EP138 竜人の里防衛戦⑤
相対する銀と漆黒の竜と龍。
一方は一対の翼を生やした天竜ことファルバッサであり、もう一方は十二の首を持つ多頭の龍種オロチ。分類としてはトカゲ型派生を竜とし、蛇型派生を龍と呼ぶのだが、その潜在能力はお互いに拮抗していると言える。
しかし弱体化しているファルバッサが不利なのは明白であり、さらにオロチの頭の上にはレイヒムもいるのだ。この時点で勝率は限りなく低い。
(つい来てしまったがクウも連れてきた方が良かったかもしれぬな)
以前に負けた宿敵であるオロチの忘れようのない存在感を感知したことで柄にもなく先走ってしまったファルバッサ。今更ながらそのことを後悔する。
(今の我ではオロチには絶対に勝てぬだろう。せめて負けぬように戦う必要があるな)
冷静になったファルバッサは自分と相手の力量を把握し、戦闘の方針を立てていく。さらに地上では竜人たちがまだいるため、巻き込むような戦闘も出来ない。
時間稼ぎと、安全な戦闘が出来る方法……
”これしかなかろう。《幻想世界》!!”
ファルバッサは自らの切り札とも言うべき【魂源能力】をいきなり発動させる。
竜鱗が輝くその身体から銀色の粒子が放出され、あっという間に周囲を包み込んだ。巨体であるがゆえに俊敏な動きが出来ないオロチは避けることが出来ず、透明な宝玉を有する頭に乗っていたレイヒムも同様に巻き込まれる。
「なっ!?」
”ほう?”
初手から【魂源能力】を使用してくるとは予想もしなかったオロチとレイヒムは、それぞれ一言ずつだけ発して消えていく。
粒子に触れた者をファルバッサが選択して幻術世界に閉じ込める。一度引き込まれれば脱出は非常に難しく、ファルバッサが設定しておいた条件を満たす必要があるのだ。
だが今回は脱出条件の設定などしていない。
もちろん幻術空間の法則を弄れば、その代わりとしてある程度の条件設定が必要になることもあるが、今回はその必要がなかった。
いや、正確には少し違う。
実はファルバッサが《幻想世界》を発動する時、かなりの魔力を常時消費するのだ。だが解除の条件を設定することで、一度だけ一定の魔力を込めれば発動し続けるようになる。つまり脱出の条件とはファルバッサが魔力を節約するために付けているに過ぎない。
”ふむ……一時間が限界というところか”
身体から魔力が抜けていく感覚を感じ取りながらファルバッサが呟く。
首一つで二十メートルもあるオロチの巨体が砂漠から消え去り、銀の粒子が消失したあとにはファルバッサだけが空中に留まっていたのだった。
”シュルル。やるではないか駄竜”
「まったく……面倒なことをしてくれましたね」
幻術空間に閉じ込められた一人と一匹は周囲に広がる景色を眺めながらそれぞれ呟いた。
彼らの周囲にあるのは真っ白で広い空間。どこまでも白く、境界が見えることはない。それだけに気が狂いそうな風景ではあるのだが、オロチもレイヒムも慌てた様子は無かった。
”確か半精神、半肉体に影響を及ぼす駄竜の能力だったか? 以前も使われて脱出には苦労したものよ”
どこか懐かしそうに空間を観察するオロチ。十二もの頭があるため、並列思考はお手の物。口を開きつつも既に脱出するための算段に入ろうとしていた。
逆にレイヒムは脱出するほどの能力ではないため、オロチに任せっきりである。
「それで脱出はできるのですか?」
”問題などない。弱体化した奴程度ならば以前ほどは時間も掛からん”
そう言ってオロチは空間中のある一点を見つめる。とは言っても龍頭の一つで見つめているだけであり、他の龍頭は思い思いにキョロキョロと周囲を見渡していた。
そして僅かばかりMPを言葉に込めてつつ、オロチは一言告げる。
”開け【深奥魔導禁書】”
オロチの視線の先に現れたのは一冊の黒い本。分厚い革のカバーと鎖による封印がなされている不気味な書物……というのが第一印象だ。
そして出現した本は弾けるようにして開かれ、封印していた鎖は引きちぎられる。自動的にパラパラとページが捲られていき、その度に本の周囲に魔法陣のような幾何学模様が描かれ始めた。
”余が欲するは『時空の書』『幻の書』”
そうオロチが告げると、黒い本を囲むように描かれていた魔法陣の一つから一回り小さい本が一冊。そして別の魔法陣からもう一冊が出現した。
それを見たオロチはさらに言葉を続ける。
”異空間を結ぶ神々の秘術よ。余をエヴァンへと戻せ”
後から出現した二冊の本が開かれ、自動的にページが捲られていく。それと同時に魔法陣が描かれ、謎の記号や円がオロチとレイヒムの周囲を囲っていく。
発動するのは異空間転移。
同一世界、同一空間の転移ではなく、別空間を飛び越える神の秘術。ルメリオス王国が行った勇者召喚陣も同様の技術であり、人の身では再現しえない禁術。
それを一体のヒュドラが発動しようとしていた。
「……これは興味深い。空間破りではなく異空間転移ですか。確かに同一世界異空間ですから座標計算をする必要がありませんし、発動も空間破りよりは簡単ですね」
レイヒムも驚愕しながら自分を囲む立体魔法陣を眺めており、同時に興味深げにしている。それもそのはずで、異空間転移は本来この世界に存在しないハズの神の秘術。
それを可能にするのがオロチの【深奥魔導禁書】だ。
異世界や神の世界を含む、あらゆる世界の魔術や秘術が記載された魔術書。そしてそれをロードすることで全ての魔術を発動することが出来るのだ。
ただ、全てといっても世界を破壊するような魔術はエネルギー不足で使用不可能だ。他にも魂を弄る魔術、創造に関する魔術と言った神の領域の術は全てエネルギーが足りない。
逆にそれ程まで圧倒的な存在が神ということなのだが……
そして転移は発動する。
”シュルル。駄竜よ。すぐに葬ってくれよう《異空間転移》”
オロチは首の一つでニヤリと嗤い、白い光に包まれながら幻術世界から消えたのだった。
だが白い光が晴れた時、初めにオロチの目に映ったのは無数の朱い雨だった。
「『――――
《滅亡赫星雨》』」
””””ギオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?””””
オロチは《異空間転移》で砂漠へと戻った瞬間に酷い激痛に襲われる。十二ある龍頭の内、四つが穴だらけとなって撃ち伏せられ、大量の血が砂の大地に吸い込まれた。
体中を貫かれた四つの首はそのまま地面に沈み、大きく砂煙が舞う。
「なんだと!?」
”馬鹿な!?”
突然の事態に驚くレイヒムとオロチ。幸いにしてやられたのは紺碧、翡翠、漆黒、橙の宝玉の龍頭であり、レイヒムの乗っていた透明の宝玉の龍頭に被害はない。
だが一本当たりが二十メートルという巨体であるヒュドラの首の四つに大ダメージを与えるというのは並ならざる事態だ。
そもそもそれ程の広範囲に攻撃を放てる者は世界でも少なく、さらにオロチの黒い龍鱗を貫通させるなど尚更思い当たる節がないのだ。
(何ですかあの赤い雨は!? まさかあの竜の攻撃? しかしそんな筈は……)
レイヒムは混乱しつつも状況を必死に整理しようとする。しかし予想だにしない急な展開でまともに思考が纏まらず、どこを見れば良いのかも分からない。
それでもキョロキョロと周囲を見渡すうちに、《幻想世界》を喰らう前とは状況が大きく異なることに気付き始めた。
「竜人の軍が消えていますね……? まさかあの程度の短時間で撤退したとでも? いや、竜人どころか私の軍も遥か後方まで下がっていますね。いつのまに―――」
「『《月蝕赫閃光》』」
レイヒムの言葉を遮るようにして朱い閃光が煌めく。球状に膨れ上がった赤黒いソレは、透明の宝玉の龍頭のすぐ隣に居た紫苑の宝玉の龍頭を包み込んでいた。
そして一瞬にして収縮し、僅かに赫の雷を残しながら消え去る。
紫苑宝玉の龍頭と共に―――
”シャ――――ッ?”
「なっ……」
ミスリル武器すらも弾き返す龍鱗を纏ったオロチの首が文字通り消し飛ばされる。常軌を逸した事態を目の当たりにして、逆に落ち着きを取り戻した。
よくよく感知すれば遥か上空で感じ取れる竜ともう二人分の知らない気配。
レイヒムでも竜の上に一人、そしてそのすぐ近くの空中にもう一人いることぐらいは感じ取れた。
間違いなくこの攻撃は謎の二人の人物によるものだと確信してゆっくりと見上げた。
「あれは……羽……ですか?」
まず目に映ったのは灰銀に輝く竜鱗を持つ天竜ファルバッサとその背に乗る白い恰好の人物の姿。
そしてそのすぐ近くに小さく映っているのも人と思しき影だった。逆光で鮮明には見ることが出来ないのだが、フード付きの白いマントを被り、背中からは六枚の翼を出していることは分かった。
それ故に明確に人と断言は出来ないのだが、見た目と気配は間違いなく人である。
「どういうことですか……?」
たった二十秒ほどの時間に大きく変化していた状況にレイヒムは静かにそう呟く。
遠く離れた場所まで撤退した軍と、新たなる敵と思しき二人の人物。真っ赤に染まった砂漠の大地に横たわるオロチの龍頭。
そしてトドメとばかりに翼を広げた人物が口を開く。
「『《赫月滅光砲》』」
翳されたその手から紅色の閃光が放たれた。
オロチの詳しい能力説明はもう少し後です。
勿体ぶり過ぎて飽きられないか心配です。





