EP341 魔神と精霊王
少し時を遡る。
死の瘴気とクウの幻術を合わせた《黒死結界》に囚われた精霊王フローリアはベリアルと対峙していた。概念毒に侵されているフローリアは苦しそうにしている一方、ベリアルは不敵な笑みを浮かべている。
クウは現在、魔神剣ベリアルを腰に下げている状態だ。
つまり、幾らやられても、何度ダメージを受けてクウの霊力で即時再生が可能なのである。
余程特殊な攻撃でも受けない限りは無敵なのだ。仮に相手が超越者だったとしても不安はない。例え勝てなかったとしても、時間経過でフローリアは滅びる。時間稼ぎ程度ならベリアルでも充分だった。
クウの言った経験値稼ぎに最適である。
「苦しそうね精霊王」
「そんなことない」
「強がらなくてもいいわ。私の瘴気が内側から侵食しているのよ?」
本来、大樹が消し飛ばされる程度なら即時再生可能だった。フローリアが大樹を依り代としていると同時に、大樹もフローリアの霊力を受けて強い再生力を有している。大樹ユグドラシルもフローリアの能力の一部なのだ。
しかし、今回のように死の瘴気で大樹側から侵攻されるとフローリアも影響を受ける。
それを防ぐために”根”を伸ばし、各地に毒を逃がすスポットなどの安全装置を置いていたのだが、クウはそれらを全て解析して攻撃を仕掛けた。流石にこれは予想外だったのだろう。表情には出さないが、フローリアは本当に焦っていた。
「生まれよ【世界元素】」
フローリアは権能を発動させて精霊を呼び出す。この結界空間内部でも法則は正常であり、フローリアは普通に法則を精霊化することが出来た。
この《黒死結界》の内部は灰色の空で満たされた無限の荒野であり、どこまで行っても壁がない。クウが「意思干渉」によって内部を弄っているからだ。空間自体が『自分は無限に広い』と錯覚しているので、このような空間が広がっているのである。
破るよりも空間転移で移動した方が簡単に脱出できる。
もちろん、それをさせないためにベリアルがいるのだが。
「空間の精霊!」
「遅いわ」
ベリアルは漆黒の弓で瘴気の矢を撃ちだし、空間の精霊を破壊する。続いて、マシンガンのような連射速度で死の矢を射出し始めた。
「時間の精霊、土の精霊、風の精霊!」
フローリアは矢を防御することの出来る精霊を呼び出し、更に時間の精霊の力で矢の速度を遅くする。回避不能な矢の連撃もこれによって避けることが出来た。
そしてフローリアは反撃として炎の精霊、風の精霊による広範囲爆撃を行う。
精霊という法則そのものが高度な演算を行い、一瞬にして周囲は爆炎に包まれることになった。当然、剣に宿る疑似精霊でしかないベリアルは避けることが出来ない。まともに炎を喰らってしまった。
しかし、すぐに回復する。
「ふふふ。死にかけていても超越者ってことかしら?」
クウから送られてくる霊力が瘴気に変換され、それを使って体を再生させる。ベリアルの体を黒い瘴気が覆いつくし、一瞬で形を成して元の美女へと戻った。
焦げ一つない紫の髪がフワリと揺らぎ、深紅の瞳は余裕に満ちている。
倒すことが困難と悟ったフローリアは更に火力を上げることにした。
「星の力で押しつぶす」
フローリアはそう言って天使翼を出し、空中に飛び上がった。光神シンの天使級であるフローリアは一対二枚の翼を持つ。無数の結晶が織り込まれたような半透明の翼が展開され、その翼には次元の精霊が宿っていた。
宿っている精霊は主に防御を担当する。
つまり、翼を展開している状態ならば防御力が上昇するのだ。
そしてわざわざこの翼を出したのには理由がある。
「出でよ《星の精霊》」
それは星そのものを精霊化したもの。
あらゆる法則を内包した存在だ。
ファルバッサも法則系能力者としてこれに近いことが出来る。あらゆる法則を内包した切り札《神・竜息吹》がそれにあたるのだ。全ての法則を保有していることで、世界そのものをぶつけるという効果を発揮する。直撃すれば情報次元が爆散して消滅するのだ。
それを精霊化したのが《星の精霊》である。
「―――――!」
それは音もなく現れた。
揺らぐオーラのような体を持つ巨人。黄金の炎を思わせるそれは、精霊と言うには異質だった。本来は情報次元のみの存在だが、星の精霊は物理次元で形を保っている。濃密な霊力によって構成されている証だった。
星の精霊は法則全てを内包した、一つの世界だ。
フローリアはこの《星の精霊》を発動している間、他の精霊を新たに創ることが出来なくなるが、そのデメリットを受け入れてもメリットの方が強いのである。
何せ、天使の翼に宿る次元の精霊が防御してくれなければフローリアですらダメージを受けるほどの暴虐を振るうのだから。
揺らぐ巨人は天に向かって腕を伸ばす。
「―――――――っ!!」
何かを呪文詠唱しているかのようだったが、ベリアルには何を言っているのか理解できない。しかし、何が起こるのかはすぐに分かった。
地上に影が差し、天には大岩が現れる。
直径十キロを超える大隕石が降ってきたのだ。
「これは拙いわね」
ベリアルはそう言って弓を構え、高密度に圧縮した死の矢を構える。
隕石を殺す。
そのつもりで矢は真上に放たれた。
黒い閃光となって音速を越えた矢が天へと昇り、大隕石に直撃する。死の瘴気が情報次元を食い破り、大隕石をコンマ数パーセントほど消失させた。
「なるほど」
残留した死の瘴気は徐々に大隕石を殺しているが、地上に落下するまでに殺し切ることは出来ないだろう。質量に任せた力技。しかし実に効果的である。
フローリアも星の精霊に任せて霊力を溜めているようなので、何かされる前に動いた方が良い。
ベリアルはそう判断した。
「貫くように、高密度に……」
死の瘴気を集めていき、限界まで圧縮していく。死の瘴気はベリアルが思うままであり、黒く矢は変わらぬ大きさのまま質量を無限に増やし始めた。
いつもより数秒ほど時間のかかった形成だったが、それでも早い。
ベリアルは矢をつがえて限界まで弓を引く。
「砕きなさい。《ブリューナク》!」
黒き閃光が天に昇った。
それは一瞬にして大隕石を貫き、まだまだ天に昇って消えていく。連射は不可能だが、一撃に特化させることも可能なのだ。
『貫くもの』をイメージしたときに浮かんだ新しい技。クウの思考から影響を受けているので、この名前になったのである。本来は槍なのだが、ベリアルは特に気にしない。技の名前は本人が分かりやすく、技を発動させやすくするために付けるモノなのだから、本人が納得すればそれで良いのだ。
そして貫かれた大隕石は中心部から亀裂が生じ、落下時の風圧によって砕ける。
大小さまざまな大きさな小隕石が無数となって降ってきた。
「この大きさなら大丈夫ね」
そしてベリアルは再び矢を構える。
次に発動するのは必中の一撃。放つのは一矢だが、ベリアルの視界にあるモノを穿つために因果を捻じ曲げて結果を引き寄せる。
「『悪意の底へと封じられし我が力よ
今この時をもって解き放ちましょう
我が手の中に死を
千の敵を殺す力を
謳う唇は死を告げ知らせ
果ての彼方より加護を与える
一矢をもって万軍を討ち果たす
さぁ穿ちなさい!
《アルテミスの矢》』」
枝分かれし、降り注ぐ小隕石を全て喰らい尽そうと死の矢が天を駆ける。地上から天に向かって降る黒い雨となり、全ての隕石は殺された。
無機物すら皆殺しにする。
これが死の瘴気である。
しかし星の精霊もこれでは終わらない。まるでベリアルが大隕石に対処することを想定したかのように、次の術の用意をしていた。
「やって、星の精霊」
「―――――――っ!」
星の精霊が両腕を天に伸ばし、凄まじい気を発する。
すると幻影で出来た荒地に緑が芽吹き始めた。その成長速度は凄まじく、あっという間に大木へと育つ。それは一本や二本ではなく、大地を覆い尽くすほどの、大森林を形成する程の数である。同時に草花や蔦も成長し、それはもはや密林と呼ぶに相応しい景色に変貌していた。
地上を一瞬にして変化させるほどの力。
これが星の化身とも言える精霊の力である。
灰色だった空は晴天に変わり、眩しすぎる日光が降り注ぐ。クウの幻術世界をも法則の力で改変してしまったのだ。元々、因果系は法則系に弱い。クウが適当に作った幻術世界など簡単に塗り変えられてしまうのだ。
「これは……っ!?」
まるで意思でも宿っているかのような木々草花はベリアルを捉えるようにして成長する。枝が伸びてベリアルの体に巻き付き、草が足を固定し、花が咲いて眠りの花粉を撒く。尤も、最後の花粉はベリアルに効かないが、こうして体を拘束されるのは拙い。
見上げると空を隠すように伸びていた木々の葉が除けられ、空から拘束されたベリアルを見下すように星の精霊が存在していた。
揺らぐ黄金の炎がその右腕に集まっていき、一本の槍となる。
法則を内包した神殺しの槍。
どんな盾すらも法則の力でぶち抜く必殺の力。
例えるならばロンギヌスやブリューナクだろう。ベリアルが使った《ブリューナク》と異なり、こちらは本当に槍の形をしている。
「《崩壊を誘う神槍》」
代わりに技名を告げた精霊王フローリアの声がベリアルにも届く。
星の精霊は躊躇なく、黄金の炎で出来た槍をベリアルに向かって放ったのだった。
それは音速を越え、法則に従って光速に至る。質量がエネルギーへと変換され、原子結合は分解されて全てがエネルギーへと還元される。
直撃した対象をエネルギーへと変換。
そのエネルギーを利用して周囲の物質を崩壊。
その質量から再びエネルギーを生成し、またそのエネルギーが周囲の物質を崩壊させる。この無限ループによって星すらも消滅させる一撃必殺。超越者も防御しなければ肉体が分子レベルでバラバラになることだろう。
死の瘴気で身体が出来ているベリアルも例外ではない。
流石に無限と定義されている幻術空間を潰すことは出来なかったようだが、目に見える範囲は地の底にまで大穴が空き、虚無の空間が生まれた。これが有限として幻術空間を設定されていたとしたら、空間を司る法則によって《黒死結界》ごと消滅していたことだろう。
そして、何もなくなった世界でフローリアと星の精霊だけが宙に浮かぶ。
「これで邪魔者はいなくなった。星の精霊、空間転移の準備をして」
「―――――っ!」
《黒死結界》の内部は『荒野』と設定されているので、こうして崩壊が起こると自動で修復される。崩れたパズルが組み合わされるように世界が修復され始め、徐々に色が戻り始めた。
その中で星の精霊は右手の上に空間の歪みを作り出す。
これを潜れば結界の外に出ることが可能となるゲートだ。
しかしそのゲートは黒き雨によって右手ごと殺された。
「逃さないわ」
灰色に戻り始めた空に浮かぶのは消し飛ばしたはずのベリアル。
紫のドレス、腰まである紫の長髪、深紅の瞳……間違いようもない死を司る疑似精霊だった。漆黒の弓を構えた彼女は優雅に話し始める。
「驚いたわ……でも、私には効かない。私の本体はマスターが所持しているもの。本当の意味で私を殺したいなら、本体の方を攻撃しないと意味がないわ? 尤も、私の本体は不壊だけどね」
消滅した瞬間、クウから送られてくる霊力を全て瘴気に変換して新しい体を構築したのだ。ベリアルの本体はあくまでも魔神剣ベリアルの方であり、この姿は剣の能力によるものでしかない。消えてしまったなら、再構築すれば良いだけなのだ。
死の瘴気が大樹ユグドラシルを……そして精霊王フローリアを殺すまであと十五分。
クウがなぜ勇者たちに曖昧な情報しか渡さないのか? という質問を幾つか受けましたので、後書き欄を借りてお答えします。
勇者と言えど、セイジたちが一般人だからです。超越者という存在は、本来知られるべきではないので、かなりボカシながら説明しています。それと同じく、裏世界やその他の重要案件も基本的には秘匿、伝わるとしても神話レベルの噂話に留めるのが通常というわけです。
まだ本編では伝えきれていませんが、神格というのは神秘だからこそ、より大きな力を得ます。秘匿される部分があるからこそ人は畏れ、もしくは信仰を抱き、それが神格の力となるのです。勿論、超越神である六神は自己の力だけでも充分ですが、追加で信仰という力を得ることは神にとって重要です。それは名誉であると同時に食事のような娯楽でもあるからです。
だからこそ、神は神秘と神話を作ります。
天使であるクウはその手伝いと調整をするのが役割なので、その辺りはしっかり仕事しているというわけです。可能な限りは正確な情報を伝えていますけど。
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