EP112 天地挟撃
戦いが始まったのはフォルネスの叫び声とほぼ同時だった。
空に罅が入ると言う非常識極まりない現象はほとんどの冒険者が眺めていた。しかし、まさかスケルトンが天から降ってくるなど誰も予想できないだろう。フォルネスでさえエリカの情報を聞いてギリギリ辿り着いた答えだったのだから。
(やはり先の奇襲は地中に目を向けさせるための伏線でしたか。どうやら《時空間魔法》で異空間生成をして姿を隠していたようですね。ということはゾンビは囮の囮……完全にしてやられました)
フォルネスは再び後手に回ってしまったことで唇を噛みしめる。鉄の味が口の中に広がっているのが感じられたが、今はただ見ているわけにはいかない。すぐに思考を切り替えて、為すべきことを考え始める。
こうしている間にも混乱は広がるのだ。前回の二の舞は避けなければならない。
(異空間から出現したということは《時空間魔法》使いのリッチもいるのでしょう。タイミングを見計らったかのようにゾンビも出てきたようです。この場合は二つに分けて対処するべきですね)
少し上から東を見れば黒い何かが地面を覆いつくしているのが見て取れる。日没を待って次々と地面から這い出てきたゾンビの数は凡そ七百体にも上り、とても無視できる数ではない。
天と地からの挟み撃ちを実現させた魔物たちは、まさに討伐軍の冒険者と精霊部隊を手玉に取っていると言えるだろう。《時空間魔法》という強力なカードに頼らない戦略的な行動を見せるアンデッドたちにフォルネスだけでなく、多くの冒険者たちが驚愕の感情を抱いていた。
咄嗟のことでフリーズしていた冒険者たちが行動を始めたのは挟み撃ちが完成してしまった後となった。
「うわあああっ! 離れろ! 離れろ!」
「馬鹿野郎! 上ばかり見るな! ゾンビもいるんだぞ!」
「暗くなってきたから足元にも注意しろ。上ばかり見ていたら躓くぞ!」
「弓と魔法使いが中心となって攻撃だ。前衛の奴は守りに徹しろ」
「なんで空が割れてるんだよ!」
「知るか! それよりもスケルトンの数がヤバいぞ」
眼孔を魔力光で滾らせた骸骨が降ってくるというのは想像以上に恐怖を煽る。普通に戦う分には問題の無いスケルトンも、空中から襲ってくるだけ十分以上の脅威と化していた。そして空中の敵というのはかなり戦いにくい。ましてや重力に従って急速に落ちてくるスケルトンを的確に狙うのは熟年の弓術士や魔法使いにも難しいのだ。結局、地上に降りることを許してしまう。
さらにスケルトンが降ってきたのは討伐軍の後方……つまり第三班の上空付近に集中している。一班は上空の光景に驚きつつもゾンビの対処へ向かい、二班はどちらに対応するべきか決めかねて有効的な行動をとることができていない。
挟み撃ちに加えて、討伐軍の三分の一が上手く起動していないのだ。状況は悪化の一途を辿っている。
だが全ての冒険者が戸惑っていたわけではない。
「「『清浄なる大地よ
万の悪意を消し去り給え
顕れしは神聖の領域
支配するは神の真意
神気を以て打ち払う
不浄なるものよ
この地を立ち去れ
《聖域》』」」
何処からともなく聞こえた詠唱と同時に光の乱舞が二か所から広がる。浄化を込めた光の領域が地上と空中を問わずに広がり、スケルトンは一瞬にして灰と還った。洪水のように黒い罅から溢れ出ているスケルトンは、押し出されるようにして《聖域》に飛び込み、有無を言わさず浄化していく。僅かに数秒ほどの効果しかない魔法だったが、その間に倒したスケルトンの数は数十にまで昇った。
「理子、絵梨香、ナイスだ!」
そう言いながら地上を駆け抜けて光を纏わせた剣を振るうセイジ。
先程の《聖域》は当然ながら勇者パーティであるリコとエリカが発動したものだ。常人を遥かに超える魔力値を持つ彼女たちの魔法は凄まじく、焦燥していた冒険者たちに一瞬の余裕が生まれた。
しかし一瞬とは言え、その猶予が生まれた効果は大きい。前回の奇襲の件もあって、油断していたわけでもなかった冒険者たちはすぐに持ち直した。
そして二度目の奇襲に踊らされることなくスケルトンに対処しているB以上の高ランク冒険者を見て、その他の冒険者も普段通りの戦いを取り戻すことが出来た。
「空中の奴は精霊使いに対応させろ! エルフを呼べ!」
「二人か三人でペアを組んで地上と空中を同時に相手するんだ」
「おいお前! 俺の背中を任せる」
「おう!」
「地面にも気を付けろよ? また地中から奇襲してくるかもしれん」
「高ランクの奴に続け! Dランクの意地を見せろ!」
『おうっ!』
二人によるたった一度の魔法だったが、流れは一気に変化した。
元々彼らも十分に奇襲に備えていたのだ。《時空間魔法》を使った奇想天外な襲撃に後れを取ってしまったが、一度持ち直せば対応も可能である。確かに空中から襲って来たのは冒険者にも衝撃を与えたが、そもそも魔物の中には予想外な動きをする個体も珍しくない。いちいち驚いていては冒険者は務まらないのだ。
フォルネスも多くの冒険者……主に第三班が落ち着きを取り戻したのを見て手早く指示を出す。
「指揮官のフォルネスです。第一班と第二班はゾンビの対応をしてください。戦い方は班長のグラスさんとドーヴァさんにお任せします。第三班は上空から降ってくるスケルトンの対応です。この現象は《時空間魔法》使いのリッチによるものだと考えられます。リッチを目撃したら戦わずに報告を優先してください。
く・れ・ぐ・れ・も・戦ってはいけません!」
特に最後の一文を強調して言葉を風の魔法で戦場全体に飛ばす。
その指示を聞いて、どうするべきか右往左往していた第二班も行動を開始し、ようやく事態は拮抗状態になった。続いて近くに控えている特別チームにも命令を下す。
「フェイクさん、ルリーさん、ヴォルトさん、ブライさんはリッチが出てくるまで私の側に居てください。特にヴォルトさんとブライさんは勝手に行動しないように。出来るだけ体力と魔力を温存してもらいます」
「わかったよ」
「私もよろしいです」
フェイクとルリーは素直に了承するが、エルフの兄弟であるヴォルトとブライは激しく抗議した。
「何でだよ! 俺と兄貴に戦わせろよ」
「光神シン様の敵……潰す」
空に浮かぶ暗黒色の亀裂から止まることなく溢れるスケルトンを睨みつけながら魔力を高める二人。彼らと契約する雷と水の精霊による魔法は確かに空中の敵にも有効かもしれないが、ここで二人を消耗させる訳にはいかない。
フォルネスは慌てて二人を宥める。
「待って下さい。光神シン様の敵を討つのでしたら、あなた方は相応の働きをしてください。雑魚に構って本命を逃すような失態をしては光神シン様に顔向けできませんよ!」
ヴォルトとブライの好戦的な行動は光神シンを信仰するが故のものだ。悪神に仕える魔族が操っていると考えられている魔物は、当然の如く神敵と扱われる。そして魔物を滅ぼすことで自らの信仰を示すことが出来ると信じているのだ。
魔物狩りとはエルフにとっての聖戦。
だがフォルネスにそう言われてしまってはスケルトンを相手に力を出すわけにはいかない。もしもそれが原因でリッチを討伐し損ねるようなことがあれば、光神シンに対する不信仰となる。
渋々ではあるが、二人は納得して引き下がった。
「スケルトンの対処は三班のAランクパーティを中心にしてもらいましょう。あなた方は自分の身だけを護るようにしてください……今はね」
フォルネスはスケルトンが降り注ぐ領域から少し外れる場所で待機しながら戦場を眺める。高ランクの冒険者が自主的に簡単な指揮を執りながら細かい戦況のコントロールをしてくれているため、フォルネスの仕事は意外と少ない。
そもそも普段からパーティ内で指示を出す役目にある者たちなのだ。大軍団を纏めることは出来なくとも、少人数に対して簡単な指示を飛ばすことは容易い。冒険者たちも自然と一纏まりになって指示を出す者の言葉に耳を傾けているのが見えた。
そして中には言葉ではなく行動で士気を高める者もいた。一騎当千とまではいかずとも、常人の数倍以上の働きで敵を仕留めていく姿を見せつけ、見る者を沸き立たせている。
セイジ、リコ、エリカの勇者パーティだ。
「少しスキルの練習をしようかな……《気纏》!」
セイジはスキルポイントで入手した《気纏 Lv2》を発動する。まだ未熟故にそれほど隔絶した効果はないのだが、肉体能力と耐性が少し上昇する。闇夜に輝くオーラは光の勇者らしい白を発しており、乱戦の中にあってもしっかり目立っていた。
一般には《気纏》のスキルはあまり知られておらず、習得困難であるため使い手が非常に少ない。そのため、突然体から光を発したセイジにギョッとする者も何人かいたのだが、その驚きはすぐに塗り変えられることになる。
「《魔法剣術:光》!」
剣に光を纏わせたセイジは飛び上がり、空中を蹴って縦横無尽にスケルトンを切り裂いていく。勇者として破格のステータスを持つセイジが《気纏》を使った上、本気で動き回れば残像しか見えない。夜の暗さもあって、空を見上げる冒険者には白い閃光がスケルトンを蹂躙しているようにしか見えなかった。
それをセイジだと認識できる者は殆ど居ないが、それでも味方の攻撃なのだろうと判断して歓声を上げる。
しかし一方でセイジの顔は優れない。
「やっぱりMP消費が激しいね。《MP自動回復 Lv4》がなかったら危なかった」
そう呟くセイジは《魔法剣術:光》を解除して一旦地上まで降りた。
セイジが使っていたのは《魔障壁》のスキルだ。これは魔力を使って防壁を形成するスキルなのだが、使い方を工夫すれば足場にすることも出来る。つまりセイジは《魔障壁》で作った魔力の足場を蹴ることで、空中を縦横無尽に駆け回っていたのだ。
しかし《魔障壁》は防ぐ衝撃の強さによって魔力消費が上昇していく。セイジのステータスで《気纏》まで使っている状態ならば、その衝撃は凄まじいものとなる。それ故に長時間の連続使用は難しいのだ。
「ま、しばらくは普通に戦うかな」
セイジはそう言って近くのスケルトンを切り裂く。例えスキルを使わずとも、セイジのステータスならば問題なく戦える。まして相手は低位の魔物であるスケルトンなのだ。負けるはずがない。
そしてリコとエリカも同様に、召喚者としての能力を十分に発揮していた。
「「《聖域》」」
二人同時に放たれた浄化の魔法は、数十体のスケルトンを巻き込んで消滅させていく。効果も範囲も抜群の《聖域》をリコとエリカの魔力値で放てば、その威力は凄まじい。
この二人のお陰で数の不利が大幅に改善されていると言えた。
そしてスケルトンの数も無限ではない。遂に黒い罅からスケルトンが溢れなくなった。
「一気に押してください! スケルトンを駆除したら一班と二班の援護に向かいます!」
風の魔法に乗ってフォルネスの声が響く。目に見えた結果が出たことにより、三班の冒険者たちのボルテージも最高潮に達していた。
「うおおおおっ!」
「そっちだ! 狙え!」
「どこにいった? 探せ!」
「こっちに三体いるぞ!」
「油断するなよ」
夜の空に紛れる漆黒の罅から湧き出るスケルトンが無くなったことで、これ以上増える心配はない。後は残党処理とも言うべき作業だ。上空に注意を向ける必要がなくなり、地上のスケルトンの掃討は加速度的に行われていく。寧ろ残っているスケルトンを探すのに苦労しているほどだ。例え逃したとしても周囲を取り囲む精霊部隊が逃さないのだが、逃亡を許すほど冒険者は甘くない。
尤も、スケルトン程度では逃げると言う選択肢が選べるほど知能は高くないのだが……
だが上手くいっていたことで誰もが油断していた。
始めの襲撃で油断大敵だと身に刻み付けたにも拘らず、戦闘の高揚がそれを忘れさせてしまっていたのだ。
”『《時空振動》』”
その声が聞こえた時にはもう遅かった。
いや、その声を聞くことの出来た者自体少なかっただろう。
討伐軍第一班と二班……戦闘中だったゾンビ諸共、冒険者たちは一瞬にして分解されるように消えてしまった。
「え……?」
それは誰の声だったのかは分からない。
一瞬にして静まり返った戦場で、風に乗って流れてきた濃い血の匂いだけが漂う。吐きそうな程の悪臭で、何人かの冒険者が口元を抑えているのが見えた。だが一体何が起こったのか理解できない。遠目に見ていたフォルネスですら混乱していた。
しかしフォルネスはここで気付くことになる。
いつの間にか上空に出現していた大きな気配。
死、絶望、嘆き、不快、恨み……考えられる限りの負の意思を放つ巨大な気配があった。まさかと思いつつ視線を上空に上げると、彼の目に映ったのは黒いボロボロのローブを羽織った何か。顔の部分には青白い魔力光が二つ灯っているのがハッキリと見える。
その存在感、風貌……そこから導き出される正体はただ一つ。
「リッチ……」
上空の黒い罅が消えていない時点で気付くべきだったのだ。本命であるリッチが潜んでいることは初めから考慮していたはずだが、最後に油断して上空から意識を逸らしたのは決定的な悪手であった。
死霊魔導士リッチとの戦い。
それは討伐軍側に大きな被害を齎す形で始まった。





