EP105 勇者の宿探し
少しの騒動はあったが、スタンピード前で張りつめていた冒険者たちにとっては丁度良いアイスブレイクになっていた。確認された魔物の群れは東に数十キロ地点であり、疲れを知らないアンデッドと言えども今夜から襲ってくるということはない。だが、それでも油断は出来ないことに変わりはなく、張り詰めた空気に精神的な疲れも感じ始めていたほどだ。そんな時に起こった『爆砕の斧』の騒動は十分な余興となった。
一応の被害者であるセイジたちはその場で解放され、一部の女性陣から拍手喝采を浴びながらも宿を探して通りを彷徨う。
「さっきは驚いたね」
「そうね。セイジも助けてくれてありがとう!」
「はい、助かりました」
「いやいや、当然のことをしただけだよ」
手を振って謙遜するセイジの姿は中々に様になっていた。召喚当初とは違って異世界という環境にも馴染んできた。リコとエリカは黒髪黒目という珍しい見た目であり、何より若く、美人だ。二人を見る男の冒険者からの視線は珍しくないものであり、いざとなったら守らなくてはいけないと理解していたのだ。
二人からの好意に気付いていないセイジの行動原理はいたって真面目なものであり、下心などは欠片もない。リコやエリカからすれば寧ろ少しぐらい下心持って接して欲しいと考えているほどだ。しかし、真面目なセイジは勇者としての重責を強く受け止めており、さらに最後の召喚陣を起動させて新たな異世界人に迷惑を掛けないためにも自分が頑張らなければならないと考えている。色恋沙汰に心を割く余裕などないのだ。
ちなみにセイジは三つめの召喚陣が既に起動されていることはまだ知らない。
「それより早く宿を見つけないとね。ギルドに近い場所は既に埋まってたから……もう少し奥に行くしかないみたいだね」
「確か宿場街だと聞いたので宿が取れないことはないと思いますけど……」
「この辺りも混んでいるね」
【アマレク】の街は【アルガッド】に入ろうとする商人を中心とした者たちの荷物検査をする役割を持っている。そのため特筆すべき重要施設はなく、ほとんどの建造物が宿屋なのだ。それ故スタンピードの対処に集まった冒険者程度なら楽に収容可能なハズである。
しかし地球のホテルのような高層の建物はないので、一つの宿に宿泊できるのは多くても20人が限界となってしまう。冒険者が何百人と集まれば、情報収集に便利なギルド付近の宿は一瞬で埋まっていしまい、先ほどの騒動もあって出遅れたセイジたちは仕方なくギルドから離れた位置で宿を探していた。
そして簡単に宿が見つからない理由は他にもある。それは宿に風呂が付いているかどうかだ。日本人であるセイジ、リコ、エリカにとっては風呂のない生活はありえない。それこそ一日入らない程度なら我慢できるかもしれないが、少なくとも一週間は宿泊するだろうと思われる宿で風呂無しは我慢できなかったのだ。
しかしこの世界でも風呂付の宿は珍しい。簡易的なシャワー設備のある宿ならばそれなりにあるのだが、浴槽に浸かるという文化は貴族クラスでなければ身についていないのだ。
「ねぇ、いっそシャワーで我慢しない?」
「ダメです!」
「妥協はしない!」
そろそろ疲れてきたセイジの言葉であっても二人は譲らない。好きな人物の前で体を綺麗にしておきたいというのは当然の考えであり、そこだけは妥協しなかった。
セイジは男子であるため大して気にしていないが、熱い湯に浸かるというのはそれなりの意味がある。湯船に浸かることで毛穴が開き、汚れが取れやすくなるのだ。その他に血行を促進し、発汗による美容的な作用も期待できる。お年頃の女子にとっては必須の設備なのだ。
「仕方ないな……」
セイジは苦笑しながらも二人に従う。結局のところ、セイジも二人には非常に甘いのだ。幼馴染ということもあって気心の知れた仲でもある。
宿の従業員が通りにまで出て宣伝している声を聞きながら奥へと進んでいった。
「ウチは安いよ! 一泊二食付きで大銅貨五枚だ! あと四部屋しかないよ!」
「こっちは一泊で小銀貨二枚! シャワー付きで食事もあるぞ!」
「あと一部屋! あと一部屋だ! 一泊小銀貨一枚で個室だ。誰か泊まらないか?」
「娼婦付きの宿だよ! この辺りじゃウチだけだ! そこのお兄さんどうだい?」
「ウチの宿は酒を飲み放題だ! 一階の酒場で大銀貨を払えば一晩中飲んでいられるぞ!」
「一泊大銅貨八枚~。食堂の利用だけでも歓迎で~す」
「料理自慢の宿だぜ! うまいもん食いたきゃウチに泊まっていきな!」
科学の発展していない異世界だと舐めてはいられない程に第三次産業……つまりサービス業は発展している。できるだけ安く、品質の高いものを提供させるという理由から商人組合システムなどは廃止されているのが原因だ。
つまり財閥や、座のような組織――この世界ではギルド――が商品を独占して価格を自由に弄れないように国家間協定が結ばれているのだ。それ故エヴァンには商人ギルドや建築ギルド、金融ギルドなどの組織は存在していない。冒険者ギルドは一種の職業斡旋も兼ねているので例外的に認められているが、それ以外にはギルドは存在を許されていないのだ。
初めて廃止された当初は多くの富豪からの横槍や不満の声があったのだが、圧倒的な一般市民からの支持によって強行されることになった。結果として、価格を下げ、品質を向上させなければ何も売れなくなり、人族全体の生活基準は大きく向上することになった。そして生活に余裕が生じたことでサービス産業の発展が促され、物品以外の付加価値なども重視される傾向が生まれ始めたのだ。
科学技術的な発展は少ないが、そこを魔法技術で補っているため意外にも生活はしやすい。平民クラスでは無理だが、そこそこのお金さえ持っていれば日本に近い暮らしをすることも可能なのだ。
ちなみにこのギルドの廃止を提唱した人物は光神教の前大司教であり、噂では光神シンによる神託があったのだとも言われている。
「結構良さそうな宿は多いけど、風呂付となると見つからないね」
「この街は高級宿が多いハズですが……やはり風呂の文化は貴族レベルでないと根付いていないのでしょうか?」
「ま、いざとなったら風呂を作ることも考えないとね!」
「「え? 作る?」」
サービスの良さそうな店はたくさんあるが、風呂付の宿は全く見つからないことに辟易するセイジたち。エリカも若干諦めが入り始めていた時に、リコの言った言葉は二人に衝撃を与えた。
驚く二人に対してリコは自慢げに説明をする。
「そうよ。《土魔法》で浴槽を作り、《水魔法》で水を溜めて、《炎魔法》で温めれば完成! あとは絵梨香の《結界魔法》で外から見えないようにすれば完璧だよ! 名付けて《合成・風呂魔法》!」
リコは慎ましい胸を張ってドヤ顔をする。確かに理論上は可能な魔法であるし、事実セイジたちもやろうと思えばできるだろう。だがそれは能力の無駄遣いでは? というのがセイジとエリカの感想だった。
「理子……」
「理子ちゃん……」
「え? なんで? なんでそんなに可哀想なものを見る目になってるの!?」
《合成・風呂魔法》というネーミングセンスもさることながら、その発想は色々とぶっ飛んでいる。それに勝手に街中で魔法を使う訳にはいかず、かといって街の外で使えば怪しさ満天だ。スタンピードの直前に外から見えない光遮断の結界を使えばどうなるかは目に見えているのだ。良くて職務質問、下手をすれば問答無用で牢屋行きになることも有り得る。
そのことをセイジは懇切丁寧に説明する。
「街で魔法は使っちゃいけないし、外で使うと警備の人に捕まるよ? スタンピード前でピリピリしているんだから怪しい行動は慎まないと」
「なん……ですって……」
絶句するリコの様子をみてやれやれといった顔をするセイジ。リコは決して頭が悪いわけではないため、こうして説明されれば物事の良し悪しは理解できた。
名案だと思っていた《合成・風呂魔法》をあっさり否定されて撃沈するリコ。その周囲には「どんより」という言葉が相応しい空気が漂っており、よほどショックだったのだろうと窺える。
そんなリコを見てエリカも励ますように言葉を掛けた。
「理子ちゃん。失敗は成功の元です」
「うわぁぁん! 絵梨香ぁ!」
通路の真ん中で抱き合う少女が二人。特にエリカの胸に抱き着いているリコが動くたびに豊かな双丘が変形して周囲の視線を集めていた。セイジとしても目のやり場に困る光景だったのだが、如何せん注意することも出来ずに視線を逸らし続ける。
結局、二人は周囲から注目を浴びていることに気付くまで抱き合っていたのだった。尚、エリカに関してはしばらく顔を赤くしたままだったとか。
「というか風呂付の宿がギルドの裏手にあったとかどういうオチよっ!」
「そうですね。無駄に歩いてしまいましたね。……それに無駄に恥をかかされました」
「ま、まぁ二人とも落ち着きなよ」
セイジたちが宿を見つけたのは日も沈んだ頃。上手く風呂付の宿が見つからなかったため、仕方なく冒険者ギルドに戻って職員に質問したのだ。その結果として紹介されたのはギルドの裏手側にある高級宿である。風呂の付いているような高級宿は全てギルドの裏側の方に集中しているらしく、セイジたちが歩き続けていた通りには普通の宿や安宿しかなかったのだ。
高級宿に泊まるような豪商人がいつでもギルドに護衛の依頼などを出せるようにという配慮から、高級志向の宿屋は全てギルドの近くに建てられている。ただし、その手の宿は【アマレク】が出来てからかなり後に建てられたので、通りに面した造りには出来なかったのだ。しかし、逆に隠れた名店のような扱いを受けることにもなり、結果としてギルド裏手の方面に高級宿が集中するように建造されたのである。
「『竜の卵屋』……たしかにここだね」
セイジは看板を確認して宿の中へと入っていく。既に夕食時になっていたのか、宿の受付に面している酒場兼食堂にはおいしそうな匂いがたちこめていた。小腹が空いていた程度だった三人は、その匂いに刺激されて強い空腹感を覚える。
「……ご飯」
「……おいしそうです」
「そうだね……取りあえず部屋を取るから二人は席に着いててよ。食事ぐらいなら今からでも作ってくれるだろうしね」
セイジは苦笑しながら受付へと近寄っていく。
お腹を空かせた女子二人は匂いに釣られてフラフラと食堂に足を運んでいた。実はこの世界に来てからリコとエリカはかなり食べるようになったのだが、その割には体形は維持されている。迷宮攻略で食べた分を消費しているのだから当然と言えば当然だ。むしろ少し引き締まってスレンダーになったぐらいである。
おいしいものを食べても太らないという事実が二人の食欲を増大させ、今ではセイジとも並ぶほどには食べるようになっていた。
そんな二人を見ていたのか、宿の受付の女性もセイジと同じように苦笑を浮かべている。
「すみません。しばらく泊まりたいのですが」
「はい。一泊一部屋で大銀貨五枚になります。これは朝と夕の食事料金込みで、昼食をご希望の場合は小銀貨三枚からご注文が可能となります。もし希望される場合は当日の朝食までにご連絡ください。当店には各部屋にシャワーが完備されていますのでご自由にお使いください。大浴場は一回小銀貨一枚でご利用が可能となります。共用大浴場は二つあり、それぞれ男女で別れてご利用いただくことになっております。ご質問はありますか?」
「大丈夫です。取りあえず一週間の宿泊と風呂を毎日。部屋は二部屋でお願いします。一つは一人部屋で、もう一つは二人部屋をお願いできますか?」
「はい、可能です。では合計で72,100L……小金貨七枚と大銀貨二枚と小銀貨一枚になります」
「わかりました……どうぞ」
セイジはアイテム袋からお金を取り出して受付の女性に手渡す。金額としてはかなりの高額だが、迷宮で稼いでいるセイジたちからすれば大したことはない。普段も宿ではなく王家の別荘で寝泊まりしているのでお金は溜まる一方なのだ。
お金を払ってセイジも食堂に行こうと振り返ると、リコとエリカは既に席に着いて待っていた。セイジとしては先に注文をしておいても構わなかったのだが、二人は律儀に待っていたらしい。
そんな二人の微妙な優しさに苦笑しつつ、セイジも二人の元へと向かっていったのだった。
なんか今回の勇者サイドは結構話数を喰いそうですね。
しばらく主人公はお休みです。
多分10話以上かかると思いますので。