EP262 黒い理不尽 前編
「……これで最後か」
クウは魔物の体内を座標指定した即死魔法で戦闘を終了させた。およそ五分ほどのことだったが、何度か意思次元プロテクトを破壊したことで、予想は確信へと変わっていく。今では、ほぼ間違いなく仮説通りだと考えていた。
「思ったより時間を喰わされたな。まぁ十五分くらいだし、あいつらも大丈夫だろ」
クウは最後のアークの死体を虚空リングへと収納しつつ、そう呟いた。これで虚空リングの中にはアークの死体が四体収納されていることになるのだが、接触禁忌種の魔物が四体もいれば、普通国は滅びる。
普通に海賊を相手にするよりも遥かに重労働と言えることを軽々とこなしている時点で、クウが人外であることを知らしめているだろう。
「さてと、戻るか」
クウは知覚領域を全開にする。霧に包まれている上に、戦闘を行った後なのだ。方向感覚が狂わされているため、リンフェル号がどの方向にあるのか調べなくてはならないのである。《真理の瞳》で情報次元を知覚し、半径十キロに及ぶ完全把握を発動させた。
その瞬間、クウはあることに気付く。
「リンフェル号の側にデカい船? あんなのあったか?」
周囲には元商船の幽霊船が幾らか漂っているが、それとは別に巨大すぎる船が一隻。しかし、その船からは異様なほどの瘴気が感じられた。まるで幽霊船の本体であるかのような……
「っ! なんでリアの気配が!?」
詳しく解析して気付く。
その巨大船には間違うはずもないリアの気配があるのだ。一瞬、自分の感知ミスかとも考えたが、《真理の瞳》で情報次元を観測している以上、それは有り得ないことだ。つまり、間違いなく怪しい巨大船にはリアが乗っているということになる。
(ミレイナとレーヴォルフの気配は感じ取れない……ということは、単身で乗り込んでいるということは無いはずだ。つまり連れ去られたか)
クウは舌打ちして急加速する。
超越者としての性質をフル活用し、通常では肉体が崩壊するような速度で飛翔し始めた。具体的に言えば音速の数倍であり、衝撃波で海を割る速度である。
アークを召喚してきた時点で予想はしていたが、海賊はミレイナとレーヴォルフを出し抜いてリアを連れ去ることが出来るほどの実力者らしい。情報次元を詳しく解析すれば、この距離でも海賊たちのステータスは判明するだろう。だがそれはクウでも時間のかかる行為であり、それならば飛翔で近づいてからの「魔眼」を使った直接看破の方が早いと判断したのだ。
(間に合えよ!)
銀閃が霧を切り裂き、空を駆ける。
今のクウにとってリアの大事は何よりも優先するべきことだ。そのためならば、天使として手にした力を振るうことも厭わない。
哀れな不死の海賊は、この世で最も敵に回してはならない者の一人に火をつけた。
◆ ◆ ◆
一方、仕事を終えた不死の海賊オリオンは上機嫌だった。
彼は海賊であり、奪うことを是とする。そうして手に入れた財宝は何にも優るものだ。奪って手に入れたものは自分に愉悦を与えてくれる。そして強奪の際のスリルも代えがたい時間だ。
だが、それは自分の命があってのこと。
オリオンは魔王に殺され、復活してからそれを強く考えるようになった。
召喚魔物を囮として利用し、自分が敵わない可能性のある対象とは相対しない。もしも出会ってしまえば逃げることすら許されずに死んでしまうだろう。これも魔王に殺されて学んだことだった。
危険と見なしたクウを引き離し、その僅かな時間で宝を奪う。
目論見は大成功だったわけである。
「何よりも成功だったのはこの女だなァ! ゲハハハハハッ!」
自らの船、スケルディア号へと帰還したオリオンは笑う。彼の左腕には白いローブ姿の少女が抱えられており、少女は酷く気を落として俯いていた。
リアは結局、オリオンの提案を承諾するしかなかったのだ。
倒れているミレイナとレーヴォルフを救うためにも、護衛しているリンフェル号とその船員を救うためにも、優しいリアは自分を犠牲にすることを選んだのである。
(兄様……)
頭に浮かぶのは一人の少年。
リアがこの世で最も頼りにしている血のつながらない兄だ。
オリオンに連れ去れるとき、助けてくれるのではないかと期待したのは間違いない。だがリアの感知ではクウを見つけることは出来ず、希望は希望のままで終わってしまった。
それも当然である。
可愛い妹から希望を向けられていた本人は五キロほど後方で能力実験をしていたのだから。
「おいテメェら。さっさと引き上げるぞ。あの化け物がアークを一体消した。ヤベェ奴だと思ってたが、想像以上にイカれてやがるぞ。召喚したアークを瞬殺だ。残りもすぐに消されるだろうなァ」
「なんだそりゃ? 遂に船長は頭がおかしくなったのか。それは残念だ」
「ケンカ売ってんのか副船長!?」
『ハハハハハッ!』
「テメェらも笑ってんじゃねぇ!」
海賊船スケルディア号では船長オリオンと副船長ゲイルのやり取りが頻繁に行われている。これも殺伐とした海賊たちにとっては潤いになっていた。
「ったくよ。折角お気に入りの女を手に入れたんだ。少しは祝いやがれ」
「地獄に落ちろ船長」
「やっぱりケンカ売ってるだろゲイル!」
「俺は下品なのが嫌いだ。例えばお前のような」
「テメェ表に出やがれ!」
「海賊船の表とはどこのことなんだ船長?」
「コ、コイツ……」
ゲイルはオリオンに対して随分と容赦のない言葉を吐くが、これはオリオンも認めていることだ。スケルディア号の副船長であり、オリオンの友人という側面も持つゲイルだけが出来ることである。
そんなやりとりをオリオンに抱き寄せられながら聞いていたリアは意気消沈の一途を辿る。
(私はどうなるのでしょう? このまま連れ去られるのでしょうか?)
リアは何も知らない箱入りではない。
貴族として教育はされているし、冒険者としての経験もある。
このままオリオンに連れ去れれば、自分がどうなるのかは理解できていた。良くて愛玩用のペット、最悪は性奴隷のように扱われることだろう。
身代わりとして連れ去られた時は必死だったが、冷静になって考えてみると怖くなる。今自分の体に触れているオリオンの左腕に悪寒を覚えつつ、リアは震えることしか出来なかった。
(せめて魔法が使えれば……)
今のリアは魔力を乱す魔道具によって魔法が使えなくなっている。魔力の制御能力が高ければ問題ないのだが、今のリアはLv4相当の能力しかない。これでは魔道具のジャミングに打ち勝って魔法を放つことはできないだろう。
魔法が使えたとしても、不死の海賊相手では一矢報いるだけで精一杯だろうが……
(……こんな者たちに好きにされるくらいなら、舌を噛み切って死にましょうか)
海賊たちがリンフェル号から離れた瞬間に自殺。これで自分の尊厳は守られることだろう。これも貴族時代に教わったことであり、暴漢に襲われた時は、自死を以て誇りを守るという手段だ。ハッキリ言って最終手段だが、リアは首を小さく振って断念する。
(下手をすればアンデッド化しますね。見た目は普通ですが、海賊たちはアンデッドなのでした。私の死体に怨念が当てられ、魔物となってしまっては本末転倒です)
リアの使った《救恤》を受けても死ななかったアンデッドだ。余程の怨念を持っているに違いないとリアは予想する。その割には人間臭い一面を見せているが、これらの行為が海賊たちのアンデッドとしての格を示していた。
高位な存在ほど、生前の記憶を引き出せるというのがアンデットの通説なのである。
例えば有名なリッチは生前が高位の魔導士だったと言われている。
逃げることも死ぬことも選択肢としては存在せず、まさに詰みだった。
そんな中、オリオンは急に真面目な顔に戻って口を開く。
「俺のアークを殺した奴が戻ってくれば拙いのは確かだ。そろそろ潜るぞ。用意しろ」
『おう、船長!』
オリオンの言った通り、あまりふざけている余裕は無い。不死者となってもアレは拙いと判断した相手が向かって来くるはずなのだ。《水魔法》で霧を発生させているオリオンは、霧を使うことで、警戒対象が五キロ離れた場所で停滞しているのを感知する。
まだ距離があるので、すぐに海中航行へと移行すれば隠れることが出来るだろう。深海まで潜れば追うことは出来なくなるはずだと判断した。
「ほら急げよテメェら!」
オリオンの言葉で海賊たちは一斉に動き出す。とてもアンデッドとは思えない精彩のある動きであり、少し目が虚ろなことと、口調が平坦なことを除けば生きている人と大差がない。
海賊船スケルディア号はすぐに発信準備を整え、周囲にドーム状の防水壁を展開した。このまま潜っていけば、すぐに逃げることが出来るだろう。
オリオンは今日も略奪に成功したことを確信し、戦利品であるリアをさらに強く抱き寄せた。
リアも僅かな抵抗とばかりに離れようとするが、力の差で負けてしまう。リアは魔法タイプの少女ではあるが、高レベル能力者なのだ。ステータス上で計算すれば、パンチで木を殴り倒せる程度の力を備えていることになる。それを簡単に抑えているオリオンは相当なステータス値を持っているということだろう。
ミレイナとレーヴォルフを圧倒していたことから、オリオンだけでなく海賊全体が恐ろしいまでのステータス値を有しているということになるのだが。
「あと十秒で潜水は完了します船長!」
「よぉし! いいぞォ! 警戒対象はまだ動いてねェ!」
海賊の下っ端が叫ぶ。
それは残り十秒で逃げ切れるということであり、リアからすれば絶望のカウントダウン。五キロ先にいるらしいクウは、果たして十秒でやって来れるのだろうか? リアはそんなことを考えて首を振る。
如何にクウでも、五キロを十秒で移動するのは不可能だろうと思ったのだ。
(クウ兄様……最後にお会いしたかったです)
心の中でお別れとも言える言葉を吐き出すリア。
しかし彼女は色々と勘違いをしていた。
まず、クウは超越者なのだ。さらに情報次元を直接見るという反則のような技を習得しているため、時間を掛ければ、大海原の海底から海賊船を見つけることは不可能ではない。
そして超越者とは限界を超えた者。
この世界が生命に課している制限を突破し、純然たる魂の力を引き出した者だ。
五キロという距離を十秒以内に移動するのは容易い。これはリアが超越者についてイマイチ理解していないからこその勘違いだ。リアは砂漠で起こった超越者の戦いを見ていないからである。クウから話は聞いているが、現実離れしすぎて実感が沸かないのだ。
更にもう一つの勘違い、というよりは想定外。
それはクウがリアの想像以上に彼女を(妹として)愛しているということだった。
――ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!
唐突に発生した激しい揺れと共にスケルディア号の沈降が停止する。ミシミシと怪しい音がして船の一部に亀裂が走り、海賊たちは殆どが転がされた。
オリオンは少しよろめく程度だったのでリアもこけずに済んだのだが、スケルディア号の中は喧騒に包まれる。嵐でも来ない限りは、いや寧ろ嵐が来たとしても有り得ない激しい揺れだったのだ。騒ぎにならない方がおかしい。
「落ち着けテメェら!」
オリオンは声を張り上げて海賊たちを制する。先程までのふざけ合っている顔ではなく、船長としての真面目な表情。そこから放たれる命令は凛として船を通り抜け、部下である海賊たちはすぐに落ち着きを取り戻した。
流石は大海賊と呼ばれた男と称賛するべきところだろう。
だが再び巻き起こった破壊音にオリオンは目を奪われる。
ドゴンッ!
甲板の一部が上空へと吹き飛び、不運にも巻き込まれた海賊の一人が情けない声を上げる。「へぶっ!?」などと叫びながら顔面着地を決めていたが、オリオンにはそれを笑う余裕が無かった。
スケルディア号の甲板が吹き飛ばされて出来た大穴。
所詮は木製だが、それを吹き飛ばすともなればコメディを見せてくれた部下に目を向ける余裕があるはずもないだろう。
「なんだってんだァ……?」
オリオンは左腕でリアを強く引き寄せ、右手に魔剣ヴァジュラを持つ。さらに魔力を練り上げて戦闘準備を整えた。
そうして甲板の大穴を凝視ていると、ゆっくり浮上してきた存在を確認する。
黒髪黒目で黒コートという黒一色な見た目であり、背中には白銀に輝く三対六枚の翼。そして翼よりもさらに目を引くのが、黄金の六芒星を見せる両目の紋章だった。
圧倒的な畏怖。
それがオリオンを含めた海賊たちの感想である。それと同時にオリオンは悟った。
(今の揺れはコイツがぶつかってきたからだなァ!)
姿を見せた黒き少年。
虚空を冠する天使クウ・アカツキは殺気の籠った視線を向けつつ、オリオンに向かって口を開いた。
「――この世の理不尽を見せてやる」
囚われの乙女であるリアからすれば救世主。だが、海賊たちからすれば地獄の体現者となるだろう存在が力を解放した。
お兄様は激おこです。
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