EP181 偽の竜人
巨大蛸と激しい戦闘を繰り広げていたミレイナは困惑していた。
自分の【固有能力】である《竜撃の衝破》は振動を操って対象を破壊する強力無比なスキルだ。今までこのスキルを使って敗北したことは殆どない。父親であるシュラムが相手の時や、他の三将軍を相手にして模擬戦をしたときに負けた程度だ。それも殺さないように手加減した攻撃だったため、本当に負けたのかといえば論争する余地のある話になるだろう。
しかし目の前の巨大蛸はミレイナの本気の攻撃を全く受け付けないのだ。いや、確かに攻撃によって巨大蛸を吹き飛ばすことは出来るのだが、それによってダメージを受けた様子がないのだ。
「どうなっている……?」
さすがのミレイナもこれにはどうしようもなかった。相手は初めて見る魔物であり、弱点も能力も特性も何一つ分からない。戦闘を続ける内に相手の攻撃方法などは理解し始めていたが、それが突破口になるほど判明はしていなかった。
遠距離で《竜撃の衝破》を放っても効果がなく、近づいて直接《竜撃の衝破》を撃ち込んでも振動を受け流すようにして威力を軽減しているように感じる。そもそもミレイナが得意とする打撃攻撃に対して強いのだ。【固有能力】のお陰で圧倒しているが、戦いとしては不利な状態にある。
「む……」
ドゴンッ!
反撃とばかりに迫ってきた蛸足を回避するミレイナ。先程までいた場所には三本の蛸足が鞭のように叩き付けられて地面に罅を入れていた。あれ程の攻撃を受ければ間違いなく戦闘不能になるだろう。
ミレイナもその隙を突いて巨大蛸の頭部に攻撃を放とうとするが、蛸の足は八本ある。残りの五本がミレイナに向かって次々と攻撃を仕掛けていた。
「ええい! 面倒だな!」
左右から迫る二本の蛸足をジャンプで回避し、空中で身動きが取れなくなったミレイナに向かってくる三本目の蛸足は《竜撃の衝破》を込めたパンチで弾き返す。そして着地したところを狙って上から叩き付けようしてきた四本目は右に跳んで回避し、ミレイナを捕らえようと巻き付くように迫ってきた五本目を察知して早めに逃げる。
手数の多い巨大蛸は、一度攻撃に回ればいつまでも攻撃を続けることが出来る。また、軟体生物であるために関節の制限がなく、自在な動きをすることが出来る利点もあるのだ。
ヒュンヒュンと空気を切りながら鞭のようにしなる蛸足を見てミレイナは呟く。
「《竜撃の衝破》……全方位解放」
途端にミレイナの周囲の空気が震え、何か波動のようなモノが球状に放たれる。音速に近い衝撃波にも似ているその攻撃は全ての蛸足を吹き飛ばし、再び戦いをリセットすることに成功した。
「はぁ……はぁ……あんな奴が倒せるのか……?」
魔力を消費しない《竜撃の衝破》はいくら使っても体が疲れることはない。しかしギリギリの戦いをいつまでも続けることが出来るほどミレイナの精神は強くなかった。寧ろ《竜撃の衝破》のお陰で今までは戦闘を全て一瞬で終わらせてきたのだ。長い緊張下の戦闘というものを経験したことがない。【固有能力】に甘えていたツケが回ってきたのである。
その点でクウは《虚の瞳》を全力使用することを控え続けた。そのお陰で【固有能力】だけに頼らない様々な戦闘方法を身に付けることになったのである。《光魔法》と《闇魔法》を覚えたのも《虚の瞳》以外の遠距離攻撃を習得したいと考えたからであるし、対象と目を合わさなければならないという《虚の瞳》の制約に困ることもほぼ無かった。
ミレイナは初めて出会った《竜撃の衝破》の効かない相手に手を打ちかねていたのである。
「あのミレイナが苦戦を……本当に厄介なようですね」
ミレイナと巨大蛸の戦闘を眺めていたレイヒムもそう呟きながら眉を顰める。他の六体は召喚獣に任せてミレイナの戦いを観察していたのだが、思ったような戦果を挙げられていないことに内心では驚いていた。
「さすがは未知の魔物ですね。私の《鑑定》ですら何も見えないのは初めてですし、ミレイナの【固有能力】ですら耐えきる耐久性は素晴らしい。是非とも私の眷属にしたところですが……それも難しそうですね」
自分の召喚獣たち……ジーロック、ポイズンコブラ、デッドスコーピオン、デザートエンペラーウルフ、デーモンロード、マンティコアの六体も巨大蛸を相手にして拮抗を保つだけに留まっている。つまり、目の前の化け物は少なくとも人族基準でSランク以上の能力を有していることになる。魔族の間にはこのような明確な基準はないのだが、レイヒムも相手が相当高位の魔物であるとは考えていた。
しかし悠長にそのようなことを考えている暇はない。現に精神が消耗しているミレイナは既に《気纏 Lv7》を使うことが出来ず、《身体強化 Lv7》のみが頼りとなっている。ここでミレイナが倒れれば巨大蛸を抑えておく者がいなくなり、何よりレイヒム自身の計画に大きな支障を齎すことになるのだ。
「私が召喚できる眷属は既にギリギリ……それに残っている眷属はどれも弱い種ばかりですからね。あの化け物が相手ではどうにもならないでしょう。私の血を飲ませたいところですが、奴の口がどこにあるのかも不明ですからね」
レイヒムは自分自身の戦闘能力が低いことを理解している。神種として進化した以上はそれなりに戦えるのだが、近接戦闘に関するスキルを有していないのだ。スキルというのはかなり重要であり、ステータス値が遥かに劣っている相手でも、スキルで負けていればそのまま敗北に繋がる。
クウも召喚当初は低レベルながら、強力なスキルを利用して勝ち続けていたのが証拠だ。レイヒムは近接戦闘をすることが出来ないため、結局は【魂源能力】である《怨病呪血》に頼ることとなる。そうすれば呪いで相手を弱らせることができるからだ。
しかし巨大蛸はどこに口があるのか分からない。血を取り込ませるにしても、巨大蛸の主な攻撃方法は触手による打撃であり口を見せないのだ。これではどうしようもないのである。
どうするべきかと悩んでいた時、レイヒムに声を掛ける者がいた。
「やぁ、レイヒム。大変そうだね」
皇帝であるレイヒムにそのような口の利き方をする者がいるのを見れば、多くの獣人は驚くだろう。ほとんどの獣人がレイヒムを謎の病から救ってくれた英雄だと信じており、敬っているからだ。
しかしレイヒムはそんな口の利き方など気にした様子もなく言葉を返す。
「あなたですか……こんなときに何をしていたのですかジョーカー?」
「ははは、寝ていたらいきなり騒がしくなって驚いたよ。それとここでは僕の名前はレーヴォルフだって何度も言っているじゃないか」
「ふん。ジョーカーの名もどうせ偽名でしょう?」
「どうだろう……ね」
そう語る人物は頭に白い布を巻いた竜人だった。上手く角を隠しているために蛇獣人とも間違いそうだが、その見た目は間違いなく裏切ったレーヴォルフ・キリの姿である。
しかしクウが見たレーヴォルフはもっと髪が長く、もう少し歳をとっているように見えた。だがレイヒムにジョーカーと呼ばれたレーヴォルフは少し見た目が若く、髪の長さも肩より上なのだ。つまりは変装していた偽物のレーヴォルフということである。
「それで何故ここに?」
「いやー、一応は弟子だったミレイナが戦っているのが見えたからね。ちょっと観戦に来たんだよ」
「呑気なものですね。一応は【帝都】の危機ですよ」
「はは、それなら手伝おうか? 僕としてもこの国があの化け物に滅ぼされるのは困るしね」
「そうしてください。私は接近戦に向いていないので」
「じゃあ行ってくるよ」
レーヴォルフはそう言って軽く地面を蹴る。フワリとした軽い足取りだったが、一瞬にして巨大蛸へと近づいて《操糸術》を行使した。
まるで生き物のように糸が動き、自在に動き回っていた蛸足を絡めとっていく。そして計算されたかのように空中に設置された糸へと自ら絡まる形で八本の蛸足は捕らえられたのだった。
これに驚いたのはミレイナである。
「お前! レーヴっ!」
「やぁ、ミレイナ。この程度の相手に何をしているのかな?」
「何だと!」
レーヴォルフは巨大蛸の頭に着地してギュッと糸を引っ張る。締め付けられた巨大蛸は糸に束縛されて動きを止めさせられた。
そして疲労していたミレイナは、元師匠であり自分を攫ってレイヒムの元に届けた裏切者レーヴォルフの姿を見て興奮しきっていた。そして自らに奴隷の首輪が掛けられていることも忘れてレーヴォルフへと攻撃を放とうとする。
「このっ!」
巨大蛸を縛っており、今は身動きの取れないレーヴォルフはミレイナの《竜撃の衝破》を避けることが出来ないハズだった。そのまま衝撃波が放たれれば、如何に肉体が丈夫な相手でも相当のダメージを負うことになる。
しかし《竜撃の衝破》が発動されることはなかった。
「うがあぁぁぁぁぁぁああっ!?」
発動の意思を見せた瞬間にミレイナの全身を襲う激痛。それは奴隷の首輪がミレイナの契約違反を察知したことによる効果の発動だった。
レーヴォルフはそんな様子のミレイナを見て呆れたように口を開く。
「ダメだよミレイナ。君の奴隷契約は自分を害する者とレイヒムが指示を出したもの以外への攻撃を禁止するというものだ。僕に《竜撃の衝破》なんか使ったらそうなるに決まっているだろう?」
「ぐうぅぅ……」
痛みに耐えながら地面に倒れるミレイナ。体を火で焼かれているような痛みにミレイナは最早立っていることすら出来ない。元から戦闘で疲労している肉体と精神にトドメを刺すようなものだったのだ。
ミレイナは確かに強い能力を有する戦士だ。しかしそれと同時に十六歳の少女でもある。奴隷の首輪が与える激痛に耐えることは出来なかった。
地面に横たわるミレイナは最後にレーヴォルフを睨みつけてからそのまま気を失う。
「…………」
「おや、気絶したのかな? まぁ、元から限界みたいだったし構わないか」
「何を言っているのですか。ミレイナが使えないなら、あなたがその化け物を倒すしかないのですよ」
「ああ、そうだったね。それは面倒だ。どうしようかな」
レーヴォルフは今も巨大蛸を縛り上げているが、倒すには至っていない。強力な攻撃能力を持っているミレイナが使えなくなった以上、レーヴォルフが何とかする必要がでてきたのだ。
しかしレーヴォルフは決定打を与えるような強力な攻撃を持っているわけではない。本当に困った表情をしながらレイヒムへと尋ねたのだった。
レイヒムはそんなレーヴォルフを見て呆れたように口を開く。
「仕方ありませんね。私の眷属が他の化け物を仕留めるまで待っていてください」
「そうなるかな。じゃあ、念のため糸を強化しておこうか」
レーヴォルフは《気纏》を発動してそれを糸に纏わせる。白いオーラは糸に沿って順に広がっていき、耐性強化の効果で頑丈さを増大させる。この《気纏》を纏わせた糸ならば余程の力でも引きちぎることは出来ないだろう。
「これでよし。あとは待っているだけ―――なっ!?」
しかしレイヒムとレーヴォルフは知らなかった。この巨大蛸がクウの幻術によって創りだされた存在であり、どんな束縛すらも無効化できることを。
透過するようにして強化された糸から脱出した巨大蛸は自らの頭に乗っているレーヴォルフに向かって攻撃を繰り出す。いきなり拘束から逃れたために、バランスを崩してしまったレーヴォルフは鞭のような攻撃を直撃させられたのだった。
「ごはっ……なんで……」
「レーヴォルフ!」
叩き落されたレーヴォルフは吹き飛ばされて近くの建物に激突する。レイヒムも目を見開いていたが、すぐにレーヴォルフの方へと向いて呼びかけた。後からやってきたレイヒムは巨大蛸が拘束をすり抜けることを知らない。この現象に驚ていたのはレイヒムも同じだったのだ。
「ぐ……肋骨が折れたね。ごふっ……」
血を吐き出しつつも立ち上がるレーヴォルフ。まるで《気纏》など関係ないかのように巨大蛸の攻撃はダメージを与えてきた。建物に激突したダメージは無かったために《気纏》が機能していなかったということはない。つまり、巨大蛸には《気纏》を貫通する能力があるということなのだ。
実際は、巨大蛸が幻術生物であるため、ダメージという感覚を与えているに過ぎない。ある意味では精神攻撃である巨大蛸の攻撃は肉体の耐性を高める《気纏》など貫いて痛みを感じさせるのだ。しかしそんなことを知らないレーヴォルフは未知のスキルでも使用しているかのように感じられたのだった。
「なるほど……ミレイナも苦戦するわけだ。とんでもない化け物だね」
そう言いながらレーヴォルフは倒れているミレイナの方へと目を向ける。だがそこには灰色のローブで姿を隠しているミレイナだけでなく、白いマントで体を隠した人物が立っていたのだった。
レーヴォルフは全く初めて見る相手だが、レイヒムにとっては一人だけ心当たりがあるその人物。同じくミレイナの隣に立っている白マントの人物に気付いたレイヒムが叫び声を上げた。
「あなたは! あのときの……っ!」
しかし白マントの人物はそんな二人からの視線を無視したのようにしゃがみ込み、ミレイナを抱き起して首元にある黒い奴隷首輪に手を触れながら呟いた。
「《幻夜眼》起動……契約を破壊する」