EP248 海の魔物 前編
魔族領東にある地中海。
その【カーツェ】と【ネイロン】を結ぶ海路の途中で一隻の船が悠々と航海を続けていた。三日目の航海ともなれば少しは安定してくる。上手く海流に乗り、天気も良好、そして風向きもよく、船員たちはひと時の安堵を手に入れていたのである。
甲板にも気持ちの良い日差しが降り注ぎ、休憩も兼ねて日光浴をしている者も少なくなかった。
勿論、その中にはクウたちも混じっている。
「しかし雲一つないな」
「ですが風が気持ちいいです。思ったよりも暑くはないですね」
クウとリアは甲板の手摺に体重を掛けつつも海を見下ろしたり、遠くの空を見たりして取り留めのない会話を続ける。【砂漠の帝国】での戦いの話は既に終えており、今は平和的で、のんびりとしたやり取りを繰り返していた。
「しかし意外と船の進むスピードが速いな」
「そうですね。私もこんな大きな船は見たことがないですし、一般的な基準は分かりませんが……」
「まぁ、エンジン搭載の船なんて人族領に無いからな」
クウも昨日気付いたばかりなのだが、実はこの船には帆がない。
人族領が中世風だったために帆船をイメージしていたのだが、期待を裏切って船にはエンジンが搭載されていたのだった。もちろん、魔法で動くエンジンである。石油ではなく魔石を燃料とし、魔力を動力に変換しているのだ。
錬金術が進んでいると聞く【レム・クリフィト】だが、これを見ると、他とは何世代も離れて先に進んでいるのではないかと思わされる。試しに魔導エンジンを見学させて貰ったのだが、かなり複雑な機構を持ち合わせているようにも見えた。魔法だけでなく、科学的な技術も垣間見えていたのである。
最近発見した《邪神の呪い》で文明が遅れているハズなのだが、【レム・クリフィト】にはそれが当てはまっていなかったのだ。
(不思議だよな。魔人族だけ邪神カグラの呪いを持ってなかったんだから)
クウは《真理の瞳》で船に乗っている魔人族のステータスをチェックしている。すると驚くべきことに、彼らは《邪神の呪い》を持っていなかったのだ。クウは何の冗談かと思い、船に乗っている人族や獣人族にも《真理の瞳》で解析を行った。
しかし、当然のように【加護】の欄には《邪神の呪い》が表示されていたのである。完全秘匿はされていたが、クウの目にはハッキリと見えていた。
(魔人族と邪神ねぇ……)
物語やゲームではよくある組み合わせだ。
邪神カグラなど聞いたこともない神だが、呪いとして存在している以上、この世界と関わりがあるのは確かなのだろう。光神シンもそうだったが、どうにも怪しく、面倒臭そうな神が多い世界である。
今は考えても仕方のないことなのだろうが、考えずにはいられない。
そんな思いである。
(まさかゼノネイアも邪神を倒せとか言わないよな……流石にオロチとは格が違うぞ)
クウも超越者となったからこそ理解できる。
同じ超越者であったとしても、神と天使では天と地以上の格差が存在するのだ。以前迷宮で見たゼノネイアを参考にして逆算しただけだが、それでも格が違うと思える。そもそも、真なる神は潜在力が強すぎるゆえに、世界に顕現すれば崩壊を招くという話だった。流石にクウもそこまでの潜在力は持ち合わせていないため、邪神を討伐などと言う話になれば、即座に断るつもりである。
そんな風に考え事をしながら遠くを眺めていると、リアが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「兄様? どうかしましたか?」
「んー、別に。ちょっと考え事かな」
「そうでしたか。ぼんやりするなんて珍しいですね」
「ちょっとした平和だからな。じっくりと考えたいこともあるんだよ」
「前に言ってらっしゃったユナ様のことですか?」
「いや、今考えていたのはユナのことじゃない。まぁ、気になるのは確かだけど、別に危険な状況じゃないらしいからな。心配しなくてもリアを置いていくことはないぞ」
リアもそういうつもりで聞いたわけではなかったのだが、クウのハッキリしたもの言いを聞いて少し恥ずかしい気持ちになる。
確かに今のクウならば天使翼を使って海を渡り、一日ほどで【レム・クリフィト】の首都まで行くことが可能だろう。リアもそれを理解しているため、もしや置いていかれるのではと思ったことに間違いはない。クウからユナ・アカツキを探している話は聞いていたし、クウの最終目的がそれであることも知っていたからだ。
しかし予想外にもクウはリアと共に行くことを決めていた。
思ったよりも大事されていたことでリアは気恥ずかしくなったというわけである。
「リア? 顔が紅そうだけど大丈夫か?」
「いえ! 大丈夫です!」
「そうか? せっかく綺麗な肌なんだから日焼けでもしたら勿体ないぞ。日陰に入るか?」
「え、えと……はい、そうします……」
顔が紅いのは日焼けが原因ではないのだが、ここまで晴れていると心配になるのも確かだ。もちろん、旅を続ける中で日焼けすることはあったが、ローブのフードを被るなどして対策はしてきたつもりである。貴族ではなくなったが、その辺りの意識は変わっていなかった。
それにリアとて年頃の少女だ。
綺麗でいたいのは当然の欲求だと言える。
最悪は回復系の魔法で治せるのだが、日焼けしないに越したことはない。クウの勧めに従って、日陰に入ることに決めたのである。
「おや、どうしたね二人とも。デートは終わりかい?」
「はっはっは。熱いねぇ。日差しが温く感じるぜ」
「俺も早く帰って女房に会いてぇなぁ」
「俺も恋人に……」
「お前は恋人いねぇだろ!」
日陰に移動する途中、休憩中の船員たちにからかわれたりしたのだが、概ね平和である。クウが視線を逸らしつつ頬をポリポリと掻いていたり、リアが顔を真っ赤にしていても平和と言えば平和なのだ。
二人は血が繋がっているわけではないため、何も知らない人から見れば恋人同士にしか見えない。そういう風に思われても仕方のないことだろう。
しかし、そんな和気あいあいとした雰囲気も唐突に破られることになる。
『東方二キロ先に魔物発見。既に捕捉されていると思われる。戦闘に備えろ』
船全体に声が響き渡り、休憩中だった船員たちの顔にも緊張が走る。そして顔を見合わせて頷き合い、東側の海が見える位置へと移動し始めた。
クウとリアにも当然ながら聞こえており、リアが不安そうな声を上げる。
「兄様……」
「今の放送……つまり俺たちの仕事ってことだな。まずは確認するぞ」
「はい」
クウとしては魔物よりも、今の艦内放送の方が気になるところだ。中々ハイスペックな船だとは思っていたが、まさか放送まで備えているとは思わなかったのである。風の魔法にも声を広く届かせるものが存在しているが、今の放送は、混じっているノイズから見て機械技術だと予想できた。
しかし詳しく調べている時間は無い。
まずは護衛としての仕事を優先しなくてはならないのだ。
二人は甲板を走っていき、東側が見える位置まで移動する。他の船員たちも集まっていたが、クウとリアは押し退けて、どうにか海の向こう側まで見える位置に来た。
「あれは……」
「島……ですか?」
遥か先に見えたのは巨大な影。
まるで島を彷彿とさせるような、お椀型の物体だった。二キロ離れているにもかかわらず、肉眼でハッキリと姿を確認できる。そのことから、相当な大きさであると判断できた。
それを見た近くの船員がポツリと呟く。
「まさか……あれはアーク?」
ザワリと周囲が驚き、動揺が走る。
クウもリアも聞いたことがない魔物だったが、どうやら有名な名前らしいと理解できた。クウは《真理の瞳》を用いて独自に解析しつつ、周囲に尋ねる。
「説明してくれ。アークとはなんだ?」
「あんた知らねぇのか? 見たら絶対に逃げろって言われている接触禁忌種だよ! 奴はどういうわけか動く物体を標的にする習性があるみたいで、一度捉えたら追いかけて、あの巨体をぶつけてくるんだ! 上手く撒けなかったら終わりだ……」
「倒さないのか?」
「無理だ! 奴はデカすぎる上に、あり得ないほど硬い! あの見えている部分だって一部でしかないんだぞ!」
「ふーん」
クウは解析結果と照合して対処方法を考える。
勿論、クウが力を使えば簡単に倒せるので、リア、ミレイナ、レーヴォルフが対処可能かのチェックだ。そしてクウは即座に無理だと判断する。
(亀型の超巨大魔物か……全長数百メートルで《硬化》《魔装甲》《魔障壁》と防御スキル満載。さらに特性として鉄より硬い甲殻を持っている。アレに守られているから急所への攻撃も不可能で、逆にアークは質量を利用して、体当たりだけでこちらの船を潰せる。動く標的に体当たりしたがる迷惑な性質の魔物って訳か)
周囲の船員たちの雰囲気から見て、どうやら非常に珍しい魔物なのだろう。数人ほどだが、中には名前すら聞いたことがない者がいたほどだ。しかし、アークの姿を見ることが出来て幸運だったと考えるものは一人としていない。
総員、即座に散って船を全速力で動かす用意を始めた。
「救命胴衣を身に付けろ!」
「効果があるか分からんが、魔物の気を引く匂いの薬草をボートに載せて無人発進させるんだ!」
「アークだけに気を取られるな! 前方にも注意!」
「《風魔法》で船を後ろから押せ! 《水魔法》でもいい!」
『船内連絡! 魔物をアークと断定! 即座に逃げる用意をしろ!』
「もうやってるよ!」
慌ただしく船員たちは動き、それに紛れるようにしてミレイナとレーヴォルフがクウとリアの元に近づいてくる。二人は甲板の別に場所にいたのだが、大事になってきたため合流したのである。
集まった瞬間、まずはレーヴォルフが口を開いた。
「どうだいクウ? あれは倒せるの?」
「いや、普通に倒せるぞ」
「じゃあ問題ないね。僕には無理だ。任せたよ」
「ああ、初めからそのつもりだ」
レーヴォルフは律儀にもクウに任せるということを伝えに来たらしい。戦力分析が冷静かつ正確なのは彼らしいが、クウとしても少し拍子抜けな部分もあった。
その点、ミレイナの言葉も彼女らしい。
「私は戦いたいぞ!」
「うーん。ちょっと無理があるかなぁ。流石に《竜の壊放》を一点集中で使っても、アーク相手ならギリギリって感じだぞ。それにどうやって射程内まで行くんだ? いくらなんでもキロ単位で衝撃を飛ばすのは無理だろ……いや、ギリいけるか?」
「ダ……ダメか?」
「やってみるか。今ならちょっとだけ余裕があるし」
暴走して海に飛び込もうとしなかったところは成長しているが、強敵と戦いたいという思いは留まることを知らないらしい。ミレイナも若く、その衝動を制御できないのだ。
クウが倒すとすれば少しは余裕があるので、試しに《竜の壊放》を使わせてみることにする。
そして折角なので、クウはアドバイスも与えてみた。
「ミレイナ、良く狙って集中しろ。お前の《竜の壊放》は拡散系の無差別能力だが、一点集中が出来ないわけじゃない。全て力を一方向に込め、まっすぐ飛ばせ」
「よし……集中だな……」
「そうだ。良く狙え」
ミレイナは考えることより、勘に任せて本能的に攻撃することが多い。彼女も勘が良いため、意外と良いところまでは行くのだが、やはり最後の最後では押し負けるのだ。
勘に任せて戦うには、それに応じたエネルギーが必要となる。
相手の小賢しい行為を塗りつぶすほどのエネルギーだ。
しかし今回の場合は逆になる。
アークはその質量と防御力故に、考える必要が無いほど強い。今回に限っては、ミレイナが技術を弄して対抗する必要があった。《壊神の加護》を与えられているだけあって、ミレイナも才能は持っている。後はその才能を使いこなせるかどうかだ。
「行け! 《竜の壊放》!」
じっくりと集中したミレイナは一点に収束した破壊の波動を放つ。シンプルな正拳突きではあったが、その先から凄まじい威力が一直線に放たれたことが理解できた。
そして破壊の一撃は音速を突破して突き進み、数秒でアークへと直撃する。
―――ズウゥゥン。
アークの防御系スキルを貫通し、甲羅を一部破壊することに成功した。一点集中したせいで威力は上がったが、攻撃範囲は狭まってしまったのである。これについてはアークが大きすぎるので仕方ないが、それでも【固有能力】によるダメージを受けてあの程度なのだから、驚くべことだろう。
しかしアークも今のミレイナによる攻撃を受けて驚いたらしい。
巨大亀型魔物アークは海中に潜めていた全容を見せるため、浮上し始めたのだった。
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