扉の向こう・その9・ 初夜
もちろん、ラザとリアリです。
カイザは不憫です。
それは、いまから三年前のこと。
その日、ラザは午後に一時帰宅した。
他国からの巡礼帰り、久々にリアリの顔が見たくて聖徒殿に戻る前に立ち寄ったのだ。
だが家にはおらず、アンビヴァレントにもいなかった。買い物に出ているのだと言う。
仕方ないので、夜には帰宅することを告げ、聖徒殿に向かった。
その道すがら、リアリとカイザにばったり会った。
二人とも腕に食材を抱えて、談笑しながら歩いている。時折、額を寄せて顔を近くし、なにごとか囁いては、笑いあっている。
その様子が、いかにも楽しげで。
まるで気のおけない恋人同士のようで。
ラザは殺気を飛ばした。途端に、雑踏が二つに割れた。皆、身を左右の地面に投げたのだ。
カイザと言えば、リアリに覆いかぶさるように身体を伏せると同時に懐から得物を抜いて、迎撃の姿勢を構えた。が、相手がラザと見るや、ぱっと顔を明るくした。
「兄貴!」
「え? ラザ?」
もそりと、カイザの腕の中からリアリが仮面をつけた顔を覗かせる。
「なんだよ、兄貴か。よかった、攻撃しなくて。あのさ、ちょうどいまリアリと兄貴の話をしていてさ――」
言いながら、カイザはリアリを助け起こそうと身体の下に腕をさしいれた。ラザはカイザの肩を掴み、きつく握った。
「痛てっ」
「どきなさい」
「? な、なんで、怒ってるんだ?」
「どきなさい」
「わ、わかったよ」
ラザは無言でリアリを抱き起こし、服を払い、髪を整えた。華奢な線だった。胸も腰も、未熟。しかし、少女ではなくなった。月のものがあった、と報告を受けたのは他国に出張に立つ前の晩。リアリは十四になったばかりだった。
「ラザ、どうしたの?」
仮面の奥に輝く美しい碧青の眼が訝しげに細められて、白い指がラザの腕にかかる。
「なにかあった?」
ラザはかぶりを振り、リアリをじっと見つめた。
「今晩、帰ります」
「本当!? じゃあ、夕食は皆一緒に食べられるのね」
無邪気にはしゃぐ姿は眩しいくらい、清々しく。
ラザは微笑し、リアリの手の甲に唇を落とした。
「夜にあなたを訪ねます。朝まで一緒ですよ」
「わかった。待ってる。ね、絶対帰ってきてね。私、頑張ってラザの好きなものたくさん作っておくから!」
頷いて、ラザはカイザを向いた。
カイザはさすがに意図を察したらしく、身を竦めて、色をなくしている。
「……わかりましたね? 引き続き、リアリを守りなさい。僕が行くまで、誰の手も触れないようにするんです」
「だけど、お嬢はまだなんの準備も」
「いいんです。どのみち、リアリは僕のものになるんですから」
戦慄したカイザをひとり残して、ラザは真昼の往来をよぎった。リアリの「待ってるから!」と呼びかける声が追いすがってくる。ラザは一度も振り返らなかった。
その夜の全員揃った食卓は賑やかだった。
片づけをすませ、入浴し、自室に引き上げる。
夜も更け、月が中天に昇った頃、ラザはリアリの部屋の一歩手前で壁に寄りかかるカイザと遭遇した。
「どうしました」
「……どうしても、行くのか」
「僕を止めたいんですか?」
「そんなことねぇけど……」
「ではどきなさい」
通り過ぎようとして、二の腕を掴まれる。
ラザはカイザの顔が苦渋にみちているのを見た。口が半開きで、眼元に皺がより、なんとも情けない表情を浮かべている。
「……俺も、お嬢が好きなんだ」
「知っています」
カイザが俯く。とても裏の世界の次期後継者とは思えないほどの愚図さ加減だ。
「でも、兄貴も好きだ」
「知っています」
「……俺、どうすりゃいいんだ?」
困惑と焦燥と苛立ちが千々に乱れた声もて唸って、カイザはラザに縋るようにしがみついた。
「そこにいなさい」
と、ラザは顎をしゃくって、リアリの部屋を示した。
「扉一枚隔てたそこで、僕がリアリを抱くのを黙って聴いていなさい。どんな声でリアリが泣き、僕の名前を呼び、愛を叫ぶのか、聴かせてあげます。言っておきますけど、こんなことを許すのは君だからです。君だけですよ、情事の最中のリアリの可愛い悲鳴を聴くことができる幸運な男は。それで、我慢しなさい」
「ひでぇな」
「リアリの男はあとにも先にも僕だけです。それで我慢ならないならば、僕がこの手で君の息の根を止めてあげます」
カイザはラザの真意を汲み取ったようで、短く頷くと、道を開けた。
「……お嬢、はじめてなんだ。優しくしてやってくれ」
「いやです」
カイザがぎょっとしたように眼を剥く。
ラザはそんな弟の額をぴん、と指で弾くと、その身体を押しのけてリアリの名を呼んだ。
「――はい? え、ラザ? あれ、カイザまで。二人して遅くにどうしたの?」
「今夜訪ねると言ったでしょう。中に入れてください」
「いいけど……なにかあった? あれ、カイザは来ないの?」
「僕だけです」
二人きりになってもリアリに危機感はないようで、火点け箱を棒で擦り、油の注してある角灯の灯りをいくつにも増やそうとしている。
「そんなに明るくしないでいいです」
「? でも、ひとつじゃ暗くない?」
「まあ、あなたが恥ずかしくないならそれでもいいですけど」
「……“恥ずかしい”?」
そこではじめて、声に訝しさがこもる。
ラザはリアリのすぐ傍にいって、剥き出しの白い咽喉を撫であげた。
「……な、なに?」
びくりと震えて、リアリが僅かに身を引く。
だがそれを許さず、ラザは後ろに腕をまわし、リアリの細い腰をぐっと掴んだ。
「……あなたを抱きに来ました」
単刀直入に告げると、リアリは眼を丸くした。
口をぱくぱくとさせるが、声が出てこないようで。
ラザはふっと微笑し、空いている手の方でリアリの額の髪を掻きあげた。
「僕はもう待ちました。長すぎるほど、あなたが大人になるのを待った……もう待ちたくないんです。それとも、あなた、僕がいやですか」
「いやじゃ、ない、けど……で、でも、こ、心の準備ができていないの……」
「そんなものいりません」
「ちょっと、ラザ」
「あなたは僕に可愛がられていればいいんです」
「か、可愛がられてって……」
リアリが真っ赤になる。
かわいい、とラザは思った。
とてもかわいい、これ以上の我慢など誰ができるか、と。
ラザはリアリの唇を奪うように強引に唇を重ねた。
ちゅ、と軽い音が静まり返った部屋に甘く響く。
「ん……」
ちゅ、ちゅ、ちゅ……と、ラザは浅く啄ばむようなキスを繰り返した。
続けるうちにリアリの身体から緊張がほどけていき、強請るように両腕がラザの首に投げかけられた。
「……あ、あのね……」
「なんです?」
「……私、は、はじめてなの……」
「僕だってそうです」
「え!?」
心底仰天した、とばかりにいきなり唇を引き離したリアリの顔は信じられないものをみるように固く強張っている。
「い、い、い、いま、なんて言ったの?」
「僕だってはじめてです。なんです、いけませんか」
途端に、リアリは険しい顔で噛みついてきた。
「嘘! まさか、ラザがそんなことあるわけないでしょう! あ、あんなにすごい美人たちにもてまくっているくせに、下手な嘘つくなんて、最低!」
「は? いつ僕がもてまくったと言うんです」
「もてまくっているでしょう! 年から年中、ひっきりなしにデートに誘われたり贈り物の山が届いたり――あんた、すっごく愛想悪くて冷たくて怖いのに、それでも秋波があとをたたないじゃないのっ」
「知りませんよ、そんなこと。僕、あなた以外の女に用はないんです」
ラザは自分の夜着の帯を解いた。前をはだけて、一気に脱ぎ捨てる。
リアリを壁際に追い詰め、腕に囲う。
感情的になったリアリの眼は激しく燃えていて、それはそれは美しい。
「……妬いているんですね?」
「そうよ」
「僕はあなたのものなのに?」
「だったら、他の女になんて言い寄られないで。喋らないで。見ないで。そうしてくれないと、私、おかしくなる!」
顔を覆って泣きだしたリアリの髪に、耳に、首筋に、ラザはキスの雨を降らせた。
「……あなただけです。僕には、あなただけ……リアリ、あなたが僕の女です。はじめて会ったときから、そう決めていたんです」
「……本当?」
「本当ですよ。そうでなければ、誰がこの年まで童貞でいるものですか」
「ど……」
リアリが絶句する。
ラザはリアリの夜着の帯の結び目を解いた。
「……あなた以外の女に触れたくなかったんです。だから勉強不足かもしれませんが、仕方ないと思って諦めてください。その代り、今後はめいいっぱい努力しますから」
「……え?」
「いやってほど、抱きまくってあげます。頭がおかしくなるくらい、幾晩も幾晩も幾晩も幾晩も攻め立ててあげます。お望みなら、どこでもいつでも暴いてあげます」
ラザはにっこりして、リアリを裸にした。
無造作に着ていたものを放り捨てる。
「きれいです」
あわてて、リアリが腕で身体を隠そうとするが、ラザはそれを押しとどめた。
「……痛くても、やめてあげません。その分、思う存分僕を罵ってください。そろそろ僕の理性も限界です。かなりひどく手荒になるかもしれません……」
深いキスを交わす。
リアリの眼がとろけはじめた。
「……好きよ、ラザ……」
「僕も、あなたが好きですよ……」
たまらなくなって噛みつくように荒々しいキスをしても、リアリは嫌がらなかった。涙目になって、全身で縋りついて来る。
「……私が泣いても、やめないで……」
「やめません。だから、あなたも大きな声で泣いてください。よくカイザに聴こえるように」
「……………………は?」
甘い空気が消し飛んだ。
リアリは「耳がばかになったかも」と呟いて、恐々とした様子で扉を眺めた。
「…………まさか、そこに、カイザがいるの?」
「ええ。カイザが扉の向こうで、僕たちの情事を立ち聞きしているんです。ですから、しっかり、はっきり、これ以上にないってくらい、大声で喘いで僕を求めて叫んでください」
「冗談でしょ?」
「僕は本気です」
「そんな初夜はごめんよ!」
「手遅れですね」
ラザは爽やかに黒い微笑を閃かせながら、リアリの足をひろげた。
リアリは絶叫した。
「たーすーけーてー!!」
お久しぶりでございます。
リクエストにお答えしまして、ラザ視点のリアリとラザの初夜、そのときカイザは の巻でした。お愉しみいただけましたでしょうか?
さて、次話はいよいよ最後です。
これもまたリクエストにお答えする形で、リアリとラザの結婚式の模様をお届けしたいと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。