EP39 パレードの準備と無詠唱魔法
ルメリオス王国の王都では、道行く市民や流離の商人、そして冒険者たちの間である噂話が所狭しと流れていた。「知り合いから聞いた話」「小耳に挟んだ」から始まるその噂話は、一体どこが出所なのかは知られていないが、多くの人々に希望を与え、また多くの子供たちを興奮させるものだった。
曰く、光神が再び勇者を遣わした。
曰く、勇者は魔物や魔王の手から救ってくれる。
曰く、勇者は大魔導士と聖女を伴っている。
そして神話や物語のような噂話を決定的にさせたもの。
それは1週間後の勇者お披露目。さらに光神教会が所有しているといわれる聖剣と聖鎧の授与及び、勇者の旅立ちを見送る盛大なパレードの開催を知らせる王城からの発表だった。
王城からの正式な発表とあれば噂話では済まない。パレードに向けて、王都に店を構える商人や料理人は張り切って準備を始め、一般市民たちの興奮もうなぎ昇りの状態となった。だが国民の中には召喚された勇者に期待する者だけでなく、不安に思う者たちもいる。何故なら前回召喚された3人の勇者たちは魔族領との国境の砦を攻略したときに死亡しているからだ。正確には2人が死亡し、1人は魔族に裏切ったとされているのだが、国の上層部はそのことを隠している。ともかく魔王どころか、国境の砦を落としただけで勇者が死んでいるという事実が一部の国民を不安にさせていた。
そのような不安を持つ国民につけ込んで、光神教会の一部の司祭が不正なお布施を募っているという事件が起きたために国の上層部はただでさえパレードの準備に忙しい所を、さらに余計な仕事までさせられることになったりもしたのだ。
「まったく……これで本当に聖職者なのか?」
「お恥ずかしいながら、どんな組織にも汚点は生まれるものです」
ルメリオス国王であるルクセント・レイシア・ルメリオスの執務室には王の他に、この国の宰相が共にいて仕事をしていた。歳はまだ40代なのだが、その政治手腕から宰相に抜擢された彼の名はアトラス・ハルーン・ケリオン。公爵家の当主でもあり、現国王とは従弟どうしでもある。ルクセントの父親とアトラスの母親が姉弟の関係なのだ。君主と家臣の関係でもあり、友人どうしでもあるこの2人は国家に関わる事案でさえも気軽に話し合える仲だった。
「この件は重罪に処すとだけして牢に入れておきましょう。パレードが終わって一段落してから詳しい刑罰を決めれば良いかと思います」
「……確かに、勇者の印象のことも考えると教会関係者を大々的に罰するのは今は避けた方がよいな」
ルクセントはアトラスの意見を採用して書類に印を押す。
パレードに関する計画書は優秀な家臣たちが部署ごとに提出してくれているため、ルクセント自身は採用か否かを判断して印を押すだけなのだが、何せその量が膨大なのだ。どこからともない勇者の噂を王都中に流して国民の期待を上げたのも計画の内だが、そのせいで先ほどのような別問題も発生している。これだけ様々な計画を実行すれば、どこに歪が出来るか分かったものではない。ルクセントもアトラスもすっかり心労が溜まっていた。
「そう言えばアトラス、お前のところの長男がそろそろ結婚するという話を聞いたのだが……?」
「ああ……いや、その……」
ルクセントは話題を変えて気分転換するつもりで聞いたことなのだが、アトラスは気まずそうな顔をして言葉を濁す。ルクセントもその様子を不審に感じたため、友人でもある彼を心配して再び尋ねた。
「何かあったのか?」
「ええ……その……我が息子が婚姻を申し込んだ相手が急病で亡くなったと知らせが届きまして……結婚の話も白紙になり、息子も嘆き悲しんでここしばらくは部屋に閉じこもってしまいまして……」
「なんとも不幸な……確か相手は……」
「ええ、迷宮都市として有名な【ヘルシア】を治めるラグエーテル伯爵家のフィリアリア嬢です」
アトラスは深くため息を吐いて額を手で押さえる。美しく、天才魔法使いとしても有名なフィリアリアに一目惚れしてしまっていた息子の落胆ぶりを思い出せば、何度ため息を吐いても足りないほどだ。知らぬこととは言え、余計なことを思い出させてしまったルクセントは慰めの言葉も見つけることが出来ずに黙り込んでいる。
もちろんフィリアリアの病死は真っ赤な嘘だ。クウとの契約でフィリアリアを完全に失ったラグエーテル伯爵が、なんとか公爵家に婚約破棄の言い訳をするために死んだことにしてしまったのだった。知らない間に病死したことにされているフィリアリア本人はリアという名になってクウと共に虚空迷宮の攻略に勤しんでいるのだが、アトラスとルクセントはこのことを知らない。
コンコン
すっかり空気を悪くしてしまった執務室に響きわたるノックの音。それを聞いてアトラスもハッと顔を上げて扉の方へと向かう。ルクセントは誰と判らぬノックの主に感謝しつつ、処理中の書類に目を通し始める。
「誰だ?」
「書記官のグライト・アルフマンです。パレードの際に陛下のなされるスピーチの原稿案を持って参りました」
それを聞いて対応しているアトラスが執務室の扉を開く。ルクセントの執務室ではアトラスが補佐をしていることが多いので、グライトという書記官も特に驚くことなくスピーチ原案を手渡す。アトラスはそれを受け取ってルクセントの書類の山に加え、グライトを帰らせた。
「せっかく減ったと思ったのに……」
「これからもっと増えますのでキリキリ働いてください」
国王はパレード前日までトイレと入浴と睡眠時以外は執務室から出ることが無かったという。
◆◆◆
「パレードまでの1週間は王城から出たらダメだなんて窮屈だよなぁ」
「清二も文句言わない。勇者=黒髪黒目ってイメージがあるらしいから、あっという間に国民に取り囲まれるかもしれないでしょ? 握手会になったりガラの悪い冒険者に絡まれる可能性があるからって言われたじゃないの」
「そんなに暇でしたらアルフレッドさんと模擬戦をしてはいかがですか?」
お披露目を控えた勇者たちは王城の一画、より正確にはセイジに与えられた部屋に集まって暇を潰していた。尤もセイジはそれでも暇を持て余しているようだが。
「アルフレッドさんはパレードで警備を担当する騎士の人選とか配置の計画書を作っているらしいから模擬戦の相手をさせるのは拙いよ」
セイジは少し前に騎士団の訓練所にいってアルフレッドを探したのだが見つからなかった。仕方なく近くの騎士に場所を聞いてみると、自分たちのパレード関連で忙しくしていると言われ、さすがに邪魔するわけにもいかずに部屋へと帰ってきたのだった。
「それなら魔法について話し合わない?」
「あ、それいいですね」
セイジの部屋にあるソファに腰かけて魔法書を読んでいたリコがここぞとばかりに提案する。同じくスキル構成が魔法タイプのエリカもそれに同調して返事をした。3人はよくセイジの部屋に集まって駄弁っているのだが、その内容は魔物についてや自分たちのレベル、スキル構成についてが多く、魔法そのものについて話し合ったことはなかった。
「えー? 僕は基本的に前衛だから魔法もあまり使えないし参考にならないかもよ?」
「大丈夫よ。『無詠唱』ってのを身に付けたら前衛でもバンバン魔法が撃てるようになるからね」
「「無詠唱?」」
嫌そうな顔をするセイジだが、興味深い単語を聞いて思わず聞き返す。同じくエリカも初めて聞いた言葉にセイジと声を揃えて聞き返した。一方のリコは2人の反応を見て得意げに『無詠唱』の説明をし始める。
「そ、『無詠唱』って魔法発動技術があるらしいのよね。聞いて分かると思うけど、要は魔法発動前の詠唱を無くして魔法を発動できる技術らしいよ」
「どうやったら取得できるスキルなんだ?」
乗り気でなかったセイジも身を乗り出して興味を示す。もし『無詠唱』を習得できたら剣を振りながら魔法を発動できるので、前衛のセイジにとっては垂涎ものだ。スキルとして光、炎、雷の3種類の魔法スキルを持っているので、どうにかして有効活用したいと考えていたのだ。
リコはセイジに興味を引けたことに満足したような表情で説明を続ける。
「『無詠唱』はスキルじゃないのよ」
「スキルじゃないとはどういうことなんですか?」
「ああ、スキルじゃなかったら何なんだよ?」
「いい? 『無詠唱』というのはあくまでも技術なの。ちょっと見ててね」
リコが得意げに人差し指を立てると、その先に直径5㎝ほどの水球が現れた。驚くセイジとエリカを横目にその水球を上へ下へ、右へ左へと動かして見せた。そして一通り水球を飛ばしたあと、蒸発するように小さくなって消えてしまった。
「どう? 詠唱無しで水魔法を使えるようになったの」
「すごいなリコ!」
「いつの間に身に着けたんですか? さっきステータスを見せ合ったときにはリコちゃんのステータスに《無詠唱》ってスキルは無かったですよね」
フフンッと鼻を鳴らして胸を張るリコ。残念ながらAカップの彼女が胸を張ったところで大して目立たないのだが、リコ自身は気にしている様子もない。余談ではあるが、本人は「貧乳はステータス」と割り切っているのだ。
「まぁ、引っ張っても仕方ないから全部話すね?
まず私が無詠唱に気付いたのは偶然なのよね。水魔法の《水球》を詠唱していた時に空気中から水分子を集めるイメージをしたの。そしたらね……なんと詠唱が完成する前に《水球》が発動したのよ!それで色々試しているうちに、詠唱無しでも魔法発動できるって気付いたってわけよ!
でも、ステータスを見ても詠唱なしで魔法を発動するスキルなんて追加されてなかったの。不思議に思って私は色々と魔法書を調べている内にある仮説にたどり着いた」
リコはそこで話を止めて手に持っていた魔法書をペラペラと捲っていく。すぐに目的のページを開いてセイジとエリカに見せながら説明を続けた。
「ほら、ここに『魔法とは具体的なイメージが重要であり、詠唱は言葉に発することで発動を大いに助けてくれるものである。属性の特性を深く理解している者は新しい魔法を作ることもできるだろう』って書いてあるでしょ? つまり魔法にはもともと詠唱なんか必要なくて、むしろ詠唱無しで発動するのが本来の形なんじゃないかって思ったのよね。どう?」
ドヤ顔で自身の仮説を披露するリコだが、セイジは納得しきれないものを感じて質問をする。
「思ったんだけど、そんな簡単に『無詠唱』ができるんならもっと広まっていてもよくないか? 僕たちに魔法を教えてくれた王宮魔術師の人も知らなかっただろ? たしか『魔法には呪文か魔法陣が絶対に必要だ!』って言ってたし」
「そうですね。1人ぐらいは知っててもおかしくないですよね」
「うん。それはね、多分知識に関係しているんじゃない?
例えば私たちはこの世界が目に見えない原子が集まって出来ていることを知ってるでしょ? でもこの世界の人たちはそれを知らない。水は水素と酸素で出来ていて、空気中に水蒸気として存在しているって知識を私たちは知っているから、その原理をイメージすることで『無詠唱』が使える。水は精霊とか神様からの恵みだって信じているエヴァンの人達は正しいイメージが出来ないから『無詠唱』が使えないってことだと思わない?」
エリカの仮説はかなりのところで正しい。エヴァンの住人は大自然を理論的に説明するところまで到達していないので、いくらイメージを高めても無詠唱での発動ができないのだ。何故ならそのイメージは正しくないのだから、どんなに頑張っても詠唱省略が精一杯になる。
「なるほどなぁ。確かに僕たちなら何とかなりそうだし、身に付ければ剣で戦いながら魔法を撃ちこんだりできそうだ。それに詠唱から魔法の内容に気づかれないのも利点だね」
セイジはよく出来たね、とばかりにリコの頭を撫でる。リコは満足げな顔をしているが、一方のエリカは不満そうな視線をセイジに投げかけた。刺々しい視線を感じたセイジが振り向くと、エリカがむくれた表情をしており、仕方なく空いた手でエリカも撫でるのだった。
「そう言えば水は分かったけど炎ってなんだろうね」
「えーとですね、確か燃える物と酸素で……」
「それは炎を維持する方法だよね? そうじゃなくて炎とは一体何で、どういう条件で出現するものなのかと思ったんだけど……?」
「確かに……」
「何でしょうね?」
高校生では分からない現象もあるのだった。





