EP178 その囚人の名は……
騒々しく地上で戦闘が繰り広げられている中、クウは収監所地下三階を歩いていた。凄まじい勢いで暴れているミレイナやデーモンロードのせいで地下にまで振動は伝わっており、張り巡らされたパイプもミシミシと嫌な音を立てている。
「何してんだよ……もしかしてミレイナのスキルか?」
如何に巨大蛸がクウの幻術だといっても、地上のことを知覚できるような機能はない。《召喚魔法》には眷属の目を借りて偵察するような魔法もあるのだが、さすがに幻術では無理なのだ。
しかしクウの予想は間違いではない。ミレイナの《竜撃の衝破》は広範囲に強力な攻撃を放つことが目的であるため、地下に振動が及んでいるのだ。
「ま、ミレイナもそうだけど、ここに捕まっている奴も解放しないとな」
クウは手に持った囚人名簿を参考にしながら牢を確認していく。途中で何度か反レイヒム派の捕まっている牢も通り過ぎたのだが、今は情報収集を兼ねた確認の作業中なのだ。下手に開放してもゾロゾロと連れて歩くことになるので今は我慢しなくてはならない。
それに死刑ではなく奴隷化されると分かっているのだ。それも三か月後だと判明しているので慌てる必要が無くなったという理由もある。
それでクウが地下三階まで降りてきたのはもう一つの目的があった。
「最重要機密囚人か……どんな奴だろうな」
資料の最後のページに載っていた謎の囚人。顔も名前も種族も全く分からないこの囚人がなぜ捕らえられているのかが気になったのだ。これほどまで機密にされているということは、レイヒムにとって弱点となり得る可能性もある。
「あれか……」
クウの視線の先には一つの牢。他と同じく分厚い鉄の扉で閉じられているため、一見すると機密が隠されているようには見えない。だが、一つ他と異なる点があった。
「うらぁっ!」
「出せや!」
「おらおらっ!」
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す―――」
「飯持って来い! 全然足らねぇぞおら!」
全く囚人らしくないが、他の牢からは絶えずこのような声が聞こえてくるのだ。ガンガンと扉を殴ったり蹴ったりする音もするこの空間は本当に収監施設なのかと疑いたくなる。
そしてその中で目的の牢だけは静かに佇んでいたのだ。
荒れるような激しい気配もなく、暴れているような様子もない。確かに内部から魔力の存在は感じ取れるのだが、ただ静かな雰囲気が滲み出ているのだ。《気配察知》の使えるクウだからこそ感じ取れた違和感である。
「眠っている? 訳でもなさそうだな」
まるで穴でも開いているかのように気配が感じられないのは少し異様だ。これでは意図的に気配を消しているようであり、このような行為が出来るとすればかなりの実力者であることになる。実際、《気配察知》はまだしも《気配遮断》のスキルは習得が難しい。さらにクウの探知すらも防ぐ《気配遮断》スキルを習得している機密囚人は間違いなく達人クラスなのだ。
「凄い気配の消し方だな。まるで暗殺者だ」
どうやってこれほどのスキルを習得したのかは謎だが、下手をすれば最大レベルまで《気配遮断》を習得している可能性すらある。逆に何故捕まったのか謎なくらいだ。
クウは例の牢の前に立って扉に手を当てる。
「誰だ? 知らない気配だね」
いきなり扉の向こう側から聞こえて来た声にクウはビクリと跳ねる。クウは意識を逸らす幻術を行使しているのだが、相手は《気配察知》も高レベルで習得しているらしく簡単に気付かれたようだった。
クウは仕方ないといった様子で答える。
「俺のことはいい。お前は誰だ?」
「……返答してくれるなんて久しぶりだ。レイヒムの関係者じゃないのかな? あいつらは僕とは関わらないようにしているみたいだし」
「早く答えろ」
思ったより落ち着いた口調で帰ってきたのはクウにとっても驚きだった。だがそれも周囲の騒々しさを考えれば当然の感想だろう。まるでこの場所だけ隔離されているかのように扉の向こうからの声がハッキリと聞こえてくる。
「僕は竜人。およそ六十年はここにいるらしい。さっきレイヒムが来た時に教えてくれたよ。どうやらもうすぐ処刑されるらしいから名前は教える必要ないね」
「必要あるかどうかは俺が決める」
「まぁ、ここから出してくれるってことなら教えてもいいけど?」
竜人だと名乗る人物は鼻で笑ったような様子でそう語る。どことなく全てを諦めているようであり、厳しく問いかけるクウにも臆した様子が無かった。処刑されるという話は間違いないのだろう。視認しなければ発動しない《森羅万象》は起動していないのだが、嘘ではないことが理解できた。
そこでクウは少し口調を穏やかにして問いかける。
「そこまで言うなら出してもいいけど?」
「ま、そうだろうね。わざわざ囚人である僕を……って出してくれるのか!?」
「ああ、いいぞ」
「え? 本当か? 嘘じゃないよな!」
突然興奮して騒ぎ立てる竜人。どうやら《気配遮断》も解けたらしく、扉の向こう側に強い気配の存在を感じ取ることが出来た。もとから魔力は感知できていたのだが、こうして気配も同時に感知できると安心する。相手の存在を感じ取れないことがこれほど不安な事なのかとクウは内心で新たな気づきを得ていた。
その一方でクウは竜人へと返答もする。
「構わない。暴れられても抑えられる自信があるからな」
「はは、そんなつもりはないさ。それに食事の制限で体も衰えているしね」
「じゃあ、少し細工をしてくるから待っていろ」
「そうかい。期待しているよ」
クウはその返事を聞いて来た道を戻っていく。
そして左手に嵌めた虚空リングから神刀・虚月を取り出し、さらに右手では片手でパラパラと名簿のページを捲っていた。調べているのは地下三階の囚人たちの項目であり、刑罰には全て奴隷化の終身刑となっている。
「だけど元を辿れば全て死刑囚だ。地下三階に収監されている三十六人の元死刑囚には悪いけど大怪我を負ってもらうことにしよう。あんまり気は進まないけどな」
右手の名簿を虚空リングに触れさせて収納し、神刀・虚月を握る左手に力を込める。そして近場の牢へと近づいて右手を柄へと掛けた。
相変わらずガンガンと鉄の扉を叩く音が五月蠅いが、クウはその騒音すらも意識から遮断して一刀を放つための集中を始める。
「……『二連閃』」
魔力を通すまでもなく一瞬にして刀を閃かせる。抜刀、そして納刀からの再度抜刀をして一秒にもならない時間で二度の居合を放つ。クウの《抜刀術 Lv8》から放たれた二度の斬撃は頑丈な鉄の扉に美しいバツ印を刻み付け、向こう側から叩き付ける衝撃によって崩れる。おそらく向こう側からもクウがゆっくり納刀している姿が見えたことだろう。
だが……
「ぐあっ!?」
クウの二度に渡る居合は扉を貫通して向こう側にいる囚人にまで届いていた。胸元を扉と同じバツ印で切り付けられた男が痛みに気付いて後ずさる。その光景は崩れた扉を通してクウにも見えていた。
そして傷つきながらも囚人は目を開け、刀を握ったクウの存在に気付く。
「何だお前は―――」
「―――悪いな」
クウは相手に喋らせる間を与えずに攻撃を繰り出す。体を低く落として踏み込み、右手に魔力を溜めて掌底を叩き込んだ。魔力を相手の体内に捻じ込んで体内から破壊する『浸透魔力撃』であり、有無を言わさずに囚人の男は吹き飛ばされる。
「ゴハッ……」
吹き飛ばされた男は牢の奥に叩き付けられ、骨が折れるような音を立てる。衝撃が強すぎたのか一瞬にして意識も奪われ、そのまま吐血して動かなくなったのだった。
クウはその様子を見つめながら構えを解き、再び刀を握る。如何に死刑囚だといっても、クウとて進んで傷つけたいとは思わない。これは単純に例の最重要機密囚人を逃がすためのカモフラージュであり、相手が元々死刑囚だったからこそ出来ることでもある。またレイヒムはこの元死刑囚を奴隷兵士として利用しようとしていたので、この行為がレイヒムの戦力低下と計画の妨害にも繋がる。
「ま、ステータスの精神値が高いおかげで思ったより罪悪感を感じないで済むな。以前も盗賊を殺したことがあるし今更と言えば今更か……」
クウは天使としてのステータスをフルに使用して暴れまわる。出来るだけ元死刑囚たちが動けないような怪我を負わせつつ、この地下三階が崩れない程度に破壊するのだ。
グシャッ
バキ……
ドゴンッ!
ガキッ、バキドゴ!
ズガシャーンッ
可能な限りの能力で破壊を続けるクウ。当然使用するのは【通常能力】のみだが、所々で悲鳴が上がり、そして徐々に悲鳴が消えて破壊音だけに変化していく。総勢三十六人の元死刑囚はクウからの攻撃によって大怪我を負わされたのだった。
「はぁ……嫌な仕事だ」
地下三階を全て破壊し、収監されていた全ての囚人を叩き伏せた。かなりの実力を持つ重犯罪者ばかりではあったが、それでも天使であるクウには到底及ばない。食事が制限されていたこともあって、あっという間に制圧されていたのだった。
血の匂いが漂い、土埃が舞っている中を歩いて例の扉の前へと移動する。
するとクウが来たことに気付いたのか、向こうから先に声を掛けてきた。
「凄い音だね。細工だとは思えない程に」
「こんなのは地上でやっていることに比べたら細工だ。今日は上が騒がしいだろう?」
「ああ、それでレイヒムもイライラしながらここに来ていたのか」
「まぁ、そうなんじゃないか? とにかく出してやるから扉から離れろ」
クウはそう言って神刀・虚月の柄に手を掛ける。扉の向こう側にいる竜人も、クウからの鋭い気配に気付いたのか、スッと牢の奥へと下がっていった。
それを見計らったクウは魔力を通した状態で何度か切りつける。嫌なことをした後だったので、集中を必要とする斬鉄をしたくなかったのだ。
「…………」
静かにゆっくりと納刀して神刀・虚月の能力を発動させる。魔力を通した状態で切り付けた対象を納刀時に問答無用で切り裂くこの能力にかかれば、どんな物体でも真っ二つにすることが出来る。虚空神ゼノネイアがクウのために用意した武器だけあって、神刀と呼ぶに相応しい。
カチリとした音と共に崩れた鉄の扉。甲高い金属音を響かせながら幾つもの破片が地面に散らばる。
「ようやく外か……眩しいね」
「そうか? 暗いぐらいだと思うが」
「いや、牢の中は全く光が無かったから」
「ふーん」
そう言いつつ暗がりから姿を現したのは腰まで黒髪が伸びた青年の姿。それも背中の辺りで一本に結ばれ、痩せた体型からも女性と見間違うようだ。それでもストレートの流れるような髪は栄養不足のためか痛んでおり、妖艶さのようなものは窺えない。どちらかといえば爽やかさのある風貌だった。頭からは特徴的な角が生えており、確かに竜人であることを証拠付けている。
そして腕に何かが巻き付けてあるのが特徴的だった。
一瞬にして観察を終えたクウはすぐに目の前の竜人へと視線を向け、初めの質問をする。
「それで……お前は誰だ?」
しっかりと目を合わせて問いかけるクウに、強い視線で見返す竜人の青年。爬虫類のような縦に長い瞳が光っており、何かしらの意思を感じさせる。
そしてその男は静かに口を開いてクウの質問に答えた。
「僕は……僕の名前はレーヴォルフ・キリ。結構昔は竜人の三将軍なんて呼ばれていたんだけどね。捕まってしまったから大したことはないよ」
それはシュラムから聞いた裏切者の名前だった。