EP149 お仕置き
北方彼方に消え去る巨大な影。Aランク魔物であるジーロックに乗って去って行ったレイヒム、レーヴォルフ、そして連れ去られたミレイナを上空から眺めている者がいた。
当然ながらクウである。
《幻夜眼》による術返しを使った仕返しの後、意思干渉によって世界の意思へと介入して気配、魔力、光、熱、音などを遮断していたのだ。それによってどんなスキルを用いてもクウの存在を感知することが出来なくなっていた。
「ようやく行ったか……」
グニャリと空間が湾曲するようにして遮断領域が解除され、その場に白いマントを羽織ったクウが現れる。如何に【魂源能力】といえども、高レベルで世界に干渉するほどの能力行使は負担が大きい。魔力と気力を大きく消耗したクウは疲れた口調でポツリと呟いたのだった。
「完敗だったな」
悔しそうに言葉を重ねるクウ。
この世界に召喚されてからクウは負けという体験をしていない。世の中には逃げるが勝ちという言葉もあるが、今回の戦いはどう見てもクウの負けだっただろう。事実、不意打ちの初撃以外はオロチに対して殆ど効果を為さず、負わせた重症も一瞬で回復された。
魔力量も圧倒的にオロチが上であり、持久戦でも勝てるビジョンなどない。寧ろクウだからこそ逃げることが出来たと考えるべきだ。
「取りあえずはファルバッサと合流だな。オロチが地形を直してくれたおかげで神毒も消えたみたいだし、沼も元通りの砂漠に戻っている。化け物かよ……」
そういうクウも化け物クラスの強さなのだが、キングダム・スケルトン・ロードに続いてオロチと戦ったことですっかり勘違いしていた。
しかしキングダム・スケルトン・ロードと比べてもオロチは別格の強さ。ファルバッサが「超越者」だと語っていたが、まさにその通りであると納得できる。クウが《森羅万象》で覗いたオロチのステータス画面も異常の一言であり、後回しになっていたファルバッサの話を聞く必要があると感じざるを得なかった。
早速とばかりにクウは右手の魔法陣を起動してファルバッサに呼び掛ける。
(おいファル―――)
(クウよ)
どうやらほぼ同時に念話を飛ばしたらしく二人の声が重なった。クウは幻術世界側で何かあったのかと眉を顰めるが、ファルバッサが《幻想世界》で現実世界の様子を見ることが出来るように設定していたことを思い出す。
つまり戦いが終わり、オロチやレイヒムたちが消えたことを察知してクウに話しかけてきたのだと気付いた。
(クウよ。そちらはどうにかなったようだな)
(なんとかな。そっちも問題ないか?)
(当然だ。我の特別空間なのだぞ)
ファルバッサの《幻想世界》で作りだした幻術空間は現実世界とは隔絶されている。特殊な方法……強力な《時空間魔法》やクウの《幻夜眼》のような能力があれば干渉もできるのだが、普通の物理効果が通り抜けることはない。
《神罰:終末の第三》も《開け天の窓》も《冥道血導》も意味を為さなかった。
(じゃ、とりあえずこっちに戻ってきてくれ)
(そうだな。リアも待ちわびているようだ。早々にそちらに出るとしよう)
するとクウの遥か眼下で白銀の光が輝いた。
ファルバッサの《幻想世界》は白銀の粒子を振りまくことで自分を含めた対象を自在に幻術世界に引きずり込むことが出来る。しかし現実世界に戻る時、その場所は元居た場所に限定されてしまうのだ。
先程まで出口となっていた場所はオロチの《神罰:終末の第三》によって神毒の黒い湖に沈んでいた。つまり現実世界に戻った瞬間、必殺の神毒によってファルバッサもリアも死を運命づけられるのだ。
しかしオロチが去り際に時戻しを実行して広大な沼も神毒も消してしまった。つまりこちらへと戻ってこられるようになったのだ。
「俺もあっちに向かうか」
クウも翼を羽ばたかせて白銀の光を発している場所へと飛翔する。オロチとの戦闘で以外に遠くまで離れていたらしく、クウが辿り着く前にファルバッサがその巨体を現したのだった。
銀色に近い灰色の竜鱗が日光を反射させ、遠目からでも目立っているのが分かる。尤も、見ているのはクウだけなのでどうでも良いことなのだが……
”さて、クウは―――”
「こっちだ」
数秒遅れてクウが到着しファルバッサに声を掛ける。同時にファルバッサの上に乗っているリアにも手を振って軽く微笑んだ。
「クウ兄様!」
リアはパァッと顔を輝かせ、クウへと飛びつく。
だがクウはファルバッサから少し離れた場所で浮遊しているため、当然リアが飛び出せば空中に投げ出されることになるわけであり……
クウは慌ててリアを受け止めた。
「おいこら危ないだろ」
「兄様が無事でよかったです!」
「ちょ、リア……」
リアは縋りつくようにしてクウへと抱き着き、その胸に顔をうずめる。咄嗟にリアの体を支えたため、このような状態になったのだ。このまま地面に落下させる訳にもいかず、クウはそのままのリアを抱きかかえ続ける。
「心配しましたよ兄様」
「そ、そんなに?」
「当たり前です!」
そんなにかな? と一瞬考えるクウだが、よくよく思い返してみれば心当たりがあり過ぎた。
天使化したクウすらも遥かに凌駕する魔力を誇り、あらゆる属性を操ったオロチ。多数の超範囲殲滅魔法を自在に発動しクウへと襲いかかる。そんな光景をファルバッサの幻術空間の中から眺めていたのだ。
自分ではどうしようもない戦い。
ただクウがオロチの攻撃にさらされる光景を見るだけだったのだ。
どうにかして役に立ちたいと望んでファルバッサの背中に乗っていたリアだったが、今回に限ってはファルバッサと共に逃げるだけで精一杯だった。もちろんクウですら逃げることを選択したのだ。誰もリアを責めることはないが、リア自身はとても悔しかった。
そしてそれ以上に攻撃にさらされるクウがとても心配だったのだ。
「そうだな。心配かけた」
クウは素直に認めてリアを抱く手を強める。
確かに大切な人が死にそうになっている光景を見せられて心穏やかでいられる者は少ないだろう。実際に一度だけオロチの雷息吹を直撃している。さすがに死にそうになったが、あれがオロチの本気の攻撃だったなら本当に死んでいただろう。
そもそも軽く撃った一撃でも致命傷クラスという反則的な強さなのだ。生き残っただけでも幸運である。
「とにかく少し休もう。ファルバッサにも聞きたいことがあるしな」
”うむ。時間が無くて話しそびれたがな”
「そもそもお前がオロチの魔力を感じた途端に先駆けしなければ良かったんだぞ?」
”す、すまぬ”
ファルバッサは気まずそうにクウから目を逸らす。そんなファルバッサをジト目で凝視するクウだが、特に恨んでいるという訳ではない。しかし被害を受けたというのは事実だ。少しお仕置きが必要だろうとクウは考える。
「とりあえず殴る」
”待つのだクウよ。話し合えば分かる。人間は対話できる生物だと我は知っているぞ”
「知らんな。俺は天人だ」
”わ、悪かった。だから―――”
「問答無用だ!」
ボゴッ!!
とても無事とは思えない音が鳴り響いたのだった。
”クウよ。やりすぎたとは思わんのか?”
「悪い。反省している」
砂漠の大地に横たわる巨大な竜の姿。すでに日は西に傾き始めており、紅色の夕陽がファルバッサを照らして影を長く伸ばしている。
側ではリアが《回復魔法》をかけており、淡い光がファルバッサを包み込んでいた。
「ちょっと俺の【魂源能力】の本質に気付いたから試してみたんだ」
”我で実験するな”
「大丈夫だ。オロチで実験済みだから」
クウが行ったのは意思干渉による虚と実の境界操作だ。現実を決定付ける意思ベクトルの中に仮想的な軸として虚数軸のようなものを定義し、幻術を現実に干渉できるようにした。
つまり今までは何となくのイメージで現実に近い幻術を行使していたが、こうして《幻夜眼》を本質的に扱うことによって幻術を現実にすることが出来たのだった。
今回は幻術で出現させた巨人にファルバッサを殴らせ、その衝撃を現実にした。その結果がこれである。
”しかも我ら原始竜を滅ぼした巨人の姿を模するとは……我に対する当てつけか?”
「いや、そんなつもりはないけどな」
クウが巨人を選んだのはGORILLAの物理攻撃力の強さが印象的だったからである。本当に他意はない。確かにやり過ぎた感は否めないのだが、これもお仕置きなのだ。仕方ないだろう、とクウは言い訳をする。
ファルバッサも少しだけ反省しているクウを見て諦めたように口を開いたのだった。
”まぁよい。どちらにせよこのまま休息するのだ。本当は竜人の里のことも気になっていたが、今晩はここに野宿しながら少しだけ話そう。竜人の里へ赴けば話どころではないだろうしな”
「なるほど。竜人たちのお前に対する信仰は少し引くレベルだからな。リアもその辺にして今日は野営の準備をしよう」
「分かりました。ではファルバッサ様も安静にお願いしますね」
”うむ”
本来ならば《自動再生》のスキルで簡単に回復できるのだが、クウがそういったものを打ち消すような効果を込めた幻術を使ったため役に立たない。結局リアの《回復魔法》も殆ど効果を為さないまま自然治癒に任せることになった。
現実にすら本当に影響を及ぼすというクウの幻術能力に抗うには同じ【魂源能力】が必要なのだろうとクウは予想している。現にファルバッサの呪いは解除できなかったからだ。
「ともかくファルバッサの話を聞こうか。お前の呪い、そして超越者についてもな。状況も分からずに戦うのは御免だ」
クウは《幻夜眼》で遮断領域を張りながらそう言い放つ。砂漠にも魔物はいるため、こうしておかないとじっくり話を聞くことも出来ないからだ。
ファルバッサはクウの言葉に抑揚に頷いて口を開く。
”まずは超越者について語ろう。全てを語るにはことことから始める必要があるからな。
初めに言っておくが、我も六十年前までは超越者だったのだ―――”
意思ベクトルは基本的に全て実軸です。ここに虚数軸を設定し、複素空間的に考えることでベクトルの和である現実にも影響を及ぼす。これが《幻夜眼》の正体でした。
ここまで引っ張るのは中々辛かったです。説明したくてウズウズしていたので。