EP111 エリカの違和感
予想外の襲撃から凡そ半日。再び日は西へ沈もうとしていた。アンデッドがやってきたと思われる東を見れば、満月となった月が昇っている。
冒険者たちも十分に休息を取ったのだが、体調は万全とは言えない。明け方の奇襲によって怪我をした者も少なくないのだ。重傷者は魔法を使って治療したのだが、魔力を無駄に消費する訳にはいかないので、完全な治癒は行っていない。クウの使う特別な回復魔法のように、劇的な効果を齎すようなことはないからだ。
クウの魔法は科学知識を元にした部分が大きく、遺伝子と自然治癒能力に働きかけることで効率的な治療を可能にしている。しかし一般的な治癒の魔法は「治って欲しい」という曖昧な願いを元にして魔力と詠唱を使って強引に発動させているに過ぎないのだ。
そういった理由の他に、そもそも《光魔法》や《回復魔法》のような治癒の出来る魔法を使える者自体が少ないのだ。一応《水魔法》でも応急処置は出来るのだが、前者の二つの属性には及ばない。さらに《光魔法》と《回復魔法》でも、回復に特化した回復属性の方が効果は高い。そして特殊属性である回復属性の使い手は当然の如く少ない。
それだけ回復の出来る魔法使いは希少だった。
しかし完全な回復が出来ないと文句を言う者はいない。むしろ空が暗くなるにつれて闘気を滾らせながらそれぞれの武具の調整をしている。何故なら、奇襲ではあったが雑魚魔物の一種であるスケルトンに傷を負わされたのだ。この場にいるのはDランク以上の冒険者ばかりであり、このまま引き下がったのでは気が済まない。彼らの中には油断など欠片もなく、討伐隊の責任者であるフォルネスも満足げにその様子を眺めていた。
(被害はありましたが、それ以上の効果もありました。この様子なら今晩は後れを取ることはないでしょう。懸念となっているリッチの件もありますし、結果としては奇襲を受けてよかったと言うべきですね)
もちろん冒険者たちも初めから真面目だったのだろうが、昨晩……いや、朝方の一件のお陰で空気が締まったと感じられた。奇襲を受けた際にかなりのスケルトンを討伐したが、元の調査では五百体。さらにゾンビを増やして千体以上に増えていると考えられる。
今の空気は非常に好ましかった。
その時、フォルネスは不意に何者かの接近を感じて口を開く。
「さて、相手の居場所は掴めましたか? サフィーさん」
「……私の《隠密》に気付くとはさすがですね。フォルネス殿」
音もなく姿を現したのはエルフの女性。濃い青色の髪に夜の影が落ち、闇に紛れる色を発している。気配を出来るだけ薄くする《隠密》を使っていたにも拘らず、それに気づいたフォルネスはさすが元Bランク冒険者と言うべきだろう。
「私はそれなりに《気配察知》ができますからね。上位スキルの《気配遮断》でない限りは見破ることは容易いのですよ」
「なるほど……私も精進が足りませんね」
サフィーと呼ばれた彼女は少し残念そうな顔をする。
彼女はこれでもCランク上位程度の能力を持っており、それと同時に今回の討伐隊と共に進軍してきた精霊部隊の隊長でもある。エルフ国の治安維持を任されているだけに、それなりの諜報技術も持っているのだが、嘗てBランクまで到達したフォルネスには及ばない。
しかしサフィーとて実力を試すためにフォルネスの下へと近づいてきた訳ではないのだ。
フォルネスが精霊部隊に命じていたのは精霊を使ったアンデッドたちの居場所の調査。二度目の奇襲を許さないためにも、アンデッドたちの現在地や動向を探ることは急務だと言えた。
しかし太陽の出ている間は地中に隠れて活動をしないアンデッドの居場所を調べるのは至難の業。そこで活躍するのが土の精霊という訳である。精霊部隊に所属する土の精霊使いを中心として周囲の土壌を調査し、アンデッドの痕跡を調べさせたのだ。
一日作業となったが精霊部隊はきっちりとやり遂げ、隊長であるサフィーが報告に来たという訳である。
「私たちの前方……つまり真っすぐ東の方にはゾンビばかりがいるようですね。近くに行くと腐臭が漂っていましたので間違いないかと思います。念のため全方向を調べましたが、包囲されている様子はありませんでした」
「そうですか。ではスケルトンと例のリッチは?」
「いえ……それが……」
「どうしたのです?」
どうにも口が重くなったサフィーの様子を見てフォルネスは優しく聞き返す。彼女の様子からある程度の結果は予測できたが、それでも本人の口から聞くことにした。
言いにくそうにしていたサフィーも、フォルネスの見通すような目を見てポツリポツリと話し始める。
「スケルトンに関しては……土の精霊たちも感じ取れなかったようなのです……。そして例のリッチも発見には至りませんでした。申し訳ありません」
サフィーは情けなさを感じながらも頭を下げる。
精霊部隊が一日かけて調査をしていたのはスケルトンの気配が一向に見つからなかったからだ。ゾンビは簡単に居場所を特定できたのだが、元の情報にあったスケルトンと要注意のリッチに関しては手がかりすら発見することが出来なかった。
今朝の奇襲を考慮しての調査にも拘らず、最も優先して入手するべき情報を手に入れることが出来なかったのだから、彼女の落胆ぶりも窺える。
だがフォルネスは彼女を責める様子もなく静かに口を開いた。
「では仕方ありませんね。今晩も十分に警戒して対処しましょう」
「は……? えっと……私を責められないのですか?」
てっきり責任追及でもされると考えていたサフィーは恐る恐る訪ねる。怒られるかもしれないという考えから《隠密》を使ってまで近づいた彼女なのだが、その心配を吹き飛ばすようなフォルネスの様子を見て少し困惑していた。
「大丈夫です。予想はしていましたからね」
しかしサフィーの思いとは裏腹に、フォルネスは予想していたと口に出す。精霊部隊の実力を低く評価されているかと考えて少しムッとしたサフィーだが、そうではないことがすぐに説明された。
「私が調査を依頼したCランクパーティ『砂の薔薇』は探索、調査、潜入に長けていました。しかし彼女たちが残した伝言の魔道具から鑑みた様子では、敵が突然姿を現したように感じます。つまり相手側には探知を誤魔化すような何かしらの手段があると予想していました。念のため精霊部隊に依頼したのですが、やはり私の想定は正しかったようですね。むしろこのことが分かっただけでも収穫です」
「な、なるほど……」
「リッチが《時空間魔法》を使うとすれば、転移系統や空間遮断系統の魔法が使えてもおかしくありません。とすればゾンビは囮と考えることも出来ますね。少々作戦を変更した方が良いでしょう」
フォルネスは少しだけ東の空を見上げながら思案する。既に奇襲を受けている討伐軍としては、再び奇襲を受けないために警戒を強めるのは当然だ。それならばゾンビを囮にして再び地面から這い出てくるというような稚拙な策を使うはずがないだろう。相手は魔物だが、それと同時に叡智を纏うリッチでもある。とすれば昨晩の奇襲も何かの伏線と考えた方が良い。
「囮……ゾンビ……地面から出てくる? リッチはどこに……」
ブツブツと呟きながら相手の考えを読むフォルネス。彼は一般的なギルドマスターであり、この手の軍事的な駆け引きは得意な方ではない。しかし指揮官として討伐軍を預かっている以上は無責任ではいられないのだ。
そんな中、どうするべきか判断しかねているサフィーが声を掛ける。
「あの……私は……というか精霊部隊はどうしますか? 継続して調査を行いますか?」
「腐臭も罠……? だが……ん? ああ、そうですね。では精霊部隊は初めの予定通り、戦場を囲んでアンデッドを取り逃がさないように配置してください。余裕があれば適宜で調査してくださると嬉しいですね」
「はい、では私はこれで」
「ええ、気を付けて」
サフィーは暗い色の髪を揺らしながら去って行く。
そして彼女と入れ違うようにして三人分の気配が近づいてくるのが分かった。見覚えのある気配にフォルネスは一旦思考を中断して顔を前に上げる。
その視線の先に居たのは黒髪黒目の少年少女。異世界から召喚された光神シンの勇者であり、今はAランクパーティ『ジ・アース』として討伐軍に参加しているセイジ、リコ、エリカだ。今はAランクに収まっているが、その能力は間違いなくSランクオーバーであり、討伐軍の中でも屈指の強さを誇っている。尤も、能力とは別に戦闘経験などは未熟であり、実力に関しては発展途上だ。
そんな重要人物が近づいてきたのだから、何か用があるのだろうと考えてフォルネスも思考を中断せざるを得なかった。
「ギルドマスター。少しいいですか?」
「ええ、セイジさん。構いませんよ。それと私のことはフォルネスとお呼び下さい」
「そうですか? ではフォルネスさん。実は絵梨香が奇妙な感じがすると言ってて……朝方の奇襲の件もあったので一応報告をしようと思ったんですよ」
セイジがそう言うと、後ろからエリカがひょっこりと顔を出して小さく礼をする。白を基調とした司祭服のようなローブを着た彼女は、一見すると教会に仕える者のように見える。《守護の聖女》の称号は伊達ではないのだ。
エリカは勇者の称号を持っているわけではないが、セイジと共に召喚された異世界人であり、勇者一行としてフォルネスも理解している。光神シンを信仰するフォルネスが彼女を無視することなど有り得なかった。そういうわけで、フォルネスも当然のように頷いて肯定を示す。
それを見たエリカも緊張した様子で口を開いた。
「実は《結界魔法》を使おうとしたのですが、何か違和感があるのです」
「違和感……ですか?」
「はい」
フォルネスとしてはエリカが結界属性を持っていることに驚いていたが、それよりもエリカの言う違和感が少し気になった。興味があるといった顔になったフォルネスを見て、エリカも話を続ける。
「今朝の奇襲があったので、清二君と理子ちゃんと相談して探知の結界を使ってみることにしたんです。と言っても何かが居るとだけ分かる程度のもので、探知したものを識別するほど精巧な魔法ではないのですが、簡単に地中を探ることができます」
エリカの使った探知の《結界魔法》は、弱い膜のような魔力を広げて空間を把握する魔法だ。壁の向こう側や土の中すらも簡単に探知できるという効果を持っているのだが、探知したものが人なのか魔物なのかは判別できない。生物と無生物の違い程度なら探知できるのだが、細かい判別には向いていない魔法だった。
しかし、今回のスケルトンのように土中に潜んでいる存在を探る分には有効だ。中には土の中で生活する動物や虫も存在するが、それも多くはない。もしも纏まった数が探知できれば、それはスケルトンが潜んでいることを示しているのだ。
その説明を受けてフォルネスも頷きながら口を開く。
「なるほど。ですが違和感と言うからには何か違った反応が得られたということですよね?」
「はい」
「具体的には?」
フォルネスのその質問に、エリカは無言で土中ではなく上空のある点を指す。
エリカが示しているのは本当に何もない場所であり、強いて言うならば星が見え始めてるくらいだ。魔力も気配も感じられず、精霊にも何一つ感知できない。しかしエリカにはハッキリと違和感が感じられた。
「あの場所は何も無いように見えますが、確かに空間が歪んでいます」
「空間の歪み……」
その言葉にフォルネスはハッとしたように考えを纏めていく。
まず《結界魔法》は特性として「空間」「隔離」「拒絶」を持っている。特定の「空間」を「隔離」で切り取り、「拒絶」で外からの干渉を跳ね除けるのが結界属性の基本だ。そして今回注目すべきなのは「空間」の特性である。
完全には未確認だが、《時空間魔法》を使うリッチがいる可能性が高いのだ。不自然な空間の歪みは怪しさ以外の何物でもない。
フォルネスは先ほどの思考と、今エリカから齎された情報を元にしてとある答えに行きついた。
「拙いですね。このままでは再び奇襲を受けることになるかもしれません。すぐに伝達を―――」
ピシリ……
何か罅が入るような音がしてフォルネスの言葉を遮る。
その音源はまさに今フォルネスとセイジたちが見ている視線の先。つまりエリカが違和感を感じた上空のある一点だった。
ピシリ、パキ……
罅が広がる音は何かが割れるような音へと変化し、遂に他の冒険者も上空から聞こえる音に気付き始める。
見上げればそこには確かな違和感。《結界魔法》を使ったエリカだけが感じ取れた違和感は、既に視覚にも捉えられるような不自然さへと変化していた。
何もない上空に広がった黒い亀裂。
確かに空は暗くなり始めているのだが、その罅の間から漏れる闇は夜すらも凌駕しそうな暗黒。誰の目にもハッキリとそれは映っていた。
そしてそれと同時に感じ取れた多数の魔力と気配が示しているのはただ一つ。
「総員上空に注意してください。敵は空から出現します!」
フォルネスの叫び声と同時に、空の罅から大量のスケルトンが湧き出てきた。





