EP196 乱れ狂う月の華
次の瞬間にクウが現れたのはネメアの背後だった。
僅かに銀色の輝きを残して描かれた軌跡を辿れば、クウが飛翔を使った高速移動でネメアの後ろに回り込んだのだと理解できる。しかし瞬間的な超加速によって体感ではそれ以上の速度で動いているように見えていた。
意識の隙間を突くような見事な動き。
クウはそのままネメアを真っ二つにする勢いで居合を放った。
「ふふ。甘いなぁ」
しかしネメアはおっとりした口調のまま、振り返ることもなく尻尾を叩き付ける。するとその一撃はクウを叩き潰し、その勢いのまま地面まで殴りつけた。
ドゴッ!
土が爆ぜる音がして花弁が大きく舞い上がる。
ただの尻尾攻撃では説明が出来ない程の威力に、観戦していたシュラムとレーヴォルフは驚愕の表情を浮かべていた。基本的に獣人の尻尾はバランスを取るための器官であって攻撃には使わない。そもそもフサフサの尻尾で攻撃などしても威力が出ないのだ。だがネメアの攻撃は二人の常識をアッサリと崩壊させてしまうようなものだった。
だがそんなことで驚いているような暇はない。
「甘いのはそっちだ」
ネメアの尻尾で叩き潰されたはずのクウはいつの間にかネメアの真上から攻撃を放っていた。居合の一撃は既にネメアへと届こうとしており、神刀・虚月がネメアまであと数センチという位置まで迫っていた。
先程ネメアの尻尾に叩き潰されたはずのクウは《幻夜眼》による幻術であり、世界の意思力に干渉して本物のような幻術を見せつけていたのだった。
様子見などなく、初めから全力の能力使用。
超越者ネメアにはこれほどのことをする価値があった。
だがそれでもネメアには届かない。
「うおっ!?」
音速さえも超えて振るわれていたはずの刀をいとも簡単に右手で掴んで受け流す。それも刀の振るわれる方向を変えるだけではなく、クウの体にかかっている重力と慣性力をも利用して向きを変え、クウは自分の運動エネルギーで投げ飛ばされた。
「っと、危ないな……」
それでも空中機動に慣れているクウは、投げ飛ばされた程度で方向感覚を失うことはない。すぐに持ち直して軽やかに着地をしたのだった。
しかしこれでクウの攻撃は終わり。
次はネメアの攻撃を受ける番となる。
扇で口元を隠したままのネメアはその場から一歩も動かずに九本の尻尾を操作してクウへ突き立てた。
ドゴッ!
ドガッ!
ガガンッ!
おおよそ尻尾の攻撃だとは思えない音が鳴り響く。当然ながらクウは回避しているが、攻撃がはずれて地面に攻撃が当たると、凄まじい地響きと共に大地が割れる。
「まだまだこれからや」
口を利く余裕のないクウと異なり、ネメアは笑顔のまま猛攻を続ける。「並列思考」の特性を持つ彼女にとって音速戦闘の合間に話しかけることも容易に出来るのだ。
「ところでアンタはどこの天使なん?」
そう聞いてくるネメアに対して、クウは話す暇もなく回避をし続けている。ネメアの攻撃は九本の尻尾を用いた連続攻撃であり、手数と技量で言えばキングダム・スケルトン・ロードよりも上である。あの時でさえギリギリだったのだから、ネメアを相手に防戦一方となるのは仕方がない。
ネメアもクウが話すほど余裕が無いと気付いたのか、一度攻撃を止めて改めて聞き直す。
「それで、アンタはどこの天使なん?」
「はぁ、はぁ……ゼノネイアだ」
「ああ、虚空神様なんやねぇ。それやったらファルもいるんやないの?」
「ファル?」
「『幻想竜』ファルバッサよ。いないん?」
なるほど、とクウは納得する。
同じ神の使いであるファルバッサならばネメアと古い知り合いであっても不思議ではない。長きを生きるゆえに生きている知り合いが非常に少ない彼らにとっては気になることなのだろう。
「いるけどちょっと分かれて行動している」
「そうなん? つまらへんなぁ。そやったら尚更……楽しませてもらうで!」
ネメアはそう言って再び尻尾攻撃を仕掛ける。
「変身」の特性で自在に長さを変えられる尻尾は鞭のように伸びてクウへと迫る。当然ながらクウはそれを回避して、回避しきれないものは神刀・虚月で受け流した。刀と尻尾がまともに打ち合えるはずもないのだが、まるで金属同士で打ち合っているような感覚すら覚える。
これは「性質改変」の特性によって尻尾を硬質に変化させているから為せるのだ。地面を割ったり出来るのもこの特性のお陰である。
(かといって事象切断も通じないしな……)
クウが神刀・虚月の能力を使用しないのにも理由がある。
そもそも神刀・虚月の事象切断は何をもって効果を為しているのか? それは情報体への干渉と改変による不可視、防御不可の攻撃である。
魔力を流された神刀・虚月は刀身が情報体へと変化し、一つの性質を得る。情報体を切り裂くという絶対の効果を。それによって対象に切断したという情報を与え、どんな物質、非物質でも思いのままに切り裂いたという情報に改変する。ところが情報体と現実は密接につながっている。普通は切り裂かれた情報と切り裂かれていない現実に矛盾が生じ、現実世界が優先されて切り裂かれたという情報は修正されてしまうのだ。
ところが神刀・虚月には一時的に切り裂いたという情報を保存させる効果が備わっており、納刀時に情報が現実へと還元され、現実世界でも切り裂かれることになる。
これが神刀・虚月の能力のシステムだ。
だが絶対の能力に思える神刀・虚月の事象切断はネメアに通用しない。
何故ならネメアは「変化無効」の特性を持っているため、情報体を改変することが出来ない。切り裂いたという情報を与えることが出来ないため、ネメアの前では神刀・虚月もすり抜けるだけの良く切れる刀と化してしまうのだ。
というよりも殆どの攻撃に対して「変化無効」がはたらき、傷を付けることすら不可能に近いのである。
(やはり《幻夜眼》を使うしかない)
思考を加速させながらそう結論付けるクウ。
クウが回避を余儀なくされていたのは確かだが、何も考えずに避けていただけではない。《森羅万象》によって解析し、ネメアに一矢でも報いるための手段を構築していたのだ。
「桜吹雪……」
ポツリと呟かれたその言葉と同時に花弁が舞う。クウの姿も桜吹雪に紛れて消えてしまった。
それは周囲に咲き乱れている花のものではなく、クウが幻術によって創りだした夢幻の景色。だがそれはただの幻術ではなく、意思干渉によって虚数軸のような仮想意思ベクトル次元を生み出し、本物とも変わりない幻影を演出していたのである。
「変化無効」は自らに働く力であり、世界に対して発動された効果は無効化できない。ネメアは桜が舞う幻想的な風景に囚われていたのだった。
同じ桜花が染め抜かれた振袖を着ているネメアに良く似合う景色。
しかしそれを楽しむような暇はない。
フワリと散っている桜吹雪はネメアの頬へと触れ、薄く切り裂いた。
「っ!?」
これにはネメアも驚いたらしく、慌てて硬質化させた尻尾を振るって桜の花びらを払う。しかし不規則な軌道をみせる桜吹雪がその程度で防げるはずもない。
生じた風が降り注ぐ桜を散らし、バタフライエフェクトだとでも言うかのように更なる花弁がネメアに襲い掛かった。予想も出来ない動きは武術の天敵。すべて反射神経で対処しなければならないからだ。
「ふふ。面白いわぁ」
しかしネメアは見とれてしまうような妖艶な笑みを浮かべただけだった。
すると不規則に散っていた桜吹雪はネメアの周囲を回転しながら離れていく。風に流されるようにして花弁がネメアを避けたのは「粒子操作」の特性による効果だ。花弁に一枚一枚対処するのではなく、桜吹雪全体に対して風を働かせマクロ的に操作したのだ。空気粒子を操るからこそ出来ることである。
しかしネメアの能力を知っているクウはこのように対処されると初めから分かっている。
これは少しでも気を逸らすという目的、そして「粒子操作」という非常に演算能力を割かれる能力を使わせるという目的……などの伏線でしかなかったのである。
「《幻夜眼》起動……震天する時空」
「あ……っ!」
突如、クウの幻術で世界が揺すぶられ、激しく酔ったような感覚に陥る。
ネメアの意思力に対して直接干渉する精神攻撃であり、身体に対して「変化無効」であるネメアでも防ぐことは出来なかったのである。
そもそもクウが行った桜吹雪の攻撃には幾つもの意味があった。
一つは気を逸らすこと。
「粒子操作」を発動させてそちらに意思力を使わせること。
そしてネメアに気付かれないように姿を隠して死角に入り込むこと。
さらに最も重要なのが「変化無効」がどこまで効果を発揮するのか確かめることであった。
肉体の異常、さらに肉体を構成する裏要素である情報体の異常を無効化してしまう特性だが、意思力に対しては効果を発揮しなかったのである。
しかしよく考えればそれも当然だ。
超越者は意思力によって莫大な霊力が形を成している存在である。そして魂が|霊力(MP)を生み出すならば、意思力は霊力にブーストをかけて能力として形を成すモノ。「変化無効」も意思力によって霊力があらゆる変化を打ち消すような性質へと変える特性なのだ。
あくまでも霊力に作用する能力であるため、意志力に対する直接攻撃は無効化できない。
「月よ纏え! 《月華狂乱》!」
クウはその隙に《月魔法》を神刀・虚月に纏わせて居合の『閃』を放つ。
「矛盾」「夜王」「重力」の特性が込められた斬撃は《月魔法》そのもの。
振るわれた神刀・虚月の先からは衝撃波が広がるように闇が空間を音速で侵食していき、目に見える景色を漆黒が飲み込んでいく。それはまさに斬撃から生み出された闇の津波。
《幻夜眼》による意思力攻撃によって動きを止められたネメアは一瞬にして闇に飲み込まれて見えなくなったのだった。
凄まじいという言葉だけでは言い表せない。そんな光景を目の当たりにすることになったシュラムたちはクウとネメアの力を思い知って茫然としていた。
「これは……っ!」
「何て戦いなんだ。とても濃密な戦闘なはずだけど……でも実際には五分も経っていない。世界にはこんな戦いがあるんだね」
音速、亜音速戦闘を行っていた二人にとっては五分ですら長く感じられる。さらに《思考加速》も用いた戦闘だったため、体感ではニ十分以上も戦っていたように思えることだろう。ちょっとした視線の動きですら数手先の伏線であり、二人がどれほど高度な戦いを演じていたのかがシュラムとレーヴォルフには理解できていた。
いや、この二人だけではない。
クウとネメアの戦いが始まってすぐに目を覚ましていたミレイナも言葉を失っていた。
しかしそんな風に畏敬の念を送られているとは知らないクウは未だに空間を塗りつぶしている闇の中を見つめていた。
「はぁ……げほっ! これは辛いな。魔力を殆ど使い切っちまった」
咄嗟に実行した《抜刀術 Lv8》と《月魔法》の融合。
つまり《魔法抜刀術》とも言える技である。
「夜王」の力で斬撃を放った先を夜に変える。それは概念的に夜を創りだしているのではなく、光を一点に収束して周囲を闇へと変化させているのだ。「重力」というよりは「力場」とも言うべき性質によって「夜王」を補助しているのである。
だがそれだけの能力ならクウが魔力を使い切る程に消耗するハズが無い。
そしてその答えは収束した光にある。
一点に収束された光は一体どこにあるのか。それは闇に包まれた空間の中だと言っておく。そして「夜王」と「重力」の特性で一点に収束された光は膨大なエネルギーを秘めている。この光が「矛盾」の特性によって『闇』の内部で炸裂するのである。
一点に収束するという事象と「矛盾」するようにして炸裂する光。それは無数の高圧レーザーが暗黒の空間を飛び回り、収束の概念によって再び一点に戻ってもう一度射出するという現象を繰り返す効果となる。
込められた魔力の分だけ闇の内部を蹂躙し続けるのだ。
圧倒的密度の光の乱舞。
闇に閉じ込められた光。光が舞う闇。そんな矛盾を抱えた一撃なのだった。
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