18話
「何故だっ!…どうしてだ!」
それを見たのは、見てしまったのは、本当に偶然だった。
ナルニート国の第一皇子として、3歳より始まった優秀な時代の王を育成する教育、帝王学。
その教育が順調に進み、当初の予定よりも早くに今日やる内容を終えてしまい、通常よりも早くに帝王学を学ぶ時間が終わったのだ。
予定の時刻よりも早くに完了したこと、それは自分が優秀だからだと信じて疑わなかったジオジークの機嫌は良かった。
そう良かった。という過去形だ。
ならばどうして今、自身の気分が優れないのか?
そうジオジークは自問するまでもなく、その答えが分かっていた。
ジオジーク宮殿のバルコニーへ出て紅茶を飲みながら、これからの空き時間をどう利用するか考えよう。そう思い、メイドへバルコニーに紅茶を持って来る様に伝え、一人先行してこの場所へと訪れていた。
バルコニーの柵にその身をもたげ、庭園にある噴水や、そこに植わっている木々へと目をやり眺めていると、視界の一部に2人の男が写り込んだ。
「…あいつの武官か、確かクリークとハロルドと言ったな」
ジオジークはそう確認する様に口に出して言うと、庭園の片隅で二人が何かをしているのか観察することにする。
「…鍛錬をしているのか、流石は武官か、タノールよりは劣ると聞いているが、まだまだ私では敵いそうもない」
以前にタノールが言っていた事を脳裏に振り返りながら、二人の体捌きや足運びを見て、今後の格闘訓練の糧となればと考え、その様子を引き続き眺めていた時だった。
「もう一人いる?」
バルコニーからクリークとハロルドがいる庭園の片隅を見るには、丁度、噴水の噴射口が目隠しとなっており、その裏側に居た少女にジオジークは今まで気付いていなかったのだ。
「…あいつはジオラルドの世話付きの、っ二人掛かりで相手をしているのか!!?」
自身が今後の参考になると考え、バルコニーから立ったままで、その格闘する様子を見ていたジオジークには、その光景が信じられなかった。
世話付きの少女相手に、武官が二人掛かりで襲っているのにも関わらずに、何度も、それこそ数十発はその身に拳を受けながらも少女は倒れずに、格闘を続けていることが、その事実をジオジークは認める事が出来ない、いや出来てはいるが、認めたくはなかったのだ。
「………なぜだ」
不意に自身の口からその言葉が吐いて出た。
そして奥底から湧き上がってくる激情、自分が今、何を考えて、何をしたいのかがはっきりとしない。
こんな経験は初めての事だった。
こんな言い知れ様もない、なんと表現して良いか分からない感情、それはジオラルドが自分へ向ける態度に対する怒りとはまた別の感情だった。
そして、それは少女をもう一度見た際にはっきりと知覚した。
それは嫉妬だった。
ジオラルドに対する羨望が嫉妬へと変わり、純粋な憎悪となった瞬間だった。
「…何が帝王学だ。今の私ではあの世話付きにも勝てない」
帝王学、国の維持、更なる繁栄を行う為、幼少時から王を継承するまでの期間、ただ只管に王を目指すことを目標とされ、徹底的な教育が行われる。
六王家により、重要視すべき箇所などの差異があり、明確な定義というものは存在しない。
国を支配し導く、国の為に一命を賭す精神性。個のことよりも全のことを考える思考。最終決断を求められた際の決断力などなどあるが、ズーランド大陸で、獣人達の中で一番必須なモノ、それは強さ。
王族が王族たる由縁、有志以前の大陸を征し、国を建国したモノ。
純粋な力
「…その為の帝王学ではなかったのか!だというのにこの体たらく!」
確かにあの世話付きの少女については、ジオラルドの契りを受けている。と誰かよりジオジークは伝え聞いていた。
あの力はそれに因るものだとジオジークも考えている。
恵まれたルーツも持たない世話付きの少女でも、ジオラルドに順じて本来の持っている力以上に強くなっているのだろう。
しかし、とジオジークは思う。
自分が契りを与えた男、ルーツも恵まれており、元々の地力も高い男、オーラバーストも会得しているタノールが、果たしてクリークとハロルドの二人掛かりで襲われた場合に、対応出来るのだろうか?
「…どういうことだ!そんなの解りきったことだ!」
ジオジークはその答えを当に出していた。
単純な話だ、ルーツも身体能力も恵まれない少女と、ルーツも身体能力も恵まれている成人体の男だ。
元々が劣って居るにも関わらずに、武官のタノールがあの少女に勝てないとは思わない迄も、地に倒しきるというイメージが湧かない原因とは、契りの証を与えた王族、つまりはジオジーク自身と、弟であるジオラルドにそれだけの差があるということを示していた。
「…足りない、俺に力が足りないからだ!」
心の中で燻り出す激情、その全てが方向性を持ち、ある男への嫉妬へと変わっていく。
がんっ!
「…知らなければ、ならないっ。今の時点で、私とジオラルドにどれだけの差があるのかをッ!!」
バルコニーの柵をその両拳で強く叩きつけてから、庭園から踵を翻し、ジオジークはその目に意志を持ち、男が居るだろう部屋へと向けて歩き出す!
「…ジオラルド、お前を見定めてやる!この私がっ!」
バルコニーから部屋へと戻り、廊下へと出てジオラルドの部屋へと向かう途中で、ジオジークは自身の探し人であるジオラルドと、その教育と補佐を務めているサイドルールに出会った。
「ジオラルド!」
「…ジオジーク」
正装の姿で此方へと向かって歩いているということは、昼食に向かうつもりだったのか、内心でそう判断しつつ、自分が長らくバルコニーに居た事に気付いた。
お互いにお互いの顔を見て、少しばかり似ている目元を鋭くして、数瞬睨み合う。
「…ちょうど良いところへ、来た。ジオラルド着いて来い」
一先ず心を落ち着ける為、ジオジークはその場で息を一度吐き出し、呼吸を整えてからジオラルドへと歩み寄り言う。
「…はっ?何でだよ、俺は今から昼食にっ!」
ジオジークの言葉に、更にその顔を歪ませてそう告げてくるジオラルドを他所に、ジオジークはサイドルールへと、自身の母にと伝言を伝える。
「サイドルール、母上には私とジオラルドは昼食に遅れる為、先に食事して頂く様に伝えておけ」
ジオジークの言葉にサイドルールが何かを言おうと、ジオジークへと募るが、ジオジークはそれに耳を貸さずに、サイドルールの言おうとしている言葉の上に、更に自身の声を重ねて言う。
「しかしながら、ジオジーク殿下、ジオラルド様は「…私の命令が聞けぬか?」……畏まりました。王妃様へその様に伝えておきます」
「おいっ?サイドルール、俺は付いてくなんて一言も「逃げるの気か、ジオラルド?」……何が?」
ジオジークから漂う唯ならぬ気配を感じとったのか、サイドルールはその場で一度、ジオラルドに向かい黙礼すると、食堂へと早歩きにて向かって行く。
そんなサイドルールを見て、ジオラルドがそれを追いかけ様としたのを見てとったジオジークは、ジオラルドの行く道を身体で塞ぎ言う。
ジオジークの言葉に、ジオラルドの雰囲気が一瞬、冷たいものへと変化したことに本能的な恐怖を感じたが、直ぐにその気配も霧散した為に、ジオジークは再度、ジオラルドを挑発する為に言う。
「…私から逃げるのか?とそう聞いている」
「……何なんだ?用があるならはっきりと、手早く言えよ!いい加減にしないとぶん殴るぞ!お前!?」
本気ではないにしろ、ジオラルドが怒りを籠めた視線で自身を見ていることに、ジオジークはこれならもう逃げることもない。と判断して、その身で塞いでいた廊下を開けて、ジオラルドとすれ違いながら言う。
「ふんっ、奇遇だな。私は元からそのつもりだ。…付いてく来い」
「…後悔すんなよっ、クソガキめっ」
自身の背後を肩を怒らせて付いてくくるジオラルドの気配を感じながら、ジオジークはどうやってジオラルドを倒そうかと、考えを巡らせ始めていた。
「…此処でやる。武器は何を使う?」
ジオジークの為に誂えられた格闘訓練する為の一室で、ジオラルドとジオジークは向き合っていた。
ジオジークは何時も訓練にて使用している木剣を手に取りながら、ジオラルドへとどの武器を使うのか問うた。
「…何も要らねぇよ!」
「そうか、私と戦う位では武器も要らぬ、と、…そう言うか!」
ジオラルドのその言葉に、どれほど迄に自分が舐められているのかを悟ったジオジークは、もう自身の中で燻っている火の粉を隠すことなど出来そうにはなかった。
「…武器使えないだけなんだけど」
ジオジークの外面に吐露された憎悪、気が狂いそうになる手前にまで昂ぶった感情により、ジオラルドが小さく呟いた一言など耳に入ろう筈もなかった。
「…後悔するなよっ!」
そう言った瞬間、ジオジークはジオラルドへと剣を上段から下段へと振りかぶる。
がんっ!
「…不意打ちかよっ!」
ジオジークの剣はジオラルドの尾により、振り切る事なく止められていた。
「はっぁあ!」
尾で止められている剣に力を入れて、ジオラルドが押し返して来た瞬間にその反動や利用して背後に下がり、ジオラルドの尾が左側へと振り抜けた瞬間に、再度、ジオジークは剣にて突きを放つ!
「…っと」
しかし、それもジオラルドが一瞬にて、尾を左側から右側まで振り抜く形で移動させたことにより、剣がジオラルドの身体へと届く前に、尾に剣先を巻き取られる事により、不発に終わる。
「…貴様っ!」
尾だけで足らわれる自身の不甲斐なさに苛立ちを感じつつも、ジオジークは攻める手を止めない!
横面からの振りかぶりは、ジオラルドに尾で剣を弾かれる事になり、再度、上段斜めから斬りかかると、また、剣の進行方向に尾を入れられることにより、不発に終わる。
「っくそ!」
一度仕切り直しの為に、後方へと飛んだ際、遂にジオラルドが自ら攻勢に出てきた。
それは攻勢と言って良いのか、ただ尾でジオジークが両手に持っていた剣を巻き取って折り、折った剣を態々、自分の後方へと放ってから、剣が折られたことにより、僅かながら硬直していたジオジークの喉元に尾の先端を突き刺さん勢いで突撃させ、当たる瞬間で止める。
圧倒的過ぎる実力差が分かる結果だった。足の力が抜けて、訓練所の床に尻餅を付いてから始めて気付いた。
ジオラルドは戦闘が開始してから、その場を一歩も動かずに、自分を相手に取って居たということに…。
「…もう、これで良いか?」
驚きを隠せずに、ジオラルドの足下しか見ていなかったジオジークが、漸く顔を上へと向けた時、ジオラルドは然も面倒そうに言った。
「っふ、巫山戯るなっ!舐めるなっ!この私をっ!私をっ!!!」
刹那、ジオジークの怒りが限界を超え、その怒りにより王族の真価が発揮される。
獣人化、ジオジークのそれはまだ変化と言うには程遠い所にあったが、だが確かに身体の一部がはっきりと変化していた。
丸みを帯びていた金色の瞳孔が、縦へと裂ける。
ただそれだけの変化である筈、だと言うのにジオラルドは、次の瞬間には訓練所の壁を自身の身体でぶち抜き外へと放り出された。
「….なんだ?!」
ジオラルドのその身にダメージというダメージは無かった。
ジオジークが殴り掛かって来た瞬間、尾を縦に防ぐ事は間に合わなかったが、危険を察知してオーラバーストをジオジークの拳が当たると分かった胸へと瞬時に集中させたためだった。
「巫山戯るなっ!私が!私が何れだけのっ!時間を掛けて!」
訓練所の外へと飛ばされている最中、身体が地へと落ちる前にジオジークが再び襲い掛かって来た。
「….獣人化しているのか!?」
「…ぉおおっ!!」
身体が宙に放り出されている為、ジオラルドはジオジークの攻撃を尾で防ぐも、防ぎきる事が出来ずに、地へと背中から叩きつけられる。
どがっん!
「…ぐぅっはぁ?!!」
此処に来て初めてジオラルドは、ジオジークによりダメージを受けた。
肺から強制的に空気が抜ける感覚、それに咳き込みながら、このまま寝ていては危険だと考え、その場に立ち上がる為に両手を地に突いたところで、三度、ジオジークより顔を蹴り飛ばされる!
「…っぐ?!?」
蹴り飛ばされ、首が天へと蹴りの反動にて振り抜かれて、空の水色が視界に一瞬映ったと同時にジオラルドの意識は途絶えた。
がんっ!がんっ!がん!がん!
「巫山戯るな!お前が私を!!」
ジオジークはジオラルドの意識が無いと気付かぬのか、気付いていても止めるつもりがないのか、ジオラルドの襟首を掴み上げて、殴る蹴る繰り返し続けた。
「…ジオジークっ!?何をしているのっ!!?直ぐにおやめなさい!!」
その静止の声が掛からなければ、ジオジークはジオラルドを殴ることを止める事が無かったのではないか?そう思う程に、ジオジークはメルノーラに声を掛けられた事により、殴る拳を止めた。
「…はぁはぁはぁ、母上?これは、…ジオラルドか?何故こんな血だらけに?」
そして声を掛けて来たのが、自身の母と気付き、漸く正気に戻ったジオジークは、ふと、自身の片手に重さを感じて、そちらへと視線を向けると、其処には顔を血だらけになったジオラルドが居り、ジオジークの手に掴み上げられている事により、意識がないに関わらず、その身を起こしていた。
「ジオジーク!どうしてジオラルドをこんな姿に!!?」
…いや、吊り上げられているという方が正しいだろう。そんな姿のジオラルドを見て、更に自身の身体から感じる全能感より、自分が獣人化して、ジオラルドを此処まで追いつめ、全く手も足も出ない状況から、ここまで形勢を逆転していることに、ジオジークの心は喜びに満ちてきつつあった。
「…私が、……ジオラルドを?……そうか、この感覚、そうか私は獣人化を、く、くくく、くく…はっははははっ!!」
ジオジークが手に掴み上げていたジオラルドの身体を、手の力を抜くことで放したとき、メルノーラは慌ててジオラルドへと近寄り、その身を支えた。
「……ジオジーク、一体何があったのです?どうして弟をそこまで殴っておいて貴方は笑えるのですか!?」
メルノーラはジオラルドの怪我の様子を見つつ、ジオジークにそう尋ねるが、その言葉が息子に届くことはなかった。
「…こいつを見定めるつもりが、自身を見定める結果になったか!これは、笑える」
何故ならその時、ジオジークは母もジオラルドにも既に興味がなく、自身の獣人化による全能感に、その身を委ねつつあったからだ。
そして嗤う。
本来の目的であった、現状のジオラルドの実力を見定められれば、今は負けてもいいと思っていたのに対し、自身が獣人化に覚醒したことにより、簡単に戦いに勝ってたことにジオジークは思う。
やはり自分は王に成るべくして産まれた存在だと…。
そして気付く、今ではないが、そう遠くない内に、この弟と再び王の座を賭けて戦う日が来るということを、だからこそ、自分はもう邁進するしかない。
誰にも負けず、誰にも頼らず、己の力のみでこの国の王になることや誓う。
「…王になろう」




