EP422 滲む恐怖
破壊の息吹が引き起こした大爆発が晴れると、そこにはやはり無傷のアラクネ・クイーンがいた。青白い光を纏っているので、今度は《魔装甲》で耐えたらしい。スキルレベルも高く、魔力値が五万近くあるので、かなりの強度になったようだ。
「む……やっぱり直接殴らないとダメか?」
「そのようですね。想像以上に魔力耐性も高いようです。《魔装甲》だけでミレイナさんの気も防いだようですから」
クウからの忠告もあり、二人は遠距離から様子見をするつもりだった。しかし、予想以上に遠距離攻撃が効かない。特に《魔法反射》で全ての魔法を防いでくるのは面倒だった。
この時点でアラクネ・クイーンが魔法特化の魔物であると二人は予想している。ならば、MPを回復するスキルも備えていると容易にイメージできた。
魔法を浴びせ、MPが尽きるまで《魔法反射》を使わせる作戦は使えそうにない。
同様に、MPが尽きるまで《魔装甲》を使わせるのも難しいだろう。
「ミレイナさんを転移させます。位置はアラクネ・クイーンの背後です」
「分かったぞ。一撃で決めてやるのだ」
「行きます……」
リアは転移による奇襲を提案し、ミレイナも承諾する。そして魔力を練り上げ、転移魔法を完成させた。空間操作は苦手な部類だが、一応は転移も使える。
その場からミレイナは姿を消し、一瞬でアラクネ・クイーンの背後に回った。
そして右拳を握りしめ、《源塞邪龍》を発動させつつ一撃を放とうとする。
「これで終わ――」
しかし、ミレイナはその途中で動きを止めた。
発動していた《源塞邪龍》を急いで打ち消し、全力でアラクネ・クイーンへの攻撃を停止する。それによって身体へと負担がかかったが、ミレイナはそれでも構わず攻撃を中止したのだ。
右拳はアラクネ・クイーンの上半身である女性部分に触れる寸前で止まり、攻撃は失敗する。
”フフフフフフ。私を攻撃したくないでしょう?”
「な……っ!」
”だって私は貴女にとってかけがえのない存在。心の底から攻撃したくないと思っているのではなくて?”
それは正しかった。
アラクネ・クイーンの背後に回った瞬間、そのような感情が芽生え、絶対に攻撃を停止しなければならないと思ってしまった。それ故、ミレイナは攻撃を中止したのである。
まるで鎖のようにミレイナの感情を縛り、絶対にアラクネ・クイーンを攻撃したいと思わせない。それこそが精神を操る禁忌の力《色欲大罪》である。
”貴女の敵はあそこにいる小娘。さぁ、私のために攻撃しなさい”
「く……なんなのだ、これ……は……っ!?」
突如としてミレイナの心に憎しみとも言える黒い感情が沸き立つ。そして、絶対にリアを殺害しなければならないという意識に支配されそうになった。
どうにか理性で制御しようとするが、憎しみの感情は止まらない。
無意識のうちに《源塞邪龍》の力をリアに向けようとしていた。
だが、ミレイナの様子がおかしいと気付いたのだろう。
リアは即座に対応した。
「《星脈命綴鎖》!」
ミレイナの精神状態を過去に転移させ、湧き出た憎しみを綺麗に消失させる。同時に《時空間魔法》による転移でミレイナを側へと呼び戻した。
「ミレイナさん! 大丈夫ですか!?」
「っ! ああ、なんとかな……」
「一体何が?」
「あいつに感情を乗っ取られた。アラクネ・クイーンは大切な存在、リアは憎むべき敵だと感情を植え付けられたぞ!」
「そんな力が……」
それを聞いてリアはクウの忠告を本当の意味で理解する。
精神系の力は本当に厄介なのだと。
「今はどうですか?」
「全く問題ない。どうやら、あいつの力は特定領域でのみ発揮するようだな」
「……つまり、接近は難しいということですか」
感情を支配する《色欲大罪》。
それはアラクネ・クイーンを中心として一定領域で発動している。領域内に侵入した対象の感情を自在に操作することを可能とする恐ろしい力だ。これを利用すれば、敵意すら好意となり、好意は敵意となる。
遠距離攻撃は効かず、近づけば感情を乗っ取られる。
攻略の難しい相手だった。
「私が感情を操られると終わりですね」
「ああ、だからリアは絶対に近づくなよ。幸いにも、奴は空を飛べないからな」
「しかし困りましたね」
「うむ、倒し方が見当もつかないのだ」
取りあえず《色欲大罪》から逃れることは出来たが、攻撃する方法もない。逆に、アラクネ・クイーンは遠距離攻撃を得意とする魔法タイプであり、攻撃し放題だ。
更に言えば、アラクネ・クイーンは蜘蛛としての特性すら兼ね備えている。
つまり、蜘蛛糸による攻撃が可能なのだ。
”私の巣から逃げられるとは思わないことね”
女性部分の持つ十本の指から糸を放出し、《魔法操糸術》で操る。糸には闇属性が付与されており、捕らわれると幻術が発動する仕組みとなっていた。
闇色に染まった糸が四方八方からリアとミレイナに襲いかかる。
「拙いです! 『《炎天城壁》』!」
リアは即座に炎の壁を作り出し、糸を防いだ。気の通されていない糸なので、炎属性によって糸は簡単に燃え尽きる。
天まで燃え上がる灼熱の壁が消えるまでは、少しだけ猶予が出来た。
「どうしますかミレイナさん?」
「私も見当がつかんな」
「…………」
この状況にリアは少し悩む。
そして何かを決意したような表情を浮かべつつミレイナに告げた。
「ミレイナさん、私が何とかしてみます」
「方法があるのか?」
「近付くのも危険、遠距離魔法は無効……しかし方法はあります」
リアは錫杖を高く掲げ、魔力を練り始めた。
そして《星脈命綴鎖》へと意識を向け、演算を開始する。
「少しの間だけ時間を稼いでください。暫く私は動けません」
「分かったのだ。任せろ」
炎の壁が消えたら、リアは演算のためにその場からも動けなくなる。それほどの集中を必要とする大きな力を使うのだ。
糸や《闇魔法》などのアラクネ・クイーンからの攻撃は全てミレイナが防ぎ、引き受けることになる。
「では少しの間、お任せしますね」
同時に《炎天城壁》による炎の壁も消える。当然、アラクネ・クイーンは二人へと襲いかかった。
「行くぞ。私が相手だ!」
ミレイナは《源塞邪龍》を解放する。
破壊と無効化の波動が放たれ、山脈全体が揺れた。
アラクネ・クイーンはそれに対抗するべく、大量の糸を放出する。闇属性が付与されている糸がミレイナに襲いかかり、周囲を黒く染めた。
「邪魔なのだ!」
気を指先に集め深紅の竜爪を形成したミレイナは次々と糸を切り裂く。リアへと糸が届かないよう、一瞬たりとも気は抜かない。
ミレイナが竜爪を振るうたびに三つの斬撃が生まれ、次々と糸を切り裂きながらリアを守る。
”孤軍で奮闘するとは愚か”
何もせず錫杖を掲げるだけのリアに軽蔑するような視線を送りつつ、アラクネ・クイーンは糸を操る。残念ながら《魔力感知》を持っていないアラクネ・クイーンは、リアがどれほど莫大な魔力を集めているのかが理解できていなかった。
黒い糸は動かないリアを標的として狙い、ミレイナが必死にそれを壊す。
また、アラクネ・クイーンは同時に魔法も使おうとした。
”『《心理消――”
「させない! 《爆竜息吹》!」
大規模演算を実行しているリアに精神系の攻撃をさせる訳にはいかない。ミレイナは殆どチャージのない《爆竜息吹》を放ち、魔法の発動を停止させる。
時間がなかったので十分な圧縮が出来ず、爆発は小さなものだった。
だが、アラクネ・クイーンの魔法を止めるには充分である。
「私が相手だと言っている!」
ミレイナは後先考えずに《源塞邪龍》を使用しながらアラクネ・クイーンへと突撃した。常に破壊と無効化の波動を放っているお陰で、《色欲大罪》の効果は受け付けない。
だが、常に《源塞邪龍》を使用しているということは、常にMPを消費するということである。ミレイナにも《超回復》があるとはいえ、かなり苦しい戦いだ。
それほど《源塞邪龍》は燃費が悪いのだから。
「はぁっ!」
”チョロチョロと鬱陶しい!”
竜爪による深紅の斬撃が無数に生まれるが、アラクネ・クイーンは全て蜘蛛糸で防ぐ。元々、蜘蛛の糸は非常に頑丈だ。まして最上位クラスの魔物であるアラクネ・クイーンの生成する糸ともなれば、凄まじい強度となる。
何本も重ねられた糸になると、流石に一撃では切断できなかった。
だが、ミレイナは《気力支配》を多用し、気配を消したり強めたりしながらアラクネ・クイーンを翻弄していく。母パルティナが開発し、レーヴォルフから直伝された戦闘技術だ。また、常に放っている《源塞邪龍》の波動が防御になり、《色欲大罪》の精神干渉も効かない。
「そこなのだ!」
ミレイナは瞬間的に《源塞邪龍》の出力を上げ、アラクネ・クイーンの蜘蛛部分に攻撃する。アラクネ・クイーンは《神速》スキルによる自動反射で脚によるガードを実行したが、破壊の力によって脚の一本が吹き飛んだ。
”小癪な!”
攻撃後の隙を狙い、アラクネ・クイーンは闇属性付与の蜘蛛糸でミレイナを捕獲する。すぐに幻術効果で眠らせることが出来ると踏むも、その考えは甘い。ミレイナは《源塞邪龍》で常に無効化と破壊の波動を低出力で放っており、精神攻撃は全てカットされるのだ。
ただし、物理的な干渉は出力を上げて破壊しなければならない。
ミレイナは糸を引きちぎるべく、全身から破壊の波動を放つ。
「はあああああああああ!」
”くぅぅ……”
破壊の衝撃波を至近距離で浴びたからだろう、アラクネ・クイーンは上半身の皮膚が破れ、下半身の甲殻が一部崩れた。当然、ミレイナを縛っていた蜘蛛糸は弾け飛んでいる。
《魔装甲》による防御があって、この威力だったのだ。直撃を喰らえば、間違いなく致死ダメージになっていたことだろう。そう考えて、アラクネ・クイーンは恐怖を感じる。
”死ね! 死ね! 死ねえええええええええ!”
そして全ての魔力を《色欲大罪》に注ぎ込み、ミレイナへと精神干渉を仕掛けた。低出力で発動しているミレイナの破壊と無効化を上回る出力であり、そこでミレイナとの意思力がぶつかり合う。
だが、《色欲大罪》という力のサポートを受けている以上、ミレイナに勝ち目はない。
一瞬で気による耐性すら突破され、感情を植え付けられた。
「っ!?」
ミレイナは思わず跳び下がる。
それは回避を意識したものではなく、逃げるような無様な後退だった。着地時にバランスを崩したミレイナはそのまま転んでしまい、大きな隙を晒す。
当然、アラクネ・クイーンは糸でミレイナを確保した。
”フフフフフ。この私をよくも汚してくれたな”
妖艶な女性姿である上半身が舌なめずりする。
《魔障壁》を突破するほどの攻撃は確かにアラクネ・クイーンを傷つけ、多くの裂傷を与えた。下半身も一部はボロボロになり、脚の一本も千切られている。《HP吸収》以外にHP回復系の能力を持たないアラクネ・クイーンからすれば、大ダメージと言って過言ではない。
”私が怖いか……?”
アラクネ・クイーンは捕らえたミレイナに尋ねる。
いつものミレイナならば、即座に否定して糸を破壊したことだろう。だが、今のミレイナは年相応の少女の如く震えていた。その眼には演技抜きで恐怖が滲んでおり、涙まで浮かんでいる。
死の間際に遭遇したか弱い少女を思わせる反応だった。
”その恐怖……ああ、素晴らしい……”
恍惚とした表情を浮かべるアラクネ・クイーンに対し、ミレイナは何もできない。
何故なら、《色欲大罪》の力で恐怖の感情を増幅されたのだから。戦士としての教育を受けてきたミレイナにとって恐怖は殆ど捨てた感情だった。勿論、相手の攻撃に危機を感じるという点で、多少の恐怖感は残っている。しかし、腰が引けるほどの恐怖など既に捨て去っている。もはや無縁な感情のはずだった。
しかし、《色欲大罪》はそれすらも呼び起こす。
戦闘狂を哀れな少女に変えるなど容易いことなのだ。
”さぁ、私の糧となりなさい”
そしてアラクネ・クイーンは《HP吸収》を発動しつつ、ミレイナに咬みつこうとする。
捕らわれたミレイナはかつてないピンチを迎えるのだった。
ミレイナさんピンチ





