EP264 クウの過去 前編
クウが両親を失ったのは九歳の時である。刑務所から脱獄した囚人が、資金確保のために適当に選んで侵入した家がクウの家だった。つまりは、運が悪かったということである。
血だらけになって惨殺されていた両親の姿はある意味トラウマになったと言えるかもしれない。だが、それはクウにとっては心に傷になることなく、耐性として刻まれることになった。
強い精神的ショックから防御するために、クウは自然と精神を改変する。
それが心の盾。
何者も、自分の心の内側に入らせない外殻だ。表面的な付き合いの相手ならば、失ったときのダメージも少なくなる。そんな考えである。
更に全ての思い出と感情をデータ化することで、物語の登場人物を見ているような、第三者的視点を獲得したのだった。
強い精神的ショックからの防御方法として、クウが選んだのは心の殻だったのである。これはある意味で記憶消去よりも厄介だと言えた。
「くーちゃん! お見舞いに来たよー!」
残酷な現実を目にして気を失ったクウを病室に運ばれていた。そこへ一番にお見舞いとしてやってきたのは幼馴染だった朱月優奈だった。
正確には取り調べの刑事が一番だったのだが、それは例外だろう。彼らは仕事としてやってきただけだったのだから、クウ自身としてもお見舞いされたという考えは無かった。
そういう意味では一番に来たのが親族ではなく幼馴染というのも、クウとユナの関係性を強く示していたと言えるだろう。近くに親族がいなかったとは言え、お隣さんがお見舞いに来てくれるというのは貴重な関係性のはずだ。
しかし当時のクウは、あらゆる対象を心殻の外へと追い出していた。
「帰れ」
「酷い!?」
当時のユナの反応も当然である。
先日までは仲睦まじい関係だった隣の家の男の子が見せた対応は、付き添っていた看護師からしても看過できるものではない。例え、事件の事情を知らされている看護師だったとしてもだ。
「空君。お見舞いに来てくれたんだから、そんなこと言っちゃダメよ?」
「そうだよ! くーちゃん酷いよ!」
「はいはい。そうですね。じゃあ帰れ」
「やだ」
「それなら俺が帰る。看護師さんお世話になりま――」
「――残念ながら退院は明後日よ」
とても見舞いに来てもらった側の態度とは思えない。それが当時のクウだったのだ。付き添っていた看護師も呆れ顔だったのだが、事情が事情だけに強くは言わなかった。
ショックを受けた子供の強がりだと思ったのだろう。
「じゃあ私は帰るね。明日も来るから」
「二度と来なくていい」
「くーちゃんバイバイ。また明日ー!」
拒絶するクウに対してユナは気にすることなく接する。
結局、翌日もユナは病室を訪れた。
その日はユナの両親も伴って病室にやってきたのだ。ちなみに前の日もユナと共に来ていたのだが、かけるべき言葉が見つからず、病室に入らなかったのである。
「くーちゃん今日も来たよ!」
ユナはポニーテールにしている黒髪を振りながら病室に入る。病院では静かにするべきであるため、ユナの両親はヤレヤレといった顔をしながら同じく病室に入った。
本来はノックもするべきだが、ユナがガラリと開けて入ってしまったのだから今更である。
するとそこには、ベッドで体を起こしているクウの他に、スーツを着た男女が二人いたのだった。
ユナとその両親を見た二人は少し顔を曇らせて口を開く。
「申し訳ありません。私たちは役所の者なのですが、あなた方は?」
「すみませんね。彼の今後について説明をしているところですので、少し席を外していただけませんか?」
二人は役所の福祉課に努める公務員であり、孤児となったクウのこれからについて説明をしていたところだった。親類関係が全滅と分かり、今は養護施設についての話をしていたのである。
なので、部外者となるユナ達に退出を願うのは当然だった。
「優奈。ノックもせずに入るのはダメよ。すみませんねウチの子が」
「いえいえ」
ユナの母親は物腰の柔らかい口調で謝罪し、ユナの手を取って病室から連れ出す。流石のユナも悪いことをしたと思ったのが、大人しく出ていったのだった。
三人は病室の外で待ち、役所から来たという男女が出てくるのを待つ。終始ソワソワと落ち着きがないユナを大人しくさせるのは大変だったが、ユナがクウを気にかけているということでもあるため、親二人は微笑ましく思うだけだった。
そして三十分後、ガラガラと病室の扉が開いて役所から来たという男女が出て来た。ユナはすかさず病室へと駆け込んでいき、父親は呆れたように溜息を吐きながら同じく入室する。
ユナの母親だけは一礼して二人に話しかけたのだった。
「先程は申し訳ありません」
「いえ、あなたは? ご親族ではありませんよね?」
「はい。彼の隣に住んでいます。朱月です」
「ああ、あの有名な」
ユナの父親は人間国宝として指定されている武術家であり、伝統的な朱月流抜刀術の継承者である。過去には殺人剣として名を馳せていたのだが、現代では舞としての側面が強く、伝統芸能の一種と認められているのだ。
もちろん継承者であるユナの父親は殺人剣としての技も修めているが、門下生へと教えるのは基本的に舞としての朱月流抜刀術である。
役所勤めの二人も、地域で伝統芸能を継承している朱月家のことは知っている。福祉関連で施設に舞の披露をお願いしたこともあり、二人の課長から話を聞いたこともあったからだ。
「いつもお世話になっております」
「いえいえ。こちらこそ、老後施設などで舞を披露して下り感謝しています。今後ともよろしくお願いします」
どうやら二人の内、男の方が上司に当たるらしく、男が代表して受け答えをする。ユナの母親も縁のある部署の人たちだったと知り、少しだけ表情を緩ませて言葉を続けた。
「空君がどうなるか、聞いても宜しいですか? 彼も門下生の一人なので」
「そうでしたか。確かに、無関係ではありません。詳しくは本人の許可が無いと話せませんが、簡単なことは教えましょう」
「ありがとうございます」
「いえいえ。では結論から申しますと、やはり施設に入所することになるかと……こちらでも調べたのですが、彼の親族は唯一、ドイツに住んでいるようなのです。国籍は日本のままですので、戸籍上の問題はありません。ですが、実質的な話となると……」
「そうですか。それで施設に?」
「こればかりは仕方ありません。可哀想なのは分かっていますが」
クウはまだ小学生であり、自立する能力など皆無だ。そして引き取り手となるべき親族は海外に住んでいるため、戸籍はどうにかなったとしても、実際問題は解決しない。
役所の者も人であり、幼い子供が孤独となるのは嫌な気分だ。しかし、自分に出来ることなど有るはずもないため、こうして機械的にものごとを処理するだけに終わってしまう。
ユナの母親もそれは理解しており、微妙な表情をしつつも彼を責めることは無い。
全ては仕方のないことなのだから。
そのとき、開けっ放しだった病室の中からユナの声が響く。
「一緒に暮らそう!」
娘の声を聴き、母は表情を変える。そして次に瞬間には『その手があったか』という顔になり、役所の男の方へと目を向けた。
男もユナの母親が表情を明るくしたことに気付いており、何を言われるのかを予想する。
そしてそれは男の予想した通りの言葉だった。
「彼を養子として迎えることは出来ますよね?」
流石に男はその場で頷くことが出来なかった。
◆ ◆ ◆
一週間後、結局クウは朱月家へと迎えられた。誕生日の関係からユナの弟として戸籍登録され、正式に朱月空として養子になったのである。
一応は養護施設に入れられた後、養子にとして引き取られたということになっている。だが、以前から家族ぐるみでの付き合いがあったという事実と、朱月家の伝統技が地域活性化にも役立てられているというコネから、普通よりもあっさりと養子が認められることになった。
「これでくーちゃんと一緒に住めるね!」
と言って嬉しそうにする娘のために、普段は厳しい父親が色々頑張ったということもある。さらにクウのことも幼い時より技を教えて来た門下生の一人であり、ユナとは幼馴染の関係だ。引き離すことになるくらいなら、家族として迎え入れる。このことに抵抗など有るはずもない。
「今日からくーちゃんは私の弟だよ!」
「別に」
「後で部屋に行ってもいい?」
「やだ」
しかしこのやり取りを見て、ユナの父は溜息を吐く。
今までなら仲睦まじげにしていたクウとユナだったが、クウの方から拒絶の意思が見えるのだ。こうして養子にしたこと自体、クウはそれほど乗り気でなかったようにも見えた。
どちらかと言えば、お世話になったお隣さんが好意を見せてくれるため、遠慮することも憚られ、仕方なく養子という立場を受け入れた、という風に見えたのだ。
(やはり立ち直れないか)
ユナの両親は素っ気ない態度のクウを見てヤレヤレといった様子を見せる。そんなことに気付かないユナはクウに話しかけ続けるのだが、クウの態度が変わることは無かった。
◆ ◆ ◆
それから、クウは学校にも行かずに部屋に閉じこもる日々が続いた。食事もユナが部屋に運ぶようになり、流石にユナの両親も心配し始める。
ユナの父は、試しに修練をしないかと誘った。
ユナの母は、気分転換に出かけないかと誘った。
しかしクウは壁を作っているかのようにして断り続けた。二人の知る以前のクウは素直な性格であり、誘えば断ることなく付いていく子。その性格のせいか、共に居たユナは遠慮のない性格に育ってしまったという面があるほどだ。
だが今のクウはまるで違う。
「別に」
何を言ってもその一言で会話を終わらせるため、話しかけた側も戸惑ってしまう。見たこともない他人へと話しかけたときのような反応を返されたのだから当然かもしれないが。
当時のクウは一度全ての関係をリセットしている。
これは精神的ショックから立ち直るための措置であり、誰が悪いということでもなかった。ただ、時間と根気が必要だったのである。
「ねー、くーちゃん?」
「うるせぇ」
「くーちゃーん?」
「どっか行けよ」
「ねーねー」
「邪魔」
ユナもクウの変化はよく理解していたが、それでも彼女だけは根気よく、毎日話しかけた。
失ったときに悲しくないように。
そんな思いで距離を作っていたクウは拒絶し続ける。流石に何週間もこれが続くと鬱陶しくなってきたのか、クウのあしらいかたも雑になり始めた。
ユナは微妙に変化していくクウの反応を楽しんでいた。
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