイナが支えた。
「リ、リア!?」
息はしているので、眠っているだけのようだ。それを確認したミレイナは少し安心する。そして、すぐに意識を切り替え、アラクネ・クイーンの方へと目を向けた。
リアが生き残り、更に転移でミレイナが奪い返された衝撃から回復したのか、再び糸による攻撃を始める。《色欲大罪》の効果範囲から外れているので、再び糸で引き込むことにしたのだ。
”私の下僕を……返しなさい!”
闇属性で黒く染まった糸が放たれる。同時にアラクネ・クイーンの影が拡大し、地面が真っ黒に染まった。ここから《腐喰厄影陣》が発動して、大量の影槍が放たれる。
「ちっ……ッ!」
ミレイナも強制的な暴走竜化後であり、体力や精神力は万全と言えない。だが、それでも天使翼を展開し、リアを抱えつつ逃げた。
リア曰く、天空から降ってくる隕石が落ちれば勝利なのだ。
今は回避に専念すれば良い。
「む……数が多い」
左腕でリアを抱え、右手には竜爪を発動して糸を切り裂く。そしてどうにか糸による方位から逃げ出そうとするのだが、中々抜け出せない。ミレイナも《操糸術》を習得しているが、これほど複雑な操作は出来ないので、素直に感心していた。
しかし、感心するだけではいけない。勘と反射で的確に糸を切り裂き、最小限の動作で糸による檻を突破する。リアが怪我人ということもあり激しい動作が出来ない中で、ミレイナは必死に頭を使っていた。
そして、その間に隕石は強い光を放ちながら迫る。
流石にアラクネ・クイーンも気付いたのか、不可解な眼を向けた。
”あれは?”
恐らく、あれは悪いものだ。
隕石という知識のないアラクネ・クイーンもそれを察することが出来た。どうやら自分に直撃するコースにあるらしいと悟ったので、糸による攻撃を止め、回避を選択する。
しかし、アラクネ・クイーンはその場から動けなかった。
”な、何故……!?”
まるで地面に蜘蛛脚が吸い付いているかのようだった。その場から離れようと必死に脚へと意識を集中させるが、動く気配がない。
この感覚はよく知っていた。
理性では分かっていても、感情が許さない。
決してこの場から動いてはならないという本能が沸き起こるのだ。
”馬鹿な! ありえない!”
感情操作は自分の専売特許だったはずだ。
だが、現にアラクネ・クイーンはその場から動けない。
そして隕石は遂に熱を感じる所にまで迫っている。衝撃波によって轟音を鳴らし、自分へと真っすぐ向かって来ていた。大きさはアラクネ・クイーンの数倍はあるだろう。
感情が操作されたことによる動揺、そして動けない自分への恐怖から、《魔装甲》を使うことすら忘れる。
”この私が―――”
目を見開いて叫ぶアラクネ・クイーンは、その言葉を最後に衝撃が襲いかかったのだった。
リアが使った秘策については次の話で解説です。
そして新事実、リアちゃんは超ラッキーガール。信じる者は救われるってやつですね。





