EP144 VS.オロチ、レイヒム④
「ちっ!」
クウは翼の機動力をフル稼働させて回避に専念する。だが十二もあるオロチの龍頭からは次々と息吹が吐き出され、下へ下へと追いやられていた。尤も、十二の龍頭が全て攻撃に専念していたわけではない。
例えば時空間属性を司る透明宝玉の龍頭は息吹の軌道を曲げたり、息吹を転移させて予想外の方向からクウを襲わせたりする。また結界属性を司る灰色宝玉の龍頭はクウを囲い込んで捕らえようとすることで牽制の役目を果たしていた。クウは《魔力感知》によって空間が区切られようとしているのが感じ取れるため、想像以上に集中力を削り取られるのだ。
「せめて、魔法の、詠唱ぐらい、させろっての!」
オロチは手数も多いが、一つ一つの攻撃の威力も桁違いだ。クウですら遠く及ばない膨大な魔力を注ぎ込んで放たれる息吹は、一撃で沼の一部を蒸発させ、空気を凍らせ、大風を起こす。一発で地形や環境が変化するようなものばかりなのだ。
(《思考加速 Lv4》と翼がなかったら死んでたな)
クウは攻撃の隙を縫うように回避することで辛うじて一撃も喰らうことなく生き残ることが出来ている。地上では相変わらず黒い手が何かを求めるように蠢いているため、翼がなければ危なかっただろう。
《思考加速 Lv4》のお陰で上昇している演算能力を使って最適な回避ルートを導き出しつつ、クウは《森羅万象》で無数の黒い手を解析し続ける。
(この状況でスキルの二重起動はキツイな。早く情報開示しろよ《森羅万象》!)
最上位情報系スキルである《森羅万象》は、世界のあらゆる事象を開示し秘匿する能力を持っている。謂わば世界辞典のような能力なのだが、逆に言えばこの世界以外のことに関しては情報が載っていないのだ。
異世界の魔術を行使するオロチの【深奥魔導禁書】を前にしては、《森羅万象》も完璧な情報をすぐに開示することは出来ない。
世界がオロチの行使した魔法を認識して情報登録するまでは《森羅万象》も役に立たないのだ。
故にクウの視界の一部にはこのように表示されている。
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深淵魔法《冥道血導》
情報を解析・整理中です。
あと43秒お待ちください。
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(《森羅万象》がこんな反応を見せるなんて初めて見たぞ……)
エヴァンに留まらず、異世界の魔術すらも表記された【深奥魔導禁書】から放たれた魔法は《森羅万象》でも対応しきれない。
だが【深奥魔導禁書】の能力を知らないクウでは、何故このように表示されているのか理解できなかった。
「ま、解析完了までに勝てば問題ない。《魔装甲》《身体強化》《魔障壁》」
クウは《魔障壁》を使った足場形成で、空中を蹴りながら高速移動を続ける。立体起動は体への負担が非常に大きく《身体強化》などで補強する必要があるのだが、その分だけ蹴る力が増して《魔障壁》にかかる魔力量が上昇する。その兼ね合いを付けるのが難しいのだが、慣れてしまえば非常に便利な移動方法になり得るのだ。
連続での《月魔法》の使用や、大規模な《幻夜眼》の使用によってクウのMPは残り半分ほどになっている。早期決着のためにも、クウは高速でオロチへと接近していった。
”愚かな”
しかしオロチは橙色の宝玉を光らせて魔法を行使する。召喚属性を司るこの龍頭は最も後方にあるため、クウもその変化に気付くことが出来ず、不意を打たれることになった。
「なっ!? ぶは!」
蹴りによる高速移動を翼で加速させていたクウは、突然目の前に召喚された巨大蛇の魔物に為す術もなく突っ込むことになった。オロチよりは遥かに小さいのだが、それでも両手で抱えて足りないほどの胴回りはあるだろう。全長は凡そ五メートルほどであり、地球では考えられない大きさの大蛇だ。
幸い《魔装甲》を纏っていたお陰で怪我は無かったのだが、仰け反って大きく減速……いや、停止させられることになった。
”死ね”
黄金と透明の宝玉が光り輝き、黄金宝玉の龍頭から放たれた雷息吹が透明宝玉の龍頭の用意した空間を繋ぐゲートを通り抜ける。
遠く離れた同一空間上の二点を繋げるゲートは、一つは黄金宝玉の龍頭の口元に、そして出口となるもう一つはクウの真上に設置されていた。
つまりオロチの雷息吹が落雷のようにクウへと襲いかかることになる。
「うぐぅっ!」
クウの視界は真っ白に染まり、焼けるような激痛が体中を駆け巡る。前後左右、そして上下の感覚が失われ、クウは自分がどのような状態にあるのかも把握しきれていなかった。
ぶつかった大蛇も被害を受けたらしく、鼻に突くような刺激臭と焦げた匂いが漂う。そのお陰で意識は保っているのだが、激しい閃光によって目が焼かれてしまい、しばらくは役に立たなくなっていた。そして《魔装甲》も剥がされ、翼も消失している状態のままクウは無数の黒い手が蠢く沼へと自由落下していた。
「ぐ……《自己再生》」
朦朧とする意識をかき集めてクウは回復用の魔法を発動させる。遺伝子に働きかけて肉体の再生を促す魔法なのだが、集中しきれていないため回復速度は普段よりも遅い。
それでも一撃必殺の雷を喰らって回復の魔法を使える程度に意識を保っているられるのも《魔装甲》で防御していたお陰だった。《魔装甲》の電気抵抗のお陰で電圧が低下し、そのお陰でクウに電流が到達してもエネルギーが低くなっていたのだ。また装備しているデザートエンペラーウルフのレザーアーマーが電流遮断に一役買っていたことも大きい。
逆に言えばそれ程の防御性能を貫くオロチの能力も凄まじいわけだが……
「っと拙いな」
《自己再生》によって視力とある程度の肉体を回復させたクウは、自分が落下している最中であることに気付く。隣を見ればクウを阻んだ大蛇も一緒に落ちており、プスプスと黒い煙を上げながら力なく重力に身を任せていた。一応は生きているようだが、意識が飛んでいるらしくピクリとも動かない。
そんな大蛇に目を向けつつ、クウは心の内でふと呟く。
(なるほど。エヴァンでも自由落下の公式は健在と……)
物体が落下する際、真空中では重さに関係なく重力加速度という定数と落下時間によって落下速度や落下距離が決まる。そこに重さは関係なく、鉄の塊と鳥の羽でも同じ速度で落下するのだ。
ただし、一般的には空気抵抗と言う要素が絡むので、鉄塊と鳥の羽ならば鉄塊の方が早く落下する。
それでもクウより遥かに重いハズの大蛇が並んで落下していることから、異世界であるエヴァンでも同じ法則が働いているのだと認識できた。
「ま、そんなことよりこのまま落ち続けると……」
クウはそう呟きつつチラリと下の方を見る。
一面に広がる沼地から這い出る無数の黒い腕。死者の怨念を彷彿させるようなその腕は、既にかなり近くまで迫っている。徐々に天にまで手を伸ばし続けている黒い腕の長さは凡そ三メートル。まだまだ余裕はあるが、初め一メートルも無かったものが短い時間に三倍程まで伸びているのだ。侮っていては、文字通り足元をすくわれるだろう。
クウは空中でクルリと体を反転させ、翼を展開してゆっくりと落下速度を緩めていく。クウが落下していた時間は凡そ数秒のことである。しかしそれでも法則に従って加速度的に落下速度は早まるため、急激な停止は体への負担が大きいのだ。
”…………!”
上手く制動して体勢を立て直すクウを眺めつつ、少し驚いたような雰囲気のオロチ。あの雷を受けて無事であることはオロチにとっても意外だったのだ。
一方で空を飛ぶ能力などない召喚された大蛇はそのまま落下していき、遂に蠢く黒い手が触れた。するとあっという間に大蛇は黒い腕に飲まれていき、まるで生き物に反応しているかのように周囲の黒い手も方向を変えて大蛇へと襲いかかる。
「なんだアレは……」
クウもその光景に目を奪われていた。
大蛇は黒い手の……とくに掌に触れられた箇所からボロボロと崩れて行き、その腕に巻き付かれた箇所は生命力を失って干からびていく。
その様子は《闇魔法》の特性である「滅び」にも似ているが、規模で言えば桁違いだ。クウも貫いた個所を「滅び」で侵食する《暗黒滅弾》という魔法を創ったことはあるのだが、このような広範囲でこれほどの効果のある《冥道血導》には及ばない。
雷で傷つき、もはや動くことも叶わない大蛇は抵抗することもなくそのまま沼へと沈んでいった。
唖然としているクウもふと目の端に映った文字で我に返る。
「『情報整理完了。世界に組み込まれました』……? 《森羅万象》か!」
クウは黒い手から離れるべく、急速に上昇しながらも《森羅万象》を発動させる。少し前には情報の解析と整理で表示されなかった魔法効果がクウの目の前で開示された。
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深淵魔法《冥道血導》
異世界アルラムーンの深淵属性魔法。エヴァン
には存在しない属性であるため、詳しい情報は
ない。
死体の一部を触媒にして怨念を呼び出し、近く
の生者を死に引きずり込む。
この魔法によって死んだ者は新たな怨念となっ
て呼び出され、術者によって停止されるまで無
限に発動し続ける。
この魔法はまさに冥界への道、死への入り口で
あり異界の魔王が唯一使用できる。
―――――――――――――――――――――
「異世界の魔法!? どういうことだ?」
《冥道血導》の魔法効果も異常の一言だが、何よりもクウの目を引き付けたのは『異世界アルラムーンの深淵属性魔法』という文章だ。そして『異界の魔王が唯一使用できる』という説明があるにも拘らず、オロチはこの魔法を発動している。
クウはこのことから二つの仮説を導き出した。
「オロチは異世界の魔法を発動できる。もしくはオロチは異世界の魔王ということか」
オロチのステータスを覗いた時に見えた【権能】は全くもって《森羅万象》では情報開示出来なかった。だが、それでも【深奥魔導禁書】という言葉から魔法に関する能力だという予測は出来る。地球でも魔導書を意味するグリモワールという言葉から推測するに、あらゆる魔法が掲載されている魔法辞典という能力だと考えられるのだ。
「まぁ、地球と同じとは限らないけど……あの毒隕石と大雨、それにエヴァンに存在しないハズの深淵魔法と来れば間違いないだろ」
もう一つの仮説である、オロチが異世界の魔王であるというものだが、こちらはあまり現実的ではない仮説だと言えるだろう。
クウが言うのもおかしな話ではあるが、そう簡単に世界を渡ることなど出来るはずがないのだ。可能性としては限りなく低いだろう。
「ともかく《冥道血導》は闇属性の上位互換のような能力ということだな。制御タイプじゃなくて放置タイプの魔法ならば俺にもやりようはある」
先程の落雷を防いだことで残り少なくなった魔力を練り上げつつ、クウは一気に上空まで昇る。
しかしそれを見たオロチは、逃がさないとばかりに、そして今度こそ確実に仕留めようとして七色の属性息吹を放った。
速さが強みの光と雷が行く手を阻むようにして放たれ、それで一瞬動きを止めたクウに向かって不可視の風息吹が殺到する。それに気づいたクウはギリギリで直撃を免れたのだが、余波の衝撃波で大きく体勢を崩された。
オロチはその隙を突いて残りの炎、水、土、闇のブレスをクウへと向けた。
「くっ!」
衝撃波の影響で体勢を崩され、上手く空中機動を制御できないクウには回避は不可能。つまり防御という選択肢しか残されていない。
クウは唇を噛みしめつつも全力の《魔障壁》を張り、さらに《魔装甲》も纏った。オロチの雷息吹を一発すらも防ぐことの出来なかった《魔装甲》では四色の息吹を防ぐことは出来ないだろう。それ故に《魔障壁》も使ったのだが、それでも耐えきれるかは怪しい。
いや、確実に不可能だと断言できる。
それでもクウは諦めることなく全ての魔力を防御へと回す。
「耐え切れえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
そう叫ぶクウの言葉は虚しく、《魔障壁》と《魔装甲》は一瞬にして破壊され――――
――――四つの息吹による大爆発が起きたのだった。