番外編 1輪の花
「ーお嬢さん」
ジュリーが廊下を曲がろうとすると、急に手が出できて、1輪のシュウメイギクが差し出される。
ジュリーは驚いて、足を止めると、にこりと笑ったケントが現れる。
「お花はいかがかな?」
「…。全く、ケント様」
いたずらっ子に対して、優しく接する姉のように、ジュリーは呟いた。
年齢的にもジュリーのほうが上で、ケントとは3つか4つ、離れているのだった。
「あれ? 駄目? 受け取らないの?」
「あのですね、ケント様」
ジュリーは腕を組むと、厳しい顔つきとなる。
「そういうことは、お嬢様に対してするものですわ。私みたいに使用人にやってはなりません」
「えー、厳しいな」
花を鼻に当てながら、香りを楽しんでいるケントに、ジュリーはどきりとする。
恋心をもってはいけない存在なのだが、幼少の頃から気になる人物ではあった。
ー駄目よ、ジュリー。駄目。
主従関係で恋愛に発展するなんて、もっての他。
しかも使用人同士の恋愛もご法度だった。
ー私は1人でいい。メアリーお嬢様の側にいられるだけで、幸せですわ。
ジュリーが言葉を噛みしめていると、ケントは花をくるくると回す。
「とりあえず受け取ってくれる? 俺の気持ち」
「何が気持ちですか。いいお嬢様にあげてくださいませ」
「だってメアリーにくれてもつまらないだろう? だからいつも働いてくれるジュリーに渡そうと思って」
「あのですね…」
続けようとしたが、やめにする。
せっかくくれるというのなら、花を綺麗に飾ったほうがいいような気がした。
ー命あるものは大事にしないと。
ジュリーはスカートの裾を持って礼をすると、ケントから花を受け取る。
「ありがとうございます。大切にしますわ」
「そう。それでいい」
満面の笑みを浮かべるケントに、ジュリーはしょうがないと軽く微笑む。
どうして自分にくれるのか分からないが、芽生えそうな気持ちを封印する。
「ジュリー、メアリーはどうだった?」
急に真剣な面持ちとなり、ジュリーはごくりと喉を鳴らす。
ツリーハウスの件だと思い、顔を強張らせる。
「何も思い出せないとおっしゃっておりましたわ。ダニエル様のことも無理なようです」
「…そうか。無理か」
ケントは珍しく厳しい顔つきで。ぼやいた。
ジュリーも何も言わず、黙り込む。
すっと秋の涼やかな風が2人の間を通り過ぎていく。
花が揺れたので、手で囲うと、花だけがその場を癒してくれそうな、そんな小さな希望だった。
「あの、ケント様。あまり無理に思い出さないほうがいいと思いますわ」
「そうだな。俺もそう思う。あとはダニエル次第だ」
「ダニエル様…。その、ケント様」
「何? どうしたの、ジュリー?」
「あの、その、本気でメアリー様をもらいと言い出したのでしょうか?」
「お前はどう思った?」
逆に返されて、ジュリーは躊躇したが、はっきりと告げる。
「メアリー様には、必要な御方だとお見受けいたしますが」
「確かにな。俺もダニエルがいいと思っている」
「でも、あの…」
心配事を口にしていいのか、それとも黙ったほうがいいのか、ジュリーは迷う。
ケントはこちらを凝視したまま、動かない。
ー2人だけですわよね?
周りを見回し、窓ガラスから入る光に安堵しつつ、ジュリーはケントにより近づき、小声で言う。
「贖罪のつもりでは…?」
「…。それはダニエルにしか分からない」
腰に手を当て、怖い表情となったので、ジュリーは頭を下げる。
「言い過ぎました。失礼いたしますわ」
「よろしい。…本当はあの2人、結婚させたいんだけどな。早くメアリーが気づくといいんだけど」
「それは…。メアリー様には、ゆっくりと時間をかけたほうがいいと思いますわよ。心の傷が深そうですし」
「うん、メアリーの苦しむ姿なんて見たくない」
はっきりと言い、ケントは壁に腕を預ける。
ジュリーは同感だと思い、しっかりうなずく。
「これからもダニエル様との交流は…?」
「なるべくさせようと思っている。あいつ以外、メアリーを預けられる相手なんていないから」
兄心のようで、メアリーには幸せになって欲しいのが分かる。
ジュリーもその通りとは思うのだが、ダニエルのことが気になる。
「また舞踏会に行かせるつもりなんでしょうか?」
「そうだな…。もうダニエルのことは知っているし。どうするか。あいつも舞踏会は嫌みたいだし、変な虫がついても困るんだよな」
「そうですわ!! 変な虫がついたら困ります!!」
ジュリーはメアリーのことが第1と、拳を作り強く言う。
ケントは苦笑すると、ジュリーの細い肩を叩く。
「いつもありがとうな、ジュリー。お前のお陰で、メアリーは毎日、楽しそうだから」
「とんでもない!! 私の力なんて、ほんの少しですわ」
「そう言うのは、ジュリーくらいなものだ。メアリーと大事に付き合ってやってくれ」
「こちらこそ!! よろしくお願いいたしますわ」
ジュリーが姉心から言うと、ケントは壁から身体を離し、ジュリーの髪に触れてくる。
「本当はお前も、婿を取らせないといけないんだけど」
「い、いいえ!! 私はまだいいですわ!! お嬢様の側が1番落ち着くので」
正直なことだった。
ケントが見極めようと、瞳を覗き込んでくるので、ジュリーは偽りなく見返す。
その間、わずかな時が流れる。
「これからもよろしく頼むな、ジュリー」
「は、はい!! 私にできることなら、何でもいたしますわ」
嬉しそうに答えると、ケントは安堵したようだった。
面倒見のいい御方だと思う反面、ジュリーは内心でもやもやする。
ー私に気など遣わなくていいのに。この御方ったら。
婿ならまだ必要いりませんのに。
それよりケントのほうが先だった。
ウィンストン家の長男として、妻をそろそろ選んでもいいのだが、恋の駆け引きをしているのか、それとも目当ての女性がなかなかいないのか、女性の影が見受けられなかった。
ーどうしてかしら? …その、使用人の私にも優しい御方なのに。
花を見つつ、浮いた話がないなとため息を吐く。
ケントは女性といるよりも、男性といたほうが楽なのだろうか。
狩りや釣りに行ってばかりで、まだまだ当主の座など関係ないように思える。
ーケント様のお相手か…。
そう思った途端、ちくりと心の臓が痛んだので、ジュリーは慌てて胸を押さえる。
昔からケントとは親しく捺せていただいているので、家族以上の感情を持っていてもおかしくなかった。
ージュリー、ジュリーって、後ろから追いかけてこられて。懐かしいですわ。
くすりと笑い、花を耳にさす。
甘い香りがふわりとし、大切な宝物をいただいたような、そんな感情がわいてくる。
しかし自分を戒めるのは忘れない。
ー駄目よ、ジュリー。駄目なものは駄目。
ちゃんと言い聞かすと、ケントが耳についた花に手を伸ばしてくる。
ジュリーは頬が赤くならないように、固まった状態だった。
「ジュリー、よく似合っているよ。肌が白いから、花のピンク色が映える」
「ありがとうございます、ケント様。でもその言葉は、他のお嬢様達に言ってくださいませ」
「ちぇ。つれないな」
頬を膨らませるケントは、本当に純粋な子どものようで、ジュリーは勘違いしそうになったが、顔を引き締まる。
「お花、ありがとうございました。私も忙しいので、そろそろよろしいでしょうか?」
「ああ、悪かったな。途中で邪魔して」
「いえ、いいんですわ。メアリー様とケント様の幸せを願っております」
本心から言うと、ケントは笑うような、泣くような表情となる。
何かまずかっただろうかと思ったのだが、すぐにいつものケントに戻る。
「あー、お腹が空いた。何か食べ物はある?」
「ああ、それでしたら…」
2人は日常会話に戻ると、廊下を進んでいくのだった。




