EP180 収監所からの脱走
「え? 嘘だろう? シュラム様に娘が?」
「なぜそんな嘘をつくと思った。本当だ」
たっぷり数秒ほど固まってからようやく反応をするレーヴォルフだったが、やはりその口調には信じられないといった感情が込められている。しかしレーヴォルフが知るシュラムは六十年前の記憶だ。そのような反応も仕方ないだろう。
「あのシュラム様が……当時はとても結婚なんて状況じゃなかったのにね。時代も変わったということなのかな」
「いや、まだ抗争は続いている。六十年前よりもさらに不利な状況になっているよ」
「そうか。僕が捕まっている間に……」
「まぁ、その話は後だ。俺も大体は把握しているが、本当に詳しく知っているわけじゃない。六十年で何があったのかはシュラムに直接聞くといい」
まだまだ何かを聞きたそうにしていたレーヴォルフだが、ここは囚人を監禁する施設であり、また悠長に話をしているような場合でもない。現に地上ではクウの幻術生物による時間稼ぎと陽動が行われているのだ。
「いくぞ」
「わかったよ。今は逃げることに集中する」
レーヴォルフも余裕がある状況ではないと理解している。クウに借りた白マントのフードをギュッと深く被り直して大きく頷いた。
それを見たクウは適度な速度で走り出す。レーヴォルフも万全な状態ではないため、それを考慮しているのだ。衰弱という状態異常であるため、本来のステータスから大きく数値が低下している。しっかりとした休息と食事を取ればすぐに回復するのだが、やはり今は逃げることが優先である。
通路を駆け抜け、階段を上り、そしてまた通路を抜けて地上階へと昇っていく。レーヴォルフも衰弱で能力が低下しているのだが、ある程度の能力はあるためこの程度で息切れすることはない。あっという間に外に出ることは出来た。
「っと!」
「眩しいね」
明かりが非常にするなかった収監所から出たことで、日光が二人の視界を遮る。また、涼しい地下と異なり、地上は本当に熱い。光と熱気が二人の足を止めた。
「お前は大丈夫か? 六十年ぶりの日の光だろう?」
「ん? 何がだい?」
人の肌は日の光に弱い。だからこそメラニン色素という物質を生成して防御手段にしているのだ。これが肌の色として現れる。アルビノという病気の人はその防御手段がないために真っ白な肌や髪である代わりに日の光に弱い体質となるのだ。
そしてメラニンは日の光を浴びることで肌が反応し、生成されることになる。六十年も日の光を浴びることなく閉じ込められていたとすると、日光に弱い体質となっている可能性があるのだ。
現にレーヴォルフの肌は非常に白く、長時間も日の下にはいられないだろう。本人は大丈夫そうに首を傾げているだけだが、身体によくないのは間違いないのである。
(まぁ、こいつも高レベルだしある程度は大丈夫か。最悪の場合は回復させればいいだろう)
レベルが上がり、ステータス値が上昇することで素の耐性も少しは上昇する。主に体力値が関係しているのだが、この数値が上昇することで肉体的体力が増える。それはつまり生命力が高いということであり、毒などに対しても耐えられるようになるのだ。そしてこれは自然回復力も兼ねているため、レーヴォルフが日光で日焼けダメージを負ったとしても、すぐにメラニンが生成されて適応していくことになる。
あまりに日焼けが酷くても、クウが《月魔法》で回復させるという手段もあるのだ。
「ま、大丈夫ならいい。シュラムは破壊迷宮にいる。すぐに向かうぞ」
「迷宮だね。確かミレイナって娘を回収するんだよね?」
「ま、そっちは俺がどうにかする」
ミレイナの回収も大事だが、クウとしてはある程度の安全が確保できるまでレーヴォルフを放っておくわけにもいかない。だからこそ今はクウもレーヴォルフに付いておくことにしたのだ。ならばミレイナはどうするのかというと、それも少し考えてある。。
「今、あちこちで騒ぎが起きているのが聞こえるだろう? それを引き起こしているのは俺が用意した化け物なんだよ。そいつを使って回収する。その仕込みのためにお前とも一時的に離れる可能性があるけど、安全を確保することが優先だから安心しろ。いきなり放り出したりはしないよ」
「確かに街中で騒ぎが起きているみたいだね。だから見張りも少ないのか……」
レーヴォルフがそう言いつつ見つめているのはクウが眠らせた見張の兵士四人。幻術によって仕事をしている夢を見せられ、さらに目覚めたときに記憶を混濁させる効果を込めたため、クウのことは一欠けらも頭に残らないだろう。
相当深い眠りに陥っているのか、レイヒムの召喚獣やミレイナが暴れることによって引き起こされている振動でも目を覚ます様子がない。
「とにかくだ。まずはお前を迷宮近くに連れて行く。まだ走れるか?」
「もちろんだよ」
「なら行くぞ。悠長にはしていられない」
クウは少し懐かしそうに周囲を見渡すレーヴォルフに注意を促し、走り出す。レーヴォルフもすぐに気を引き締めてクウの背中を追いかけた。やはり兵士がほとんど留守にしているということもあり、城の敷地を走っても誰かとすれ違うことがない。クウが幻術を使うまでもなく簡単に敷地を脱出することが出来たのだった。
そしてクウは可能な限り急ぎつつもレーヴォルフに速度を合わせて走り続ける。
各地の騒ぎのお陰か、多くの住民が逃げ惑っていることが味方をして、誰もクウとレーヴォルフを止めようとする者はいない。怪しい恰好をしているが、他の獣人からすればそれどころではないのだ。
「凄い騒ぎだね」
「まあな。お陰で楽に行動できるだろう?」
「なかなかに手の込んだ脱走だよ」
レーヴォルフは感心したように声を上げるが、クウにかかればこの程度は容易い。天人として進化したクウの能力は本来で言えば世界でも最高クラス。たとえ超越者でなくとも十分な能力を保持しているのである。
またクウの能力も幻術や、相手の意思に介入するという特殊なものだ。出来ることが多彩であり、このような広範囲における細工も得意とするところなのである。
「ほら、もう迷宮だぞ」
「……いや、何か変な化け物が二体暴れているけど大丈夫かい?」
城と迷宮は通路一本で繋がっている。騒ぎに紛れて走ればすぐに近くへと辿り着いた。そして問題となるのは迷宮近くで暴れている巨大蛸だ。クウが初めに幻術で出したものであり、他の場所で暴れている六体はこのオリジナルから分裂した個体となる。尤も、幻術生物であるため、オリジナルとコピーという言い方が正しいのかは不明だが……
それはともかく、ここで巨大蛸の相手をしていたのはレイヒムの召喚獣だった。人族基準でSランクすらも越えている魔物が戦っているのだから衰弱状態のレーヴォルフからすればふざけるなと叫びたい気分である。
しかし余裕のあるクウはレーヴォルフとは少し別の反応をしていた。
「あいつ……デザートエンペラーウルフじゃねぇかよ。久しぶりに見たな」
「凄いね。僕は名前しか聞いたことがないよ」
「ちなみに俺が装備しているレザーアーマーは奴の素材だぞ」
「本当かい?」
「ああ、速度、力が異常だったな。あと土魔法が厄介だ。砂を利用した魔法で動きを阻害してくる」
クウがデザートエンペラーウルフと戦ったのは虚空迷宮の八十階層のボスフロアだ。砂漠というフィールドでも自在に動き回り、クウとリアを翻弄した。こちらの攻撃は避けられ、向こうからの攻撃を避けるのに手が一杯という地の利を有効に使った戦法でクウを苦しめた。《虚の瞳》による幻術が無ければあっという間に敗北していたことだろう。
最終的には《暗黒重球》という重力に作用させる魔法で動きを止めて仕留めたが、苦戦したのは間違いない。しかしそれは過去のことだ。
「今ならば問題ない。気にしなくて大丈夫だ」
「あれが……かい?」
クウは問題ないと語り、実際に問題はないのだが、レーヴォルフからすれば不安が残る。現に目の前の戦場ではデザートエンペラーウルフが巨大蛸に対して圧倒的な速度で翻弄している。振るわれる触手を回避し、瞬間移動を思わせるような速度で背後へと回り込む。そして頭へと牙を突き立てたのだが、弾力のある巨大蛸の表皮がそれを跳ね返す。次の瞬間には巨大蛸の足がデザートエンペラーウルフへと迫り、それを察した砂漠の帝狼はすぐさま回避する。
デザートエンペラーウルフ有利ながらも拮抗した戦いだった。当然ながらレーヴォルフから見ても高レベル過ぎる戦いであり、一般市民からすれば最早目で追うことすら出来ない。
「少しここは危ないかもな。建物の上に上がるか」
「そうだね。家の上から観戦している人もいるし、その方が見やすい」
二人は近場の家の屋根へと上って上から見下ろすように二体の戦いを見守る。【砂漠の帝国】の一般家屋は平屋根が基本であるため、化け物同士の戦いを観戦しようとしている獣人が多くいた。その中には戦士から物好きな一般人まで様々な獣人がいるのだが、そういった者たちに紛れてクウとレーヴォルフが怪しまれるようなことはない。
新たに昇ってきた二人を見ても「ああ、またか」と納得して再び観戦に戻っていったのだった。
それを見てレーヴォルフは小さく口を開く。
「クウ、それでどうするんだい? 迷宮内にシュラム様がいるんだろう? 僕としては早く、今すぐにでも会いに行きたいのだけど」
「慌てるな。ミレイナを回収すると言っただろう」
「どうするつもりなんだ?」
「ま、お前はしばらくここで観戦していろ。ここならある程度は安全だし、大人しくしている分にはお前を脱走囚人だと疑う奴はいないさ。後は俺が全て上手くやるから待っててくれ」
小声で話し合っていた二人の会話は誰にも聞こえない。やはり未知の化け物と皇帝レイヒムの召喚獣との戦いは興奮するのだろう。白いマントというクウとレーヴォルフの怪しい恰好を指摘する者すらいなかったのだった。
そしてクウは詳しい説明をすることなくその場から消える。
意識を逸らす幻術を使って文字通り人々の視界から消えたのだ。《気配察知 Lv10》を持っているレーヴォルフにはクウがその場にいることに気付いたのだが、それでもこの人数の中では意識をしなければ見逃してしまうことだろう。
そうしている間にどこかへ気配も消えてしまい、一人残されたレーヴォルフは密かに呟く。
「な、なんて勝手な人だ……」
誰にも気づかれることない呟きは観戦している獣人たちの掛け声の中へと消えて行き、誰一人としてレーヴォルフの言葉に気付くことはなかったのだった。





