扉の向こう・その5・ 怪談話(実話)と宣戦布告
ラザVSディックランゲアです。
魚事件の話は本編に組み込みたかったんですけどねー。できなくて、残念。
今回は、王子目線です。
仕事の合間を縫って、ディックランゲアはアンビヴァレントに顔を出した。
ちょうど昼の休憩にはいったばかりで、従業員は全員わきあいあいと食事中のところだった。
「よろしければ、一緒にいかがです?」
と、他ならぬリアリ・ダーチェスターの誘いを受ける。
「よいのか?」
「ええ、どうぞ。今日のお昼は“サイ・ノーン”の“黒豆パン・エビ・カニ甲殻類のレモン・バターソース・トマト・レタス・玉ねぎサンド”と“チャルチュロ”の“絶品二度揚げシナモン・ドーナツ”です。たくさんあるので、遠慮なく召し上がってください」
リアリの手招きにより、隣にいたベスティアが場所を譲ってくれた。
ディックランゲアがリアリの横に座るなり、本日の給仕当番らしいナーシルが寄ってきて、消毒用のレモン水を両手に振りかけてくれる。
さっぱりしたところで、ドン、と大皿を出される。
両手にあまるくらいの重量級サンドイッチに、メロンほどもある大きなドーナツが二つ。
「これはどうやって食べれば――」
いいかけて、やめた。
全員、かぶりついている。
「お茶です。バナナ・メロン紅茶です。珍しいでしょう? まずいですけど」
「…………………………」
まずいのに、なぜ飲むのか。
理解に苦しむところではある。
だが、先日半死半生な目に遭わされた差し入れの菓子類に比べれば、どうということもないような気がした。
「では、せっかくなのでいただこう」
見よう見まねで、がぶりといく。
「旨いな! これは、旨い!」
「お口にあってよかった。さ、どんどんいってください。まだたくさんあるんです」
「いや、私はこれひとつで十分……なぜそんなに余っているのだ」
「カイザとエイドゥーがまだ仕事から戻ってないんです。この暑さじゃ夜までとっておけないし、どうにか食べないと。ね、ディーク様も参戦してください」
にっこりと、かわいらしい微笑み。
ディックランゲアはたぶらかされている、と自覚しながらも勢い込んで頷いた。
「わかった。できるだけ、食べよう。いや、待てよ。せっかくだからリーハルト叔父上やアレクセイも呼べば、我々が無理しなくてもいけるのではないか」
はからずとも大昼食会になった。
大勢で話題は飛び交い、賑やかで、楽しいひととき。
だがそこでふと、思いついたことをディックランゲアが口にしたとき――。
「そういえば、なぜラザ殿は魚嫌いなのだ?」
びしっ、と音を立てて空気が凍った。
「エビやカニ、貝類もだめなのか? こんなに旨いのに」
ベスティアとパドゥーシカが、おそるおそる背後や天井の気配をうかがう。
グエンは席を立って廊下を見に行った。
ナーシルはカーテンの後ろを確認している。
シュラーギンスワントは逆毛を立てて緊張した二頭の砂漠虎をなだめた。
「……い、いらっしゃらないようです」
「こっちもだ」
「同じく、大丈夫そうです」
それでもサンドイッチを食べ尽くし、次にドーナツの山に取りかかるまで、会話は再開されなかった。
リアリがバナナ・メロン紅茶を顔をしかめながら啜り、頷く。
全員の顔が厳めしいことから、ディックランゲアはまずい話題だったのかもしれない、と察した。
「いや、別に、答えたくないようであればいいのだ」
「そういうわけではないんですけど、ラザに聞かれるのは避けたくて」
リアリは三つめのドーナツを指でちぎった。
「眼があったことがある、らしいんです」
「……? なにと?」
「魚と」
ディックランゲアは首を傾げた。
リアリが指で口に押し込んだドーナツをもぐもぐして、飲み込む。
「以来、魚を毛嫌いするようになって。ある日そのことを知った聖徒殿の関係者が、いたずらでラザを招待した夕食の食卓を魚づくしにしたところ――」
リアリの眼が遠くを見つめる。
ディックランゲアはごくりと唾を呑んだ。
「それで……?」
「その場にあったものすべてが破壊の限りを尽くされました。食卓、椅子、食器、壁やカーテン、置物、床、とにかく無事なものはなにもなかったのです。ラザを招いた本人は、文字通り輪切りにされていました」
「………………………………」
「それでも気が済まなかったらしく、家の軒先に、大皿にきれいに盛られていました」
「………………………………」
「そして犬の餌です」
「………………………………」
「スライセンでは、“魚心中事件”と呼ばれています。以来、港近郊でも魚の文字の入った看板は姿を消しました。メニューからも消えました。まあ、たいていの店には裏メニューがあるので、頼めばつくってはくれますけど」
ディックランゲアは下顎の汗を拭った。
「……わかった。実は、いい黒鯛が手に入ったと料理長から知らせがあったゆえ、こちらに届けようかと思っていたのだが、やめておく。大変なことになりそうだ」
「!!! 血を見るので、やめてくださいっ。お気持ちだけで結構です!!!!!」
そこへ、突然降って湧いた声が、雷鳴の如く轟く。
「……へぇ。ずいぶんと仲がよさそうじゃあありませんか……」
全員がその場で飛び上がった。
ほぼ一斉に振り返り、そこに、冷笑を浮かべて佇むラザ・ダーチェスターを見いだした。
「ラ、ラザ……あんた今日は帰ってこられないって」
「仕事が早めに終わり、ちょっと時間が空いたので顔を出してみたんです」
明灰色の双眸が、不吉に光る。
獰猛で、容赦のない、烈しいまなざし。
「それで? 血を見るとか、気持ちを受け取るのがどうとか言ってましたけど、いったいなんの話をしていたんです……?」
暗殺者の微笑がひらめく。
ぞっとするほど無機質な殺意の塊。
「まさか、浮気じゃないですよね?」
この歩く凶器のような男が、苦手とするものが、たかが“魚”とは。
ディックランゲアは、思わず、クスッと笑った。
まわりの者が、全員、音をたてて息を呑む気配。
そして我に返り、はっとする。
気がつけば、咽喉を押さえられていた。
「僕を嘲笑うとは、あなた死にたいんですか」
さて、どうするか。
ディックランゲアは気色ばむアレクセイを押さえるしぐさをして、眼の前の男を見た。
これが、リアリ嬢の愛する男。
「……今日は昼食に招待されただけで、君が心配するようなことはなにもない。ただ……」
ディックランゲアは言葉を区切って、ちらっとリアリを見つめた。
心配げに、胸に手を寄せ、眉間に皺を寄せている。
「これから徐々に、口説こうとは思っている」
あまりにもささやかな、宣戦布告。
吉と出るか、凶と出るか。
神のみぞ知る。
本編没ネタその5。
今回ラブコメにならなかった。汗。
でもどうしてもはずしたくないエピソードだったので、書いちゃいました。えへ。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。