EP236 生贄の術式
権能【魔幻朧月夜】で殆どの天使軍を滅ぼし尽くしたクウはようやくネメアと合流する。もはや視界の確保すら儘ならなかった二億体という数は、すでに十分の一以下まで減っていた。お陰でネメアを見つけることが出来たのである。
尤も、《真理の瞳》による情報解析でネメアのいる座標は知っていたのだが……
「おーいネメアー。そっちはどうだ?」
”アンタはウチを呼びに来た天使やっけ? 随分変わったみたいやな”
「まぁな。でも見た目はそれほど変わってないだろ?」
クウは超越化をしたことで幾らか変化している。
顔や体格などは元のままだが、背にある三対六枚の天使翼は灰色から白銀色になっていた。また天使翼の形も以前のような不定形ではなく、鳥の羽のような質感になっている。クウの霊力を固めている翼であることには変わりないので、消したり顕現させたりは自由なのだが……
そしてもう一つは服装だろう。幻影の黒コートは壊れてしまったので、クウが霊力と意思力を固めて即席の服を作成したのだ。殆ど同じ形ではあるが、幾らかは変化してしまっている。
だがネメアが言いたかったのはこういうことではなかった。
”見た目の話やないよ。えらい強なっているなぁ。感じ取れる潜在力が桁違いや。一般的な熾天使と比べても多いんちゃう?”
「そうなのか? 比べる対象がいないから分からないけど……確かにファルバッサやネメアよりは多いみたいだな」
”まぁ、ええよ。取りあえずは助かったわ。あの紅い光はアンタが放ったんやろ?”
「ああ、礼は受け取っておく。ともかく残りの天使軍を片付けるか」
”それやったらあの偽天使を一か所に集められる? そしたらウチが一掃するけど”
「わかった」
クウは霊力を目に集め、「意思干渉」を使って空間中に幻術を投影する。特性「魔眼」を使えば目に映るどんな場所にも本物のような幻影を映し出すことが出来るのだ。「意思干渉」によって幻影は誰もが信じ込まされ、幻術は現実となる。
「《神象眼》」
両目の六芒星が怪しく光り、クウが指定した場所に一体の天使が現れた。
三対六枚の白い天使翼を持つ姿であり、右手には深紅の長剣を握っている。それは間違いなく、クウが倒したはずの終末の熾天使レプリカ、ミカエル・コピーだった。
幻術として現れたミカエル・コピーは天使軍へと命令を下す。
「Won thgir ereh emoc」
(すぐに我が元へと集まれ)
本来、レプリカと言えども天使軍が幻術如きの熾天使に従うはずがない。《気力支配》などの能力で幻術だと気付くことが出来るからだ。
だがクウの権能【魔幻朧月夜】によって生み出された幻術は対象の意思に干渉した完全なる術だ。もはや破るとか破れないとかの次元ではなく、それを知覚してしまった時点で幻術は現実となってしまう。
だからこそ残った数千万体の終末の天使レプリカはミカエル・コピーの下へと集まってきた。
「よし、今だぞネメア」
”文句無しや。顕現せよ《死獄》”
ネメアが一度に使用可能な霊力を殆どすべて込めた術式が発動する。
それは特定空間に存在する粒子全てをネメア最強の毒である死の概念毒へと変貌させる術だ。ネメアの意思力に抵抗出来なかった時点で生命すらも毒に改変され、どうにか耐えきったとしても濃密に発生した死毒に侵されることになる。
そして当然ながらステータスに縛られている天使軍が抵抗に成功できるはずがない。全てがネメアの権能【殺生石】によって毒へと変えられ、全ての天使軍が消滅したのだった。
それに伴って神域大結界も消え失せる。
”馬鹿な!?”
オロチの龍頭の一つが驚きの声を上げる。権能【深奥魔導禁書】を用いてすら難度の高い術式であったにもかかわらず、この短時間で打ち破られてしまったのだ。オロチが驚くのも仕方が無いことなのかもしれない。
しかし驚いている暇はない。
これからオロチは三体の超越者を相手にしなくてはならないのだから。
”開け【深奥魔導禁書】! 余が欲するは「天の書」「炎の書」「氷の書」”
”開け【深奥魔導禁書】! 余が欲するは「星の書」「召喚の書」「毒の書」”
特性「並列意思」によってオロチは権能を同時発動させ、空中に合計六冊の書物が浮かび上がる。そしてそれぞれがパラパラと捲られ、二枚の巨大魔法陣を形成したのだった。
相手が超越者三体となればオロチも余裕はない。自爆覚悟の広範囲殲滅術式を発動させたのである。
”《神罰:終末の第一》”
”《神罰:終末の第三》”
《楽園の結界》を発動させているファルバッサは広範囲の法則改変を行うことが出来ず、オロチの魔術発動を妨害できない。オロチは容易く術式を発動させたのだった。
そして天から落ちてくる無数の炎、雹、そして隕石。
触れた全てを焼き尽くす炎。
触れた全てを凍らせる雹。
触れた全てを毒で侵す隕石。
全てが概念効果であるため、超越者にもダメージを与えることが出来る。
ファルバッサの《楽園の結界》に守られている者たちは無事だろう。だがクウ、ファルバッサ、ネメア、オロチは自己防衛しなくては大きなダメージを負うことになり得る。
”クッ! 《真・竜息――”
”させぬぞ!”
圧縮した魔素の放射で迎撃しようとしたファルバッサはオロチに妨害されて息吹を中断する。さらに他の龍頭を駆使して多彩な息吹を放ち、クウとネメアをも邪魔したのだった。
「おっと、危なっ!」
”手数が多いと面倒やねぇ”
クウとネメアは回避しつつ上空から迫る炎、雹、毒隕石をどうにかしようとする。だが、これほど広範囲の攻撃を迎え撃つには相応の広範囲術式が必要であり、それをするだけの集中はオロチの乱射する息吹によって乱されてしまう。
ならばとクウは発想を変えることにした。
「《神象眼》発動。運命よ捻じ曲がれ」
クウが思い描いたのは降ってくる炎、雹、毒隕石が軌道を変える光景。そして対象はこの世界だ。
つまり、運命とも呼べる『世界の意思』へと干渉し、運命を書き換え、軌道が変わったという事象を現実にしたのだ。この程度の書き換えならば「月(「矛盾」)」を使うまでもないため、それほど多くの集中を必要としない。
視界にさえ収めれば特性「魔眼」の効果で全てが範囲に入るのだから。
そしてクウは《神象眼》を発動させると同時に右手の魔法陣を通してファルバッサへと念話を送る。
(ファルバッサ! すぐにその場から離れろ。降ってくる隕石とかの軌道を変えて、全てオロチに向かわせるようにしたから離れないと巻き込まれるぞ)
(なるほど。了解した)
ファルバッサはクウの忠告にすぐさま返事をして行動に移す。十二の龍頭が邪魔をして離れるのが面倒ではあったが、幾らかはクウとネメアの邪魔をする方へ意識が向いている。そのためファルバッサが相手にすればよい龍頭は四つほどであり、問題なく距離をとることが出来た。
権能【理想郷】によって法則を改変し、有り得ない飛行軌道で離脱する。
”何を――”
唐突に距離をとったファルバッサの行動に驚きを見せたオロチだったが、すぐにその余裕も無くなった。何故なら広範囲に降り注いでいたはずの炎、雹、毒隕石が不自然な軌道を描いてオロチを目指し、その一発目が直撃したからである。
さりげなくネメアが知覚を鈍らせる毒を使用したため、自らに迫る危機に気付けなかったのだ。
ドドドドドドドドドドドドドッ!
吸い込まれるかのように炎、雹、毒隕石がオロチの身体を蹂躙する。一見すると不思議な光景であるが、クウによって運命が書き換えられた今、この現象は実に自然な状態となっているのだ。何一つ違和感など無いと世界が誤認しているのである。
世界すらも騙し、運命すらも書き換える究極の幻術使い。
それが真に覚醒したクウだった。
”ギ――オォイギ――ギャ――グウゥ――ャウゥゥ――ギイアアァッ!?”
叫び声は壮絶な爆発音に阻まれて途切れ途切れに聞こえる。
炎が霊力体を焼き尽くし、雹が情報次元すらも凍らせ、毒隕石が無限の苦痛を与える。因果応報とも言うべきか、オロチが放った術式は全て自身へと返ってきたのである。これらの概念攻撃は特性「龍鱗」による概念防御すらも破壊して内部を滅ぼし、オロチの巨体を打ち砕く。
そんな中、オロチは希望に縋るかのように権能を発動させようとしていた。
”開―――奥魔導禁書】! ――欲する――「死の書」「犠牲――」「――の書」”
”何もさせぬぞ。これが我の切り札だ!”
術を発動させようとしているオロチに対し、ファルバッサが自らの持つ最強の攻撃を放つべく霊力を口元で圧縮する。ただし今回、口元に溜めた銀色のエネルギー体を放つ普段の息吹とは異なり、ファルバッサは権能【理想郷】による「法則支配」を織り込んでいた。
銀色に輝くエネルギーは過密な情報を帯びて空間が歪む。それはまさに高密度に圧縮された情報次元であり、全ての法則を帯びた一つの世界とも言える。
つまりファルバッサの切り札とは相手に世界をぶつけることだった。
そしてオロチとファルバッサは同時に術を発動させる。
”《葬死贄》”
”《神・竜息吹》”
ファルバッサの放った銀閃が光の速さでオロチに直撃した。
一つの世界にも匹敵するファルバッサの息吹には確定未来が法則化されている。つまり、必中であり、必殺であるということだ。相手が超越者ならば意思次元で耐えることが出来るものの、情報次元を消し飛ばされるので再顕現にも苦労することになる。意思力が損耗している状態ならば間違いなく復活できずに滅びてしまうことだろう。意思力が復活することを諦めてしまうからだ。
これを放つことで『世界の情報』をも損傷させてしまうというリスクは存在するが、ファルバッサも可能な限り被害が少ないようにと気を遣っていたので問題は無い。
しかしファルバッサの表情は曇っていた。
”どういうことだ? 何故オロチの気配がそこにある?”
降り注ぐ炎も氷も毒隕石をもファルバッサの《神・竜息吹》を受けて消滅している。余波だけで概念攻撃すらも破壊する点は恐るべきことなのだが、今はそれよりもハッキリと感じ取れるオロチの気配の方が重要だった。
舞い上がった塵に隠れてはいるが、「意思生命体」である超越者の放つ強力な気配を間違うはずがない。ファルバッサだけでなく、クウとネメアも同様に気配を感じていたのだから間違いはないだろう。
”不思議やねぇ。ファルの切り札を喰らって生きてたやつなんかおらへんのに……”
「確かに……アレを喰らって生きてるなんて考え辛いな。超越者でも一先ずは情報次元が消滅するだろうし」
クウ、ファルバッサ、ネメアは油断なくオロチの気配がする場所を見つめる。そして特性「粒子操作」を持つネメアがサッと尻尾を振り、舞い上がっている塵を全て吹き飛ばした。
そこでようやくオロチの全容を見ることが出来たのだった。
「え……?」
クウは自然とそんな声を漏らす。
ファルバッサもネメアも同様に驚いて言葉を発することが出来ずにいた。
何故ならそこにいたのは十一の龍頭を持ったオロチがいたからだ。霊力で構成されたオロチの身体は破壊された跡もなく、《神・竜息吹》が直撃した後だとは思えない。
”シュルルル……《葬死贄》が間に合ったようだな。まさか余がこの術を使わされるとは思わなかったが。シュルル”
ファルバッサの《神・竜息吹》と同時にオロチが使用した《葬死贄》。それは自らの体の一部を犠牲として全てのダメージを無かったことにする因果操作系の術式。確定未来で対象を滅ぼす《神・竜息吹》に対抗可能な効果だった。
犠牲として失った部位は完全に抹消され、どのような回復でも、時戻しでも、超越神ですら元に戻すことは出来なくなる。全てのダメージを生贄とした部位に肩代わりさせるのだ。
オロチは土属性を司る琥珀色宝玉龍頭を生贄に奉げることで、ファルバッサの《神・竜息吹》によるダメージを完全に打ち消したのである。
《神罰:終末の第一》
第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火が現れ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。
ヨハネの黙示録 8章7節
を参考にしています。
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