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虚空の天使【完結】  作者: 木口なん
砂漠の帝国編
173/566

EP172 悪夢の始まり

 ピラミッドのような四面体型の建造物として【帝都】の中心部から少しズレた場所に聳える破壊迷宮。強さを求めた獣人たちは今日も修行のために挑み、そして夕刻には帰還する。それに紛れて一人の人物がエントランスの巨大クリスタルから姿を現した。

 青白い粒子が集まるようにして一つの形を形成し、やがてそれは白いマントで顔や体を覆った人型へとなっていく。破壊迷宮で二階層よりも下へと行ける者は非常に少なく、転移クリスタルを利用するとなればかなりの実力者であるという認識が浸透していたため、周囲に居た獣人たちは転移してきた人物が一体何者なのかと興味深げに目を向けていた。



「見ない奴だな。最近こっちに来た奴か?」

「さぁ、俺も見たことないな」

「子供か? それとも女?」

「どうだろうね? 顔も体も隠しているから《鑑定》でもなきゃ分からないだろうさ」

「ふーん。ちょっと挑んでみようかな」

「アホか。お前この前もいきなり戦いを挑んで通報されてただろ」



 やはり顔が見えないというのは怪しいのだろう。転移して帰還したということも相まって近くに居合わせた全ての獣人から注目を浴びることになっていた。

 しかし白マントの人物は大物なのか、全く気にした様子もなく真っすぐ出口へと足を向ける。自然とマントの人物の進行方向に立っていた者は道を空け、まるで海を割るかのような様相を見せていた。だがその歩みは迷宮の出口手前で強制的に止められることになる。



「止まれ。顔を見せろ」



 そう言って立ちふさがったのは一人の狼獣人の男だった。魔物の甲殻を利用した鎧と白い布を纏った彼は【帝都】を守護する兵士の一人であり、とある小隊の隊長でもあった。彼に続くようにして四人の兵士が白いマントの人物を取り囲み、逃がさないようにと目を鋭く光らせる。

 この行為に周囲で見ていた獣人たちは眉を顰めるが、こうして体全体を隠しているような怪しい人物を見逃しては治安維持に悪影響を及ぼす可能性があるため文句は言わない。服装は確かに自由だが、わざわざ疑われるような恰好をしているのが悪いのだ。



「聞いているか? マントを取れと言っている」



 動きを見せないマントの人物に狼獣人の小隊長は再度問いかけるが、やはり反応がない。一般にはまだ秘匿されていたが、破壊迷宮に反レイヒム派のアジトがあるということは兵士の間で共有されており、残党に注意するためにこの小隊は迷宮出入り口で見張りを任されていた。

 そして転移クリスタルを用いて顔を隠した人物が現れたとなれば真っ先に反レイヒム派の残党であると疑われるのは間違いない。小隊長の狼獣人はすぐさま部下に指示を出して確認に乗り出したのだ。

 だがこうして問い詰めてみれば怪しさはさらに増したと言えるだろう。二度に渡る問いかけにも答えることなく沈黙を貫いているのだから。



「悪いがこれ以上答えないというなら実力行使をさせてもらう。やれ!」


『おう!』



 狼獣人の小隊長の指令に短くハッキリと返事をして剣を引き抜く四人の部下たち。さすがにこの展開までくると周囲で見るだけだった者たちの間にも緊張が走る。

 だが、ただ一人だけ緊張した様子も慌てた様子も見せなかったのは白マントの人物だ。今まさに捕まえられようとしている状況にも拘らず、非常に落ち着いた雰囲気を発しており、これには狼獣人の小隊長も警戒心を強めた。



(やはり例の残党か? こちらの襲撃作戦を生き残ったということはかなりの実力者なんだろう。注意してかからねばなるまい)



 小隊長だけでなく四人の兵士たちも白マントの人物の異常さに気付いているのか、闇雲に飛びかかるような真似はしない。ジリジリと包囲を縮めながら少しずつ追い込んでいく方法を選択した。

 しかしこの状況となっても白マントの人物は微動だにすらしない。武器を向けられ、捕まえると宣言されているにも拘らず、一向に動きを見せないのは非常に不気味であった。

 このままでは埒が明かないと考えた小隊長はアイコンタクトで部下に指示を出す。



(やれ!)



 長く同じ小隊で訓練してきた彼らは口にすることなくある程度に意思疎通が可能だ。部下たちは小隊長の考えを正確に読み取り寸分も違うことなく一斉に飛びかかる。

 一人は正面から、一人は背後から、後の二人は左右からマントの人物を押さえつけようとした。念のため小隊長は少し下がった場所から指示を出すだけに留める。もしもマントの人物が激しく抵抗しても客観的に判断を降せるからだ。



(よし、確保だ)



 ギリギリまで迫られても反応する様子の無いターゲットを見て狼獣人の小隊長は少し気を緩めた。しかしその隙は致命的だっただろう。

 あと少しで部下の四人が白マントの人物に手を届かせるというところで事態は動いたのだ。



「がっ!?」

「く……」

「あぐっ」

「ごはっ!」



 突如、マントがビリビリに裂けて膨張するように何かが姿を現した。まさに手を掛けようとしていた四人の兵士たちは膨れ上がったソレに吹き飛ばされ、数メートルほど地面を転がって制止する。

 つい気を緩めてしまった小隊長も、マントの端から伸びてきた何かに弾かれて同様に地面に撃ち伏せられたのだった。



「な、何だ!?」



 その場にいた誰かがそう叫び、それぞれが自分の武器に手を掛ける。見れば、白いマントの人物がいた場所にブヨブヨとした赤黒い物体が蠢いており、ネチャネチャと粘液のようなものが床に飛び散っている。丸くて巨大な頭の下には八本の触手が存在しており、これがマントの下に隠れていたとは信じがたいほどの大きさを誇っていた。

 高さにして凡そ五メートル。触手の長さは十メートルほどであり、エントランスの約半分の場所を占めていることになる。突如出現したこの巨大蛸の化け物は獣人たちにこれ以上に無い程の恐怖を与えた。



「何だアレは?」

「まさか迷宮の化け物か? 外に出てくるなんて聞いたことがないぞ!」

「気持ち悪いわ……変な匂いもするし吐きそう」

「あの粘液で刃物が滑りそうだ。かと言ってあのブヨブヨした体表は打撃攻撃を吸収しそうだな」

「倒せるか?」

「先ずは応援を呼ぶべきだろ」

「はっ? 知るかよ。あの気持ち悪い触手を切り落とすぞ!」

『おう!』



 獣人にとって、本来は海の海底生物である蛸を見るのは初めてのことだ。また地球でもデビルフィッシュと表現される通り、非常に受け入れがたい見た目をしている。食用として馴染んでいる日本では感じにくいことだが、蛸は気持ち悪い化け物だというのが一般的な見解なのだ。

 それが巨大化して狭い場所で襲ってくるとなればその恐ろしさは並みならないだろう。



「はあぁっ!」



 それでも血気盛んな一部の獣人は勇敢に巨大蛸へと立ち向かっていく。それぞれの武器を携えて、ウネウネと蠢いている八本の足を切り落とす作戦だ。関節の無い不規則な動きを見せる蛸足を的確に捉えて切り裂くのは簡単ではないが、彼らは破壊迷宮で修行を行う【砂漠の帝国】の猛者たちだ。初めて見る相手にも怖気づくことなく近づいて素早く武器を振り下ろした。

 ブニョン

 ブニッ

 グニャ~ニョン!



「クソ、馬鹿にしてんのか!」



 まるですり抜けるようにして刃が滑り、蛸足に対して全くダメージを与えることが出来ない。これを見た一部の獣人は物理攻撃を諦めて魔法の詠唱を始めた。



「『この手に炎を

 焦がす一撃は敵を貫き、破裂する

 尽く捉えよ

 《炎槍撃フレイム・ランス》』」


「『流れる天風よ

 ここに集いて凝縮せよ

 岩をも砕く衝撃

 砂をも散らす波動

 見えぬ一撃を齎したまえ

 《風波砲撃ウィンドブラスト》』」


「『光の先の闇

 それは遮る黒の影

 蠢き、囁き、嗤い、嘆く

 その背より不意討つ反逆よ

 数多に顕現せよ

 その主を滅ぼし尽くせ

 《影槍討滅シャドウランサー》』」



 空気も焦げ付くような炎の槍が巨大蛸の頭部へと炸裂し、見えない風の砲撃が追撃を掛ける。それで一瞬動きが止まったところを、地面から突き出てきた幾つもの影の槍が蛸を貫いた。

 数本の蛸足は縫い止められ、頭部にも黒い槍が貫通しているため、明らかに致命傷だと言える。しかし巨大蛸は叫び声一つ上げることなく、まだ動かせる蛸足を使って近づこうとしている獣人に攻撃を仕掛け続けていた。

 そしてその間に吹き飛ばされていた狼獣人の小隊長は別のことをする。



「戦闘に協力しないものは外に出てくれ。こいつをエントランス内で仕留めるにしても狭すぎる」



 魔法の効果によって動きを鈍らせている巨大蛸は全く生命力を衰えさせていないように見える。あれ程の数の影槍に貫かれているにも拘らず、蛸足は鞭のように空気を切って暴れまわっているのだ。

 物理攻撃しか持ち合わせておらず、自分の実力では役に立たないと悟った者たちは小隊長の言葉に従って警戒しつつも迷宮の外へと出ていく。強い相手と戦うことは誉れではあるが、物理攻撃を無効化してしまうような相手に向かっていく無謀さは持ち合わせていないのだ。

 そうしてこの場に残ったのは魔法を使える獣人たち十名程と、小隊長を含めた兵士五人。彼らの頭からは既に白マントの人物のことは忘れ去られていた。



「化け物を仕留めるぞ。魔法を中心に攻めたてろ。街に出さないように注意するんだ!」



 狼獣人の小隊長の言葉に「おう」「ああ」などと返事をしつつ、巨大蛸を取り囲むようにして立ちまわっていく。影に縫い止められ、動きの遅い巨大蛸はあっという間に包囲されることとなった。

 しかし討伐に協力している獣人たちも、一応は迷宮帰りであるためスタミナも魔力も万全ではない。獣人側に有利な状況ではあるが油断は出来なかった。



「拘束系の魔法で動きを封じていこう。どこかに弱点があるはずだから動きを縛った隙に探すんだ!」



 協力していた狐獣人の一人がそう叫び、魔法が使える者は詠唱を始める。そして拘束するタイプの魔法が使えない者は前に出て、蛸足の相手をしていた。

 高速で迫る巨大な蛸足を下方から全力で切り上げて軌道を逸らし、叩き付けるような一撃は回避する。そうして魔法の詠唱を邪魔させないように上手く立ち回っていた。獣人ならではの身体能力を駆使して蛸足を翻弄し、時間稼ぎを行う。即席の連携ではあったが、十分にそれぞれの役目を果たしていた。



「魔法を撃つ! 下がって!」



 誰かが叫んだ言葉を聞いて、前に出ていた獣人たちは一気に飛びのく。そしてそれと同時に幾つもの魔法が巨大蛸を包み込んだ。水が蛇のように巻き付き、土の鎖が蛸足を地面に縛り、雷が閃いて巨大蛸に麻痺の効果を与える。

 一歩間違えれば前線に出ていた獣人に直撃するようなタイミングだったのだが、彼らは見事に連携を果たして見せたのだった。



「よし、再度攻撃だ。弱点を探すぞ」



 影に刺し貫かれ、水や土で拘束され、雷によって動きを鈍らせている巨大蛸に向かって一斉に躍りかかる獣人たち。弱点が判明するまで様々な個所を攻撃し続けるという非効率な方法ではあったが、初めて相対する以上は仕方のないことだ。この場に情報系スキルで解析を行える者もいなかったので、非効率的でもこれが最善の方法だったと言えるだろう。

 しかしこの巨大蛸は通常のモンスターとは常軌を逸していた。



『ガハアァッ!?』



 何かに殴られたような衝撃を受けて一斉に吹き飛ぶ獣人たち。魔法で完全に縛られていたはずの巨大蛸は突然その場で高速回転をして武器を振り下ろそうとしていた彼らを弾き返したのだ。

 その瞬間を僅かに見ることの出来た獣人の一人が、地面に這いつくばりながら呟く。 



「馬鹿な……拘束をすり抜けただと……」



 確かに巨大蛸は完全に動きを押さえつけられていた。それは間違いない。

 しかし獣人たちが攻撃を仕掛けようとした瞬間、その蛸足はすり抜けるようにして拘束から逃れて回転攻撃を実行したのだ。回転の加わった長い蛸足による一撃は並みならない威力であり、直撃を受けてしまった者は骨が折れていた。



「くそっ!」



 辛うじて立ち上がることが出来た一人の獣人が《土魔法》で砲撃を発動させるが、まるで霞にでも当たったかのようにすり抜けて向こう側へと飛んでいく。

 先程の拘束をすり抜けたのはこの能力だろうと誰もが当たりをつけた。

 狼獣人の小隊長は苦々しそうな表情を浮かべて呟く。



「何なのだこいつは……本当に化け物か?」



 こちらの攻撃は通じないが、向こうからは攻撃を当てることが出来る。これほど理不尽な戦いは誰もが初めてのことだった。負傷者も出てしまった以上、もはや彼らには援軍を待つしか方法はない。








 ◆ ◆ ◆








「上手くいっているみたいだな。存分に踊ってくれよ?」



 【帝都】の中央を走る大通りを歩く一人の白マントの人物……クウがそう呟く。通りの喧騒に包まれてその呟きが聞こえることはなかったが、フードの端から見える口元は僅かに嗤っていた。

 夕刻の人ごみに紛れてすり抜けるように進んで行くクウは不審な恰好ではあるのだが、それでも誰一人としてクウを咎めようとする者はいない。何故なら幻術を使って人々の意識を逸らしているからだ。まるで路傍に転がった石ころのように存在感を失ったクウは、誰かとぶつからないように気を付けつつ、ある場所を目指して歩いていく。

 その場所とはレイヒムの居城。

 情報収集のために敵の本拠地へと単独潜入を果たすつもりだった。



「迷宮と城は結構近い。すぐに騒ぎに気付くだろうな……っと。もう来たか」



 視線の先にある城から出来てきたのは数十名の兵士たち。城を警備していたはずの彼らが迷宮へと援軍に向かったことで、潜入が少しだけ楽になったということになる。

 だがこれはあくまでも少しでしかない。

 クウはこれより更なる混乱を巻き起こすつもりだった。



「《幻夜眼ニュクス・マティ》起動……分裂しろ。広がれ蛸共」



 それは悪魔の時間の始まりだった。






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