EP182 見えない能力
白いマントの人物……つまりクウがミレイナの奴隷首輪に触れ、能力を行使した瞬間に契約の効果は完全に破壊された。《幻夜眼》による意思干渉によって奴隷契約に介入し、契約者を白紙へと戻したのだ。
契約によってレイヒムの望むように意思ベクトルを捻じ曲げられている状態から、クウの意志力によって上書き・相殺を行ったのである。所詮は【通常能力】で付与された魔道具だ。【魂源能力】の力に抵抗できるはずもなく、簡単に契約は破棄されたのである。
しかしこれに驚いたのはレイヒムだ。
「どういうことです……奴隷契約の繋がりが消えてしまった? それにあなたはあの時の―――」
奴隷契約は闇属性の「汚染」と召喚属性の「契約」の特性によって成り立っている。それを強制的に外部から解除するには《闇魔法》と《召喚魔法》を同時に使用する必要があるのだが、実際は二属性の魔法を同時に行使できないため、実質的に奴隷契約解除は不可能なのだ。
正規の方法としては奴隷契約を解除するために主人の血液と契約破棄の意思が必要なのだが、クウに関してはそれを無理やり外部から破壊したのである。驚かないハズがない。
クウは驚くレイヒムと偽レーヴォルフを無視して呟いた。
「気を失っているか。まぁ、騒がれるよりはいい」
クウは気絶しているミレイナを左脇に抱えて立ち上がり、今度は偽レーヴォルフの方へと振り向く。見れば確かにレーヴォルフに似ているが、見た目が若く、髪の長さも肩より上だ。恐らく六十年前のレーヴォルフの姿なのだろうと予想できる。
(六十年間も変わらない姿でよくぞ誰にも怪しまれなかったもんだな)
どうやら偽レーヴォルフは巨大蛸の攻撃によって負傷したらしく、少し動きが鈍い。ならばとクウは目の前の男が一体何者なのか調べてみることにした。
(……《森羅万象》)
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レーヴォルフ・キリ 45歳
種族 竜人 ♂
Lv117
HP:5,643/6,891
MP:5,183/5,183
力 :7,128
体力 :7,822
魔力 :5,211
精神 :6,985
俊敏 :7,347
器用 :7,559
運 :31
【通常能力】
《体術 Lv7》
《操糸術 Lv7》
《気纏 Lv7》
《気配察知 Lv4》
《気配遮断 Lv5》
《思考加速 Lv5》
《衝撃耐性 Lv6》
【称号】
《天才》《努力家》《到達者》
《三将軍》
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(どういうことだ?)
この結果にクウは戸惑いを見せた。
スキル群もステータス値もレーヴォルフそのままであることはまだいいだろう。だが、名前や称号までも間違いなくレーヴォルフであり、年齢も45歳と六十年前のレーヴォルフの年齢と一致する。
まるで六十年前のレーヴォルフのステータスをそのまま写し取ったかのような画面だったのだ。
(《気配察知》と《気配遮断》はレベルが低いな。本物は牢の中でレベルを最大まで上げていたから差が出てしまったということか? だがそれより問題は俺の《森羅万象》でこの表示ってことだ)
最上位情報系スキルである《森羅万象》は全ての情報を開示、秘匿することを可能としている。どんな魔道具やスキルで隠しても《森羅万象》はそれを見通すことが出来るのだ。
しかしレーヴォルフのステータスをコピーしたかのような表示はどう見ても偽装である。ならば《森羅万象》で見破れるハズなのだが、どうしてもそれが出来ない。
じっと見つめるクウに気付いた偽レーヴォルフは口を開く。
「君が……レイヒムの言っていた邪魔者かな? 生きていたとは驚きだね。レイヒムからは殺したって聞いていたんだけど」
「そうです。あなたは確かにオロチの息吹に巻き込まれて死んだはず。まさかあなたは別人だとでもいうのですか!」
そういえば……とクウは思い出す。
確かにクウは死んだように見せかけて姿を消していた。レイヒムやオロチからすればクウをきっちり殺したように映っていたことだろう。だが実際には目の前に姿を現したのだ。
あの時もマントで顔を隠していたために確信はしていないようだが、レイヒムはクウから感じる魔力の大きさでそう判断していたのである。
しかしクウとしても馬鹿正直に情報を与えるつもりはない。余裕のある口ぶりで静かに答えた。
「さあな? そんなことはどうでもいい。それよりもお前は何者だ?」
クウは偽レーヴォルフを指さしながらそう言葉を紡ぐ。そしてそれと共に《幻夜眼》で巨大蛸を操作して、偽レーヴォルフに向かって蛸足を伸ばさせた。
物理法則など無視したかのような初速度で伸ばされた蛸足は偽レーヴォルフを捕らえようとするが、偽レーヴォルフはそれを察知して素早く回避する。だがクウはそれに驚くこともなく、冷静に巨大蛸の幻術を操りつつ偽レーヴォルフを追い回す。
「くっ……まさか、その化け物が、君のモノだとは、ね!」
「これを避けるか。なら次だ」
クウは巨大蛸の幻術を消し、代わりに地面から大量の鎖を出現させる。さすがに七体の感染型幻術を展開した状態で、更なる鎖の幻術を使うのは無理だったからだ。他の六体はレイヒムの召喚獣を抑えているため、仕方なくこの場の巨大蛸を消したのである。
突然、巨大蛸が煙のように消失したことに驚いた偽レーヴォルフとレイヒムだったが、クウは容赦なく偽レーヴォルフを鎖で捕らえたのだった。さすがに数十もの幻術の鎖で囲まれた状態からは回避できなかった偽レーヴォルフは雁字搦めにされて動きを止める。
「まさかこれほどとはね……」
「何をしているのですかレーヴォルフ!」
「いや、あれは無理でしょ」
見た目は余裕を崩さない偽レーヴォルフだったが、内心ではかなり焦っていた。何故なら目の前の白マントの人物の能力が全くの不明だったからである。巨大蛸を操り、それを消したかと思えば大量の鎖を出現させる。
まさかこれが幻術であるとは誰も思わないだろう。
完全に偽レーヴォルフを捕らえることに成功したクウはミレイナを抱えたままゆっくりと偽レーヴォルフに近づく。レイヒムは戦闘タイプではないために動けず見守るばかりだが、それでも巨大蛸と戦っている眷属たちに早く戦いを終わらせるよう指令を送っていた。
(早くこちらへ来てください……)
レイヒムはそう願うが、召喚獣たちが相手にしているのは幻術生物であり、どう考えても勝負がつくはずがないのだ。寧ろこれまで負けていないだけ眷属たちの強さが窺える。
そして一方のクウは偽レーヴォルフを縛る鎖を操作し、締める力を強めながら口を開く。
「さて、答えて貰うぞ。お前は何者だ?」
「さあね―――ぐっ!?」
「答えなければ徐々に締め上げる強さを上げていく。お前は何者だ?」
クウは何者であるかを聞きつつも思考は続けていた。
見た目や喋り方はレーヴォルフそっくりであるが、どう考えても偽物。それはステータス画面の違和感から確定していると言ってもいい。ならばクウの《森羅万象》でさえも違和感を除けないのは何故なのか。
(こいつも【魂源能力】を持っている可能性がある。最上位情報系スキルの《森羅万象》を防げるとしたらそれ以外に有り得ないからな。想定はしていたが、ついに情報系の【魂源能力】が出たか)
スキルにおいて【魂源能力】は他の能力に優先される。【通常能力】で【魂源能力】に対抗するのは本当に難しいことなのだ。クウも知らない裏技があるのかもしれないが、余程のことがない限りは【魂源能力】を【通常能力】で破ることは出来ない。
たとえば以前のキングダム・スケルトン・ロードのように、何重にも防御を重ねれば抵抗できるようになるだろう。しかし今のクウには相手の隠れたステータスを見るだけの突破力がないため、こうして拷問するしかないのだ。
「どうなんだ?」
「うぐっ……話さないよ」
鎖が締め付けるたびに折れた肋骨へと刺激を与える。だが徐々に近づきながら締め付けを強くしていくクウにも屈しない偽レーヴォルフは想像以上に口が堅かった。その軽い口調からは思いもしない強情さである。
(あまり時間もない。いっそ殺してしまうか? どうせ敵なら厄介な事にならない内に始末した方がいい。こいつの偽装能力で懐に入り込まれたら見分けがつかないしな)
手を伸ばせば触れられる距離まで近づいた時、クウは立ち止まってそう考える。レイヒムに味方をしている以上はクウの敵であるし、【魂源能力】を所持しているとすれば始末しなければならない。情報を抜き取れないのは惜しいが、そのために犠牲者が出るのは避けたいのだ。
そんなとき、クウの左脇でミレイナがゴソゴソと動き出した。
「―――ぐっ、ここはどこだ?」
ミレイナが目を覚まして初めに見えたのは乾いた地面。それも何者かに抱えられて上から見下ろしている状態だった。全身に残る痛みに眉を顰めながらも状況を思い出していく。
(そうだ……変な化け物と戦って、レーヴが出て来て……私はどうなったのだ?)
奴隷首輪が作動して全身に激痛が走り、そのまま気絶してしまったのだが、ミレイナはその辺りの記憶が曖昧だった。奴隷首輪の効果は記憶に影響を与えるほどに強いため、耐久力が高い竜人でもこのような状態になるのは仕方がない。
またミレイナ自身は考えることが苦手であるため、すぐに思い出すことを放棄したのだった。
そしてそこで気付くのが一体誰に抱えられているのかということ。ミレイナは痛む体に鞭を打って体を動かし、どうにか顔を上げて正面を見上げる。するとそこには鎖に縛られて動けなくなった元師匠のレーヴォルフの姿があった。
「なっ! レーヴっ!」
「おい、ちょっと……」
ミレイナは体の痛みすら忘れて裏切者のレーヴォルフへと掴みかかるために暴れる。予想外の動きをされたクウは思わずミレイナを離してしまい、ミレイナはその隙にとレーヴォルフへ飛びかかった。
「レーヴっ! お前は!」
「ふふ、ミレイナか」
ミレイナは左手で偽レーヴォルフの胸元を掴み、右手を振り上げてパンチを繰り出そうとする。この状況でも笑みを崩さない偽レーヴォルフの顔から、その余裕を吹き飛ばしてやらんとばかりに振り下ろされた一撃は確実に偽レーヴォルフの左頬を捉えようとしていた。
だが今にも攻撃されようとしている状態で余裕を保っている偽レーヴォルフを不審に感じたクウは、持っている身体能力を駆使してそれを阻止する。
「こら待て!」
クウは左手でミレイナの首根っこを掴み、右手で偽レーヴォルフの左肩を抑えて引きはがす。偽レーヴォルフの胸倉を掴んでいたミレイナの左手もクウの力には抗えずに剥がされ、右手のパンチは数センチ手前で空を切ったのだった。
これに驚いたのはミレイナである。
「おい、何をするのだ! 離せ」
「馬鹿が。勝手にこいつを殴るな。尋問中だ」
「知るか。殴らせろ」
「尋問が終わったらな……って暴れるなっ!」
興奮しているミレイナは体の痛みも忘れて暴れる。左手一つでミレイナを抑えているクウからしてみれば面倒極まりないのだが、どうせ殺すならミレイナにやらせるのもアリかと思い直していた。クウはあくまでも協力者という立場であるし、ミレイナが殺したいならさせればいい。ただ殴りたいだけなら殴らせて、その後クウが殺せばよいのだ。
偽レーヴォルフは余裕を崩さないが、クウの幻術で縛られている以上は何かを出来るとも思えない。
「なぁ、ミレイ―――」
「―――ねぇ」
クウはミレイナに一発殴らせる許可をしようとしたが、それを遮って偽レーヴォルフが口を開く。かなり強い力で縛っているハズなのだが、その口調は変わらず軽い調子であり、むしろ勝利を確信したような響きすら感じられた。
そんな偽レーヴォルフの声に背筋の寒さを感じたクウはバッと偽レーヴォルフの方へと振り向く。すると偽レーヴォルフはニヤリと口元を歪めて自らの肩を掴むクウの右手を見ていた。
「僕に触ったね?」
クウは悪寒を感じてミレイナを掴んだまま一気に後ろへと飛ぶ。
偽レーヴォルフの言葉は「僕に触ったね?」というもの。つまり触れることで何かしらの能力が起動することを意味していた。
そして数メートル後ろへと着地したクウが見たのは黒い霧に包まれる偽レーヴォルフの姿。クウは急いで《幻夜眼》を発動し、幻術で十本もの剣を宙に浮かべて黒い霧に包まれた偽レーヴォルフへと殺到させた。
「なんなのだ!?」
ミレイナはその光景にひたすら驚くが、クウはお構いなく更に十本の剣を追加で宙に浮かべる。本物のような幻術である十の剣は普通ならば絶望でしかないが、それを見ていたレイヒムですら何故か余裕を取り戻して呟いた。
「何とかなりましたね……」
その瞬間、クウが初めに飛ばした十本の剣が黒い霧に突き刺さる直前で消失する。クウは全く解除などしていないにもかかわらず、【魂源能力】である《幻夜眼》の幻術が消し去られたのだった。
これにはクウも目を見開くが、驚きはそれでは終わらない。
黒い霧が消え、中から出来てた偽レーヴォルフだったはずの人物にクウは思わず声を漏らした。
「やられた……その手の能力か」
「クウ・アカツキ。そういうお前もいい能力だな」
そこにいたのは黒髪黒目のよく知った顔、声……
クウが目にしていたのは幻術の鎖に縛られた自分と全く同じ姿の人物……つまりクウ・アカツキとそっくりな姿だった。





