EP386 バイト
泡沫の夢が浮かぶ。
試練を受けていたリアは、夢の中で自分の可能性を眺めていた。それはクウと共に危険な旅をするのではなく、普通の貴族子女として結婚し、普通に暮らす夢。
これでもリアは公爵家嫡子の婚約者だった。
美貌だけでなく、【ルメリオス王国】で唯一といえる【固有能力】保有者だったのだ。回復系能力ということもあり、第一王子アーサーの婚約者としてもつり合うレベルといえる。
ただ、リアは正妻の子ではなかったので、その点から王妃としては相応しい血縁とは言え無かったに過ぎない。それでも、俗にいう、勝ち組だったのだ。
普通に、大人しく、令嬢らしくしていれば幸せになれたであろう。
しかし、それを蹴ってリアは茨の道を選んだ。
(笑顔の絶えない家庭……ですか……)
第二婦人の子でありながら優秀ということもあり、実家のリアは意外にも肩身が狭かった。父親が仕事人間だったので、屋敷のことは正妻が仕切っていたからだ。
それ故、笑顔の絶えない家庭は一種の憧れである。
公爵家の長男に見染められたことで成立した婚約ということもあり、順当に結婚すれば幸せで喜びのある日々が待っていた。これは天翼蛇カルディアの【円環時空律】によって因果を辿った別ルートの光景であり、実際にあり得たことだ。
夢を見るリアは、延々とこのような夢を見せられているのである。
これを見て後悔の気持ちがある内は、夢から抜け出すことなど出来ない。幸せという毒によって眠らせるカルディアの権能の一部が発揮された結果だった。
無限に繰り返される幸福から抜け出すには、相応の覚悟が必要となる。
(私がいる場所はここではありませんが……でも……)
もう少しだけ、あと少しだけ見ていたい気持ちになる。
出来れば覚めて欲しくない夢が、リアの意思を揺さぶり続けていた。
(クウ兄様には恩があります。それを返すまでは……)
そうやって自分に言い聞かせても、悪魔が囁くようにして誘惑は続く。
悪魔とは決して汚いものや悪意そのものを見せてはこない。美しく、楽しく、幸せなものを武器にして人を誘惑する。本能に刻まれた欲、快楽を刺激することで、人を堕落させる存在だ。
まさに【円環時空律】はそのような能力である。
本来の使い道は異なっているのだが、この権能は確実にリアを堕とそうとしていた。
(役に立たないと……いけませんから)
リアは故郷を飛び出して以降、クウと共に旅をしてきた。人魔の境界を越え、砂漠では戦争を経験し、海を渡って魔族の国へと渡った。そこで自分の内側に秘められた力を知り、ようやく役に立てるのだと意気込んでいた。
しかし、相変わらずリアは守られる側だった。
天使候補者の中では最も戦闘力が低く、得意の回復もクウやユナ、アリア、リグレットの方が上である。超越者なのだから当たり前と言えばそれまでだ。しかし、この事実はリアにとって焦りの要因となった。
普段は落ち着いているリアにも焦りはある。
貴族としての育ちが仮面となっているに過ぎない。
しかし権能は、リアの本音を汲み取ったかのような夢を見せる。
回復の使い手として役に立つ自分の姿を。可能性の一つとして存在していた未来を。それを見たリアは、夢を振り切ることが出来ない。可能性の一つとして存在した自分に憧れてしまう。
今の自分を確立できず、意思も定まらない。
【魂源能力】の使い手に相応しい精神とは言えなかった。
しかし、加護を与えられたということは素質のある人物であるということ。
だた、今は定まっていないだけに過ぎない。
分散された意志は、一つの覚悟に固まった意思に大きく劣る。
夢現にして無限の旅の中で、リアは一つの覚悟を見つけ出そうともがくのだった。
◆ ◆ ◆
一方、地獄階層を一周してきたユナとミレイナは、再び運命迷宮九十階層へと戻っていた。そこでは純白の鱗を持つカルディアがリアに対して術をかけており、まだ試練が終わっていないことを知る。
「あ~。リアちゃん、まだ終わってなかったんだ……」
”こればかりは個人差がありますから。しかし、彼女も少しずつですが進んでいますよ”
一日と経たずに試練をクリアしたユナからすれば、リアは時間がかかっているように思えるのだろう。実際はユナが早すぎるだけだが。
ミレイナもかなりの時間を掛けて天九狐ネメアの試練を乗り越えた。
ユナが特殊過ぎたのである。
「どうしようかな? もう一周するミレイナちゃん?」
「いや、正直休みたい。お陰でレベルは上がったがな。流石に疲れた」
「じゃあ、仕方ないね。私たちだけで一度戻る?」
「リアを置いておくことになるがいいのか?」
”いえ、特に用事がないのならば戻って欲しいところです。あまりここに留まられても困りますから”
カルディアにそう言われたので、二人は一度迷宮から脱出することに決める。既に九十階層の転移クリスタルは使えるので、いつでも戻ることが出来るのだ。
スキル異常のせいで迷宮に入場制限がかかっている可能性もあるのだが、それはユナがいれば何とかできる事案である。陽属性の光系幻覚を使えば誤魔化せる範囲だ。
「わかった。どちらにせよ、戻らないと食料も足りないからな。ユナはともかく、私は食べないと生きていけない」
「ミレイナちゃんはよく食べるもんね~。一か月分は想定していたハズなのに一週間で無くなったこともあったし」
「ふふん! 凄いだろう!」
「褒めてないよ……?」
ともかく、一度戻ることにした二人は九十階層の入口へと戻っていく。無重力空間特有の不思議な感覚が消え去り、そのまま転移クリスタルの小部屋へと向かった。
そして二人は食料調達も兼ねて、一度迷宮から脱出したのだった。
◆ ◆ ◆
その頃、東の城塞都市に移ったクウは建設のバイトをしていた。
理由は金欠である。
基本的にギルド協力者としての報酬は情報なので、お金が必要な場合は別枠で稼がなければならない。協力者としての契約は簡単に変えられるものではないのだ。こればかりは仕方ない。
この城塞都市はドワーフが中心となって急ピッチの建設が行われており、現在は外壁が完成して内部の設備を整えているところだった。
「石材を運んできたぞ」
「おう! そこに置いといてくれや!」
「はいよ」
超越者であるクウは、主に資材運びで力を発揮した。霊力を込めれば幾らでも肉体を強化できるので、この程度は朝飯前である。木材、石材、レンガ、鉄骨などを各所に運ぶバイトをすることで、金銭を稼いでいたのである。
これはギルドを経由しない仕事なので、クウでも好きに稼ぐことが出来た。
報酬は時給制ではなく、歩合制なので、バイトに参加している者の中では筆頭とも言える稼ぎを叩きだしている。
「おい、そこの若造」
「なんだ?」
「資材倉庫にこのメモを届けてくれや。欲しい材料が書かれてあるから無くすなよ」
「分かった」
これも仕事の一つなので、クウはメモを受け取る。
そして街を走っていき、大量の資材が蓄えてある倉庫へと向かった。食料や武器なども大量に蓄えられている巨大倉庫が並ぶ場所では、主に商人たちが取引で賑わいを見せていた。スキル異常が起こっている今でも、城塞都市へと資材を運んでくれているという感謝もあり、割増で買取がされている。
お陰で商人たちも満足気な表情を浮かべていた。
(さて、メモを届けますかね)
クウは建設系の資材倉庫へと足を運び、係員のもとに向かう。
そこには列が出来ており、そこの最後尾へと並んだ。同じくバイトに参加している者が並んでいるのだが、係員の指示に従ってそれぞれが荷物を抱えつつ出ていく。この重労働の繰り返しで建設を進めているのだと考えると、中々に黒い職場だ。
「次の方」
「ああ、それとメモだ」
「預かります。えっと、五十二番の方でしたか。もう一度行かれますか?」
五十二番というのはバイトするための整理番号であり、ここでどれぐらいの仕事をこなしたかチェックされている。今日は既に四十往復しているので、かなりのバイト代が溜まっているだろう。
この辺りで切り上げることにした。
「いや、今日は止めておく」
「かしこまりました。清算しますから少し待って下さい」
係員はクウの仕事記録をチェックして、給料を計算する。
結果として大銀貨二枚が給料になった。円に換算すれば二万円ほどになる。一日に得られる金銭だとするならば、結構な高値だ。
クウはそれを受け取り、仕事場を後にする。
今回のスキル異常は、既に勇者が原因だと確定している。魔法神アルファウと創造神レイクレリアに確認したアリアとリグレットから通信が来たので間違いない。だから、クウとしてはすぐにでもセイジたちを追い詰めて、原因を排除したかった。
原因となっているのは聖剣と聖鎧。
より正確に言えば、それらを顕現している指輪型の道具である。光神シンの作品ということは、ただの魔道具ではなく神装の一種だろう。つまり破壊は出来ない。
出来るだけ早く観察して、対処法を考えなくてはならないのだ。
それにもかかわらずバイトをしているのは、単純に勇者たちが城塞都市に戻ってこないからである。各地を転移で飛び回りながら魔物討伐をしているので、なかなか見つからないのだ。
「はぁー……転移系が欲しいな。魔法陣でも勉強するか……?」
魔法システム自体は魔法陣で扱えるので、スキルがなくとも転移は可能だ。いちいち空を飛んで大移動するのも疲れるので、習得して損はない。
ただ、転移系が使えたところで勇者を追いかけるのは無理がある。
この世界は情報速度が遅すぎるのだ。
ギルドは魔法による通信で適度に連絡を取り合っているが、勇者の位置までピンポイントに把握しているわけではない。大きな魔物の動きといった、ギルド全体で共有するべき情報でもなければ、通信魔道具は使用されないのである。
だからこそ、勇者の情報を手に入れてからその場所へ向かうと、既に勇者は去った後だったという事態になりかねない。
結局、勇者の目撃情報が多い城塞都市で待ち続けるしかないということだ。
(アンチエレメンタルの時みたいに、適当な幻術生物でおびき寄せるか……?)
それもアリといえばアリだが、確実に勇者がやって来るとは限らない。別のSランクオーバーが対処にやって来る可能性も否定できないからだ。
結局、待つ以外に確実な方法などないのである。
(あ、ここのギルドマスターを催眠で操るって方法もあるか)
流石にソレは過激すぎるので、最終手段として考えることにする。
ともかく、クウはそのまま冒険者ギルドへと向かい、入って隣接している酒場の席に腰を下ろした。すると、給仕の一人がやって来る。
それは紫の髪を靡かせたベリアルだった。
「あら、お仕事は終わったのマスター?」
「さっきな。お前もそろそろ切り上げろ」
「ええ、そうね」
クウが資材運びの仕事をしていた一方、ベリアルはギルドの酒場で給仕の仕事をしていた。勿論、金策のためである。
美女のベリアルはかなりの人気であり、意外と給料も多く貰っているようだった。
酒場の奥へと向かったベリアルを待つこと二十分。
動きやすい服装に着替えて戻ってきた。
「お待たせマスター」
「よし、適当な依頼に行くぞ」
スキル異常が聖剣と聖鎧によるものだと分かったところで、クウには別の目的もある。それは魔王オメガたちの居場所を特定することだ。
相変わらず、環境が激変した地区などに関する情報を集めるため、依頼はこなしていた。
二人はギルド受付へと向かい、そこで協力者証明書を見せる。
「拝見しました。ギルドマスターの部屋へ案内します」
協力者への依頼はギルドマスター本人が行うことになっている。
これもいつものことなので、案内されるままに部屋へと向かった。ノックの後に入室すると、そこでは禿げた壮年の男が書類を捌いていた。
「ん? ああ、君たちだったのかね。座って少し待っていたまえ。すぐに終わらせる。それと、君は下がっても構わない」
「分かりましたギルドマスター」
下がれと言われた受付嬢は、一礼して部屋を去って行く。
その間に、クウとベリアルは応接用のソファへと腰を下ろし、ギルドマスターことダレンを待った。ダレンは手掛けていた書類にサインをした後、立ち上がって移動し、クウとベリアルの正面に座る。
そして軽く頭を下げてから話し始めた。
「いや、すまないね。今日も依頼を受けてくれるということで構わないかい?」
「ああ、そうだ」
「丁度、君たちに受けて貰いたい依頼があるんだけど……これを見て欲しい」
ダレンは手を伸ばして一枚の紙を手に取り、それをクウに渡す。
目を通したクウは、少し驚いた。
「大規模遠征……ね。これは今やるべきことなのか?」
書類にかかれていた計画は、人魔境界山脈にある魔族の砦を再び占領するというもの。現在は魔物によって占拠されているので、やることは魔物討伐と変わりない。
しかし、この砦は城塞都市から百キロ以上も離れた場所にあるのだ。スキル異常が起こっている今、わざわざやる意味が分からない。
「そう言われると思っていたよ。勿論、理由はある。まずはそれを聞いて欲しい」
ダレンは真面目な表情で説明を始めるのだった。
 





