EP139 竜人の里防衛戦⑥
なんか長くなってしまいました。
前話は少し短めだったので相殺ということで
時は少し遡り、ファルバッサが《幻想世界》を使用した直後に戻る。
ファルバッサは不意打ちとは言えオロチとレイヒムを同時に巻き込んで幻術世界に跳ばせたことに安堵しつつ、唖然として見上げている竜人の長、シュラムへと視線を向けた。
シュラムは目の前に映る竜の姿に驚き、また信じられないといった表情をしている。
あまり時間がないことを理解しているファルバッサは、停滞しているこの状況を押し進めるためにシュラムへと語り掛けた。
”赤髪の竜人シュラムよ。久しいな”
「いや……まさかそんな……」
ファルバッサとシュラムはお互いに初めましてというわけではない。かつて六十年前に起こった内乱以来、唐突に現れ、そして姿を消していたファルバッサだが、当時は皇帝の息子でもあったシュラムと面識があった。
ゆっくりと静かに降り立つファルバッサの元に、シュラムもヨロヨロと近づいていく。三将軍であるザントとフィルマもポカンと口を空けてファルバッサを眺めていたのだが、近寄っていくシュラムを見て慌てて追いかけた。
「……神獣様なのですか?」
近寄りつつもシュラムは呟く。
本人としては聞こえるように言ったつもりは無かったのだが、ファルバッサにはしっかりと聞こえていた。「神獣」という言葉に少しだけ顔を顰めつつ、ファルバッサは丁寧に返す。
”ふむ。我は神獣という訳ではないのだが……まぁ、お主たちの認識に間違いはない”
「やはり……。その御声、御姿、気配……忘れようもなき神獣様のもの。私たちの願いに応えて再び降臨してくださったのですか?」
”いや、そういう訳ではないのだが……”
目をキラキラとさせて少年のように期待した視線を向けるシュラムに「自分に掛けられた呪いを解除するために戻ってきただけだ」などと言えるはずもなく、言葉を濁しながらやんわりと否定する。
そしてファルバッサとしても、六十年前に敗北したことで拒絶されるのではないかと心配していたのだが、あっさりとそれを否定するような光景を見せつけられて戸惑っていた。
見ればシュラムの後ろの方に居るザントとフィルマ、そして正規軍の竜人たちも一同に歓喜の表情を浮かべており、寧ろこの上なく受け入れられているように感じられる。
「神獣様だ」
「ああ、美しい竜鱗だ。またあの御姿を拝見出来ようとは……」
「オロチとレイヒムのクソ野郎を消し飛ばされた! さすがは神獣様!」
「我らの神が降臨なされた」
「勝てる! 俺たちは勝てるぞ!」
異常なまでの神獣信仰。
たった一度オロチに負けた程度で揺らぐ竜人ではなかった。
もちろん竜人のみならず、獣人の間でも同等以上の神獣信仰が行われている。ゆえにかつてファルバッサが神獣としてこの国に滞在していた際、竜人が異常に権力を持っていたのも当然のことなのだ。
そして現在、神獣を名乗っているオロチがいることで蛇獣人の権力も増大しているのだが……
《幻想世界》も無限に掛けられる訳ではなく、寧ろオロチならすぐに破って来るだろうと予想しているため、あまり余計な時間を掛けたいとは思わない。だがこの状況をどうすることも出来ず、ファルバッサはただ困惑し続けていた。
しかしそこで放置していた相方の声が聞こえてきた。
「おいファルバッサ。勝手に先に飛んでいくな。リアが振り落とされてたぞ」
振り返ればリアを両手に抱えたクウが空中に佇んでいた。
背中からは灰銀色の粒子で構成された六枚の翼が広がっており、同じ色の竜鱗を持つファルバッサと並ぶと、どこか神秘めいたものを感じさせる。
神とも崇められるファルバッサと同時に出現した謎の人物。六枚の翼を携え、そしてその色は神獣と同じというこの状況。
「神獣様は天使様もお連れになられたのか!?」
シュラムの勘違いは当たらずとも遠からずなのだった。
◆◆◆
「なるほど。さっきいきなり飛んできた熱線はオロチとか言う化け物の攻撃だったのか。そしてお前はさっき言ってた宿敵ことヒュドラのオロチに再会したと」
”うむ。忘れもせぬあの魔力を感じ取ってつい先走ってしまったのだ”
「ドヤ顔で言うな。反省しろ」
突然現れたファルバッサとクウは、神獣とその天使として竜人たちの間で受け入れられてしまった。実際にはファルバッサもクウも虚空神ゼノネイアの使いであるため、微妙に間違いつつもある程度は当たっている。
本当ならば訂正するところだが、下手なことを言うよりも竜人に受け入れられていることを利用しようということで、そのまま話を進めることになった。
後から来て状況を掴み切れていなかったクウは、竜人たちから少し離れた場所で先ほど起こった戦闘の流れを簡単に説明され、先ほどの会話へと戻る。
「それでオロチとレイヒムって奴は《幻想世界》で抑えているんだな?」
”うむ。内部時間を百分の一にしている故、こちらの一時間があちらの三十六秒になる。今のところは問題ないだろう”
ファルバッサの【魂源能力】である《幻想世界》で造った空間は好きなように法則を弄ることが可能だ。それを利用して時間の流れを操作し、時間稼ぎに成功した。
尤も、ファルバッサの魔力量の関係で一時間が発動限界なのだが……
「取りあえずオロチとかいう化け物をどうにかする必要があるよな」
”いや、クウでも奴には勝てぬ。どれほど足掻いても負けぬ戦いをするので精一杯だろう”
「……そうなのか?」
”詳しく説明している暇はないのだが事実だ”
通常のスキルから逸脱した【魂源能力】を二つも有し、人外とも呼べるステータスを保持するクウでさえも絶対に勝てないと断言するファルバッサ。そのことにクウも驚くが、思慮深いファルバッサが冗談でこのようなことを言うはずがないだろうと考えて素直に受け入れる。
だがそれを受け入れたところで状況が良くなるわけではない。《幻想世界》を破って出てくるだろうオロチとレイヒムを迎え撃つ必要がある以上、悠長にファルバッサを責めている暇など無いのだ。
「じゃあ、取りあえずどうする?」
”我としては竜人たちを逃がしてやりたい。恐らくここに居ては戦いに巻き込まれるだろう。我とクウならば最悪逃げることも出来るだろうが、彼らでは無理だ”
「それが最優先だな。あとはリアもか……」
「私……ですか?」
ファルバッサが竜人たちを心配するように、クウもリアのことを心配している。遠くからでも感じ取れた膨大なエネルギーを発するオロチは間違いなく格上。少し前に相対したキングダム・スケルトン・ロードすらも超越していると思われる。
そのような相手にリアが敵うとは思えず、下手をしたら怪我では済まないだろう。特に少し前に大怪我を負わされたこともあって、クウは少し過保護になっていた。
しかしリアはクウの心配をよそに毅然として首を横に振った。
「嫌です。私もクウ兄様と一緒に戦いたいです」
「いや、俺は何も言ってな……」
「私はどこかに隠れていろと仰りたいのですよね?」
「……」
スッと目を逸らすクウに対してリアはジッとクウを見つめる。現在クウは白いマントのフードを被っており、身体の殆どが隠れている状況なのだが、しっかりと肌を刺すような視線を感じていた。
いつもはクウの言うことを素直に聞くリアだが、今回ばかりは引く様子がない。
クウも何とかリアを説得しようと、もっともらしい理由を考えて口にした。
「リア……この前の山脈越えで杖が折れていただろ。魔法もいつもの様には使えない。その辺の魔物程度ならまだしも、遠くからでも強い魔力を感じ取れるような奴を相手にするのは……」
「あっ……」
山脈の洞窟での戦いで、リアの愛用していた杖は真っ二つに折れてしまっていた。もちろん魔法を使うために杖は必須ではない。クウが魔法を使えているのが良い例だ。
基本的に魔法を使うには、《魔力操作》かそれに類する効果の魔道具を使って魔力を練り上げるという行為が必要となる。《魔力操作》は簡単に習得できるスキルなのだが、成長させるのが非常に面倒だという一面もあり、それならば初めから杖などの魔道具を使って補助をしようと考えるのが一般的な魔法使いだ。リアが使っていた杖ならば《魔力操作 Lv8》と同程度の補助効果があるため、《魔力操作》を練習するよりもその方が効率的なのだ。
最近はクウの勧めでリアも《魔力操作 Lv3》までは習得したのだが、当然ながら杖ありの状態よりは魔法の運用効率が大きく低下することになる。
ちなみに精霊魔法の場合は、頼めば精霊が勝手に契約者の魔力を取って魔法を発動してくれるため、《魔力操作》のスキルも杖も必要ない。
リアはガックリと肩を落とすが、それでも諦めないとばかりにアイテム袋から予備の短杖を取り出してクウに見せつける。
「兄様。予備の杖があるので私も一緒に戦わせてください」
「ちなみにその短杖を使ったときは、いつも使ってた杖の時よりどれぐらい落ちる?」
「……半分ほどでしょうか」
リア自身の《魔力操作 Lv3》を使うよりかは少しマシと言った程度。さすがにその状態では戦いに出したくはない。だが珍しく自分の意見を主張するリアを尊重してあげたいという思いもある。
クウの中で二つの思いがせめぎ合い、葛藤する。
だがここでリアに甘いファルバッサも後押しするようにして口添えをした。
”クウよ。リアは我が責任を持って守ろう。同行させてやれ”
その言葉でクウの心は決まった。
遠くからでも感じ取れたオロチの力を考えれば、ファルバッサの戦闘能力でも不安が残る。しかしこれほど真剣にクウを見つめて頼んでいるリアの願いを無下にするほどクウは非情にはなれなかった。
溜息を吐きつつクウは口を開く。
「はぁ……わかった。ファルバッサはリアを守りつつ俺の援護をしてくれ。俺がメインで攻撃し、出来るだけ引き付けるから二人は回復と援護射撃だ」
”うむ”
「はい」
パァっと顔を綻ばせて嬉しそうにするリアを見て、クウも表情を緩める。
その気になれば《幻夜眼》で眠らせて、強制的に戦闘から逃がすことも出来たのだが、本気で頼み込むリアについ折れてしまったのだ。しかしクウはそれを後悔するつもりはない。
(ま、なるようになるさ。いざとなったら頑張って逃げればいい。俺の幻術を使えば大抵の奴からは逃げられるだろうしな)
クウは決意を固めつつ、そっと右手で目に触れる。目視したものを幻術に落とす魔眼の能力、そしてユニーク属性である《月魔法》を使えば問題なく戦えるだろう。
どこまで通用するかは不明だが、ファルバッサの《幻想世界》が通用している時点で、特に問題視はしていない。
だがそんな思考も、ファルバッサの慌てたような声で打ち切られた。
”っ! 拙いぞ。奴らはもう《幻想世界》を破ろうとしている”
「なに?」
クウがチラリと腕時計を見て確認すると、ファルバッサが《幻想世界》を使用してからおよそ二十分と少し。つまり時間の流れが百分の一となっている向こう側では十二、三秒ほどしか経っていないのだ。
【魂源能力】で作られた空間を僅かに十秒と少しで破る。
あまりの規格外さに、さすがのクウでも驚きを隠せない。
”向こうの時間にしてあと七秒ほどで破られる。猶予は十二分と言ったところだろう”
「急ぐぞファルバッサ、リア」
「はい」
”うむ”
ファルバッサは巨体を持ち上げて砂に大きな足跡を残しつつ固まって待機していた竜人たちの方へと向かう。これから戻ってくるだろうオロチとレイヒムとの戦いに巻き込むわけにはいかないため、遠くまで逃げるように忠告するのだ。
竜人たちは神獣と崇めるファルバッサが近づいて来たことにより、期待の眼差しを向けつつ跪く。長きを生きる竜人たちにとって六十年前程度ならば人で言うところの二十年程度の感覚であり、鮮明に記憶を持っている者も少なくない。
特に正規軍に選ばれるエリートたちは六十年前の内乱を経験した者ばかりであり、皆がファルバッサのことを良く知っていたのだ。
ファルバッサは彼らの熱い眼差しを一手に受けつつ、静かに口を開く。
”聞くのだ竜人たちよ。我は先ほどオロチを特別な空間に閉じ込めることに成功したが、奴はもう脱出しようとしている。そして奴が出てくれば再び戦闘が始まるだろう。お主たちは巻き込まれぬように遠くまで離れて欲しい”
「いえ、神獣様。私たちも戦います」
”いや、ここは我に任せるのだ”
「しかし……」
信仰する神獣に戦いを任せて逃げるなど竜人としての矜持が許さない。そんな思いで口々に戦う意思を見せるシュラムと配下の竜人たちだが、ファルバッサからしてみれば邪魔でしかない。だからと言って直接そういう訳にもいかず、何とか説得を試みた。
”シュラムよ。お主には竜人全体を守る義務があるのだろう? ならばこそ我に戦いを任せ、お主は自分の民を守ってほしい。そうすれば我も安心して戦える”
少し卑怯だとは思ったが、もっともらしいことを言ってシュラムを説き伏せる。この言葉にはシュラムも口答えすることが出来なかったのか、渋々ながら納得して街の方へと戻っていった。
それを見てファルバッサも安堵の息を吐く。
同じくその様子を見ていたクウは自分の為すべきことをするために準備を始めた。
「俺はオロチとかいう奴が出てきたときのために魔法の準備をしとかないとな」
ファルバッサの言葉から、オロチの巨大さはクウも理解している。それ故、単に威力があるだけでなく範囲も重視しなければ決定的な一撃とはならない。
威力と範囲……これを両立させる魔法は非常に高度であり、別名では広範囲殲滅魔法とも呼ばれる戦略級魔法となる。人族の国であるルメリオス王国でも禁書指定の書物にいくつか掲載されている程度であり、勇者として召喚されたリコでさえも見たことはない。
しかしクウ程のレベルともなれば魔法は自作したものばかりだ。特にユニーク属性である《月魔法》には前例となる魔法がないため、魔法は全てクウのオリジナルとなる。
もちろんその中には広範囲殲滅魔法に並ぶものも存在する。
「んー。今回はアレを使うか」
クウは暇なときに開発している魔法の中から最適なものを選ぶ。もはや趣味と化した魔法開発も慣れたもので、《月魔法》の特性にも慣れてきた。「矛盾」「夜王」「重力」という非常に概念的で扱いにくい特性なのだが、それだけに魔法の効果も幅広い。だからこそ魔法創作にも熱が入り、ついつい規格外な魔法を幾つも生み出していた。
「取りあえず魔力が大量にいるから練り上げないとな。十二分だとギリギリか」
最上位スキルである《魔力支配》を有するクウの魔力運用技術は間違いなく世界最高クラス。広範囲殲滅魔法に要する膨大な魔力さえも僅か十分程度で用意することが出来た。
それと同時にこれから放つ魔法の演算も開始する。タイミングを見て詠唱すればいつでも魔法を発動できるように入念に緻密に演算を始めた。
”クウよ。竜人たちは街の方へと引き返してくれた。これで思う存分戦えるだろう。手加減をする必要はないぞ”
「了解だ。そう言えば獣人側の軍は……って既に結構遠くまで逃げてたんだな」
「まぁ、説得する手間が省けてよいではありませんか」
クウもリアもファルバッサもあまり気にしていなかったのだが、レイヒムに連れて来られていた北帝軍の獣人たちは既に遠く離れた場所まで撤退していた。
そもそも、彼らはレイヒムに反抗的な獣人たちであり、レイヒムはその処理も兼ねて囮として連れてきている。オロチが居たからこそ逆らえなかった彼らだが、同じく神獣として崇められているファルバッサが登場したことで逃亡する大義名分が出来た。
神獣相手なら仕方ない。
これが獣人の考え方である。
同様に反抗的な獣人たちを監視するために一緒に来た正式な北帝軍の軍人も、さすがにファルバッサが相手ではどうすることも出来ない。共に遠くまで離れる事しか出来なかったのだ。
”さて、そろそろ《幻想世界》も解ける。恐らく時空系を操る魔法で脱出してくるのだろう。強い干渉場を感じる。解除まで凡そ15秒だ”
「分かった。じゃあ俺たちは上空に行くぞ。俺の範囲魔法の巻き添えになるからな。リアはいつも通りファルバッサの背中に乗ってくれ」
「はい。ファルバッサ様もよろしくお願いします」
”うむ。任せよ”
ファルバッサとしても自分が口添えしただけあって、しっかりとリアを守るつもりだ。クウがリアのことを大切にしているのは良く知っているし、ファルバッサ自身も可愛がっている。
内心で密かに気合を入れつつ、ファルバッサはリアを乗せて飛びあがった。
「じゃあ、俺も行くか」
クウも飛翔するファルバッサを見上げつつ、背中に意識を集中する。天人へと進化してから幾度となくお世話になってきた翼。粒子を固めたような質感でありながら、しっかりと重さも存在する不思議な翼であるが、もはやこれはクウの体の一部である。
自然な動作で翼をはためかせ、クウは勢いよく地面を蹴った。
足元が砂であるためか衝撃が吸収されて思ったよりも跳べなかったものの、そんなものは関係ないとばかりに遥か空へと飛翔し、白いマントがヒラヒラと舞う。
そして魔力を高め、演算まで完了していた魔法に詠唱をつけ始めた。
「『終末の誘い、災いの日
月は染まり、空は堕ちる
天より下る滅びの雨
地は晒され、蹂躙され、滅ぼされる
相反破滅の朱い雨
全地よ、その重みを思い知れ!』」
クウが右手を天に掲げると、その先が不定形に歪みながら紅い球体と化していく。闇と光という本来ならば混ざり合うことのない二つが混じりあい、「矛盾」の特性によって制御され、全てを消しさる「消滅」の力へと変貌していく。
そして《月蝕赫閃光》で作る赤色の球体より何倍も大きなソレは、次々と小さく分裂して小さな球体へと変わり、それが無数に並んでいく。
小さいながらも一つ一つが「消滅」の効果を帯びており、クウはそれを制御し安定させるために詠唱を唱えた。
”来るぞクウ。やれ!”
丁度クウが魔法を完成させようとしていた時、銀色の光が辺りを照らし、ファルバッサの幻術世界からオロチとレイヒムが戻ってきた。
漆黒の龍鱗を纏う十二の龍頭が砂漠から飛び出し、その額にはそれぞれ異なる色の宝玉を付けているのが見て取れる。クウは初めてその姿を確認したが、やはりその内に秘められたエネルギーは測定不能。
近くに居るだけでも身震いさせられるほどの畏怖を感じるが、クウはその恐怖を意思の力で無理やり押さえつけ、発動しかけていた魔法を完成させる。
「『―――
《滅亡赫星雨》』」
クウが掲げていた右手を振り下ろすと同時に「消滅」を内包した紅い雨が降り注ぐ。数えきれないほどの朱い小球は硬い龍鱗すらも無視してオロチの四つの首を次々と穿った。
突然のことでオロチもレイヒム混乱しているらしく、上空に居るクウの存在には気づかれていない。その隙にクウは次の魔法を準備し始めた。
「『再生を司る聖なる光
滅びを晒す邪悪な闇
融和せよ、拒絶せよ
朱き月は遂には滅びる
甦ること能わざるなり
今、この世界に滅亡の閃光を!』」
クウの両手の前に紅い雷を纏った球体が出現し、不安定に流動しつつも徐々に纏まっていく。レイヒムは周囲を見渡して、ようやく状況の変化に気付き始めたようだが、その変化に増々混乱しただけのようだ。
しかしそれもそうだろう。
ファルバッサの《幻想世界》の能力で時間の流れが百分の一となった世界にいたのだ。たった二十秒ほどの滞在であったとしても、現実時間に換算すれば三十分以上も経過していることになる。
クウはその隙を突いて魔法を放った。
「『《月蝕赫閃光》』」
ブツブツと何かを呟いていたレイヒムの言葉を遮るようにして紅い閃光が炸裂する。膨れ上がった赤黒い球体がオロチの首の一つを飲み込み、バチバチと放電する。
そして一気に収縮した《月蝕赫閃光》の後には、僅かに紅い雷を残しつつドクドクと血を噴出さながら痙攣する胴があるだけだった。レイヒムが乗っている透明宝玉の龍頭の丁度隣にいた紫苑宝玉の龍頭が消し飛ばされたことを理解する。
”シャ――――ッ?”
「なっ……」
驚愕して声を上げるオロチとレイヒム。またオロチは合計して五つの首を行動不能にされ、その痛みを感じて叫び声を上げていた。
ここまで来ればさすがに異常に気付く。
ようやく冷静さを取り戻したレイヒムは上空に居るクウ、リア、ファルバッサの存在を感知した。見上げるレイヒムとクウの視線が交錯する。
銀色に輝く六枚の翼を出して空を飛んでいるクウの姿に呆気に取られているレイヒムだったが、クウはレイヒムが我に返るのを待っているつもりはない。
「どういうことですか……?」
茫然として呟くレイヒムに少しばかりの同情を覚えつつも、クウは次こそレイヒムを殺すつもりで魔法の演算を開始する。
《滅亡赫星雨》はオロチを見た時の畏れから特に狙いもつけずに放ってしまい、レイヒムに当たることなくオロチの四つの首を仕留めることになった。
《月蝕赫閃光》のときは僅かに狙いを外してしまい、レイヒムが乗っている透明宝玉の龍頭の隣の龍頭に直撃することになった。
ファルバッサに呪いをかけているのは蛇獣人のレイヒムだ。クウはファルバッサに掛けられた弱体化の呪いを解除するために【砂漠の帝国】へと来たのであり、その標的が目の前にいるならば手早く仕留めてしまうつもりだった。
「『再生を司る聖なる光
滅びを晒す邪悪な闇
融和せよ、拒絶せよ
放たれる赫の月光
万象滅ぼす夜の輝き
それは災い示す朱の月
《赫月滅光砲》』」
レイヒムへ向けて翳されたその手から紅い閃光が放たれた。
次こそはオロチのステータスを出せるはず
 





