ココロの泉
泉に斧を落としたら、女神が出てきてこう聞いた。
「あなたが落としたのは、金の斧ですか?それとも、銀の斧ですか?」
そこでもし欲を出してウソをついたら、何も手に入らない。どちらでもないと正直にいえば、すべてが手に入る。そんな物語を聞いたことはないだろうか。
それとはちょっと違うけど、似たようなやつが、おれの心の中に居る。そいつは、何か事あるごとにおれに尋ねてくる。
「あなたが食べているのは、和食ですか?それとも、洋食ですか?」
「あなたが飼っているのは、犬ですか?それとも、猫ですか?」
この前、おれが彼女に貰ったネックレスをなくした時もそうだった。
「あなたが探しているのは、彼女に貰ったネックレスですか?それとも、誰もが欲しがる高価なネックレスですか?」
その物語と少し違うところは、この女神は正解を選択肢の中に入れてくる。だから、どちらでもないという答えは無い。それに正直に答えても、どちらも貰えるなんてこともない。ただ、面倒なだけだ。何故、こいつがいつも二者択一の質問をしてくるのか。何故、こいつがおれの心の中にいたのか。それは、未だに分からない。
ところで、さっき彼女に貰ったネックレスの話をしたが、おれには大切な彼女がいる。おれの彼女は、とても素敵な人だ。顔は、それなりかもしれないが、おれのタイプで性格も優しい。周りに気を使えて、将来は良いお嫁さんになるね、なんて友達からよく言われている。本当に好きだった。ずっとこのまま一緒にいたいと思っていた。だが、事件は突然起こった。
おれは、彼女が知らない男と歩いているところを見てしまったのだ。結論から言うと、それは本当に偶然で、彼女に非は一切無かった。ただ、たまたま久しぶりに出会って、帰る方向が一緒だったので少し話をしながら歩いていたというだけであった。たった、それだけのこと。たったそれだけのことなのに、おれはそれが許せなかった。何故なら、その男が彼女の前の彼氏であったから。
彼女はおれに謝った。彼女は何も悪くないのに。だが、おれは許せなかった。過去の男に嫉妬してしまっていた。その男が、おれの知らない彼女を知っていることに無性に腹が立った。知らない男と歩く彼女の姿に、おれは過去の彼女の姿を見てしまったのだ。
しばらく連絡を取らない日々が続いた。こんなに長い間連絡を取らなかったのは初めてだ。こんな時も、あいつが出てきてこう聞いた。
「あなたが待っているのは、彼女からの謝罪ですか?それとも別れの言葉ですか?」
謝罪を求めているわけではない。彼女は、もう謝ったのだ。それに、そもそも彼女に非は無い。でも、どうしても許せない。となると、おれが待っているのは別れの言葉なのか…。こんな些細なことで、彼女と別れてしまうのか?おれは彼女と別れたいのか?そう考えた時、おれは心のどこかで勿体無いなと思ってしまった。友達にも羨ましがられ、将来良いお嫁さんになると言われた彼女を手放すのが、勿体無い。そう思った。彼女と別れるのは、嫌だ。でも、過去の彼女の姿を見てしまったおれは、どうしたらいいのだろうか…。
質問に答えられずにいるおれに、あいつはおれの考えを察したかのようにまた質問をしてきた。
「あなたが付き合っているのは、過去の彼女ですか?それとも、未来の彼女ですか?」
おれはその質問にハッとした。おれは、ずっと元の彼氏とのことを嫉妬していた。過去の彼女しか見ていなかった。もう今は、おれのことだけを愛してくれているというのに。別れを考えたときも、おれは勿体無いと思ってしまった。将来、良いお嫁さんになるから付き合っていたいのだろうか。将来に期待がもてるから、付き合っているのだろうか。付き合っている理由は、そんなところにあるのだろうか。おれが付き合っているのは、過ぎ去りし昔の彼女なのか。それとも、まだ見ぬ未来の彼女なのか。おれは、あいつの質問に静かに答えた。
「どっちでもないよ。おれが付き合っているのは、今の彼女だ。」
過去がどうとか、未来がどうとか、もちろん大事なことだけど、そこばかりにとらわれて、今を見失ってはいけなかった。おれは、今の彼女を愛しているのだ。おれの答えを聞いたあいつは、そのとき初めてこう答えた。
「正直者のあなたには、どちらの彼女も差し上げましょう。大切にしてあげることですよ。過去があるから今があって、未来のために今があるのです。」
おれは、これを機に考え方を改め、彼女に謝って仲直りをした。本当に優しい彼女で、こんなどうしようもないおれを、すぐに許してくれたのだ。
一方あいつは、気がつくとおれの心の中から消えていた。それ以来、あいつがおれの心に出てくることはなかった。