EP33 伯爵家と護衛依頼⑤
36階層をなんとか突破してエントランスに帰還したクウは周囲から視線を感じて警戒する。生死の境を何度も潜り抜けてきたクウはそういったものに敏感になっていた。
(……? 敵意じゃないな。どちらかと言えば興味を持っている視線だな)
クウが36階層までたどり着いたことを知る者はいないが、少なくとも30階層のボスを倒していることは既に有名になっていた。クウはこの世界では珍しい黒髪と黒目を同時に有している。その容姿からどうしてもクウ本人だと特定されてしまうのだった。
エントランスに集まる冒険者や観光目的で虚空迷宮に訪れている者たちがクウに視線を注ぐ中、その中の一人の男がクウへと近づいてきた。もちろんクウもそれに気づいたが、何か危害を加える、といった雰囲気ではないためその場に留まる。
「迷宮攻略お疲れ様です。クウ・アカツキ様ですか?」
その男は腰に1本の剣を差した冒険者風の姿で、口調は柔らかく、身のこなしから実力者であることが理解できる。敵意は感じられないものの、滲み出るその風格から一瞬だけ樹刀の鞘を持つ左手に力を込める。
「そう固くならないでください。あなたに何かするつもりはありませんよ」
「まぁ、パッと見るとそう感じるな」
「そうですね。こう言えば分かるでしょうか? 僕はラグエーテル伯爵家に仕官している冒険者です」
「そういうことか」
クウは先ほどまでフィリアリア伯爵令嬢の護衛依頼を受けていた身だ。フィリアリアの事情も知っているため、ラグエーテル伯爵の方から接触があるとは予想していた。何か接触があったとしても、クウ自身は冒険者ギルドの正式な依頼を受けてフィリアリアを助けたのだから臆する必要はないと考えていたため、余裕の表情でその男と向かい合った。
「単刀直入に言いましょう。ラグエーテル伯爵がクウ様を呼んでおられます」
「やっぱりか。理由は?」
「分かっているでしょう? あなたの異常な迷宮攻略速度についてですよ」
「………ああ、そっちか」
「そっち?」
「いや、何でもない」
てっきりフィリアリアの件かと思っていたため、クウも少し拍子抜けする。
どちらにせよ、これだけ目立った攻略をしているのだから、いずれはこうなる可能性があるとは考えていたためそれほど驚くことはなかった。
「それで、ご同行願えますか?」
「そうだな……」
これからギルドで今日の獲物を精算したり、マウリの武器屋に行って新しいナイフを買うつもりだったので、出来ることなら遠慮したいというのが正直な思いだった。だが、身分社会において貴族からの誘いを断るというのは面倒の元になりかねないことはクウも分かっている。かつてステラに言ったように、嘘をつかない範囲で適当な言葉を並べて断ることもできるが、あの時と違って今回はこちらの方が立場が低い。下手なことをしてこの街に居られなくなる状況は拙いのだ。
(どうせアイテム袋の中は時間が止まっているし、ナイフも明日買えばいいか)
そう考えてクウは結論を下す。
「分かった。同行しよう」
「よかった。我が強い方だと聞いていたので、断られたらどうしようかと思いましたよ」
「俺だって配慮ぐらいはできる」
「それができる冒険者は少ないんですよ」
そうなのか? と首を傾げるクウだが、冒険者は基本的に自分勝手だ。現代日本のように学がある者ばかりではないので、自分が信じるものこそが真実になる。貴族は平民から金を毟り取って贅沢する奴らだという認識しかない冒険者もいるのだ。
「まぁ、素直について来てくださるのでしたら問題ないですね。すぐに伯爵の邸宅へ向かいますので付いて来てください」
「わかった」
男はクウの反応に安心して胸を撫で下ろし、虚空迷宮の出口へと向かう。クウもその後に追従するように足を進めていった。
「そう言えばまだ名乗っていませんでしたね。僕はAランク冒険者のマルクといいます。ラグエーテル伯爵の命令で迷宮を調査したり、クウ様のような期待できる冒険者に接触して関係を持つためのお手伝いをしています」
「知っていると思うが、俺はクウだ。この前Aランクになった」
【ヘルシア】の中心部にある迷宮から北西部へと向かう2人。この街の政治的中枢が集まっているこの区画には一般民はほとんど見かけることがなく、屋台や露店も全く見かけない。たまにすれ違う騎士たちは冒険者の姿のクウを見て不審に思い、隣を歩くマルクを見て納得の表情を浮かべた。
「マルクは騎士団にも顔が知られているんだな」
「ええ、訓練で手合わせすることもありますから」
マルクはそう言って苦笑する。
確かにAランク冒険者に手合わせしてもらうというのは騎士にとってもためになる。一般的な騎士の強さは冒険者でいうところのDランク~Cランク程度になる。格上と手合わせする機会があるのは騎士としても恵まれているだろう。
「いざ戦争や魔物暴走が起こったときは騎士団が活躍することになりますからね。戦力維持のためにも冒険者が訓練相手として雇われることもありますよ。ギルドの掲示板にもAランク依頼として出されていることがあるので機会があれば受けてみるといかがですか?」
「そうなのか? 俺は基本的に迷宮で十分儲けられるから別にいいかな」
「まぁ、そうですよね……っと、見えてきましたよ。あれがこの【ヘルシア】を治める王国貴族、ラグエーテル伯爵の自慢の邸宅です」
「へぇ……」
そう言ってマルクが指さす先に見えるのは、巨大な邸宅とそれを囲う高さ3mはある柵だ。チラリと見える前庭は自然があふれる目に優しい外観で、いかにも中世ヨーロッパに在りそうな貴族屋敷という印象をクウに与えた。
「見る分には保養になるが、住む気にはなれないな……」
「あははは。僕もそう思いますよ。庶民には大きすぎますね」
クウの見たことのある邸宅と言えば、日本の皇居ぐらいなものだ。半分は公園のようなものなので、邸宅と言ってもいいのかは分からないが、あそこに住みたいとは思わない。
柵の外側から見える庭を鑑賞しながらしばらく進んでいくと、入り口らしき門が見えてきた。その門の両側には騎士の姿をして槍を手に持った門番が立っており、近づいていくクウとマルクの姿を見つけて視線を投げかけていた。もちろんクウには不審の目を、マルクには安堵の目を、である。
「マルク殿、これから屋敷の中に?」
「はい、僕の隣にいる方は伯爵様の客人になります。通してくださいますか?」
「私共は聞いていませんが……? お前は?」
「いや、私も聞いていない」
マルクは門番に顔が知られているようだが、クウのことを知っているはずがない。冒険者の中ではクウの容姿と実績が有名になっていたのだが、騎士団の中にはその噂を知る者はほとんどいなかった。
「そうですか。では執事長のヴェンスさんに『例の冒険者を連れてきた』とお伝えください。そう言えば通じるはずです」
「わかった。私が行って来よう」
そう言って右側に立っていた騎士が門の内側へと入って屋敷の中に消えていった。
屋敷の前で待つことになったクウにマルクは申し訳なさそうに謝罪する。
「すみません。どうやら話が通ってなかったようです」
「別にいいよ。そこまで狭量じゃない」
残されたもう一人の門番はマルクがクウに対して予想外に腰を低く対応していることに驚いていた。クウの容姿は13歳か14歳程度にしか見えず、身に着けている装備品も高級な物には見えない。動きやすさを重視したレザーアーマーに薄手のロングコートを羽織ったそのスタイルはEランク程度の冒険者によくある姿なのだ。高ランクの冒険者ともなれば、強力な魔物を相手にすることが多くなるため、丈夫な金属装甲を纏っていることが多いのである。
残された方の門番の男がクウの正体について悶々としていると、報告に行ったもう一人の騎士が走って戻ってきた。
「執事長に聞いてきた。すぐに門を通せとの指示だ。あと連絡不足を謝っておられたよ」
「よかった。ではクウ様、行きましょう」
「ああ」
2人の騎士は門の両側を開けてクウとマルクを通す。マルクに付いてクウも中に入ったのを見計らって、同時に門を閉じて再び警備を再開した。
クウの正体に頭を悩ませながら……
屋敷の入口へと歩みを進めるクウは、庭の景観に改めて感心していた。シンメトリーを意識した木々や花々の配置はゴチャゴチャとしない範囲で客人の目を楽しませ、屋敷の内装の前菜とも呼ぶべき効果をもたらしている。前菜とはメインディッシュを最大限まで引き立てるために、食欲を引き上げる存在。まさにこの庭は屋敷内への期待を高めつつも、訪れる者の目を疲れさせない配慮がなされていた。
「これは一般開放して金取れば儲かりそうだな」
「さすがにそれは無理でしょうね。貴族の屋敷に無暗に庶民が入るとなれば品位を落とすことになりますからね。ラグエーテル伯爵はそんなことを気にする方ではありませんが、他の貴族に対する面子というのもありますので」
「いや、それぐらい素晴らしい庭だという例えだよ。真に受けんな」
根が真面目なのか、クウの冗談にまともな返答をするマルク。そんな彼にジト目を向けつつも、ふと視線を前に戻すと陽光に煌めく噴水の前に、一人の黒服が佇んでいた。クウが目を向けたのが分かったのか、黒服は一礼して2人に近づき、口を開く。
「始めまして、Aランク冒険者のクウ・アカツキ様でございますね? 私はこのラグエーテル家に長年仕えております、執事長のヴェンスと申します。先ほどは私の不手際でクウ様を門の外で待たせることになってしまい、誠に申し訳ありませんでした」
非常に丁寧な口調で謝罪し、腰を曲げるヴェンスに思わずクウも度肝を抜かれた。もう少し雑な扱いを予想していただけに、自分がかなり重要な客人として扱われていることを今更実感する。
「ここからは僭越ながら私が案内させていただきます。マルクもご苦労様でした」
「いえいえ、では僕はここで。クウ様もまた機会があれば会いましょう」
「あ、ああ」
クウの案内はここでバトンタッチするらしく、役目を終えたマルクはそそくさと門の方へと歩いて行った。まさかマルクとここで別れることになるとは思わなかったクウは一瞬だけ動揺する。
「ではクウ様、これから応接間に案内したします。少しそこで待っていただくことになりますがご容赦くださいませ」
「いや、構わない。伯爵という身分も暇ではないだろうしな」
「ご配慮感謝します」
そう言って屋敷内部へと案内を始めるヴェンスにクウも付いて行った。
2mはありそうな木製の扉を抜けた先にはエントランスとも言うべき広い空間が広がっており、壁には高そうな、いや、実際に高価な絵画が飾られていた。床に敷き詰められている絨毯は、歩くたびにその足を押し返すほどにフカフカで、少なくとも庶民が手を出せるような代物ではないと分かる。
そうは言ってもクウはこれ以上の物を王城で見て、体感している。今更ながら伯爵の邸宅程度で驚くようなものはなかった。
ヴェンスに案内されて通された部屋に入ると、そこは見ただけで高価と分かる調度品の数々で飾り立てられた空間になっていた。向かい合うように配置されたソファと、その間にある四角い机はヘルシアの冒険者ギルドで見たものよりも明らかに数段は高級品だ。天井からは目を疲れさせない程度の柔らかな光が降り注ぎ、絵画や壺などの芸術品が悪趣味でない程度に飾られている。
ヴェンスはクウをソファに座らせて、紅茶と茶菓子を用意し、クウの前に置いた。
「この茶葉はヘルシアで栽培されている名産品でございます。寒暖差が大きなこの地域でのみ栽培が可能な特産品ですので、主人がいらっしゃるまでのしばらくの間、どうぞお楽しみください」
「ああ」
そう言って一口だけ紅茶を含むクウを見届けたヴェンスは、主人であるラグエーテル伯爵を呼びに応接室を後にした。