第1話「その男、何を求めて…?」
冬の山道に、一台の白いSUVが停まっていた。
エンジンはかかったままだ。
中で何かが行われているのか、曇った窓ガラスの向こうで車体が小刻みに揺れている。
十二月半ば。
街ではクリスマスソングが流れ、イルミネーションが夜を彩る季節だったが、この山に人影はなかった。
冷たい木枯らしが、林の枯れ枝を鳴らしている。
そんな暗い林の奥から、一人の男が車を見つめていた。
異様に背が高い。
痩せているのに、獣のように肩幅が広い。
男は瞬きもせず、SUVを見つめている。
その目は、まるで獲物を観察する肉食獣のようだった。
◇
「あー……寒っ」
運転席のドアが開き、若い男――章平が外へ出てきた。
二十歳そこそこ。
金髪混じりの髪に白いパーカーという軽薄な格好だが、どこにでもいる若者に見える。
「だからホテル行こうって言ったじゃん。ゴムも無かったしぃ」
助手席から顔を出した若い女――ジュンが、不満そうに唇を尖らせた。
「へっ、こういう場所の方が燃えるんだって。
第一、お前相手にゴムなんて要るかよ」
「意味わかんないし。責任取れよ、バカ!」
そう言いながらも、ジュンは笑っていた。
付き合って間もない恋人同士特有の、軽い熱を帯びた空気。
二人とも頬を赤く染め、白い息を漏らしていた。
章平は車の脇へ移動すると、寒さに肩をすくめながらジッパーを下ろした。
「ちょっとトイレ」
「サイテー」
ジュンが笑い、右中指を一本だけ立てて見せる。
◇
その時だった――。
林の奥で、枝が折れる音がした。
パキッ。
「……ん?」
小用を足しながら章平が顔を上げる。
だが暗い林の向こうには、何も見えない。
「猫か何かじゃね?」
車内でジュンがスマートフォンを操作しながら言った。
「かもな」
章平は再び前を向いた。
その背後で、暗闇がわずかに揺れた。
ジュンの興味は手元のスマートフォンに戻った。
ゲームに夢中になっている今の彼女にとって、章平にかまっている余裕はなかった。
◇
「ん?」
章平が眉をひそめる。林の奥に人影が見えたのだ。
大柄な男だった。
いつからそこにいたのか分からない。
慌てた章平は手早く小用を済ませ、男に視線を戻した。
すると、男がすぐ目の前に立っていた。
章平はゾッとした。
男の近づいてくる足音も気配も全く感じられなかったのだ。
まるで最初からそこにいたかのように章平を見つめていた。
「誰だ?」
章平が警戒した声を出す。
男は無表情のまま答えた。
「乗せてくれないか」
「は?」
「俺、行かなきゃならない場所があるんだ」
唐突な言葉だった。
章平は困惑する。
こんな山の中で。こんな時間に。
見知らぬ男が突然現れたのだ。
「悪いけど無理だ」
章平は即答した。
当然である。
男はしばらく黙っていた。
やがて首を傾げる。
「どうして?」
「どうしてって……知らないヤツを乗せるわけないだろ」
「そうか」
男は小さく頷いた。
そして少し考えるように首を傾げる。
「じゃあ、しょうがないな」
納得したのか、そう答えた男が右手を顔の前に掲げた。
男の右手に握られていたのは――!
「な⁉」
章平は息を呑んだ。
次の瞬間だった――。
◇
ジュンは暖房の効いた車内でスマートフォンをいじっていた。
カーステレオからは流行りのラブソングが小さく流れている。彼女の好きな曲だ。
ジュンはスマートフォンから目を放して顔を上げた。
「章平、遅くない……?」
ジュンの表情に不安がよぎった、その瞬間だった。
ゴトッ。
後部座席で音がした。
「章ちゃん?」
振り向いたジュンの表情が凍りつく。
ジュンは本能的に両腕で自分の胸をかき抱いた。
そこにいたのは、知らない男だった。
大柄な体格。
浅黒い顔。
彫りの深い目鼻立ち。
濡れたように黒い髪。
そして何よりジュンの目を引き付けたのは、その目だった。
感情の有無が分からないほど静かで、妙に澄んでいた。
「あ、あんた……だ、誰?」
男は答えない。
ただ、不思議そうにジュンを見つめて首を傾げた。
「俺、乗せてって言ったのに」
「え……?」
「なのに、逃げた」
男の右手から、何かが滴っていた。
ぽたり、ぽたり――
暗くて判別できない。
だが、シートへ落ちた液体だけは黒々と見えた。
「章ちゃん……? ねえ、変なヤツが……」
ジュンは身を乗り出して運転席の窓から外を見た。
「!!」
数メートル先の地面に人が倒れている。
白いパーカー。
見慣れた服。
だが――
首から上が、無かった。
「……っ!」
ジュンの息が詰まる。
理解が追いつかない。
男は困ったように呟いた。
「俺、ちゃんとお願いしたんだけど……」
男は左手に持っていた”何か”を自分の顔の横まで持ち上げた。
”それ”はジュンのよく知っている形をしている。
さっきまで愛し合った男の顔――。
章平が滴を垂らし続けながら濁った眼でジュンを見つめていた。
次の瞬間――
ジュンの喉から悲鳴が弾けた。
「いやああああああっ!!」
車内に悲鳴が響く。
クラクション。
荒い呼吸。
そして、鈍い音と共に静寂が戻る。
◇
翌朝――。
山中で発見された白いSUVは、現場に駆けつけた警察官たちを沈黙させた。
車内は血の海だった。
フロントガラスは割れ、座席には大量の血痕が飛び散っている。
車外にまで鉄に似た血の匂いが漂っていた。
若い男女の遺体。
男は頭部を切断され、女も激しく損壊していた。
「……何だよ、これ」
口を押えた若い警官が真っ青な顔で呟く。
ベテラン刑事ですら、あまりの凄惨さに言葉を失っていた。
そして――
雪が積もった地面には血痕混じりの足跡が続いていた。
林の奥に向かって……
まるで“何か”が次の獲物を探しに歩いて行ったように――。
その異様な現場は数時間後には県警本部へ送られ――
特殊事件捜査係(SIT)の出動が決定される。
まだ誰も知らない。
この山中で始まった出来事が、やがて県全域を恐怖に落とす連続猟奇事件へと変わっていくことを。
そして――
後に“ヒッチハイカー”と呼ばれる怪物の存在を。




