EP107 薔薇は散る
少し長めになります
アアアアァ…………
アアアアアアアアアアアアアッ……
ウアァアアアアァ……
アア……ウウゥゥゥゥ……
見渡す限りの死体、死体、死体。
だがそれは物言わぬ骸ではない。死体に魔力と意思が宿り、アンデッドとして魔物化してしまった成れの果て。意思があると言っても、そのほとんどは本能で構成され、今は上位個体の命令によってある方向を目指しつつヨロヨロと歩みを進めている。
先頭を行くのはゴブリンやオークを初めとした人型のゾンビ。腐肉と腐った体液を滴らせながらも着実に前へと進んでいる。辺りにはゾンビの腐った臭気が漂っており、遠目から見ている『砂の薔薇』のメンバーは今にも吐きそうな気分になっていた。
「うげぇ……何でゾンビが居るのよ~。スケルトンだけじゃなかったの~?」
「多分だけど途中でスケルトンの大群に殺された魔物たちでしょうね……うっ……。その死体がスケルトンたちの怨念にあてられてアンデッド化したのかもしれないわ。事前調査でもその可能性は示唆されていたしね。見た限りだと千体を越えているかもしれないわ」
顔を顰めつつ、吐き気を抑えつつもアンデッドの大群を視認するモネとローゼ。動く死体が大挙して動いているような光景だけに、見ていて楽しいものではない。だがこの二人はまだマシな方である。
盗賊職であり、パーティ内でも索敵などをメインに活躍しているリュカは五感が非常に鋭いのだ。故にアンデッドたちの放つ腐臭は常人よりも強く感じられる。余りに大群のアンデッドがいたため、その腐臭に耐え切れなかったリュカは二人の後方で胃の中の物を吐き出していた。
「~っ! ~!」
既に胃液が枯れるほどに吐き出しているのだが、それでも吐き気は止まらない。無理に胃が収縮を繰り返したために、リュカはすっかり疲れ果てていた。魔物を前にして無防備な姿を晒すのは危険だが、こればかりは仕方のないことだった。
そんなリュカを心配したローゼはハンカチで口元を抑えつつも小さく話しかける。
「撤退して安全地帯まで逃げましょう。リュカはすっかり使い物にならないし、こんなたくさんのゾンビが居るなんて予想外だったわ。それに私たちの任務はリアルタイムの情報をギルドに伝えることよ。アレと戦うことじゃないわ」
『砂の薔薇』に課せられた依頼はスタンピードの情報をギルドに送ることだ。ただでさえ戦闘能力の低い彼女たちが戦って勝てる相手ではない。それだけの数が彼女たちの目の前には広がっていた。
確かに高いステータスを誇る人物ならば雑魚のゾンビやスケルトン程度は無双出来るかもしれない。しかし、それでも体力や魔力に限界がある。数の暴力を覆すには圧倒的な質、もしくは同等の数を揃える必要があるのだ。ゾンビを増やしつつ進軍してくるだろうと予想されていたため、出来るだけリアルタイムに近い情報を手に入れて対策をしなければならかった。この『砂の薔薇』の任務は地味であるが、スタンピードを撃ち破るためには非常に重要なことなのだ。
それをしっかり理解しているモネはローゼの言葉に頷き、吐きすぎてフラフラになっているリュカを抱える。リュカは軽い上に、弓を引くモネはそれなりに力があるのだ。女と言えどもこれぐらいは問題ない。
「恐らくまだ気づかれていないでしょう。アンデッドたちの感知の範囲に入る前に走るわよ!」
「わかってる。急ごう!」
二人は速足で来た道を引き返す。アンデッドは死体ゆえに疲れ知らずなのだが、その分動きが遅い。余計な手出しさえしなければ難しいことではなかった。
普通ならば……
「きゃあっ!」
いきなり叫び声を上げて転んだのはローゼ。彼女は魔法使いであり、冒険者としては動くことは得意な方とは言えない。しかしそれは冒険者の中という条件下であって、普通の人よりは運動神経がいいはずなのだ。何もない平原でいきなり転ぶようなことはない。
ならば何故ローゼは転んでしまったのか? その答えは彼女の右足首に在った。
「スケルトンの腕!? くっ!」
「ローゼっ!?」
咄嗟に気付いたモネが足を止めようとする。しかし全力で走っていたモネは慣性の力を抑えきれずに、ローゼからかなり離れてしまった。そしてその僅かな間に次々とスケルトンが地中から顔を出し、ローゼとモネの間を引き裂くように出現する。リュカはモネに抱えられていた故に無事だったが、ローゼは完全に孤立してしまっていた。
「何で見つかったのよ~っ!」
モネはそう叫ぶが、原因は全く分からない。確実にアンデッドたちは自分たちに気付いていなかったとという自信があるのだ。どうして逃げた先でスケルトンが地中に隠れていたのか理解できなかった。
しかしそんなことを今更考えている暇はない。今するべきことはローゼの救出だ。ぐったりして動けないリュカを抱えながらローゼの元までたどり着くのは難しいが、それでも見捨てるという選択肢はない。Cランク冒険者になるまで女三人で頑張ってきた仲間なのだ。どうするべきか悩む前に体が動く。
「っ! 来ちゃダメよ! 逃げて!」
ローゼは自分のところまで突撃しようとしているモネに気付いて叫び声を上げる。モネは本来ならば弓で遠距離から牽制をすることが得意であり、近接戦闘は苦手としている。動きの遅い下級のスケルトンといえども、これほどの大群に囲まれたローゼの元まで行くのは自殺行為に近い。そしてローゼ自身も魔法使いであり、どちらかと言えば近接戦闘は不得意になる。自分は助からないかもしれないが、モネが来たからと言って状況が好転する訳でもなかった。それで逃げるように訴えるが、モネは耳を貸すことなくローゼの元へと走り寄る。運動神経の良いモネはリュカを抱えているにも拘らず、器用にスケルトンの攻撃を避けながらあっという間にローゼの元へと辿り着いて、右足首を掴むスケルトンの腕を蹴り飛ばした。
「痛っ!」
かなりの力で掴まれていたローゼは、その衝撃で顔を歪ませる。スケルトンの手は骨であるため硬く、アンデットの特徴として力が強い。月の明かりを頼りに掴まれていた右足首を見ると、かなり鮮明に跡が残っていた。
「ローゼ大丈夫?」
「あなた馬鹿なの!? 私のことは放っておいて逃げなさいよ! 死にたいの?」
「ちょっ! せっかく人が助けに来てあげたのに酷いよ~。それに体が勝手に動いちゃったんだから仕方ないでしょ~?」
「やっぱり馬鹿じゃないの。しかもリュカまで巻き込んで……」
「うう……」
さすがにリュカまで巻き込んで戻ってきたのは軽率だったと反省するモネ。リュカも力なく大丈夫だと首を振っているが、とても大丈夫には見えない。ここで手間取ったために、背後からは腐臭を放つゾンビたちが迫ってきており、先ほどよりも酷い臭いが漂っている。これが日中ならば、リュカの顔が真っ青になっていることが見て取れたことだろう。
項垂れるモネを見てローゼは溜息を吐く。ここで言い争っても状況が不利になっていくだけだ。そう考えてローゼは口を開いた。
「仕方ないわ。こうなったらアレを使うわよ」
ローゼがそう言ってポーチから取り出したのは直径十センチほどの水晶玉だった。そしてそれと同時に体内の魔力を高めて矢継ぎ早に詠唱を始める。
「『焼き尽くす暴威
それは転じて我が盾となる
顕れよ、炎!
天まで高く立ち上れ
そして我が身を守る炎壁と為せ
近づく者を灰に変えろ!
《炎天城壁》』」
魔法の完成と共に天を衝くような炎の壁が三人を囲むように出現する。ローゼの《炎魔法》の中ではかなりの効果を持っている防御用の魔法であり、内側には熱を感じないように工夫がされている。さらに「浄化」の特性を持つ《炎魔法》ならばアンデッドであるスケルトンにはかなり有効だった。それなりに魔力を消費する上に効果時間も数分しかないのだが、それだけの時間があれば十分だった。
「さて、やりましょうか」
「ホントにやるの?」
「仕方ないでしょう? それに魔道具はコレクションじゃないんだから使わないと意味がないわよ」
モネが少し勿体なそうな表情をしながら視線を向けたのはローゼの持つ水晶玉だ。これはかつて『砂の薔薇』が武装迷宮にて偶然見つけた魔道具であり、切り札として取っておいたものだ。
その効果は転移。
使い捨てだが指定の方向に一キロだけ転移させるという微妙な能力であり、しかも発動には三十秒ほどかかるのだ。しかしローゼの《炎天城壁》と組み合わせれば発動時間の問題は解消されるため、緊急離脱用のアイテムとして大切にしてきた。転移距離は長くないのだが、この場を脱出するには十分な距離だと言える。
希少な転移魔法が込められた魔道具であるため、売れば白金貨にも届くだろうと思われる。しかしいくら金があったとしても命がなければ意味がない。彼女たちはもしものために逃げるための切り札を残しておくことにしたのだ。そしてそれは正しかったのだと今、証明された。
「じゃあ、行くわよ? 私に近寄って」
ローゼは魔道具を発動させるために魔力を込め始める。手に持った小さな水晶は、彼女の魔力に反応して薄らと輝き始めた。そしてモネも取り残されないようにローゼに近寄る。転移の効果範囲は半径にして一メートルほどしかないので、うっかりしていると転移され損ねてしまうのだ。
これだけ聞けば欠陥だらけの魔道具のようにも感じられるが、そもそも転移自体が魔法陣では再現できないとされているので貴重な事には変わりない。極稀に生まれる《時空間魔法》のスキルを持っている者ならば修練次第で習得するのだが、誰でも使える魔道具という形にするのは難しいのだ。数少ない転移の魔道具は全て迷宮産であり、その殆どが特権階級の人物たちによって独占されている。そういう意味では『砂の薔薇』はかなりの幸運だったと言えるだろう。
「転移するわ! 何があるか分からないから気を付けて!」
「うん!」
魔力を込めた水晶は輝きを増し、周囲を赤く染めている炎壁の中でも分かる程の光量を放っている。ローゼにしても転移は初めての経験であり、本当に成功するかは分からない。しかし成功しなければ自分たちの命はないのだ。信じるしかない。
発動寸前まで到達した水晶玉の内部には理解不能の文字列が不規則に動き回っており、まるで何かの演算をしているように見えた。そしてその文字列は水晶の外まで飛び出して、まるで魔法陣を描くかのように何かの紋様を形成し始める。それは水晶玉を中心として半径一メートルほどであり、恐らく転移の効果範囲を現しているのだろうと予想できた。モネもローゼにしがみ付くようにして紋様の内側に入り、転移の発動に備える。
魔法陣のような紋章は激しく点滅し、数秒後には転移魔法が発動して三人とも光に包まれた。
「な……なんで……?」
誰の声だったのかは分からない。
だが転移の光が消えた時に見えたのはローゼの放った《炎天城壁》の炎。そして三人はその内側から一ミリたりとも移動していなかった。
発動の失敗? 魔道具の効果は嘘?
どうして? どうして? どうして?
ローゼだけでなく、モネも理解が追い付かずに混乱する。なぜ転移が失敗してしまったのか分からないまま、遂に《炎天城壁》も切れてしまった。夜を煌々と照らしていた炎壁は夢幻だったかのように消え失せ、代わりに腐臭が押し寄せる。
先程と変わらず、前方にはスケルトンで後方からはゾンビの集団。状況は寧ろ悪化していた。
「何で発動しないのよっ!」
いつも冷静なローゼは声を荒げて水晶玉を地面に叩き付ける。光を失った水晶玉は、地面にぶつかると同時に砕けてしまった。既にただの水晶となってしまった元魔道具などに使い道などない。砕けたとしても全く問題はなかったが、それでも怒りは収まらない。これでは魔力を消費して光るだけの魔道具ではないか! と……
だがその怒りは突如上空から聞こえた声で一気に冷めてしまった。
”クカカカカカッ! 愚カ者メ! 逃ゲラレルトデモ思ッタカ?”
ローゼはゾッとするような魔力を感じて視線を上げる。
だがすぐに見なければ良かったと後悔することになった。
そこに見えたのはボロボロの黒いローブを纏った骨の体。肉も内臓もなく、ただ眼孔に魔力光が灯っていることだけが確認できる。しかし《魔力感知》スキルを持つローゼにはすぐにアレがスケルトンではないことが理解できた。
圧倒的な魔力を有し、言葉を話すほどの叡智を持つとも言われる魔導士の成れの果ての姿。アンデッドの中でも高位に属する死霊の魔導士。
「リッチ……」
”如何ニモ”
ローゼはポツリと呟いたつもりだったが、リッチは満足そうに答える。その瞬間、隣にいたモネの顔は一気に青ざめて、ガタガタと震え始めた。脇に抱えられたリュカも両手で口元を塞ぎながら涙目でリッチを見上げている。
リッチは最低でもAランク上位……個体によってはSランクとも呼ばれる高位の魔物であり、Cランク冒険者でしかない三人には太刀打ちできる存在ではなかった。
怯える三人に追い打ちをかけるようにして、リッチは言葉を続ける。
”転移デ逃ゲヨウトシテイタコトニハ驚イタガ……我ガ《時空間魔法》ニカカレバ児戯ニモ等シイ程度ノ魔道具ダッタナ。カカカカッ!”
「そんな……!」
滅多に使い手の存在しない《時空間魔法》を以てして転移を阻止したというリッチに、ローゼだけでなくモネとリュカも絶望を覚える。
攻撃は通じず、時空を引き裂き、相手に逃げることを許さないと言われる《時空間魔法》に勝てる要素などない。現に転移を阻止したというのだ。どう頑張っても生き延びる術はないだろう。
いや、たとえ目の前のリッチが時空間属性を持っていなかったとしても勝てる相手ではない。
そんな三人の絶望を心底愉しそうに眺めるリッチは、右手で顎を触りつつ口を開いた。
”フム、折角ダ。オ前タチデ我ガ魔法ノ実験ヲシヨウ”
そう言ってリッチは魔力を高めつつブツブツと詠唱を始める。使用されようとしている魔力はローゼが何十人と居てようやく到達するほどの量であり、《魔力感知》を持つ彼女はそれだけで恐怖を覚える。もはや周囲を囲むスケルトンもゾンビも気にならない。自然と下半身が冷たくなるような感覚を覚えたが、今更そんなことを気にしている余裕などなかった。
そして魔法は完成する。
”『《時空振動》』”
その瞬間、三人の目の前の空間が霞み、そして数体のスケルトンを巻き込みながら地面ごと消滅する。いや、まるで粉々に分解されたかのように崩れて消え去ってしまった。後に残っていたのは綺麗に抉り取られた大地のみ。
「何が……」
”座標ガ少々ズレタヨウダナ。ダガ次ハ外サン!”
何が起きたのか理解できないローゼだったが、運よく攻撃が外れただけだったと理解した。リッチは味方であるはずのスケルトンを巻き込んだにも拘らず、気にすることなく次の詠唱を始めている。
今度は当たる。そして先ほど見た威力から考えれば間違いなく死ぬだろう。
これは彼女の予想でしかなかったが、恐らくリッチは《時空間魔法》で自分たちの存在に気付いていたのだ。そして目を付けられた時点で逃げるという選択肢は消えてしまった。これこそが逃げることすら許されないと言われる《時空間魔法》の真髄なのだ。
ローゼは隣で震えるパーティメンバーへと目を向ける。もしもあの時自分を見捨てて逃げていれば、見逃してもらえたかもしれない。もしもそうならば、ある程度の情報はギルドに伝えることが出来たかもしれない。いや、そもそも自分がスケルトンに足を掴まれなければ逃げ切ることが出来たのかもしれない。
転移が発動していたら?
もっと遠くから観察していたら?
そもそもこの依頼を受けなければ?
「もしも」の仮定だけがグルグルと心を渦巻き、ローゼは後悔と自責の念を覚える。しかしその思いに駆られているのはローゼだけではない。
モネは注意が散漫になって地中のスケルトンに気付かなかったことを後悔していた。
リュカは腐臭にやられてお荷物状態になっていたことを責めていた。
しかしどれだけ後悔しようとも時は戻らない。ただ残酷に未来へと進むだけだ。自然と三人は悲痛な面持ちで顔を見合わせる。それぞれがそれぞれの謝罪、後悔、悲しみを目で語り、最期の瞬間を迎える覚悟を決めた。
「どうやらおしまいのようね」
「うん……」
「…………」
ローゼはリッチの魔力が安定し、魔法が発動しようとしていることを悟る。次にアレが発動したならば、確実に死ぬのだろう。それは今すぐこの場を逃げ出したとしても変わらない未来だ。
(だったら私は少しでも抗ってやるわ)
どちらにせよ震えて足の動かないローゼだが、手だけは何とか動かせる。ローゼは素早くポーチに手を差し込んで目的の物を取り出し、不安定ながらも魔力を込めて口元に近づけた。
それは一見すると何かのカードのように見える。魔力を込めたことで薄く光っているカードに向かって、ローゼは早口で言葉を込めた。
「報告、《時空間魔法》を操るリッチを発見。その他にも大量のゾンビが――――」
”『《時空振動》』!”
その瞬間、ローゼだけでなく、モネ、リュカの意識は消え去った。





