EP395 ユナの冒険⑧
砦を無事に陥落させた日から四日後。
非戦闘員を含めれば二千名を超える大部隊は既に引き上げ、一部の者たちだけが残って周辺を調査していた。まず、砦を守護する騎士団と精霊部隊が合わせて五百名。そして周辺調査を担当する勇者たちや冒険者たちが合わせて三十名。
合計すると砦を攻め落とした時からすれば四分の一となる。
しかし、ここは人族の国から遠く離れた辺境の更に奥地であり、大部隊を長期間に渡って留めておくことは出来ない。今も周辺の魔物を狩ることで食料を得ているが、野菜類や穀物類は二か月ほどで無くなってしまう計算だった。
計画的に消費すれば三か月は持つだろうが、やはり補給は要る。
それで大部分が引き上げ、砦攻略の成功を知らせると共に補給の目途を付けに行ったのである。
一方で残った者たちは、周辺を調べる毎日を過ごしていた。
「今日も大した成果はなかったな」
「そーだねー」
「出現する魔物の傾向は掴めてきたと思いますけどね」
夜になり、ユナ達は砦に戻って食事をとる。配給係が一日二食を用意してくれるので、朝と夜にそれを受け取って食べることになっている。
それは騎士でも精霊部隊員でも冒険者でも、そして勇者でも変わりない。
個人で持ってきた食料を個人で食べるのは勝手だが、配給食糧は平等に分けられていた。
そしてユナ達は三人で一塊になり、適当なテーブルに座ってその日の成果を話し合うのが夕食時の日課だった。
「出てくる魔物はアント系とスパイダー系が多いよねー」
「ユナちゃんの言う通りだよ。北はアント系、南がスパイダー系だね。かなり数が多いし、強力な統率個体がいる可能性もある」
「ほう。僕は気付かなかったな」
「気づきましょうよエイスケさん……」
シュウがジト目を向けると、エイスケはそっと目を逸らす。
彼は聖剣でひたすら魔物を狩っていただけであり、出現する魔物の傾向や分布については全くと言っていいほど気付いていなかった。
また、戦闘中は常に聖剣を解放しているので、エイスケ自身のレベルもLv20で止まっている。この辺りの魔物はLv50を超えていて当然という場所なので、エイスケはいつにも増して聖剣が手放せなかった。
「しかし、この辺りの魔物は強過ぎですよ。Aランク級なんて雑魚みたいに湧いてくる。ちょっと歩けばSランク級も見つかりそうだし、下手すればSS級やSSS級なんてのもいるかもしれない。思った以上に魔族領は危険ですよ」
「しかも、これでまだ人族領寄りだもんね。奥に行くとどれだけ強いんだろ?」
「それよりもユナちゃん。こんな環境で暮らしている魔族の方が脅威だよ。少なくとも、Aランクを超える強者が山のようにいるってことになるからね」
事実、シュウの懸念は皆が思っていることだった。
精霊部隊を率いているミミリス、騎士団を率いているコルバート、冒険者を率いているカインも、想像以上に魔族が強いと予想している。
今回のように数で押し切り、勇者やSランク冒険者を投入すれば何とか勝利はもぎ取れるだろう。しかし、戦争ともなれば不利になるのは間違いない。
中々、魔族領の奥へと調査が伸ばせないのも、魔族の強さを警戒してのことだった。
そして、特に勇者たちは魔族だけを考えれば良いわけではない。
「魔族の王……魔王は本当にどれだけ強いんだろう……エイスケさんはどう思いますか?」
「ふっ。僕には聖剣がある。これがあれば魔王だって倒せるさ」
「……ユナちゃんは?」
「私は無理だと思うかなー」
武装迷宮を攻略し、天使化したユナはある程度の事実を知っている。魔王が二人存在し、東の魔王は魔法神アルファウの天使であること、そして今のユナですらどちらの魔王にも敵わないということを認知していた。
まだ超越者のことは知識に無いが、武装神アステラルと天雷獅子ハルシオンに忠告されたのだ。間違いはないと確信している。
しかし、そんなことは知らないシュウは、ユナに対して理由を求めた。
「根拠は?」
「勘」
ユナは適当に返事を返す。
アステラルのこともハルシオンのことも言うつもりはないので、勘で済ませた。ただ、シュウもユナの言葉には少し納得していた。女の勘というのはよく当たると知っているからである。
(私としては、早く東の魔王に会いたいんだけどなぁ)
こうして遠征に来たのは、魔族領に行くためである。決して魔王を倒したり魔族領を調査したりするのが目的ではない。ユナはそんなことを考えていた。
本当は調査している間に逃げ出してしまおうと思っていたのだが、想像以上にエイスケが付きまとってきたのだ。
正直、ユナはまだ天使翼を使いこなしておらず、飛んで逃げるという手段も使えない。故に走って姿をくらますだけの隙が必要なのだ。
(……あれ? でも私って別に気を使う必要ないよね。ステータスはエイスケさんを軽く超えてるし、普通に振り切っちゃえばいいんじゃない?)
目的はクウに会うため地球へと戻ること。
この世界のことも一緒に召喚されたエイスケとシュウのことも、優先度としてはそれ以下である。よくよく考えてみれば、わざわざ隠れて動いたりする必要はない。力がなかった少し前ならばともかく、今は人族最強の力を手にしているのだ。
実は全く問題ない。
(今夜にでも逃げよーっと)
配給の食事をとりつつ、ユナはそんなことを考えるのだった。
◆ ◆ ◆
オリヴィアは北の山脈から砦を見下ろしていた。インペリアル・アントが支配するこの領域は、無数のアント系魔物が生息しており、縦横無尽に山脈内部を巣が走っている。本来ならばオリヴィアは襲われてしまうはずだ。
しかし、アントたちは超越者である彼女の覇気を感じ取ったのか、一切触れてこようとはしなかった。
「人族は砦を落としたようね……やっぱり守りが少なすぎたかしら?」
山から吹き下ろす風でオリヴィアの声はかき消される。
ブロンドの髪も激しく揺れるが、それを見る者はいない。
ここならば、誰にも気づかれることなくオリヴィアは活動できた。
「まぁいいわ。あの砦は元から山脈の穴を塞ぐためのもの。強力な魔物か私のデス・ユニバースに守らせた方が効率よかったのは事実よ。奪われたなら追い払えばいいわ」
そんなことを言いながら、オリヴィアは権能【英霊師団降臨】を発動させた。赤黒い渦が出現し、そこから死霊デス・ユニバースが出現する。
死者の情報録から引き出した情報を元に死霊を構築し、オリヴィアが祝福を与えることで強化するのが基本的な能力だ。超越者を相手にする時は物足りないが、広範囲の制圧や雑魚の掃討をする時には強い。
「魔人の死霊、獣人の死霊、竜人の死霊、ヴァンパイアの死霊……それぞれ十体もいれば余裕かしら。勇者を殺すわけにはいかないから、コントロールできる人数に絞らないとダメだし面倒ね」
オリヴィアがオメガから依頼された任務は、ユナ・アカツキを殺すことだ。また、勇者に魔族の強さを知らしめることで、人族全体を強化する予定でもある。
強い魔物が多い魔族領の住人からすれば、人族領の住人は弱すぎるのだ。
戦争を起こしたとしても、今のままでは戦力差が大きすぎて魔族が圧倒的な勝利をしてしまう。オメガが求めているのは、拮抗した泥試合の如き戦争であり、多くの死と恨みと瘴気を生み出す凄惨なもの。今はまだ、人族の強さが足りない。
ちなみに、戦争が始まる時にはオメガたち【アドラー】勢力は姿を隠し、【レム・クリフィト】や獣人竜人、ヴァンパイアにさせるつもりである。その時に超越者アリアとリグレットは邪魔になるので、先に始末しておきたかったのだ。
故に、人族、魔族のどちらも戦争の準備が整っているとは言えず、今回は砦を占領した人族を撤退させるのもオリヴィアの役目となっている。
殺し過ぎず、適度に魔族の脅威を伝える。
そのさじ加減が難しかった。
「そうだわ。魔物を利用しましょう。この山脈に住むアント系と南に住むスパイダー系の魔物を私の死霊で追い立てれば、砦にも魔物がやって来るわね。人族は私たちが魔物を操ってるって思ってるみたいだから、丁度いいかもしれないわ」
人族の撤退には魔物を利用し、混乱した隙を突いてユナをデス・ユニバースで殺す。
オリヴィアはそう算段を付けた。
「ユナって娘の始末には竜人のデス・ユニバースを当てましょうか。確か、凄く強い個体がいたはずよね」
オリヴィアは怪しく嗤うのだった。
◆ ◆ ◆
深夜、ユナはこっそりとベッドから起き上がった。この砦は内装が充実しており、簡易的だがベッドが備え付けられている。ユナは士官用だったと思われるの個室が与えられ、そこで寝泊まりしていた。
「さてと」
そう呟きながら《天賜武》で刀を作り出す。ユナは作成した刀を左手で持ちながら、部屋を出た。ステータスを制限し、秘匿する腕輪は既に外している。今のユナは天使の力を十分に振るえる状態となっていた。
流石に深夜だけあって砦の中も静かだ。明かりも殆ど消されているので、ユナは光系の魔法で明かりを作りながら進んでいく。流石に四日もいれば複雑な砦の中にも慣れてくるので、迷うことなく目的の場所へと向かっていた。
(うん、誰もいない)
砦の屋上に出たユナは、周囲を見渡しつつ確認する。
逃げるときは、翼を出して滑空するように砦から離れると決めていた。その方が楽に距離を稼げるからである。それで夜の屋上へとやってきたのだ。
夜警担当が何十人かいるはずなので、注意が必要だが。
尤も、砦は非常に広く、屋上もかなりの広さがあるので隠れていれば見つかることはない。
(気配と魔力は隠して、《陽魔法》で幻術展開っと)
ユナは能力をフル活用して視覚以外の感知すら誤魔化し、東側へと向かう。魔族領はこちら側なので、そこから飛んで滑空しつつ距離を稼ぐのだ。
もはや人族領に未練はない。武装神アステラルの言葉を信じ、東の魔王へと会いに行くつもりなのである。
ユナは砦の端へと向かい、そこで天使翼を展開する。
魔素と気で出来た金色の翼であり、夜にこれを使うとかなり目立つ。
しかし、そこは《陽魔法》で誤魔化しているので、問題はない。
「うん……よし、ちょっとは動かせるようになったかも」
ユナは慣れない翼に意識を向けながら、滑空する準備をする。クウがすぐに習得してしまったので勘違いしそうになるが、人にとって翼と言うのは未知の器官だ。簡単に扱えるものではない。
だが、いざ飛び立とうとした時、ユナは凄まじい悪寒を覚えた。
(……っ!? これはっ!)
咄嗟に翼を消して振り返りつつ居合を放つ。この時、魔素と気を纏わせることも忘れない。《無双》スキルを習得しているので、これだけは充分に使えるようになっていた。
キンッ……と強い金属音がして、ユナの一撃は何かを弾く。
恐らくはナイフのような投擲武器だろう。
《魔力支配》と《気力支配》を使って感知を広げ、敵の居場所を探し始めた。
(殺意……)
反射的に左手の鞘で薙ぎ払う。
すると、何かが絡まったような感覚を覚えた。
目を向ければ、月と星の明かりで何かが光っている。
(これって……糸?)
ただの糸ではなく、気で強化したものだ。
切断の意思が込められているので、触れればダメージを受けてしまうだろう。尤も、元が糸なので、上手く使わなければ服を斬ることすら出来ない。武装としてはかなり高等な類のものだった。
ユナは即座に刀へと炎を纏わせ、糸を切断する。
大きく跳び下がり、攻撃してきた相手と向き合った。
「…………誰?」
まさか味方の内にユナを暗殺しようとした者がいたのだろうか。
そう考えるが、それはないと判断する。
そもそも、天使化したユナの気配隠しを破って攻撃してきたのだ。相当な手練れでなくてはならない。恐らくは魔族だろうと予想した。
暗闇が影になって見え辛いので、ユナは《陽魔法》で周囲を照らす。
今は隠れることを気にする余裕はなかった。
「光って」
詠唱でも何でもなく、ただ演算を補強するための言葉。
それによって周囲を昼間のように照らす。天使化したユナだからこそ出来る力技だった。
一気に明るくなったのでユナが相手の正体を確認すると、確かに人族ではない。襲撃者の頭部には二本の角が生えており、その瞳は爬虫類のように縦に割れている。
ユナはまだ知らないが、竜人と言う種族だった。
しかし、ユナが驚いたのはそこではない。
「女の人!?」
顔つきや体つきから襲撃者は女だと分かる。
暗い茶色の髪を肩口で切り揃え、首にはストールのようなものを撒いた女の竜人だった。
そして、その女の竜人は無言のまま、ユナへと襲いかかる。
「っ!」
「……」
ユナは再び居合を放ち、女の竜人は糸で防いだ。
それと同時に、砦の各地から爆発音が響き始める。
オリヴィアの襲撃が始まったのだった。





