EP223 オロチの足掻き
死者すらも殺すであろう絶対の性質を秘めたネメアの《冥王の死宝》は赤黒く禍々しい色を放ちながらオロチの紫苑宝玉龍頭を侵食し、滅びへと向かわせる。超越者の身体すらも滅ぼす概念攻撃はそれだけには留まらず、さらに白く輝く積層型巨大魔法陣を維持している他の龍頭をも侵食していた。
「龍鱗」の抵抗力があるからこそ緩やかな滅びで済んでいるが、これも本来ならば瞬間的にこの世から抹消される程の効果を秘めている。魂を刈り取るかの如き効果を見せつけるネメア最強の毒は、時間をかけつつも超越者を滅ぼす可能性を持っていた。
しかしオロチにとっては霊力で構成された肉体が緩やかに滅ぼされる僅かな時間こそが狙い。可能な限り抵抗力を高め、現在展開している魔法さえ発動してしまえば状況を逆転できると踏んでいたのである。
”グウゥゥゥゥゥ……”
紫苑宝玉龍頭は最後の呻きを挙げて塵となる。
そして残った五つの龍頭も同時侵食によって既に危険な状態へと突入しており、オロチも内心では非常に焦っていた。《冥王の死宝》は三百メートルもの大きさを誇るオロチに纏わり付き、秒単位で全身を蝕んでいたのだ。その痛みは想像を絶するものであり、【深奥魔導禁書】に「演算代行」の性質が無ければ術の発動も中断してしまっているに違いない。
しかし逆に、オロチは「演算代行」があるからこそ自らを捨て札として、切り札ともなり得る術式を完成させることにしたのだ。
”シャアァ……”
”シュルルゥシュルルッ”
また二つの龍頭が塵となった。
胴の部分も絶対死の毒に侵されて虫食いのような状態となっており、ときどきピクリと痙攣しながら死を待つのみと化している。
しかしオロチはこれでも意思を捨てない。
”グウゥ……まだ……”
”……余に敗北は無い”
そう言い残してまた二つの龍頭が消える。これで残りは炎属性を司る深緋宝玉龍頭だけとなってしまった。そして残っていると言っても、綺麗に残っているわけではない。数十秒もすれば完全侵食によって情報次元ごと消し去られるのは確定的である。
魂が消されるわけではないので復活は可能だが、意思力だけで情報次元すらも復活させるとすると、その労力は計り知れないことだろう。心が折れてしまうのは目に見えている。
現にファルバッサもネメアも勝利を確信したのか、警戒はしつつも追撃を行う様子はなかった。何故ならファルバッサの「竜眼」と「理」による合わせ技で、発動しかけている積層型巨大魔法陣が起動するまで五分以上かかると分かっていたからだ。
オロチが死ねば権能【深奥魔導禁書】も消え去り、夜空を白く塗り変えている積層型巨大魔法陣も同時に消える。
(負けぬ……死なぬぞ……)
もはや話す気力すらも失われたオロチは朦朧とする意識を奮い立たせて思考する。いや、思考はハッキリとしているが周囲を感知する知覚能力関係が失われ、周囲環境の情報を得ることが出来なくなったというべきか。意識は残っているが、身体はまるで動かせないのである。
しかしどれだけ意識を集中させても何一つ知覚できない。もはや自身の身体がどれだけ侵食されているのかすらも理解できていなかった。
(決して負けぬ……)
――誰にだ?
(全てに……)
――その力はあるのか?
(今、失われようとしている)
――余はそれでいいのか?
(そんなはずはない!)
オロチは意思次元の内部に残っている「並列意思」たちと会話をする。意思が物理世界に発現する龍頭は失われたが、それと共に「並列意思」も失われたわけではない。これらは残ってオロチの意思次元の領域に潜んでいた。
(どうすれば良いのだ?)
――知らぬな。
――愚か。少しは考えよ。
――術さえ発動すれば良いのだ。
――馬鹿め。それが出来ぬから敗北しようとしている。
――文句ばかり言うな。
――術が発動するまでの時間が問題なのだろう?
――なんだ? 今更、起動しかけている術を変更するのか?
――それこそ愚か。間に合うはずがない。
――しかし今よりは早く発動できるだろう?
――簡単な回復系統の術を起動させるべき。
――不可能だ。そんな素振りを見せれば駄竜が黙っておらぬはずだ。
――厄介な……
――駄竜と駄狐のどちらかだけだったなら……
――そんな仮定など意味はない。
(ええい! その通りだ。どうにかして術の発動を速めることは出来んのか!?)
脳内会議……とも言えるオロチの「並列意思」たちの緊急会議が白熱する。これほどの話し合いでも現実では一秒と経っていないため、まだ少しは余裕が残っている。しかし一秒を争うほどの危機が迫っていることも事実であり、余計なことは話していられない。
物理世界に残っている深緋宝玉龍頭は苛立ちを込める。
――「演算代行」はこれ以上は速くならぬ。
――限界は皆が十分に理解しておろうよ。
(だからどうするかと聞いているのだ)
――それは余たちも同じだ。元は同一の意思なのだから。
(む……)
並列して存在している意思ではあるが、元が一つなので纏まらない。それに間違いなく強者であるオロチは考えることなく勝利を手に出来る存在だった。だから勝つために考えるということが苦手だったのである。
しかしここでオロチの意思の一つが状況を逆転しうるアイデアを提案した。
――演算能力が足りぬのなら、余が自身の演算能力を使えば良かろう。
何気なく言い放たれた提案だったが、これを聞いたオロチの十一の意思が息を飲んだ。オロチは権能を手にして以降、「演算代行」に任せて自分の演算能力を使うことがなかった。それが演算力低下の主な原因となっていたのだが、「演算代行」に自分の演算力を重ねることで術の発動は早くなる。
(ふむ……良いかもしれぬな)
――確かにそうだ。だが間に合うのか?
――「並列意思」で同時に演算すれば良いのだ。
――相乗効果を含めれば演算力が膨れ上がることだろう。
(では、頼むぞ)
凡そ二秒にも満たない程度の脳内会議が終わり、オロチは早速とばかりに自分の演算能力を行使する。発動しかけている術は超高位の召喚術式であり、超越者の演算力を以てしても難度は高い。
(超広域を結界にて覆う。内部を神域として定義し、召喚の力場を整える)
上空で白く輝いている積層型巨大魔法陣は九つの層に分かれている。そしてオロチの演算と共に八つが動き出し、均等に八方向へと移動し始めた。すなわち、北、東、南、西、北東、南東、南西、北西へと動き始めたのである。
九枚目の魔法陣だけは真上に留まり、八方向へと移動した各魔法陣は地面と垂直方向に向きを変えて十メートル程の上空で停止した。
「何だよアレ……」
必死になって【帝都】から逃げていた獣人の一人が呟き、それに同意するようにして周囲の者たちも次々と同じ言葉を口にする。【帝都】上空に残っている一枚と、八方向に散らばった合計九枚の白い魔法陣は一帯を取り囲むように配置されており、まるで昼間のように明るく照らしている。
そして九枚の魔法陣は一層神々しく光り、連結して夜空を覆いつくすほどの大結界へと変貌したのだった。直径十キロにもなると思われる大結界は複雑怪奇な模様を描いており、内側から外の様子を見ることは出来ない。それと同様に外から内側の様子を見ることも出来なくなっていた。
つまり、【帝都】から離れるべく逃げていた獣人たちも含めて全員が大結界の内側に囚われてしまったということである。
結界を観察していたクウは眉を顰めつつ口を開いた。
「この結界……閉じ込めることが目的じゃないな」
”そのようだ。どうやら特定空間に属性を持たせるためのものらしい”
「つまり?」
”この空間内部は神聖系の属性的な付与がなされている。分かりやすい言い方をすれば、簡易的な天界と同じ状態だということだ”
「それって神か天使でも召喚しようとしているってことか? 拙くね?」
”うーむ。そういうわけではなさそうだ。真なる神や天使を召喚するならば、わざわざ空間を整えてやる必要などない。どちらかと言えば、神話を再現するための領域を用意したと言った方が正しいかもしれぬな”
ネメアの放った《冥王の死宝》は現在進行でオロチを侵食している。すでに体の殆どが塵となって消し去られており、残っている深緋宝玉龍頭も力なく地に倒れていた。
間違いなくオロチは敗北しようとしている。
だがオロチの展開している術は発動寸前だった。
いや、あとはオロチが魔法銘を言うだけだったというほうが正しい。
”シュルル……覆せ、至上にして天界を統べる軍勢よ。《神罰:終末の第六》”
その瞬間、【帝都】の上空で強い輝きを放っていた魔法陣が真っ白になり、そこから淡くも膨大な光が漏れ出すのが見えた。それはまるで天界と地上を繋ぐ穴。
そしてその中から現れたのは人型の何か。
雪のような純白の衣服をまとい、右手には黄金に輝く一振りの剣、そして背中には鳥のような純白の翼という姿……神話に登場するような天使に近い姿だった。
その天使は一体に留まらず、次々と白い穴から降りて来た。二体、三体……十体、ニ十体……百体、二百体と数は増え続け、雪崩のように大量の天使が出現したのである。
”む、これは……”
ファルバッサは権能を使って大結界内部の神聖化を解除しようとするが、《神罰:終末の第六》の神域大結界はファルバッサの【理想郷】に被せるようにして展開されている。そのため、ファルバッサの「法則支配」が機能せず、全く同じ姿の天使が無数に出現し続けていた。
終末の日に罪人を滅ぼすと言われる神話の天使軍を召喚する術式。
これが《神罰:終末の第六》。
神域大結界の内部でオロチに敵対する者は罪人とみなされ、二億からなる天使軍によって殲滅されるのである。
《神罰:終末の第六》
第六の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は神の御前にある金の祭壇の四隅から出る声を聞いた。
その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」
すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。
騎兵の軍勢の数は二億であった。私はその数を聞いた。
私が幻の中で見た馬とそれに乗る人たちの様子はこうであった。騎兵は、日のような赤、くすぶった青、燃える硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は、獅子のような頭で、口からは火と煙と硫黄とが出ていた。
これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。
馬の力はその口とその尾とにあって、その尾は蛇のようであり、それに頭があって、その頭で害を加えるのである。
これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木、で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、
その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。
ヨハネの黙示録 9章13~21節
を参考にしてます。
評価、感想をおまちしています。
 





