EP218 ファルバッサVSオロチ 前編
漆黒の龍鱗に覆われた多頭龍オロチの前に銀色の神気を纏ったファルバッサが現れる。完全に慣性の法則を無視した急停止を見せつけたファルバッサは瞬間移動をしたかのようであり、これにはオロチも驚いたようだった。
オロチは意外にも感知能力が低いのである。これはクウが《幻夜眼》を使ってオロチを完全に騙せていたことからも明らかだった。
”貴様……生きておったか! シュルル”
”当然であろう。我があの程度で死ぬはずがない”
”ならばここで葬るまで。余の前に二度と姿を現せないようにしてくれる!”
ファルバッサとオロチは互いに銀色と黒色の波動を放ち、闘気を高め合う。神話の如き二体の姿は見るだけで膝を着いてしまうほどの光景であり、これに耐えきれていたのは一部の強者のみだった。
具体的に名を挙げるならば、シュラム、アシュロス、エルディス、ヴァイスの各首長たちとミレイナである。高レベルの首長たちはある程度の潜在力が解放されているため、《気纏》を併用することで耐えることが出来ていた。ミレイナに関しては【加護】の力があるため、同様に耐えることが出来たというわけである。
そしてそれ以外の獣人、またレーヴォルフは体に力が入らないままだった。
「神獣様……」
「懐かしい。確かにファルバッサ様のようだの。あの威光……確かに儂の記憶にある」
「六十年ぶりか……私も覚えている。そしてあのヒュドラもな」
「レイヒムは奴を神獣だと騙っていたようだったな。蛇獣人の神獣は翼のある大蛇だと伝説に伝わっておるというのに」
シュラム、アシュロス、エルディス、ヴァイスが順番に口を開く。
ファルバッサとオロチの戦いは六十年前にも起こった出来事であり、首長たちはその時のことをまだ覚えている。そして当時は蛇獣人と竜人のどちらに味方をすればよいのか分からず、混乱していた時代でもあった。アシュロスとエルディス率いる獅子獣人と狼獣人は竜人たちに、ヴァイスとローリア率いる猫獣人と狐獣人は蛇獣人に味方していた。まさに帝国を真っ二つに割る戦乱の時代だったが、今はどちらに味方するべきなのかはっきりしている。
「儂らもあのヒュドラを足止めしつつ、住民を避難させようぞ」
首長たちの中では最も年上のアシュロスがそう告げる。
これから起こる戦いはまさに神話級であり、この場にいるだけで普通の者は死に至る。ならば早く避難させなくてはならない。それが首長である彼らの役目だった。
幸いにもファルバッサとオロチの神気にあてられた魔物たちは【帝都】から逃げるようにして遠ざかっている。戦えない者を砂漠へ逃がしても被害はない。
「先ずはファルバッサ様と儂らで奴を引き付け、住民たちを威圧から解放する。ローリアの奴がいれば良かったが……言っても仕方のないことよ。儂らのみでやるぞ」
「いいえ。私ならここにいます」
「っ!? いたのかローリア! 心臓が止まるかと思ったぞ!」
「あらあら。あなたも歳ですねアシュロス」
「戯け。貴様の《気配遮断》が強力すぎるのだ」
中立宣言をしていた狐獣人の首長ローリア・ホルスの出現に驚いたのはアシュロスだけではない。隠密行動が得意な猫獣人の首長ヴァイスすらも驚きを隠せていなかった。
シュラムも驚きつつローリアに尋ねる。
「参戦はしないのではなかったのか? そのようにクウ殿から聞いていたが」
「私が参戦しないと言ったのはレイヒムとの戦いです。どうやらレイヒムは倒れたようですからね。帝国を乱す化け物退治なら私も戦うということです」
「ふん。見ていたのか。食えない女狐よのう」
アシュロスは鼻を鳴らして不満そうにそう言うが、ローリアの参戦は素直にありがたい。
ローリアは柔術とも呼ばれる体術流派の使い手であるばかりか、闇属性魔法による広範囲精神攻撃を得意としている。そして闇属性は精神にダメージを与えるだけでなく、精神防御としての効果も非常に高い。このことは人族の間ではあまり知られていないが、闇属性の適性が高い魔族たちの中では割と一般的な常識だった。
つまり、ファルバッサとオロチから発生られる威圧の余波で動けなくなっている住民たちを避難させるために、ローリアの魔法は非常に効果的なのである。
「ではローリアに避難住民を任せるとしよう。どちらにせよ、私たちはアシュロスの言った通り足止めをした方が良さそうだ。なぁヴァイス?」
「エルディスがそう言うなら儂もそれでよい。シュラムもそれで構わないな?」
「構わない。ミレイナはローリア殿と共に……いや、オロチの足止めをしてくれ」
「……いいのか?」
シュラムの言葉にミレイナは意外そうな表情を浮かべる。これまではミレイナを戦いに参加させたがらなかったシュラムだが、今回だけは参戦するように促したのだ。ミレイナとしては願ったり叶ったりだが、思わず聞き返さずにはいられないといった心境が正直なところである。
しかしシュラムは問題ないという風に頷きつつそれに答えた。
「お前の《竜の壊放》は広範囲攻撃だ。オロチ相手には相性がいい」
シュラムの言葉にはアシュロスとエルディスも納得の頷きを見せる。
少し前の堕天使ダリオンとの戦いで見せたミレイナの《竜の壊放》は味方への被害に目を瞑れば、かなり便利な広範囲攻撃となり得ることを理解できていた。オロチは全長にして三百メートルもの巨体であるため、今回の場合は戦力として期待できるのである。
もちろん理由はそれだけではないのだが……
(ミレイナも真の戦いというものを理解する機会になるだろう。これで死ねばそれまでということだ)
ミレイナの戦闘技術の拙さはシュラムにとっても目に余るものがある。特にそれを思い知らされた破壊迷宮九十階層では、本当の戦いというものを経験させることでそれを自覚させようと決心した。
厳しいようだが、これが砂漠に生きる最強種族竜人だ。
そろそろ甘えを失くそうと考えたのである。
「ファルバッサ様もそろそろ動き出すようだ。儂らも行くぞ」
アシュロスが最後にそう締めて全員が頷く。そしてすぐに行動を始めた。
まず、ローリアが獣人たちに精神防御を与えるために魔法の詠唱を始める。
「『闇は鎮めるもの
恐怖を呼び寄せ、朽ち果てさせる
闇は映し出す鏡
しかし全てを飲み込むのも闇
畏怖を以て恐怖を飲み込め
《怖喰》』」
広範囲に魔法が発動され、範囲内にいた獣人たちの身体が薄い闇に包まれる。とは言っても今は夜。その闇はあまり目立たなかった。
だが見た目が地味だからと言って効果が変わることはない。
魔法は精神にまで侵食し、恐怖の心を喰らい尽した。
そして動けるようになった者たちは誰かに言われるまでもなく一斉に逃げ出す。
『逃げろおおおお』
『早く。こっちに!』
『あんなのと戦うな! 死ぬぞ!』
声が重なって聞き取りにくいが、幾つかは拾える。しかし、その中には間違ってもファルバッサとオロチの戦いに参戦しようという者はいないようだった。
ローリアとしても余計な者に参戦されては困るので逃亡を止めたりはしない。それに、一度の魔法で全ての獣人を恐怖から解放できるわけでもない。まだ威圧の余波に縛られている者たちを恐怖から解放するためにローリアは移動を始め……ようとして、一人だけ残っていることに気付いた。
「あなたは逃げないのですか?」
「ええ、僕では戦力にならないでしょうが、戦いを見守るつもりです」
残っていたのは黒髪を靡かせた竜人レーヴォルフ。レベルが低かったレーヴォルフは超越者の威圧に耐え切れなかったのだが、ローリアの魔法で抵抗をアシストしてもらい、どうにか動ける程度にはなっていた。
「そうですか。さすがは竜人と言っておきましょう。ですが自分の身は守ってくださいね」
「はい。もちろんです」
ローリアは今度こそ移動して、まだ動けない獣人たちに魔法をかけていく。彼女の活躍で避難の方は着々と進むことになりそうだった。
そして銀と黒の気をぶつけ合っていたファルバッサとオロチも遂に動き出す。
”《真・竜息吹》”
”《属性息吹》《属性融合》”
ファルバッサは魔素を極大圧縮して口元に溜める。スキル《竜息吹》など比べ物にならない圧縮率であり、余りの密度に激しい魔力光を放っていた。特性「魔素支配」によって限界を超えた威力となった《真・竜息吹》はファルバッサの破壊の意思を取り込み、銀色の破壊光線となって放たれる。
一方のオロチは基本属性を司るそれぞれの龍頭が属性効果を圧縮させていた。オロチは「魔素支配」を持たないために圧縮率ではファルバッサに大きく劣っているものの、炎水風土雷光闇の七属性のブレスが一斉に放たれる。全ての息吹はファルバッサを目指して一点に集まり、付与属性を司る紫苑色宝玉の龍頭が《属性融合》を使って相乗的に破壊力を底上げした。
互いの息吹は一点で交わり、大爆発を引き起こす。
カッ!
ズウウゥゥゥゥゥウウン!
激しい閃光から一拍遅れて破壊音が鳴り響き、【帝都】の建物が倒壊する。
しかしファルバッサもオロチもその程度では止まらない。
”開け【深奥魔導禁書】”
”させぬ。顕現せよ【理想郷】”
そして互いに権能を発現する。
世界を支配する法則すらも凌駕する絶対的な力。超越者はそれ自体が一つで完結した存在であり、有する権能とは法則そのもの。
つまり権能のぶつけ合いとは法則のぶつけ合い。
言い換えれば世界のぶつかり合いだと言える。
砂漠の中央にて、そのぶつかり合いが遂に始まった。
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