EP207 獣人の首長たち
獅子獣人エブリムと猫獣人ヘリオンは助け出した反レイヒム派の仲間を率いて城の外にいる兵士や一般の者たちを相手にしていた。少人数ながらも強者ばかりである反レイヒム派は兵士を相手にして一歩も引くことなく進撃を続け、辺り一帯には気絶した兵士が転がっている。また迷宮で鍛えている一般の者たちもほとんどが倒されていた。
「こんなものか? いや、兵士が少ないからこそだろうな」
手応えの無さに少し落胆しつつも呟いたのはエブリムだった。クウの策略によってレイヒムは【ドレッヒェ】に向けて出兵せざるを得なくなり、【帝都】を守護している兵士の数は非常に少なくなっているのである。
それほど数の差が無ければ個の実力差でひっくり返すことも難しくない。
「……エブリム。そっちは終わったか?」
「ヘリオンか。こちらはほとんど鎮圧した。残っている奴が多少はいるかもしれんが、そいつらは無視してリッカやハッカを助けに行った方がいいだろう。それにシュラムもレイヒムの野郎と戦っているハズだからな」
「そうか。わかった……危ないエブリムっ!」
「ん?」
エブリムが振り向くと数十センチ先に回転するナイフが迫っていた。引き延ばされる意識の中でエブリムは建物の影からナイフを投擲した猫獣人の女の姿を見る。気配を隠して一撃必殺する技を極めた猫獣人らしい正々堂々とした不意打ちだった。
戦闘中ならまだしも、気を抜いていたエブリムに回避する余裕はない。ナイフはそのままエブリムの額に吸い込まれようとしていた。
だがそのナイフは一人の男の手によって掴まれる。
「油断は禁物だぞアシュロスの息子よ」
「え?」
「親父?」
右手の人差し指と中指でナイフを摘まんでいたのは白い猫獣人の男だった。まるで隙のない強い気配が滲み出ており、歴戦の戦士であることを示している。左目には切り傷が入っており見えていないようだが、反対に右目は一層ギラギラとした光を放っていた。
彼は猫獣人の首長ヴァイス・ベルハルト。
ヘリオンの父親である。
「投擲とはこうするのだ」
ヴァイスは掴んだナイフを投げ返す。すると猫獣人の女が隠れていた建物が吹き飛び、女は悲鳴を上げながら吹き飛ばされて気絶する。跡には崩れた建物だけが残っていた。
「すげぇ」
「……あれは《気纏》を纏わせて破壊力を上げる親父の《気闘短剣術》と《投擲術》。俺も久しぶりに見た気がする」
一応は自分たちのしている工作活動について伝え、さらに物資を確保するためにヘリオンは数週間前にヴァイスと話し合ったばかりだ。だが父親がこうして戦いをしている姿を見るのは何十年ぶりだろうかと考えなくてはならないほど久しぶりである。
改めて首長の強さを思い知ったエブリムとヘリオンだった。
だがその強さに感心しているわけにはいかない。
ヘリオンが早速とばかりに疑問をぶつける。
「……なんで親父がここに?」
「ふん。お前たちがレイヒムを倒すということだからな。奴は儂らが残した負の歴史そのものだ。子供たちだけに任せる訳にはいかん。それに数週間前にお前たちが【カーツェ】を訪れたときクウ殿の力を見たのだ。あれならば勝てる戦いになると確信したまでよ。
それにここに来ているのは儂だけではない」
「……それってどういう意味?」
そう聞き返したヘリオンにヴァイスは城の方を見やりながら静かに答えた。
「アシュロスとエルディスも来ておる。遥か昔に用意しておいた【レム・クリフィト】の通信魔道具が役に立ったということだ」
【帝都】へと来ていたのは猫獣人の首長ヴァイスだけではない。獅子獣人の首長であるアシュロスと狼獣人の首長であるエルディスも揃っていたのだった。
◆ ◆ ◆
レーヴォルフは過去最大級の命の危機に晒されていた。
ミレイナの《竜の壊放》の誤爆によって吹き飛ばされているレーヴォルフがチラリと見たのは赫い雷を纏った凄まじいエネルギーの球体である。クウから聞いた消滅の魔法であるとすぐに理解できた。
(拙い……!)
どうにかして糸で態勢を整えるか、どこかに引っ掛けて強制的に体を移動させる必要がある。しかし如何に天才のレーヴォルフでも今の状況から間に合わせるには物理的に不可能なのだ。
破壊迷宮ではミレイナが殆ど処理したためにレベルアップすることもなく、レーヴォルフは六十年前のステータス値そのままである。もう少し身体能力や反応速度が高ければ対応できるはずだが、もしもの話をしても仕方がない。
ともかくレーヴォルフは自身の死を覚悟した。
「死ねいっ!」
ダリオンがそう叫んで《月蝕赫閃光》を放とうとする。それが炸裂すれば球状に物質を消滅させていき、塵一つ、空気分子一つとして残らない。
しかしダリオンは恐ろしい悪寒を感じてその場を飛びのいた。レーヴォルフを殺す最大のチャンスともいえる瞬間を逃してでも回避しなくてはならないと思わされるほどの強い何かを感じたのだ。
そしてダリオンが飛びのいてから一秒と立たずにその場が爆ぜる。
ガゴンッ!!
寸前までダリオンがいた場所は陥没して地面が罅割れ、破片はそのまま塵となる。凄まじい衝撃を浴びたことで粉塵にまで破砕されたのだ。そしてダリオンの制御から離れた《月蝕赫閃光》がその場で炸裂し、塵すら残さずに消滅させる。
「なんだと?」
ダリオンは少し前まで自分がいた場所が破砕されて塵となったことに驚くが、今度は背後から強烈な殺気を感じ取る。ほとんど反射的に空へと逃れた。
だがダリオンは背中と右足に鋭い痛みを感じる。見ると漆黒の翼の一枚が大きく切り裂かれ、さらに右足は膝のあたりから血が流れていた。確かに回避したはずのダリオンはこれに驚く。
「どうなっている? 確かに避けたはずだ」
ダリオンは斬られたことに気付かぬようなマヌケではない。また本当に気づかないような斬撃を繰り出してくる相手ならダリオンは今の一撃で殺されているハズだ。
つまり何か仕掛けがあったということである。
どういうことかと思いつつ下を見下ろすと、そこにはさっきまでいなかったはずの二人の人物がダリオンを鋭い視線で見上げていたのだった。
「ほう……あれは魔人族か? 羽なんぞ無かったと思うが」
「クウ殿からは何も聞いておらんな。それに貴様の息子エブリムからも聞いてはいない。少なくともただの魔人ではないと思うが何者だろうな?」
一人は二メートルを超える巨躯の獅子獣人であり、壮年に近い見た目ではあるが近寄りがたい重厚な気配が滲み出ていた。両手で支えている戟には黒いオーラが纏っており、《気纏》を武器に宿らせているのだと分かる。
そしてもう一人は全身傷だらけの狼獣人だった。防具は一つも身に付けておらず、白い布だけを纏っている彼は二本の曲刀を手にしている。
この二人こそ獅子獣人の首長アシュロス・グランツェと狼獣人の首長エルディス・レイクだった。
『アシュロス様?』
『エルディス様?』
「父さん!」
「父様!」
反レイヒム派のメンバーの中には獅子獣人や狼獣人もかなりいるため、突然現れた首長の姿を見て非常に驚いた声を上げる。またエルディスの双子の姉弟であるリッカとハッカも父親の出現には目を見開いて驚いていた。
レーヴォルフだけは声を上げることなく命が救われて安堵していた。アシュロスとエルディスが作ってくれた隙を使って復帰し、気を引き締めて構える。
「儂らがやる。他の者共は援護しろ」
アシュロスはそう言って戟を掬い上げるように振るった。すると戟から放たれた黒いオーラの波動が飛んでダリオンへと向かって行く。《気闘戟術》を使うアシュロスの破壊の技だった。ミレイナの《竜の壊放》にも似た効果を持っているが、こちらは範囲も威力も限定的である。ダリオンは当然ながら回避するが、その先にはエルディスが両手に持った曲刀を交差させつつ待っていた。
「死ぬがよい」
エルディスは最高のタイミングで二刀を振るった。
しかしダリオンは翼を使って回避する。堕天使へと転生してから飛行の練習もしっかりしており、この程度の空中機動ならば問題なく可能なのだ。だが回避したはずの斬撃はダリオンに届いていた。
「むっ。やはり特殊な攻撃のようだな」
今度は背中と左腕に切り傷を受けたダリオン。鋭利な刃物で切り裂かれたような傷口を見て、一体どんな攻撃を受けたのか予測する。
「風属性を纏った斬撃だな? 曲刀による一撃に合わせて不可視の斬撃が奔るのだろう。剣による攻撃はわざと避けられる程度にしておき、本命である風の斬撃を与える能力か」
「二度攻撃を受けただけで見破ったのは貴様が初めてだ。だが分かったところで私の《魔法双剣術:風》を防ぐことは出来んぞ!」
エルディスはそう言って何もない場所を切り裂く。
風による不可視の斬撃を使用してくると分かっているダリオンはすぐにその場を離れた。しかしそこを狙って今度はアシュロスが戟を振り下ろす。
「貰ったぞ!」
ダリオンの所まで飛び上がってきたアシュロスは獰猛な顔つきでそう言い放つ。並みの者ならばそれだけで気絶してしまいそうな凄まじい覇気だ。
しかしすべてを破壊するとも思えたアシュロスの一撃はダリオンを透過する。
「何?」
「幻術ですアシュロス様!」
一瞬動きを止めたアシュロスに誰かがそう叫ぶ。アシュロスは慌ててダリオンの正しい気配を掴もうとしたが、それよりも早くレーヴォルフが動いていた。
《気配察知 Lv10》によって研ぎ澄まされた感覚はダリオン如きの幻術では誤魔化されない。《虚空神の呪い》によって精神値が一割になっているため、レーヴォルフほどの実力があれば簡単に破ることが出来るのだ。
レーヴォルフが幻術で隠れているダリオンへと糸を伸ばすが、ダリオンはステータスに任せて緊急回避を行って悪態をつく。
「ええい厄介な! これでどうだ!」
チマチマと幻影を出していたのでは見破れると考えたダリオンは一気に幻術を広げる。すると数にして三十体分のダリオンが出現し、全員の動きを止めさせた。さすがにアシュロスとエルディスも無暗に攻撃を放つわけにはいかず、一度止まって集中する。
だがその中でやはりミレイナだけは《竜の壊放》で全体攻撃をしようとしていた。ミレイナがキョロキョロとしてからグッと力を込めるように表情を変えたことに気付いたリッカが顔を青くする。先程は味方ごと吹っ飛ばしたにもかかわらず、ミレイナは全く学習していなかったのだ。
しかし天才レーヴォルフは同じ失敗を二度はしない。
ミレイナが《竜の壊放》を使用する前に強く肩を掴んだ。
「ミレイナ! 君はまた味方を巻き込むつもりか?」
「む? そんなわけ……あっ」
レーヴォルフに止められて初めて味方ごと範囲に巻き込もうとしていたことに気付いたらしく、ミレイナは発動しかけていた《竜の壊放》を収めた。まさか本当に状況判断が出来ていなかったとは思わなかったレーヴォルフは呆れた声を上げる。
「君は周囲の状況を見ていなさすぎるよ」
「だが今までは―――」
「ここは戦力として十分だ。それに陽動としての役目は十分だからシュラム様の方へと向かってくれ。あちらはシュラム様とクウしかいないはずだから君の広範囲攻撃が多少は生かせる」
「あ、ああ。そうだな?」
かなりの剣幕で言いくるめられたミレイナは反論することなく従う。考えることが苦手なミレイナは理屈で言いくるめられるよりも、感覚的な損得勘定をまくし立てた方が良いのだ。出会って一か月と立たないにもかかわらず、レーヴォルフはミレイナの扱いを習得していたのである。
流石は天才と言えよう。
そして足早に去って行くミレイナをダリオンは追おうともしない。
「見逃してくれたのかな?」
『追いかければ俺の方が恰好の的となるからな』
三十人のダリオンが一斉に喋り、少なくとも位置が分からないようにしている。ダリオンもこの程度の初歩的な罠には引っかからない。
だが大人数における共闘を経験していないミレイナがいなくなったことで足を引っ張る存在が消えたことは確かだ。状況は好転しているといえるだろう。
(まぁ、元からミレイナは対多数を想定している能力を持っているからね。それにクウならば手綱を握れるんじゃないかな?)
レーヴォルフはそう思いつつダリオンの気配を探り出した。
ミレイナが抜け、獅子と狼の首長が加わって第二ラウンドが始める。
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