EP158 広がる呪い
六十年前の戦争から【砂漠の帝国】は二つに割れた。最も大きな戦いで竜人側が負けて以降、味方となっていた狼獣人や獅子獣人も徐々にレイヒムの側へと取り込まれていくことになる。
竜人は追い込まれつつも先代皇帝に変わる新たな首長シュラムが先頭に立ってレイヒムと対立し続けた。そして北部の【帝都】に本拠地を構えるレイヒムを北帝、南部の【ドレッヒェ】に本拠地を構えるシュラムを南帝と呼ぶようになっていったのだ。
さながら日本の南北朝時代のような様相となっていたのである。
簒奪者レイヒム。
反逆者シュラム。
お互いにそう揶揄しながら長きに渡って内乱を続けてたのだが、もはや南帝側に残された地は竜人の里である【ドレッヒェ】のみとなってしまった。レイヒムは竜人側を疲弊させるように何度も攻めては引くことを繰り返す。全滅ではなく捕らえて支配下に置こうと考えていたからである。
そして最後にオロチを召喚し、反抗する心を折ろうとしたときに偶然にもクウ、リアとファルバッサがこの地に現れた。流石にこれはレイヒムにも予想できなかっただろう。神獣と崇められるファルバッサが戻ってきたことによって竜人はレイヒムに下ることがなかったのだ。
予想できる事態ではない。
しかしレイヒムは勝利を確信して油断するほど愚かではなかった。もしものための策をきっちりと用意していたのだ。それが裏切者レーヴォルフを使った策であり、レイヒム自身がプランBと呼んだ策である。
「こっちに運べ! 治療所はもう一杯だ!」
「薬草はないのか?」
「あるはずないだろう! 薬草が取れる北部はレイヒムの野郎に抑えられてるんだぞ!」
「うぅ……あ……」
「ヤバい。こっちで一人吐血だ!」
「子供と女を優先しろ。取りあえず泉の側に運べ」
「《回復魔法》を使える奴はいないのか!」
「くそ、なんでこんな……」
戦いが終わり、避難していた住民も自宅へと戻っていた。だが各々が食事を取り、ゆっくりと休んだ翌日に悪夢はやってきた。
七十年前に流行した謎の病と同じ症状。
薬草でも魔法でも治癒できない感染症と思しきこの病を覚えていた者も多くいた。彼らはこの病を知っているからこそ絶望することになる。
何故なら七十年前もこの病を治癒できたのはレイヒムだけだ。彼らはまだこの病がレイヒムの呪いであるとは知らなかったが、少なくともレイヒムにしか止められない症状であるとは分かっていたのだ。
ある者は叫び、ある者は項垂れ、ある者は茫然として空を見上げる……
騒然となっている【ドレッヒェ】へと戻ってきたシュラムたちはこの光景に絶句した。
「これは……っ!」
「……酷いです」
共に駆け付けたクウとリアも言葉を失う。
つい先程の話で聞いたレイヒムの呪いは想像以上に強力なものだと言えた。いや、世界のシステムから半分は逸脱している【魂源能力】だからこそなせる業なのだろう。ファルバッサに潜在力封印の呪いを付与できたことからも恐ろしさは理解できる。
そしてシュラムはこの光景を見てあることを思い出していた。
『僕は竜人たち南帝軍があの化け物を見ても心が折れなかった時に実行される策の要員。予防策のためのスパイだったという訳さ。つまり僕は北帝軍側だよ』
『問題ないよ。君達は自ら北帝レイヒムの軍門に下ることになる。たぶん数日の内にね』
そのように語った裏切者レーヴォルフ。
つまりクウの話と統合すれば、予備の策とはレイヒムの血を竜人の里内部の食料などに混ぜ込むこと。レーヴォルフが密かに手引きしたのだとすれば不可能ではない方法だ。
そして呪いはレイヒムしか解くことが出来ないため、必然的にその軍門に下ることになる。ミレイナの人質の件とは違って、こちらは民全体に関わることだ。選択肢は実質一つしかない。
そしてミレイナに関しては竜人が完全に降伏した後、再び反抗しないための手札なのだろう。
「クッ……」
ギリリと歯を鳴らすシュラム。
幸いにして自分たちは昨晩から食事を取っておらず、呪いの被害を受ける可能性は低い。だが住民は既に三割以上も呪いに侵されており、それはこれからも増える可能性が高い。外部に頼れる伝手の無い今の竜人には食料を輸入するという手段が取れないのだ。まずは安全な食料を見分け、さらに必要ならば新しく探すことも考えなくてはならない。
しかし今本当に必要なのは住民を癒す方法だ。
シュラムにはその手段はなく、クウの話を聞いた以上は手段を思いつくことすらない。故にただ拳を握りしめて悔しさに打ち震えるのみだった。
一方でクウはそんなシュラムに気付くことなく行動を開始する。
「リア、どうせ無理だと思うが一応俺たちも治療するぞ。症状の緩和程度なら出来るかもしれん」
「そうですね。杖はどうしましょう?」
「悪いが後だな。取りあえず予備の短杖で頑張ってくれ」
「わかりました」
二人はそう確認し合って近くに倒れている竜人の男に近寄る。怪しい白マントに包まれた二人組を怪しむ者も幾人かは居たが、二人が無詠唱で治癒の魔法を使い始めたことで驚愕し、自分たちのするべき作業に戻っていく。
「俺は呪いの方を《月魔法》で浄化してみる。リアは症状緩和に専念してくれ」
「はい。『《治癒》』」
竜人の男は血を吐いて痙攣していたが、リアの魔法である程度は症状が収まったらしい。徐々に苦しそうな顔つきも穏やかに戻っていった。
その傍らでクウは《森羅万象》の解析を進めつつ《月魔法》を使用する。
「『《救恤》』」
元は《六道輪廻外道魔縁》という対アンデッド用浄化魔法の劣化バージョンなのだが、呪いを浄化するという意思を込めて発動することで効果を期待したのだ。世界に縛られた通常のスキルと異なり、【魂源能力】は意志力をかなり反映してくれる。
またアンデッドもある意味では呪われた死体だと解釈できなくもないため、レイヒムの呪いにも少しは効果が期待できるのではないかと考えたのだ。
だが……
「やはり無理か……《幻夜眼》と並列使用できれば良かったんだけどな」
《森羅万象》で解析する限り、このレイヒムの呪いは核と汚染体で形成されていると分かった。ここで言う核とはレイヒムの血のことであり、呪いを生み出す根源でもある。そして汚染体とは呪いに侵食された体のことだ。これは全身に広がっており、《月魔法》ではこの汚染体を浄化出来るのだ。
しかし呪いの核だけはどうにもならない。核である呪いの血は本人の体に溶け込むようにして馴染んでおり、肉体が異物と判断しないので浄化不可能なのだ。そして汚染体を浄化した端から核が呪いを侵食させるため、完全にいたちごっこと化していたのである。
呪いの意思に干渉する《幻夜眼》ならば核を破壊できるのだが、今度は汚染体の方へ手を出すことが出来ない。汚染体は呪いの核が破壊されると新たな核を形成する。レイヒムの血が呪いの核になるのは間違いないのだが、生物は代謝を繰り返すうちに古いものを身体から排除していく。普通なら時間を掛けることで核を自然排除できるはずなのだが、こうして汚染体が核を形成し続けることによってそれを防いでいるのである。つまり核を破壊するだけでは呪いを解除できないのだ。
核の破壊と汚染体の浄化を同時に出来れば呪いを解くことの出来る可能性が高いのだが、生憎クウの今の潜在力では【魂源能力】を並列使用できないのである。
「俺に解除は無理だ。ならば被害を少なくするために原因を突き止めることを優先するべきだな」
「そんなに介入してもよいのですか? クウ兄様もファルバッサ様も余計なことに介入するのは嫌っていたではありませんか」
「レイヒムはやりすぎだ。そもそも【魂源能力】をこんな風に使えるような奴を野放しにするわけにはいかないからな。多分だけどゼノネイアも分かってて俺とファルバッサを送り込んでるだろうし」
そうなのだ。
もはやここまで来れば介入するほかないところまで事態は進んでいる。そもそも神が【魂源能力】を開花させることを嫌うのはこのようなことが起こるからだ。クウは身体と精神を迷宮で鍛え上げることによってようやく手に入れた。
能力を理解し、精神と共に制御しきれる者でなくては【魂源能力】を有する資格などないのが本来だからである。
しかし不正規と思われる方法で【魂源能力】を手に入れたレイヒムは完全に暴走している。このように災禍をばら撒くともなれば天使の世界調整案件に該当するためクウの介入も正当なものなのである。
(世界の調整、ファルバッサの呪い解除、俺の強化……ゼノネイアはどれだけの目的を兼ねて俺とファルバッサをここに送り込んだんだ? ボロロートスといい、見計らったかのように召喚されたオロチといい、ばら撒かれた災厄といい……都合が良すぎるだろ。神なら何でもありか?)
よくある小説の主人公体質並みのトラブルに巻き込まれるクウは「絶対にゼノネイアのせいだ!」と考えているのだが真相は魔王に会って神界を開くまでお預けである。
溜息を吐きつつスッと立ち上がると、入れ替わるようにして竜人の女性がコップに水を入れて近寄ってきた。どうやらクウとリアが治癒した男に飲ませるつもりらしく、見渡せば他にも同じようにしてる者が何人もいた。
「リア。とりあえず治療はお前と他の竜人たちにまかせる。向こうのオアシスで待機しているファルバッサには俺から連絡しておく。原因はすぐに分かると思うから―――」
といいつつクウは《森羅万象》を起動させる。
予想でしかないが、呪いはレイヒムの血を取り込ませる必要があるため恐らく食料に紛れ込ませているのだろうと考えていた。そしてその予測は正しく、試しにクウとリアで治療した竜人に飲ませられようとしている水を解析してみると……
―――――――――――――――――――
水(呪)
【ドレッヒェ】の泉で汲んだ水。
レイヒムの【魂源能力】である《怨病呪血》
の影響を受けた血液が混ぜられている。
それによって呪いの核と化している呪水。
―――――――――――――――――――
「―――その水を今すぐ捨てろっ!」
クウは今にも竜人の男に飲まされていようとしてる水をカップごと叩き落す。カップを持っていた竜人の女はもちろん、目の前にいたリアや口を閉ざしていたシュラムたちもこれには驚いた。
そして少し涙目になっている竜人の女に気付いてリアが抗議の声を上げる。
「何しているんですか兄様!」
「そ、そうですクウ殿。いきなりどうしたのですか!」
リアに続いてシュラムもクウに文句を言い、ザントがさりげなく竜人の女の体を支える。フィルマもクウを強く睨みつけていたが、そのクウは落ち着いて様子でかつ慌てた口調という器用なことをしながら言葉を発した。
「その水が感染源だ。絶対に飲ませるな」
『なっ!?』
クウの声が聞こえた何人かが声を揃える。
食料はまだしも水は生命にとって欠かせないものだ。特に砂漠という地域では水は貴重な物資であり、それが汚染されているとなれば誰もが顔を青くするのも当然だろう。水に関しても、どこから汚染されているのか早急に調査する必要がある。
仮にオアシスの泉が汚染されているのだとしたら……
クウは白いマントを翻して泉へと走っていくのだった。