扉の向こう・その1・ 一緒にお風呂
没ネタその1です。
お話としては、千夜の第十二話どうしようかしら の直後あたりです。
短編、のはずだったのですが、ちょい長くなってしまったので、二話にわけます。
では、リアリとラザのエピソードをどうぞ。
扉の向こう・その1・ 一緒にお風呂
「え? ラザと一緒に……お風呂?」
「はい、入りましょう」
人畜無害な無邪気さを装って、ラザがにっこりする。
リアリは気押されて、後ずさった。
「え、遠慮する」
ラザがリアリのために奮発し、料理の腕をふるった夜のこと。
家人と客人含む大勢で賑やかに食卓を囲い、片づけを済ませ、解散したあとである。
スライセンの夜は長い。
艶めいた喧騒は絶えることなく、夜風にはジャスミンの香りが漂う。
リアリは私室で部屋着に着替え、そろそろ入浴にいこうと用意をしていたときに、ラザが呼びかけと同時に顔を見せた。
踝まである丈の黒い夜衣に、銀箔の帯を締めている。
細いさらさらした明灰色の髪を無防備にといた姿に、一瞬みとれてしまう。
悔しいから、そんなこと言わないけれど。
「どうしたの?」
「迎えに来たんです。お風呂に行きましょう」
そして話は冒頭に続く。
まさか拒絶されるとは思っていなかったようで、ラザはおもしろいくらい、きょとんとしてみせた。
いかにも不思議そうに、首を傾げる。
「なぜです。別に問題ないでしょう、僕とお風呂に入るぐらい」
どこがよ。
とは、言えなかった。
ここは家で、皆まだ寝ていなくて、夜も十分には更けていないのに。
「でも僕、あとであなたに癒してもらうと言いましたよね?」
「それは」
リアリはぐっと詰まった。
ラザは自分の高い腰に手をおき、唇に指をあてた。
悪戯っぽく微笑みながら、とんでもないことを普通に口走る。
「僕、あなたの髪を洗って、身体を洗って、気持ちよくしてあげたいです」
リアリは精いっぱいの抵抗を試みた。
「わ、私、お風呂はひとりが好きなの」
「それから、僕もあなたに洗ってもらいたいです」
「は!?」
顔から血の気がざーっとひく。
ラザが笑みを深めながら、ずい、と一歩前に出た。
「ね、洗いっこしましょう。楽しそうじゃありませんか」
「楽しくない、楽しくないから!」
リアリは首がもげそうなほど左右に振った。
「つれないですね。恋人を拒むんですか?」
ラザは身体ごと迫ってきて、リアリはあっという間に壁際に追い立てられた。
肘を軽く曲げた二本の腕に囲われる。
欲情を孕んだ、艶っぽい視線。
まるで獲物を狙い定めた獣の眼だ。
逃げ道なし。
だが、ここで負けてなるものか。
「……それ、お風呂をあがってからにして」
「待てません」
ラザの指に唇をなぞられる。その感触にぞくっと肌が泡だった。
かすかに身震いしたのを、気取られてしまう。
ラザの眼に危険で甘やかな光が浮かぶ。
「あなた、僕に甘やかされるの、好きなんでしょう? だったら思う存分、僕に身をゆだねればいい。かわいがってあげますよ。お風呂で、ふたりきりで、ゆっくりと、ね」
そんなの拷問以外のなにものでもない。
どんな目に遭わされるか、わかったものじゃない。
と、叫びたくても叫べずに、
「だから、お風呂はいやだってば」
強弁にリアリは突っぱねた。
両手でぐぐっとラザの胸を押し返す。
「いやったらいや。絶対いやだからね」
「なぜです」
リアリはぷい、と横を向いた。
まさかおなかの肉が気になるからとは言えない。
無駄なぜい肉がたっぷりついている、というわけではないが、食事が済んだばかりで胃のあたりがぽこっと出ているのだ。
こんなおなか、ラザには絶対見せられない。
というか、見せたくないっ!!
「とにかく、お風呂はひとりで入ってくるから、ラザは部屋で待っててちょうだい。もし途中で乱入してきたら許さないんだから」
「へぇ。どう許さないんです?」
からかうような口調は余裕があり、おもしろそうですらある。
リアリは激昂して、つい、余計なことを口走った。
「この間と同じよ。湯桶を頭に投げつけてやるんだから」
「ふぅん」
「ふぅん、って……あ、あたったら相当痛いんだからね。コブじゃ済まないかもしれないし、痣になって痕が残るかもしれないし――」
「つまり、あなた、湯桶を投げつけたわけですね? それでそれが相手にあたり、コブができて、痣にもなった、と」
しまった。
リアリはぎくっとした。
失言に気づいたときには、もう遅い。
動けぬよう、両肩をがっちり押さえこまれる。
ラザの機嫌は急下降。絶対零度の禍々しいオーラ。一気に恐怖を司る聖徒の顔へと変貌した。
殺気がぎらりと迸る眼に、睨まれる。
「……言いなさい。誰に覗かれたんです?」
耳に吐息がふうっと吹きこまれる。
鼓膜に響く優しい囁き声は、邪悪の化身のそれである。
不意に頬から顎を撫であげられたときは、思わず悲鳴をあげそうになった。
「……言わないと、おしおきですよ?」
「……でも言ったら、殺すでしょ?」
ラザは返事をせずに、口元を横に伸ばして陰惨に嗤った。
怖すぎる。
涙目になる。
すると、ラザが一瞬怯んだ。
「な、なんであなたが泣くんですか」
「こ、こ、こ、怖いのよ、あんたっ。なんでそんなに怖いのよっ」
ラザはあきれたような顔をした。
「怖いって……あなた、そんな、いまさらなにを……」
「怖いものは怖いわよ。だから……怖いから、怒らないで」
ややあって、ラザはまいったというように天井を仰いだ。
「降参です。ずるいですよ、涙を武器に使うなんて。僕、かなわないじゃないですか」
言って、顔を寄せ、舌で涙を舐め取る。
ラザの手が肩から腰へとおりてきた。
「わかりました。怒るの、やめます。それでいいんでしょう?」
「本当?」
「本当です。その代り、僕とお風呂にいきましょう」
「え」
今度は問答無用だった。
ラザはリアリをさっと腕に抱き上げるなり、すたすたと浴場に向かった。
番外編その1です。
本編の硬さをできるだけ省いた、軽め・浅め・ゆるめの物語にしたいな、と。
そんなにだらだらとは続かないとは思いますが、しばらくおつきあいいただければさいわいです。
次話、ラザにお風呂に強制連行されたリアリの運命はいかに?
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。