EP145 VS.オロチ、レイヒム⑤
炎と水が水蒸気爆発を起こし、その中を土息吹の礫と闇息吹の腐敗が蹂躙する。それによって巻き込まれた者を塵に変える程の威力を実現していたのだった。
それをオロチの龍頭の上から見ていたレイヒムは呟く。
「まぁ、こんなものでしょうね」
若干の失望が混じった目を向けつつも、その表情にはどこか納得している色もある。
確かにクウは強かっただろう。自分自身の《鑑定 Lv6》は通用せず、空中を自在に飛び回りながらオロチを翻弄していた。だが、圧倒的な暴力の前にはそれも及ばない。
どうあがいても超越者であるオロチに勝てるはずがないのだ。
「さて、後は竜人共ですね。若干のイレギュラーもありましたが、概ね計画通りです」
”ふん。あの駄竜と鬱陶しい人間は消した。そろそろ余は帰るぞ”
「まぁ、もう少し待って下さい。召喚時間はまだ残っているハズですから。当初の予定と少し状況が変わったので、プランBを実行します」
”ならば早くすることだ”
「ええ、既に魔道具で連絡済みですから後は待つだけです。恐らく十五分以内には結果が出るでしょう」
怪しく嗤いながらレイヒムは口を閉ざした。
初めこそ、連れてきた囮役と反抗的な者の始末を兼ねた即席の軍でオロチの召喚までの時間稼ぎを行い、オロチによって心が折られた竜人を丸ごと捕獲する予定だった。その捕獲には囮の軍のさらに背後に控えていた正規の軍が使われる予定だったのだが、ファルバッサとクウの介入によってその計画も滅茶苦茶になってしまったのだ。
そこでレイヒムは代行プランとして、オロチを目にしても竜人たちが戦意を保っていた場合に実行する予定だった計画を実行することにした。それを仮称してプランBと呼んだのである。
「それよりもオロチ。あの不気味な黒い手は何なのですか? いい加減気味が悪いのですが」
不意にレイヒムはオロチにそう尋ねる。レイヒムもオロチの能力を完全に把握しているわけではないため、まるで地獄の入り口のように無数の黒い手が沼から這い出ている光景は不気味の一言だった。
その手がオロチへと向かうことはないのだが、何かの間違いでレイヒムが足を滑らせれば襲い掛かってきそうな、そんな予感をさせている。
少しだけ表情を硬くしているレイヒムにオロチは軽く説明を始めた。
”あれは異世界の魔法《冥道血導》だ。死者の体の一部を利用して怨念を呼び出し、あの手に触れたものの生命力を根こそぎ奪い取る”
「なるほど。私が囮にした獣人やアナタの隕石魔法で死んだ魔物の怨念ですね。早く解除してください」
”む? 別に解除せずともよかろう。面倒ではないか”
「いえ、後始末が面倒なので解除して欲しいんです」
”なぜ余が貴様の願いを聞き入れなくてはならんのだ”
「はぁ……」
これにはレイヒムも溜息を吐く。
竜人を捕らえて奴隷として扱う予定のレイヒムとしては、《開け天の窓》と《冥道血導》によって生じた冥界の沼は邪魔になる。帝都まで竜人を移送するのも面倒であり、さらに竜人の里である【ドレッヒェ】を管理する上でも邪魔になる。
しかし目につく物を滅ぼすことしか頭にないオロチはレイヒムも考えに気付かず、寧ろ必要もない命令を下されているのだと勘違いしていた。
「はぁ……あのですね――――」
レイヒムは仕方なくオロチにも分かりやすいように説明を始める。ファルバッサとクウの出現によって状況が変化してしまったのだが、今回の本来の目的ではオロチが力を振るう必要がなく、ただその場にいるだけで良かったのだと丁寧に語っていく。
それを聞いてオロチは少し不機嫌になっていたのだが、自分を好きな場所に召喚できるレイヒムは貴重な存在であるため殺すことは我慢する。実は別空間から召喚されているオロチは、レイヒムが居なければこの地に顕現することが出来ないのだ。
だがその遥か上空四百メートル、一人と一匹を見下ろしながら呟く者がいた。
「《幻夜眼》起動……」
白いマントの端から黒髪を覗かせるのはオロチの属性息吹の爆発で消し飛んだはずのクウ。間違いなく生きているクウが灰色の粒子を振りまきながら翼を広げて滞空していた。
何故クウが生きているかと言えば、単にあの爆発には巻き込まれていないからだと言える。《魔装甲》と《魔障壁》では防ぎきれないと理解していたクウは初めから幻影を姿をオロチに見せつつ、本人は上空まで逃げおおせていたのだった。
そして最強の幻術をかける魔眼使いの少年、クウ・アカツキが今その瞳の本領を発揮する。
”何?”
「どういうことですか!」
半径一キロにも及ぶ広大な沼から這い出ようとしている無数の黒い手が一斉にオロチとレイヒムへと襲いかかってきたのだ。今までは何かを渇望するかのように天に向かって手を伸ばしては崩れて沼に沈んでいた黒い手も、全てがオロチに向けられている。
元々、この魔法は発動後は放置しておくタイプだったのだが、このように発動者に襲い掛かるようま魔法ではない。普通は《冥道血導》の発動者が魔法を解除するまで、発動者が対象外とした存在以外に襲い掛かるのだ。
だが事実、そのルールを無視して無数の黒い手が発動者であるオロチへと向かっているのだ。
「何で自分の魔法に襲われているんですか!」
”ふむ、どうやら貴様だけではなく余も狙われているようだ。どういうことだ?”
慌てて叫ぶレイヒムにオロチは冷静に答える。
実はオロチはレイヒムを対象外として認識しておらず、初めはレイヒムを狙っているのかとも考えた。しかし黒い手は確実にオロチも狙っており、何か別の要因が働いているのだと考えられる。
そしてその要因こそがクウの《幻夜眼》だったのだ。
「上手くいったようだな」
沼中の黒い手が囲い込むようにしてオロチとレイヒムへと迫っている光景を上から確認しつつクウは呟く。想像以上の結果にクウも思わずガッツポーズをとっていた。
「やはり《幻夜眼》は単純な幻術能力じゃないのか。これで確信した」
神種トレントのボロロートス戦でファルバッサの《幻想世界》を書き換えたり、山脈のキングダム・スケルトン・ロード戦で『破壊ノ黒剣』を幻術の盾で防いだ時から疑問に思っていたことがあった。
この《幻夜眼》は本当に幻術の能力なのか? と疑っていたのだ。事実、《幻想世界》の書き換えはまだしも、意志力を破壊エネルギーとして放つ『破壊ノ黒剣』を防げることに関してはただの幻術では無理だ。
だからこそ《幻夜眼》には本質的に別の効果があるのだとクウは考えた。
ステータスを開いた時に《幻夜眼》に関する記述を次のように書かれている。
《幻夜眼》
現実と虚実の境界を操作する魔眼。
視認した領域、もしくは物体や人物をMPを
消費することで幻術にかけることが可能。
この眼の前では世界すらも騙されることに
なる。この目を騙せるのはこの眼だけ。
現実と虚実を操作する。
何を以て操作するのかと言えば、それは恐らく意志力だとクウは仮定した。つまり意志力に干渉して現実を嘘に、嘘を現実にと操作できるのだ。
クウはこの意志力を多次元ベクトルとして考えた。
例えばオロチの意思力を横軸にして、クウ自身の意志力を縦軸とする。そしてその意志力の強さがベクトルの矢印の長さとなり、二人の意志力の足し算が現実として現れる。
オロチの意志力が強ければ、現実を表す和のベクトルはオロチの意志力を表す横軸に近づき、謂わばオロチの思い通りの現実に近づくことになる。
ちなみに意志力は二人以外にも世界の意思力というものも存在しており、例えば空気があるという現象は、世界の意志力がそこに空気が存在するように認識しているからだ。
クウの能力は、そのそれぞれの意志力へと干渉して和のベクトルである現実にすら影響を及ぼす。これの副次的効果として本物に近い幻術を生み出すことが可能なのだ。
「怨念も意志力の塊だからな。魔力さえ足りれば魔法だって俺の制御下だ」
《冥道血導》がオロチの意志力で制御しているタイプの魔法だったのならば相当な魔力が必要だったかもしれないが、実際は放置タイプの魔法であったために制御を奪い取るのは難しくなかった。
それ故、全ての怨念をオロチとレイヒムへと向けることが出来たのである。
「さてと……仕返しも完了したし後は逃げさせてもらうか。ファルバッサとリアは後で迎えに行こう」
クウはそう言って再び《幻夜眼》で世界に干渉し、クウの気配や魔力、熱などをを遮断させる。普通の幻術と違ってそれなりの魔力が必要だが、意思干渉の効果は非常に高い。
自分よりも遥かに強いだろうと確信しているオロチから逃げるためには手を抜くなど有り得なかった。これまでの戦闘でクウもオロチには勝てないと確信しており、折角逃げるチャンスを手に入れたのだからこれで十分だと悟り、そのまま姿を消したのだった。
しかし一方でクウの最後の仕返しを受けたオロチとレイヒムは堪ったものではない。
「オロチ、早く何とかしてください」
”少し待て、余ならばこやつらの手に触れても多少は問題ない。浄化術式を引き出すからそれまで我慢しろ。シュルル……”
オロチは纏わりつく黒い手を鬱陶しそうにしながらも自らの能力を行使する。
”開け【深奥魔導禁書】。余が欲するは『黒の書』『白の書』『反転の書』”
既に何度も見慣れた黒い本が出現し、封印の鎖が弾け飛ぶ。パラパラと自動的にページがめくれ、その中から魔法陣が飛び出した。
そこから新たに出現した三冊の一回り小さな本も同様に開かれ、複雑な紋様を描いていく。そしてオロチの膨大な魔力を注ぎ込んで描かれた魔法陣は沼全体を覆うほどの六芒星を描き、怪しく輝く。
”全ての悪意は善意に還る《六道輪廻外道魔縁》”
発動されたのは奇しくもクウの開発した最強の浄化魔法。対単体を考慮して作られた魔法だが、オロチは膨大な魔力で無理矢理それを広範囲化してしまった。
既に遠くへと逃げてしまったクウは気づくことがなかったのだが、全ての悪意を反転させるその効果によって、怨念によって顕現した無数の黒い手は全て浄化されてしまったのだった。





