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短編連作 Colors(色)

白-過去から未来へ

作者: 月夜乃 古狸
掲載日:2026/05/04

 教会の鐘が鳴る。

 どこからか祝福の曲が流れるのと同時に扉が開き、男が一歩踏み出した。

 腕に添えられた手が緊張で固くなっているのに気づき、男がそっとその手を叩く。

 一歩、また一歩。

 並んだ小さな足音が祭壇に近づき、やがて立ち止まる。


 スッ。

 祭壇の前で待っていた男性が右手を差し出し、となりの女性が左手を伸ばす。

 ふたりの手が重なり、男の腕から離れている。

 男と男性の目が交差する。

 言葉はない。

 ほんのわずかな、それでいて百の言葉を交わしたような瞬間は、どちらからともなく目を伏せたことで終わった。


 男は祭壇と、そして壁に掲げられた十字架に視線を向け、わずかに頭を下げてから最前列の椅子に腰を落とす。

 その傍らには同じ年頃の女性が、どこか可笑しそうに口元に手を添えて男の横顔を見つめている。

 音楽が止む。

 代わりに響いてきたのは初老の神父の祈りの声。


(27年。そうか、もうそんなになるのか)

 男が自分の手の平に目をやる。

 太くゴツゴツした指と深い皺を刻んだ掌。毎日どれだけ洗っても爪の間に入り込んで落ちない機械油の汚れ。

 恥ずかしいと思ったこともある。

 馬鹿にされたことも、娘に嫌がられたこともある。

 けれど、結婚して29年、娘が生まれてから27年。確かにこの手が家族の生活を支えてくれた。

 少し、ほんの少し誇らしげに握りしめる。


 初めて娘の手に触れた時、男の指ほどの大きさしかなくて触れれば壊してしまいそうで恐かった。

 指を握られた時の感触は今でもはっきりと思い出すことが出来る。

 柔らかく、意外なほど力強かった。


(あの頃は女房に苦労を掛けてばかりだったな)

 結婚したばかりの頃、生活は決して楽ではなかった。

 朝から晩まで必死になって働いて、その分家のこと、子供のことは妻に任せっきり。

 何度も喧嘩をし、反省し、埋め合わせとばかりに休日は疲れが残っていてもできるだけ娘と一緒に過ごすようにした。

 そんな精一杯の行動と、妻の寛大さのおかげでなんとか一緒にやれていたのだろう。


(小学校の入学式じゃあ情けなく泣いてしまったな)

 娘の成長が嬉しくて、しかし少しずつ自分の手から離れ始めていくのが淋しくて、入学式の最中に涙が止まらなくなった。

 登校する娘の後ろ姿を見送ると、身体に不釣り合いなほど大きなランドセルと、鮮やかな黄色の帽子。

 太陽の光が娘に降り注いで眩しくて、今も瞼に焼き付いている。


 遠足に保護者として参加したこともあった。

 自然公園の芝生の上でクラスメイトと一緒に走り回る娘をハラハラしながら見守った。

 緑色の絨毯の上を転げ回って大きな笑い声を上げる姿に、家とは違う別の顔を見た気がして驚いたものだった。


 娘が中学生になるとどんどん会話が減っていった。

 子供なりに様々な知識を得て、思い悩み、自分なりの答えを出そうと頑張っていたのだろう。

 けれど、男にはそれを理解してやることが出来なかった。

 口煩く叱り、偉そうに説教をしてしまった。

 あの頃に本当に必要だったのは、ただ静かに見守ってやることだったのだと今では反省している。


 あのままだったら男と娘の関係に罅が入っていたかもしれない。

 だがそうはならなかった。

 男にとっては思い出したくないあの日。

 珍しく仕事が早く終わり、男が自宅に着いた丁度同じタイミングで家から出てきた娘とすれ違った。

 反射的にどこに行こうとして居るのか問いただしそうになるも、時間はまだ早く、日も沈んでいない。


 中途半端にあげた手を止め、目も合わそうとしない娘を見送った。

 その直後、娘の斜め後ろから猛スピードで走ってくる自転車が視界の端に映る。

 男が声を上げる間もなく、自転車が娘に衝突し、娘は跳ね飛ばされるように固い地面に倒れ込んだ。

 男の口からは意味をなさない叫びが吐き出され、急いで娘を抱きかかえる。

 手に伝わる生暖かく不快な感触が広がっていく。

 娘の額に、頬に、鮮やかな、禍々しいほどの赤が流れる。


 その時のことを男はあまり覚えていない。

 ただ必死に娘の名前を呼び、悲鳴交じりに助けを求めた。

 衝突の音と男の叫びに驚いて家から男の妻が飛び出してきて救急車が呼ばれた。

 幸い、出血の割に娘の怪我は酷くなく、念のため数日入院しただけで後遺症も傷痕も残ることはなかった。


 その日から、娘の男への態度が少しずつ柔らかくなっていった。

 不幸な事故ではあったが、男の必死の態度が娘への確かな愛情を示していたことを察したのかもしれない。

 男もまた口煩くして娘に嫌われまいとよほどのことがない限り説教を控えたのも良かったのだろう。

 劇的に、とはいかないが、毎朝挨拶をし、食事の時に少しだけ会話を交わし、時々家族で買い物に出かけるようにもなった。


 そんな穏やかな日々が数年続き、娘が大学を卒業。

 配属先である都心のマンションに引っ越すことになった。

 大きなトランクに荷物を詰め込み、家を出る娘を見送る。

 男が車で送ることを提案したが、娘は街を見ながらゆっくり歩いていきたいと言って断った。

 新しい旅立ちに相応しい、雲ひとつなく晴れ渡った空。

 憎らしいくらい鮮やかな青に娘の姿が消えていくのを男はずっと眺めていた。


 男がふと顔を上げる。

 いつの間にか神父の祈りは終わっていて、新しい夫婦による誓いの言葉が紡ぎ出されている。

 ドレスを纏った娘の後ろ姿が目に入る。

 いくつもの想い出が繰り返し目の奥に浮かんではそのドレスに溶けていく。


 黄色、緑、赤、青。

 娘の半生が写す様々な色が混ざり合い、ただ白い光となって娘の姿を輝かせる。

 これから先、男が娘の人生に影響を及ぼすことはないだろう。

 そのバトンは男から別の者へ渡された。


 男の頬に雫が一筋流れる。

 花嫁のドレスと同じく、いくつもの色が溶け込んだ雫が。

 ただひとしずく。


 

いつもの作品とは趣向を変えて

切なかったり、ほのぼのしたり、ほっこりしたり、悲しかったり


色をテーマに様々な短編を書いていこうと思っています

投稿は不定期

思いついたら書くという感じなので気長に楽しんでいただけると嬉しいです

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