EP191 天九狐
〜九十階層〜
少し時間は遡る。
破壊迷宮九十階層手前にある転移クリスタルの小部屋にて三人の人物が休憩していた。一人は赤髪が肩のあたりまで伸びた少女であり、強い光を放つ瞳が特徴的だ。そして親子のように顔立ちの似たもう一人の赤髪の人物もいる。こちらは頭に布を巻いているため、端から赤色が少し見える程度だ。そして最後のもう一人は非常に長い黒髪を後ろで縛った若者。後姿だけなら女性かと間違いそうだが、正面から見れば体格で男だと分かる。
もちろん彼らは竜人のミレイナ、シュラム、レーヴォルフであり、クウの指示に従って破壊迷宮を攻略していた結果、遂にここまでたどり着いたのだった。
「遂にここまで来たな……」
「ええ、ミレイナの能力は凄いですね」
座って水分を補給しながらそう言葉に出すシュラムに対し、レーヴォルフも頷いて答える。ミレイナが【加護】の解放によって得た《竜の壊放》はステータスの力値に応じて破壊の波動を放つスキルだ。各階層で道を阻むウォールゴーレムも一撃で粉砕することが出来る。
六十階層を越えたあたりから《魔法反射》のスキルまで保持し始めたのだが、ミレイナの《竜の壊放》は魔法ではないので問題なく破壊できたのだった。
感心しつつも【固有能力】の凄まじさに溜息を吐く一方、ミレイナだけは少しイライラしながら二人に話しかけた。
「おい、早く行くぞ。クウの話が本当なら次が最後の試練の階層なのだろう?」
クウも事前にある程度の情報を与えている。本当は九十階層に試練があることを教えるのは良くないのかもしれないが、今回は早急な攻略が必要だったために幾つもヒントを与えていたのだ。それに脱出もなく一気に攻略する以上、途中で倒れられても困るのだ。
しかし如何に急いでいるとはいえ、ミレイナはクウの考える以上に急ぎ過ぎていた。具体的に九十階層まで辿り着くまでに掛かった時間は一週間である。つまり一日で十階層ほど進んでいた計算になるのだ。この三人が既にレベル百越えの《到達者》だったからこその強行軍だったが、それでもこのスピードでの攻略は疲れが溜まって当然だった。
それゆえにシュラムは首を振りながらミレイナに答える。
「まずは休め。次で最後ならば尚更だ。万全の準備で挑むべきだろう」
「む、私は万全だぞ。もっと強くなれるなら疲れなど気にならない」
「ダメだよミレイナ。休めるときに身体を休むことも戦いだからね」
「レ―ヴの言う通りだ」
二人に言いくるめられて納得いかなそうにするミレイナ。
だが確かに尋常ではない速度で攻略を続けていたため、正しいのはシュラムとレーヴォルフの方だ。特に三人にとって鬼門といえた森のフィールドフロアは精神的な疲れを増幅させていた。砂漠に住む彼らにとって木が密集している光景など初めてだ。砂漠に分布している木はオアシスにあるヤシの木や、背の低い砂漠特有のものばかりだ。広葉樹が繁る場所など目が飛び出るほどの驚きなのである。
見通しの悪い森の中を歩く方法も分からず、さらにトラップのキノコ胞子から状態異常を受けることも少なくなかった。さらに森フィールドのボスはトレント系の魔物。初めて見る種に戸惑いながらも力押しで何とか倒したのである。
肉体疲労はともかく、精神疲労は計り知れなかった。
ミレイナも渋々といった様子での転がる。どちらかといえばふて寝のようだが、それでもシュラムとレーヴォルフは顔を見合わせて安堵の表情になっていたのだった。
(ミレイナは焦り過ぎている。戦士としては致命的だ。スキルの使い方も力任せで、相手も見ずに無闇な攻撃を仕掛ける部分は結局矯正できなかったな……)
(うーん。本当にパルティナ師匠の子供なのかな? 技が全くないね……《体術》もスキル任せで工夫がないし、《操糸術》も束縛系の基本技ばかりだ。【固有能力】が強すぎるからかな?)
こうしてミレイナと共に迷宮を攻略したことで二人は共通認識を得ていた。『この娘は全く戦いを理解していない』と。
確かに繰り出されるパンチも蹴りも《体術 Lv6》相応の威力と鋭さだ。それに身体全体の動きも随分と滑らかである。しかし武術としての動きは不十分だ。強いて言うならば喧嘩が強いだけなのである。本当の強者同士の戦いでは通用しない強さなのだ。
生まれ持った【固有能力】に満足し、今のスキルも【固有能力】を使って強い魔物と戦うことで成長したに過ぎない。つまりは武の技術が未熟なのだ。さらにミレイナ自身も自分の未熟な点に気付いていない。だからこそシュラムは今までミレイナを戦争に出したことがなかった。【固有能力】は切り札だが、率先して使おうとはとても思えなかったのである。
(迷宮攻略の途中で矯正したかったが……)
何度も魔物と戦闘することで技術も教え込もうとしたが、ミレイナは無視して《竜の壊放》を乱用しているだけだった。破壊力が強すぎるため、ミレイナの力で放つと殆ど一撃で倒せてしまうのである。クウが《虚の瞳》で精神崩壊させることが出来たように、ミレイナは物理的に対象を破壊できるのだ。
罠すらも破壊して突き進む姿は豪快の一言だが、その分だけミレイナの戦闘技術は成長する機会を失っていく。シュラムはレーヴォルフと共に何度か諫めたが、全く効果が無かったのである。今まで苦戦らしい苦戦をしなかったからこその慢心なのだろう。
抵抗すら出来ずにレイヒムに捕まってしまった事実が多少は堪えていたようだったが、迷宮で無双する内にそれも忘れてしまったらしい。
シュラムは最後にもう一度だけ大きな溜息を吐きつつ体を横にして休息を取ったのだった。
どうにかミレイナを諫めて半日の休憩をとり、三人は九十階層へと挑む準備を整えていた。一週間に及ぶ強行軍の疲れを僅か半日で問題ないまでに回復してしまうところは驚くべきことだ。さすがは戦闘に特化した竜人族といったところだろう。単純な戦闘力だけでなく、継続戦闘能力や回復力までも人族とは大きな隔たりがある。
もちろん堅い地面で寝た程度で完全に疲れが取れることはないが、彼らは戦士なのだ。この程度のことで音を上げるようなことはない。少しだけストレッチをして体を伸ばし、あっという間に戦闘準備を整えてしまったのだった。
「さて、そろそろ行けるか?」
「はい。僕は大丈夫です」
「私は休憩なんかしなくても大丈夫だったからな。問題ない!」
「……はぁ」
胸を張ってそう宣言するミレイナにシュラムは溜息しか出ない。
しかしこれはミレイナの性格を知らなかったクウが一つの原因となっていた部分もある。クウはミレイナの目の前で圧倒的な力を見せた。特に迷宮の二十一階層に降りるまでに《抜刀術》や《月魔法》の力を存分……とまではいかずとも相応に見せつけたのである。そしてクウはミレイナに『自分と同等の力を得ることが出来る』と言って迷宮攻略を促した。ミレイナはクウと同等の圧倒的な能力に惹かれていたのだ。
これは竜人としての性であることは否めないが、それでもミレイナは大きな力を持つのに幼過ぎた。というよりも逆にクウが大人過ぎたのである。クウは【固有能力】を使ってあらゆる敵の精神を破壊できたが、それに慢心して頼り切ることはなかった。《幻夜眼》の本質へと至ったのも能力に対する考察と研究を止めなかったからである。もしも便利な幻術だけの力で満足していたら、クウはオロチとの戦いで死んでいただろう。
慢心は成長を止める。
シュラムはそんなミレイナを憂いていたのだった。レーヴォルフも同様の思いに至ったのか、オブラートに包みつつもミレイナに忠告する。
「ミレイナ。次で最後なんだから油断はダメだよ?」
「当然だ! 私に油断などない!」
「そ、そうかい……」
どこがだっ! とツッコみたくなる衝動を抑えて言葉を絞り出すレーヴォルフ。偽レーヴォルフことダリオンはミレイナに何を教えていたのかと本物は頭を抱えるのだった。
そんな二人の心配など露と知らないミレイナは自信たっぷりな顔つきで転移クリスタルの小部屋から出て階段を降りていく。それを見たシュラムとレーヴォルフは慌てたようにミレイナを追って階段を降りて行ったのだった。
そして何を急いでいるのか、ミレイナは一段飛ばしで階段を下ってあっという間に九十階層ボスフロアの扉の前に立つ。
「これが次の敵か!」
重厚な金属と思われる物質で出来た扉には一体の獣が描かれている。それは狐のような見た目であるが、少し違うのは尻尾が九本もあることだ。ミレイナは知らなかったが、少し前にファルバッサがクウに教えた六体の神獣の内の一匹、天九狐だ。
五十階層のボスフロアから始まった扉によるボスの告知は破壊迷宮にもあるらしく、ミレイナはこの情報を完全に信用していた。今までにない扉の装飾の豪華さからは次のボスの強さが窺えるのだが、ミレイナはそこまで頭が回らなかったらしい。
全く気にすることなく扉に両手を当てた。
「ミレイナ!」
「ちょっと待って!」
ミレイナのしようとしていることに気付いたシュラムとレーヴォルフは慌てて止めようとするが、少し遅れてついて来ていた二人は間に合わない。
ニヤリと口元に笑みを浮かべたミレイナは両手に力を込めつつ呟いた。
「《竜の壊放》」
ドゴッ!
凄まじい威力の衝撃が放たれ、重厚な扉が一気に全開となる。ウォールゴーレムと違って壊れないのはさすがというべきだが、それでも直に与えられた衝撃でミシミシと嫌な音は立てていた。これが一般的な家の扉ならば全く常識はずれな開け方だ。しかしここは迷宮である。そのため文句を言うような者はいない。
ミレイナはそう思っていた。
だが……
「全く無礼な客が来はったもんやねぇ」
フロアの中から聞こえて来たのは美しい歌声のような響き。言葉の内容としては文句を言っているだけなのだが、それでも思わず聞き入ってしまうような魅力のある声色だった。
ミレイナが驚いて中の景色を見ると、そこにいたのは桜が染め抜かれた白い振袖の女性。右手に持った扇子で口元を隠してはいるが、艶のある黒髪と色気のある目元が絶世の美女であることを語っている。また振袖を着ているとは思えない程に起伏が目立った肉体は世の女性から嫉妬の嵐を浴びること間違いない。
そんな女性が少し大きな岩に腰かけていたのだった。周囲には一面に花畑が広がっており、季節を無視したように様々な草花が咲き乱れている。まるで夢の世界にでもいるような光景と言えた。
続けて入ってきたシュラムとレーヴォルフもその女性を見て絶句する。彼女の見た目の種族は竜人でも獣人でもないのだが、美しさの感性は種族間でもそう変わらない。まるで魔力でも持っているかのような妖艶さに思わず後ずさってしまったほどだった。
そんな様子を見た女性は口元を緩めながら言葉を続ける。
「三人もよう来なはったなぁ。あんた方が初めての九十階層到達者なんよ。ウチもようやく仕事が出来るさかい、楽しみやねぇ。本当に面白かったら……そうやねぇ、さっきの無礼を許してあげても構わへんよ?」
クスクスと笑う彼女と同調するように周囲に風が吹く。
それに揺られて草花も香りを放ち、花弁が舞って幻想的な景色を見せる。どこまでも地平線まで広がっている花畑は砂漠出身の三人にとっては本当に夢のような世界であり、単純なミレイナだけでなく、シュラムやレーヴォルフまでも見とれてしまっていた。
だがここでシュラムは何かの違和感を覚える。
(何かがおかしい……。いや、まず目の前の女性もそうだが、何かを見落としているような……)
今までのボスフロア前の扉にはボスの姿絵のようなものが彫り込まれていた。九十階層では九本の尾を持つ狐の姿だったが、実際に目の前にいるのは絶世の美女。これも違和感……というよりは疑問の一つだ。だがシュラムが感じている違和感はそこではなく景色に対するものである。
余りにも調和した美しさを持つ花畑に何か引っかかる部分があったのだ。草花は咲き乱れているが、それは下品で乱雑な様子ではない。色調や花と草の間隔、割合も調整されたかのように整然としている。しかしこれほどの花を初めて見たシュラムがいきなりその色調や景色自体に対して疑問を持つということは有り得ない。つまり感じている違和感は別の所にあるのだ。
(……そうか! ミレイナが《竜の壊放》で乱暴な開け方をしたのに景色が乱れた様子がない。それにあの女性もミレイナの攻撃で被害を受けた様子がない。あの衝撃は扉の奥には相当な被害を出すはずだ。それなのに何か被害を受けた跡が全くない)
シュラムの感じた違和感とは、ミレイナの攻撃がフロアに全く影響していなかったことだ。頑丈すぎる扉だとはいえ、ミレイナの《竜の壊放》は衝撃を操る能力だ。あの威力なら扉を貫通し、フロア内部まで相当な被害が出ていてもおかしくないのである。
事実としてミレイナが三十階層でも同じことをしたとき、そのボスはフロアに入った時点で瀕死の重傷を負っていた記憶もあるのだ。だからこそ感じた違和感だったのである。
そしてその被害を抑えたとすれば、その要因は恐らく目の前の女性。この世の者とは思えないほどの美貌と妖艶な雰囲気を持つ彼女は一体何者なのかとシュラムは畏れた。
そして女性はシュラムの疑問に答えるようにして口を開く。
「ほんなら、早速楽しませて貰いましょ。ウチは天九狐、『傾国姫』ネメア。試練を受けるのはそこにいる小娘で合ってるんよねぇ?」
そう言った途端にネメアの背後から九本の狐尾が伸びる。一つだけでも二メートルは有りそうな尻尾が扇状に広がってユラユラと揺れており、三人はその姿に扉に彫り込まれていた九尾の狐の姿を思い出していたのだった。
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