EP147 裏切り
「この娘は人質だよ」
そう言ってニヤリと口角を上げるレーヴォルフ。対してシュラムは茫然として、尚且つ何が起こっているのか理解しようとしていた。
しかしレーヴォルフは間違いなくミレイナを「人質」と語っており、何をどう考えても認めざるを得ないだろう。三将軍の一人であるレーヴォルフの裏切りを。
「どういうつもりだレーヴ!」
「テメェいい度胸だなァ」
シュラムよりも先に反応したのは同じ三将軍であるザントとフィルマだ。レーヴォルフは三将軍の中でも最年少だが、同じく首長シュラムに仕えてきた同僚。それが自分たちの目の前で裏切りの行為を行っているというのは彼らの立場からして許しがたいことだった。
それ故にすぐに動こうとして武器を構える。
だが……
「動かないでもらおうかな」
ザントとフィルマの動きに気付いてレーヴォルフは脇に抱えたミレイナを見せつける。特に刃物やその他武器を持っているわけではないのだが、少しでも近づけば……といった雰囲気が滲み出ていた。
よく見ればいつの間にかミレイナの口にも轡が付けられており、むーむー言いながら身を捩じらせている。
「ミレイナ!?」
細い糸のような何かでグルグル巻きにされ、さらに猿轡までされている娘の姿を見て声を上げるシュラム。周りに居た正規軍に所属している竜人もこの光景を見て騒いでおり、状況を理解できずに騒ぐ者も現れ始めた。
本来ならばそれを収めるのがシュラムの役割でもあるのだが、本人はそれどころではない。元々から不安がっていた非戦闘員の避難民までも騒ぎ出すのはあっという間のことだった。
「レーヴ様がどうしたの? ここからじゃ見えないわ」
「ミレイナ様が捕まえられてるみたいだ」
「何だって!? レーヴォルフ様は何をしているんだ」
「そのレーヴォルフ様がミレイナ様を脇に抱えてシュラム様と対面しているんだよ。ザント様とフィルマ様もいるみたいだけど膠着状態にあるみたいだ」
「レーヴォルフ様!? どうしてミレイナ様を……」
「そんな馬鹿な!」
噂は広がっていき、オアシスで避難していた住民たち全員まで広がるのは時間の問題だと思われた。とすると正規軍の竜人は騒ぎだす彼らの対応をせざるを得ない状況となり、正規軍のメンバーを使って無理やりレーヴォルフを押さえつけるという強硬手段も取れなくなる。
尤も、竜人の中でも最高クラスの実力を持つレーヴォルフを不意打ちして抑えられる者は少ない。シュラムを初めとしてザントとフィルマはレーヴォルフの目を釘付けにするために必要な要員であり、実質的ミレイナを助けられるのは第三者となる。
(大方予定通りだね。シュラムと三将軍が来るのは想定外だけどこの様子なら問題なさそうだ。ミレイナを無視して僕に襲い掛かってくることも考えたんだけど大丈夫そうだね)
脇に抱えたミレイナをチラリと見ながらそう考えるレーヴォルフ。一方のミレイナはどうにかして抜け出そうと暴れまわるが、その手から抜け出すことは出来ない。
(クソ、レーヴの奴め。糸のくせに私の力で抜け出せないとは)
この魔物素材の細糸はかなり頑丈だ。力の強い竜人の中でも強い方であるミレイナでさえ引きちぎることが叶わないものであり、下手な鎖よりも束縛能力が高い。
ミレイナはすぐに素の力で糸を引きちぎることを諦めた。出来ないものは出来ないと判断できる程度には冷静さが残っていたのだ。
(だったらスキルを使うまでだ。《気纏》と《身体強化》で出来なければ【固有能力】を使うしかないだろうがな)
突然の裏切りに動揺しているのかと思えば、ミレイナは意外と落ち着いていた。一応はミレイナにとっての武術の師匠であるレーヴォルフの裏切りともなれば普通は取り乱すものだろう。しかし、感覚が戦闘モードに入っている彼女からは”情”という不確定要素が排除されており、冷静さを保っていたのだった。
これも戦闘を得意とする竜人の特徴的な性質である。竜人と言う種は生まれながらにして戦士の素養を高レベルで持っているのだ。
(……?)
しかしミレイナは何度かスキルを発動しようとするが上手くいかなかった。意志力を力として現す《気纏》も魔力を身体に巡らせる《身体強化》も効果を発揮しないのだ。
どうしても発動寸前で霧散するようにして力が消えてしまい、スキルが上手く起動しないのだ。
「むぅむ!? まむむううむああうあううあう!」
「おや? 何を言っているんだい?」
馬鹿な!? 何でスキルが発動しない! と叫ぶミレイナだが、猿轡のせいで上手く言えていない。脇にミレイナを抱えているレーヴォルフも不思議そうな顔をしてその言葉を聞いていたが、やがて納得したような表情に変わって口を開いた。
「ああ、スキルが発動しないことに気付いたのかな? 人質に自ら逃げる力を残しておくわけないだろうに。実はさっき君に渡した水は呪いの媒体でね。スキルはその呪いで封印してあるからいくら頑張ったって無駄。大人しく諦めなよ」
「むーっ!」
まさかの裏切りには冷静に対応してみせたミレイナだが、それは脱出できるという自信があったからだ。まさか渡された水に細工がしてあるとは思わず、ミレイナはいとも簡単にスキル封印の呪いを受けることになった。自らの力では逃げ出せず、スキルが使えない状況となればその前提は崩れ去る。
ここにきてミレイナはようやく慌て始めていた。
(スキルの封印!? まさか【固有能力】も使えないのか?)
ミレイナは戦闘経験が足りない未熟な戦士だが、【固有能力】という切り札によって歴戦の竜人にも引けを取らない強さを見せつけてきた。親のシュラムから受け継いだ戦闘センスと【固有能力】を併せ持つ彼女は竜人の中でも三将軍と並ぶか少し劣る程度の実力を秘めているだろう。だからこそミレイナは生まれ持って得た能力に頼りきりであり、戦闘技術に関しては思ったより低く、戦術的な思考能力もそれほど高くないのだ。
(《気纏》! 《身体強化》! 《竜撃の衝破》!)
何度もスキルを行使しようと努力するが、どう頑張っても一向に発動する気配はない。また【通常能力】どころか【固有能力】さえも発動しないのだ。ミレイナの焦りは最高潮になる。
(それならこれはどうだ? 『竜化』!)
最終手段として竜人の種族特性である『竜化』を使おうとする。
だが……
(これも発動しないのか……)
力が増幅し、体が竜鱗に覆われ、戦闘感覚が急上昇する竜人族の切り札とも呼べる能力。一時的に数倍もの戦闘能力を得られる代わりに、強靭な精神を以て制御しなければ暴れまわるだけの怪物と化す危険性も孕んでいる。
レーヴォルフの語った呪いはスキルだけでなく種族特性にまで及んでいたのだった。それでも諦めることなくミレイナは脱出を試みるが効果は無い。レーヴォルフもよほど自信があるのか、もはやミレイナに目を向けることすらなくシュラムへと向かって口を開いた。
「そういう訳でこの子は誘拐させて貰うよ」
「どういう訳だ! そんな説明で私が納得すると思っていないだろうな!」
「説明すると長くなるんだけどね……」
焦って声を荒げるシュラムに対してレーヴォルフは余裕のある口調を続けている。シュラムの側が三将軍のザントとフィルマに加えて凡そ三百人の竜人兵がいるのに対して、レーヴォルフは人質のミレイナを合わせても二人だけだ。
このミレイナという抑止がいるといっても戦力差は歴然。普通ならば萎縮してしまうのだが、レーヴォルフにはその様子が全く見られなかった。
寧ろ煽るように糸でグルグル巻きにされたミレイナを見せつけつつ軽口をきいていた。
「取りあえず全員動かないでね? もしも怪しい動きをしたらミレイナがどうなるか分からないよ?」
丁寧な物言いで脅し文句を言われると下手に怒鳴られるよりも迫力が出る。レーヴォルフに心の余裕があるだけに隙を突くといったことも出来ず、シュラムの側は圧倒的な戦力差を生かしきれなかった。
何もできず、何も言えずにただ唇を噛みしめるシュラムに対してレーヴォルフは言葉を続ける。
「僕は竜人たち南帝軍があの化け物を見ても心が折れなかった時に実行される策の要員。予防策のためのスパイだったという訳さ。つまり僕は北帝軍側だよ」
「馬鹿な……」
「一体いつから裏切っていたレーヴ!」
「気に入らねぇ若造だとは思っていたがァ……ここまでふざけた野郎だったとはなァ!」
同じ三将軍だったザントとフィルマはレーヴォルフを問いただそうとするが、一方でシュラムは茫然として現実を受け止めきれないでいた。
確かにレーヴォルフは三将軍で最も若く、嘗て竜人が追いやられた戦にもギリギリで参加した世代だ。共にその戦場を駆け抜けたザントとフィルマと比べれば信頼は劣るだろう。
しかしまさか裏切って相手側に付いていたなどとは予想外であり、シュラムはショックを隠しきることが出来なかった。
「北帝レイヒムは竜人を生かして捕らえることを望んでいるみたいでね。ミレイナは竜人に言うことをきかせるための人質らしいよ?」
「愚かな。如何に私が娘を大切にしているといっても、私はあくまで竜人の長だ。私の我儘によって民を引き渡すわけにはいかない。ミレイナを人質にしても無駄だぞ。馬鹿な真似は止めるんだレーヴォルフ」
「それぐらいは分かっているよ。あなたがこの娘一人と竜人全体を天秤にかけるほど甘くないと僕も思っている」
「それなら―――」
「問題ないよ。君達は自ら北帝レイヒムの軍門に下ることになる。たぶん数日の内にね」
「どういうこと―――」
「じゃあね」
「っ! 待てっ!」
レーヴォルフは言うだけ言って懐から水晶のような丸くて透明な何かを取りだして魔力を込める。どうやら何かの魔道具らしいのだが、シュラムたちは発動を阻止することもできず「待てッ」と叫び声を上げる。しかしそのような言葉で待つような愚か者は少ないだろう。
レーヴォルフはニヤリ嗤ってと口角を上げながら水晶型魔道具の放つ光に包まれ……
ミレイナごとその場から消えてしまったのだった。